日本経済新聞夕刊 2003/5/12-5/16

人間発見 
  己をも信じず  信越化学工業社長 金川千尋氏 

現状に満足せず前進
毎朝7時に出社、海外案件に指示
需要家の動向把握こそ経営の原点


 自分の予測すら信じない。信越化学工業社長の金川千尋氏(77)は徹底した現実主義者だ。市場の動きから片時も目を離さず、大胆かつ細心に経営判断を下してきた。デフレ不況下だが、2003年3月期の最終利益は8期連続で過去最高を更新したもようだ。

 最高益更新にこだわりはない、と言ったらウソになります。現状に満足せず、一歩でも二歩でも前進したい。そんな思いが経営者としてのエネルギー源になっています。
 毎朝5時30分に起床し、7時過ぎには出社します。米国で塩化ビニール樹脂を製造している子会社、シンテックの事業報告や、その日の重要案件に目を通し、現地幹部を通して指示を出すためです。

 常務時代の1978年にシンテック社長に就任。90年に信越化学社長に就いてからも時差を利用し、兼務を続けている。経営に没頭するため、夜の会合や冠婚葬祭への出席は原則として断っている。

 シンテックの経営には創業から携わってきたので、大概の指示は数分で済みます。世界最大の塩ビ会社であり、連結決算に大きく貢献しているので、重要案件は人任せにできません。
 景気見通しなどに先入観を持たないようにしています。市場は刻々と変化していますからね。常に注目するのは需要家の動向です。
 例えば、塩ビ事業で、ある得意先が購入量を増減させたら大きなヒントになります。この動きは一時的か、あるいは大きな流れになるのか。急いで判断し、必要なら生産や販売の計画を即刻見直します。
 設備を増強する時は将来の需要を予測しますが、その通りになることはまずありません。計画を修正しても、また市場が動く。賽の河原で石を積むようなものです。 
 イラク戦争が始まる前の2月初め、米ヒューストンにあるシンテックに本社事務所の移転を命じました。入居しているビルが、ある国の領事館の隣にあり、テロに巻き込まれる恐れがあると思ったからです。大事な社員の万一を考え、即決しました。
 イラク戦争が始まった時は、人事部が対応策として「渡航は原則自粛」という原案を持ってきました。私は「官僚の答弁のようだ」と注意し、自ら「当分の間、全面禁止」に書き換えました。「原則」という表現はあいまいすぎる。90%大丈夫でも、残り10%の危険を防がなければ、リスク管理とは言えません。

 守りを固めつつ、大胆な攻めに出る。子会社の信越半導体は3月、大規模集積回路(LSI)の材料であるシリコンウエハーを増産するため、900億円の投資を決めた。

 市場がどれだけ伸びるかは予測しきれません。ただウェハーのメーカーには赤字企業が多く、大手ICメーカーなどの需要家が将来の調達に不安を抱いていました。首位の信越半導体が増強を決めれば、彼らの懸念が解消し、設備投資にも積極的になるだろうと判断しました。ユーザーの動きを見つめ続けることが経営の原点だと思っています。

 

柔道の奥深さに魅せられた少年時代
三度目の正直で六高合格
京城で玉音放送、虚脱感が体包む

 1926年、日本統治下の朝鮮・大邸生まれ。裁判官の父が赴任していたためで、18歳まで主に京城(現ソウル)で過ごした。

 京城の南大門小学校を卒業し、旧制の京城中学に入学しました。東芝の社長、会長を務めた故青井舒一君、現三井化学相談役の沢村治夫君とは同級で仲良しでした。近所に住む朝鮮の同級生とも親しくなり、一緒に通学したのをよく覚えています。ただ当時、多くの日本人は威張っていて、現地の人々を見下していました。顧みると誠に恥ずかしく、また申し訳ない気持ちになります。
 中学時代は柔道に打ち込みました。一年の時、四年の先輩にあこがれたからです。初段で身長は160センチくらいでしたが、ある日、三段の大学生と試合をして、出足払いで一本取ったのです。190センチほどの巨体がきれいに宙に浮いたシーンは目に焼き付いています。柔道の奥深さに魅せられて、真夏や、零下20度にもなる真冬のけいこにも何とか耐え抜きました。

 受験では陸軍幼年学校を受けて落ち、岡山の旧制六高も浪人して三度目に合格した。

 六高に二度も落ちた。あれほど落胆したことはありません。三度目は何が何でもと必死でした。ただ、もし陸軍幼年学校や六高受験の一度目に合格していたら、中国戦線などに送り込まれ、戦死していた可能性が高かったと思います。
 京城の日本人は高慢でしたが、岡山は純朴な人が多く、すぐ仲良くなりました。六高の寮生活も良かったですね。新寮、南寮、中寮、北寮の四棟があって一部屋に10人ほどいました。若いころに生活を共にした思い出は忘れられません。後に社会人となり、海外出張で仕事に不安を感じた時など、ホテルで一人六高の寮歌を歌いました。すると、どこからともなく元気がわき出てきたものです。
 二年生になった1945年6月29日。未明に米軍の爆撃機B29の大編隊が飛来、大量の焼い弾を投下しました。寮も火事になり、いったん消し止めたが、やがて火の海です。夢中で消火作業をしていると、仲間が背後で「おい、燃えているぞ」と叫ぶ。私の背中にも焼い弾の破片が当たり服が焼けていました。皆が消してくれ助かりました。
 夜が明けて、町を見ると建物の8、9割が消えている。人や馬の死体があちこちに放置されている。すさまじい光景でした。まさに皆殺しです。イラク戦争の映像を見るたびに、あの時を思い出します。
 寮で同部屋だった一年後輩が外出中に焼い弾の直撃を受けて即死しました。がれきの中をはだしで歩き、弔問に行くと家族が泣いています。慰めの言葉も見つからず、思わず「かたきは取ります」と言いました。

 寮が焼失したので、学校から「皆、家へ帰れ」と指示が出た。家族や親せきが朝鮮にいたため、船で釜山に向かった。

 船が機雷を避けながら進んでいると、海上で空襲警報が鳴りました。攻撃されたら、海に飛び込むしかありませんが、フカがうようよしています。女性や子供たちが泣き叫ぶので「大丈夫です」と声をかけました。死ぬことは覚悟していたし、六高生の意地もありました。結局、空襲は受けませんでしたが。
 京城で玉音放送を聴き、翌日から日の丸が降ろされ、現地の旗が翻るのを目の当たりにしました。
 日本は神の国と教えられてきたのに、何もかも失ってしまった。モノの考え方がすべて打ち砕かれ、虚脱状態に陥った。終戦後、六高で故大野真弓教授を囲む歴史の勉強会を始めたのも、なぜ日本がこうなったか知りたかったからです。卒業後、東大に入りましたが、勉学にはなかなか身が入りませんでした。

 

商社に入社、酒を飲み歩く
結核で療養中、懸賞論文で一等に
モノづくり志向し転職、世界を回る


 1950年に東大法学部を卒業し、極東物産(現三井物産)に入社。総務部に配属された。

 就職難のうえ、敗戦で価値観を打ち砕かれたことが尾を引いており、会社選びは「まあ、どこでもいいや」という感じでした。極東物産は従業員数300人ほどの会社でしたが、優秀な人がそろっていました。初仕事は、カーボン紙で写しを取りながら社員名簿をつくることでした。
 管理部に移ってからは不良債権の回収や、破たん企業の管理などを担当しました。仕事上、法律は熱心に勉強しましたが、若いうちはいいかげんなサラリーマンでしたね。毎日のように酒を飲み歩き、会社では六法全書を枕に昼寝することもありました。土曜日には、よく逗子や葉山に遊びに行ったものです。

 27歳で輝子夫人と結婚したが、間もなく結核にかかり、半年ほど療養生活を余儀なくされる。

 びっくりしましたね。総務課長だった市川亨さんに伝染病研究所の先生を紹介していただき、診察を受けました。病巣は小指ほどの大きさでした。手術か化学療法か、医師の間で意見が分かれましたが、結果の予想を詳細に聞いた末、薬で治すと決めました。結核患者のサナトリウム前には、葬儀屋が並んでいた時代ですが、特効薬のストレプトマイシンなどのおかげで助かりました。
 療養中は絶対安静を命じられていたので、一日中、じっとしているしかありません。天井を見つめながら聴いた豆腐屋のラッパの音が50年後の今も耳に残っています。たまたま社内で不良債権の回収対策をテーマにした懸賞論文があったので、私が口述し家内に書き取ってもらいました。
 運よく一等になり賞金1万円をもらったのです。初任給が7500円の時代ですから大金でした。内容よりも家内が論文の最初に描き添えてくれた草花の絵が良かったのかもしれません。賞金で当時は高価だったナイロンのレインコートを買い家内に贈りました。

 商社勤めを12年続けたが、35歳で信越化学工業に移る。転職はまだ珍しい時代だった。

 商社時代は営業もやりました。合金鉄の販売を担当していたころ、売り込み先から「品質が良くない」と断られたことがあります。早速、製造元に品質上の問題点を直すよう申し入れましたが、取り合ってくれない。つくづく根っこのない仕事だなと感じました。この時にモノづくりから手掛けたいと思い、その後、知り合いに紹介してもらった信越化学に入ったのです。
 希望通り、海外事業部に配属され、世界中を飛び回りました。ただ、当時の信越化学はまだ国際感覚が乏しかった。例えば、インドヘの技術指導プロジェクトでのことです。派遣する社員の日当は既に契約書に盛り込まれていましたが、上司は私に「安すぎるから交渉して引き上げてこい」と命じたのです。
 契約書にサイン済みなのに、今さら変更できるわけがありません。むちゃだと思いましたが、これも経験だとインドに出かけました。案の定、散々に反撃され物笑いのタネになってすごすご帰ってきました。

 ニカラグアで塩化ビニールの合弁工場を立ち上げるなど実績を積み、70年に海外事業本部長に。

 米国にロビンテックという塩ビパイプの最大手メーカーがあり当社の技術を買いたいと申し入れてきました。72年にニューヨークで交渉しましたが、私は技術輸出には否定的でした。話し合いを続けるうち、合弁で会社を設立しようという話になりました。後に世界最大の塩ビ会社となるシンテックです。ロビンテックのトップとの出会いも貴重な教訓となりました。

 

米で合弁 相手CEOは豪放らいらく
市況悪化、「盛者必衰」肝に銘じる
合弁解消後は責任もって合理化徹底


 1973年、米ロビンテック社の最高経営責任者(CEO)に会い、合弁計画を話し合う。小田切新太郎副社長(後に社長)に相談し、折半出資で工場建設を決めた。

 ロビンテックは塩ビパイプ最大手で、塩ビ市況が好調だった70年代初頭は破竹の勢いでした。次々に工場の増設や買収を進めるし、株価も上昇し続けていました。同社のCEOは天衣無縫、豪放らいらくな人でした。当時、米大リーグのテキサス・レンジャーズのオーナーでもあり、オープン戦に招待されたことがあります。私がアーリントン球場のベンチに入ると、電光掲示板に「ウェルカム・ミスター・チヒロ・カナガワ」と表示されました。仕事上、重要な相手には派手な歓待をする人で、人を引きつける点では、天賦の才がありました。
 ロビンテックは自家用飛行機を2機持っていて、CEOがある日突然、「ペルーに行こう」と言い出し、同乗したこともあります。ところが着陸許可を取っていなかったのです。リマで飛行機を差し押さえられ、罰金を取られたのには、ヒヤヒヤしました。

 第一次石油危機後、塩ビ価格はうなき登りだったが、テキサス州の合弁工場が稼働した74年の半ばに急下降。ロビンテックの業績も悪化し、76年には信越化学工業がシンテック株を引き取って全額出資子会社にした。

 ロビンテックが資金繰りに困り、株の引き取りを求めてきたのです。同社は一時立ち直りましたが、80年代後半、再び苦境に陥りました。日本の会社更生法に当たる米連邦破産法の第11条を申請しましたが、再建できず、破産に追い込まれたのです。
 破産の報を聞いて、平家物語を思い出しました。「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」という一節です。隆盛を誇った会社の破たんを目の当たりにして「おごれる人も久しからず」という教訓を肝に銘じました。いつも最悪の事態を想定し、用心深く経営するようになったのは、この時の経験が大きいですね。

 合弁解消後のシンテックでは効率経営を徹底する。米化学大手、ダウ・ケミカルの社長が「最初からリストラされた会社だ」と評価したこともある。

 当初、私は会長に就任し、社長には米国人をスカウトしました。でも経営方針が一致しません。例えば営業担当者の採用計画で、社長が「40人必要だ」と言うので驚きました。塩ビは汎用性の高い商品だから、そんなに人手はかからないはずです。私が「2人で十分」と反論すると、今度は社長が絶句しました。
 米国人社長との契約期間は2年でしたが、このままでは会社がもたないと思ったので、違約金を払って1年でやめてもらい、私が社長になりました。最終的な責任は自分が負わなくてはならないのですから。ズルズルと契約満了まで待たず、早めに手を打ったのは正しかったと思います。

 シンテックは増設を繰り返し、今では売上高が約1500億円に。

 塩ビはメーカーによる品質の差が小さく、コスト競争力が決め手です。生産効率を上げるため設備にはカネをかけましたが、それ以外は徹底的に合理化しました。現在の社員数は約230人で、うち生産部門が210人、営業部門は10人ほどしかいません。
 例えば、社長秘書の米国人女性は売上代金の回収担当も兼務しています。私が米国にいる時間は限られていますからね。得意先の担当者には誕生日に花束を贈るなど、きめ細かく対応し見事に使命を果たしてくれています。今もシンテックで人を採用する時は私の許可が必要なのです。

バブルの余韻残る中、社内改革進める
採用ゼロ、無駄な会議廃止

経営者の使命は株主に報いること

 1982年に塩ビ事業本部長となり、国内外の塩化ビニール事業を任される立場に。

 米国子会社、シンテックの経営は80年代の初めに苦しくなりました。金利が20%台まで上昇する一方、市況が悪化し、売れ行きが落ちたのです。製品が売れなければ工場は止まります。どうしようかと悩み、夜もおちおち眠れませんでした。
 社長の自分が先頭に立ち、営業部長を連れて、全米をセールスして回りました。幸い、多少の人脈ができていたので「金川さんなら会いましょう」と言ってくれたユーザーもいました。無駄のない組織をつくっておいたことも生きてきました。苦境を乗り切ると、80年代中ごろからはレーガン減税の恩恵もあって業績が急回復しました。
 国内の塩ビ事業の立て直しも大変でした。一時は他部門の黒字をすべて相殺してしまうほどの大赤字だったからです。山口県の南陽工場を閉鎖し、茨城県の鹿島工場に統合するなど抜本的なリストラを進めました。土、日もゆつくり休めないほど忙しかったのを今も鮮明に覚えています。

 90年8月、社長に就任。バブル経済の余韻が残るなかで、社内改革に取り組んだ。

 就任前、新卒社員を600人も採用しており、問題だと思いました。社内の各部門が希望人数を人事部に申請するのですが、「他部門並みには確保したい」どいう横並び意識が働き、総数が膨れあがっていくのです。人事部でも他社の動向を見ながら、集計した数字を少しばかり削るのが仕事になっていました。
 このままでは将来に禍根を残すと考え、思い切って年次採用をほとんどゼロにしました。不要な社員を採ったら、いずれは整理せざるを得ず、社員も不幸になってしまいます。副社長時代から警鐘を鳴らしていましたが、相手にされませんでした。
 社内の会議も3分の1くらいに減らしました。取締役会も以前は6、7時間かけていましたが、最近は午前中の3時間ほどで終わります。回数も月2回から1回にしました。実質的な会議は、少数の専門家を集めて開きます。専門の知識がない者に、評論家的な意見を聞いても時間の浪費ですから。

 90年代半ばからIR(投資家向け広報)活動に力を入れ、経営観が変わったという。

 IR活動を続けるうちに、会社は株主のものであり、経営者の使命は株主に報いることだと認識するようになりました。「経営者は従業員の代表」という感覚の人もいるそうですが、そういう人は社長ではなく、労働組合の委員長になるべきでしょう。
 株主の評価が高まるような経営をしてこそ、社員の福利も充実させることができる。むしろ「社員は使用人」と言い切るべきであって、最初から「会社は社会のため、社員のため」と言うのは間違いだと思います。株主あっての会社だと考えると、無駄なおカネは1銭たりとも使えません。

 私生活でも経営の妨げになることを嫌い、雑事を極カ避けてきた。

 自宅は課長時代から二度に分けて改築しましたが、引っ越しは一度もしていません。経営環境が不透明でかじ取りが難しい時代だけに、転居などで時間を無駄に費やしたくないからです。家庭のことは家内に任せっぱなしなので、家のどこに何があるのか、さっぱり分かりません。
 趣味も家内と季節の草花を観賞することくらいですね。社長をしている間は、経営に全神経を集中していきます。後継者にバトンを渡せるようになったら、今まで読めなかった本や、見逃した映画などを楽しみたいと思っています。


日刊工業新聞 2004/2/2--

強さの秘密 「信越化学」

未知の領域にアクセル、最強へのアプローチ
目指すは当期利益100億円、経営スピードを重視

 市況変動に業績が左右されがちな化学メーカーの中にあって、03年度までに当期利益が9期連続で過去最高を更新する見通しの信越化学工業。90年に社長に就任した金川千尋の独自の経営戦略の下、時宜をとらえた投資判断で、塩化ビニール樹脂や半導体シリコンといった需要サイクルが異なる新旧分野の製品群を世界的な事業に育成したことが持続的な成長をけん引している。「私のボスは株主だけ」と言い切る金川。さらなる株主価値の増大を目指し、国内化学にとって未知の領域である当期利益1000億円の達成に向け、強くアクセルを踏む。

新増設投資
 「永遠に伸び続ける会社となるために、適切なタイミングでの投資が欠かせない」。
 1月5日に開かれた信越化学の年賀会。例年通りの一方的なあいさつではなく、式会場の社員からの質問に答える双方向式を採用した同社。会場内を埋め尽くした社員から「信越化学の将来像」を問われた社長の金川は間髪入れずにこう答えた。金川が経営を進める上で最も留意するという「投資」。その中には、既存事業での時宜をとらえた新増設投資はもちろんのこと、積極的な企業の合併・買収(M&A)も含まれる。
 昨年11月。金川は久しぶりの大型事業買収に動いた。スイスのスペシャリティー化学大手であるクラリアントから、建材や化粧品などに使う添加剤のセルロース事業を310億円で買収したのだ。これにより主力の添加剤であるメチルセルロースの生産量で米ダウ・ケミカルを抜き、首位となった。そもそも、信越化学は医薬用のセルロース誘導体では世界首位だが、他の用途には弱く「M&A抜きには、これ以上の成長を望むことは困難な状況だった」。

タイミング
 とはいえ、世界で安定成長を続けている同製品分野の強化は、今後も信越化学が伸び続けるための必須条件。そこで金川は3年前、クラリアントやダウなどセルロース事業を手掛ける世界4社の首脳宛てに事業買収を申し込む手紙を送ったことがある。だが、当時は全社から拒否され買収には失敗した。
 ただ、昨年になって潮目が変わった。より高収益分野への事業の絞り込みを進めるクラリアントがセルロース事業を売りに出したのだ。それを聞きつけた金川は、買収交渉にたけた米塩ビ子会社・シンテックを通じて交渉を開始。結果、有利な条件での買収にこぎつけた。買収により信越化学は、ドイツに新拠点を構え、メチルセルロースの年産能力を4万7000トンとし、世界トップを獲得した。

豊富な資金
 「早ければ早いほど競争に勝てる」。信越化学が狙いを定めた分野に素早い投資を行えるのは、自らが全責任を背負って行う金川の迅速な意思決定と、4500億円を超える豊富な自己資金があるからだ。03年度決算見通しで売上高営業利益率が15.5%を超える信越化学。この高収益を生み出す源泉は、セルロース事業で見せたチャンスを逃さない買収、新増設投資で生み出した国際競争力、それに事業拡大の際にも大幅な人員増を行わない省力主義だ。
 また、塩ビ樹脂、半導体ウエハー、合成石英…と世界首位の製品を数多く持っていることが、コスト競争や情報収集面で歴然とした差をつける力になっている。
 ナフサを中心とした原料事情に業績が左右される化学業界にあって、03年まで営業利益と当期利益が9期連続で過去最高を更新っする見通しの信越化学。その高収益の秘訣にせまる。


全天候型の事業構成
世界トップ戦略を推進、バランスと最適地生産、新旧織り交ぜ素材幅広く
リスクを最小限に

 「国際競争力がなければ市場競争には勝ち残れない」。信越化学工業社長の金川千尋の経営哲学は明確だ。自社が手掛ける各製品・事業を常に世界上位に位置付けることで、市場が抱えるプラス・マイナス両面の情報を早い段階で入手。これにより、市場の先行きが明るい時は、先行的な設備対応が図れ、逆に顧客の動向が危うい時は素早い減産対応が図れるなど「リスクを最小限に抑えられる」。またライバルを引き離すことで独占者利益も追求できる。だからこそ金川は社長就任後、塩化ビニール樹脂や半導体向けシリコン、化学品のシリコーンといった得意とする製品に経営資源を集中し、それぞれをまたたく間に世界的な事業に育てた。
 金川が各事業の世界トップ戦略と同時に進めてきたのが「バランスの良い製品構成と最適地生産」だ。半導体基板に使うシリコンウエハーや光ファイバーの母材は、先端分野のため付加価値が高く収益貢献も大。ただ、市場の山谷も激しく、この分野だけに収益依存すれば業績にも変動が出やすくなる。金川が徹底的にこだわる「永遠の成長」のためには、利益の減少は許されない。
 だからこそ、「大化け」はないが、世界的に安定成長が見込める、建材や玩具に使う塩ビ樹脂と、4000以上の用途を持つシリコーンという2つの事業は、利益の持続成長のためには欠かせないアイテムとなる。

安定支える海外
 同時に、同社の連結売上高の60%以上を稼ぎ出す海外事業も同社の安定成長を下支えする。日本、アジア、欧米と幅広い地域で進める事業展開が、ある特定地域の景気変動に左右されにくい経営体力を生み出す。
 信越化学の均整の取れた事業構造を示す一例が03年9月中間決算にあらわれた。同社の9月中間期の営業利益は前年同期に比べ1.3%増の639億円と微増ながらも増益を確保。市場環境が低迷している光ファイバー向け母材の苦戦を反映し機能材料事業は同28%減の91億円とへこんだ。並の会社であれば、その減少分を補えず減益となるだろう。しかし、金川が進めてきた「その時点で考え得る、最適な製品の組み合わせ」が窮地を救う。

苦戦補う塩ビ
 塩ビ樹脂とシリコーンで構成する有機・無機化学品事業の営業利益は米国の新規住宅着工の拡大を背景に同9.5%増の332億円となったほか、半導体需要が回復した電子材料事業も同7.7%増の215億円と拡大。両輪となる事業の好調で合成石英の苦戦を補えた。こういった例は今回だけではない。ITバブルが崩壊し国内化学が例外なく苦戦した01年度でも同社はひとり気を吐いた。その時は合成石英や半導体シリコンの苦戦を、塩ビとシリコーンで補った。こうした新旧織り交ぜた幅広い素材をそろえたことで「全天候型」の事業ポートフォリオを築きあげた同社。それが今日の繁栄を力強くけん引する。

「信越化学グループの主要製品の世界マーケットポジション」

 塩化ビニル樹脂      1位
 シリコーン     3位(国内1位)
 半導体ウエファー      1位
 セルロース誘導体     1位
 合成石英      1位
 レアアースマグネット     1位
 光ファイバープリフォーム     2位

 

シリコンウエファー、好環境生む決断力   
300oウエハー先行投資    

早い時点で確信
 信越化学工業の競争力を支える最大のカギ。それが社長の金川千尋の決断力だ。00年3月29日、同社株は上場来の高値である6630円を記録。ITバブルという地合いの良さがあったのも事実だが、最大の買い材料となったのが、世界初となる直径 300mmシリコンウエハーの量産開始という経営判断だ。
 「半導体メーカーは、近い将来、生産性向上につながる大型ウエハー投資に踏み切らざるを得ないはず」。金川は、数多くのシリコンウエハー需要家の反応から、だれよりも早い時点で、こうした確信を深めていた。 疾風矢の如し。金川は、出願特許数8000弱という技術基盤をテコに、99年後半、全額出資子会社の信越半導体(東京都千代田区)を通じて01年2月から300mmウエハーを量産することを決めた。まだ同業他社が
300mmウエハーの先行きに懐疑的になっていた時期での決断だった。 さらに、金川は投資決断で他社に先んじても、設備対応に遅れれば、より優位な立場に立てないと判断。白河工場(福島県)での300mm単結晶の引き上げ棟とウエハー加工棟の建設工事を急いだ。そして国内外の需蓼家が300mmウエハーを採用する計画が明確となった時点で量産ラインを建設。量産の意思決定から2年で、月産10万枚の能力を持つ設備は稼働までに至っていた。

寡占利益を享受
 総額600億円を費やした
300mmウエハーは、半導体製造技術の進歩に加え、製造コストを主流の200mmに比べ半分以下に出来るという市場二ーズをとらえ、米国や台湾を中心に瞬く間に伸びた。迅速な決断により、同社は300mm市場を独占、02年後半まで寡占利益を享受した。
 03年3月。信越化学を猛追し、少しずつ同社の背中が見えるところまできていた同業他社は一瞬、耳を疑わざるを得なかった。信越化学は同社グループとしては過去最大規模の900億円を投じて、04年度末までに白河工場の300mmウエハーの月産能力を30万枚に引き上げると発表。足元の需要増に対応するというのが表向きの理由だが、迫りくる内外のライバルをふるい落とす戦略であったのは明らかだった。増強により、05年には現状比約2倍の月60万枚に膨らむと予想される3300mmウエファー市場で50%以上のシェアを維持するとともに、04年度までに半導体シリコン事業の売上高を02年度比50%増の3000億円に引き上げる。

市場を読む力
 総額1500億円一。失敗が即、命取りになりかねない大規模投資で成功を収めた信越化学。現段階までの成功は、金川の市場の先を読む力と決断力、迅速な投資を可能とする強い財務基盤から生み出されたものといっても過言はない。スピードが高収益を生み、それが財務を強くする。こうした好循環から生まれた現金が新規投資に振り向けられ、さらなる成長の素地が整う。再投資可能な事業構造が同社の屋台骨を一層強くする。

 

省力主義 米シンテックが原点に
  最高品質を最低コストで、省人化でも納期守る

塩ビ事業けん引
 今も昔も信越化学工業の代名詞事業とも言われる塩化ビニール樹脂。同事業は同社売上高の約3割、営業利益の2割を稼ぎ出す主力だ。生産拠点は日米欧の3極に構え、その年産能力は350万トンで世界首位。2位の生産能力が220万トン前後なのだから、同社の規模の違いが分かる。 信越化学の看板である塩ビ事業の営業利益のうち9割近くを生み出すけん引役が、米・全額出資子会社シンテックだ。信越化学社長の金川千尋はシンテック社長を78年以来兼務。現在でも毎朝7時の出社後には、米国の塩ビ需給や原料動向を確認するため、同社幹部への電話を欠かさない。 同社の素材群のほとんどは市況製品だが、その中でも、市況変動の波に翻弄されやすいのが、塩素とエチレンという二つの原料と、電力事情が絡む塩ビ。それぞれ、原油や天然ガスを基本とした原料需給により、絶えず市況が移り変わる。よい意味での変動は好きだが、逆の変動が嫌いな金川は、どんなリスクの芽も潰しにかかる。
 仮に大きく市況が動けば「年10億円の合理化効果を出したとしても、即座に20億
30億円の利益が飛ぶからね」。だからこそ、中国と並ぶ世界最大の塩ビ市場である米の需給動向の把握は欠かせない。それをアジアの需給などと合わせて見れば「市況の動きは読める。それにより変化に対応できる」。

天才的な市況勘
 「塩ビに関して言えば金川社長の勘が狂うことは少ない。」 ある証券アナリストはいう。金川は50年に極東物産(現三井物産)入社後、62年に信越化学へ移り、米国で塩ビ事業に携わった。商社と化学で培った原体験が、金川に天才的な市況勘を身につけさせたと言われている。 信越化学が米資本との合弁だったシンテックを完全子会社化したのは74年のこと。当時、米国では最後発で、苦戦は必至の情勢だった。そんな中、金川は「最高の品質を最低コストで作れば勝てる」と判断。当時、高コストな生産方式かつ、納入期限を守らないといった雑なサービスを行う米企業が多い中、金川は逆に、それを好機と見た。シンテッックは発足当初から営業や購買を10人弱でまかなったうえ、製造部門も省人化。広大な米国市場の中でも納入期限は必ず守ったという。

群を抜く収益性
 やがて、金川が進めたこうした戦略が実り、シンテックは米国需要家の信頼を獲得。設備は2年おきに増強したうえ、多くの買収も実行した。結果、当初10万ト
だった年産能力は現在までに231万トンヘ拡大した。また世界最大の塩ビ能力を持ちながら今でも従業員は230人しかいない。営業はわずか5人程度だ。こうした合理的な経営手法により02年12月期の売上高経常利益率が約15%と、世界の塩ビメーカーの中でも群を抜いた収益性を誇る。同社は、金川率いる信越化学の省力主義経営の原点でありながら、市況などの情報収集、収益貢献などあらゆる面で欠かせない存在であり続けている。

 

弁慶の泣き所、営業赤字続ぐ国内塩ビ
高収益定着へ改善不可欠 価格「先決め」で脱却へ

商慣習が災い
 信越化学工業の弁慶の泣き所。それが国内の塩化ビニール樹脂事業だ。同社の業績を常にけん引する米国塩ビ事業の成長とは対照的に、国内塩ビ事業は過去10年以上にわたり営業赤字を続ける。日本独特の商慣習などが災いし、最近の中国向け輸出価格が1kg 当たり110円程度なのに対し、国内価格が1kg 当たり70円前後に低迷してきたのが主因だ。国内では「売れば売るほど赤字がかさむ」(金川千尋社長)状況が続いてきた。
 過去、米国や欧州で数々の赤字事業会社などを買収し、大半を構造改革で立て直してきた実績を持つ金川にすら「合理化はやり尽くした。値上げしか、改善の道はない」と言わしめた国内塩ビ事業。再建は困難な状況かに見えた。
 だが、全事業中、唯一の赤字事業である国内塩ビの収益改善は、同社が一層の高収益を定着させるためにも、必ず克服しなければならない仕事。立て直しに向け、人的資源も重点配分した。掌力派の常務の市村浩信、取締役の宮島正紀らを国内塩ビ担当に任命、再建に向け心血を注がせた。
 03年12月。信越化学は、赤字構造の脱却に向け、ある重大な決断を下した。同社は、過去20年以上にわたり続けられてきた商慣習との決別を宣言した。建材や玩具などに使われる塩ビの取引方式には、樹脂を需要家に納入した段階では建値しか決めず、最終的に4半期や半年後の交渉で値段を決める「後決め」という手法がほとんど。需要家となれ合いになりがちだったこの交捗方式に、国内赤字の要因を見いだした。

値上げも実施
 この商慣習を是正し、樹脂を出荷した時点で価格を決める「先決め」という方式へ移行することが、これまで難航しがちだった値上げ浸透には不可欠な要素と判断。今年1月の出荷分から全取引を先決め方式で行うとした。「四半期決算開示や足元の中国市況の高止まりなどの状況を判断すれば、決断は今しかなかった」と宮島。同社は、商慣習是正と並行して、原料価格の高騰を背景にすかさず値上げを実施。2月までに1kg当たり15円の値上げを行い「採算改善を狙う」(宮島)。

業界動かす
 世界最大の塩ビメーカである信越化学の毅然とした態度は、商慣習是正に対して消極的だった他の国内塩ビ樹脂大手、そして需要家である加工メーカーを揺り動かした。過去10年間、踏み切れそうで踏み切れなかった商慣習是正に他社が同調し出したことでへ真暗闇だった国内塩ビ市場に、光が差し込みはじめたのは間違いない。とはいえ、こうした商慣習の是正だけで、本当に国内塩ビ価格が安定するかどうかは分からない。だが、信越化学が、唯一の経営目標に掲げる当期利益1000億円を達成するためには、収益の足かせとなっている国内塩ビ事業の採算改善は不可欠だ。今は、国内塩ビの黒字化に向け「打てる手をすべて打つ」(宮島)以外に道はない。

 

潤沢なキャッシュフロー 持続成長に生かす道探る
カギ握るM&A投資、収益性・シナジー効果追求

前3月期1400億円
 「貧乏性だから、現金がないと夜もうかうか寝てられない」一。信越化学工業社長の金川千尋はこう冗談交じりに話す。「企業をつぶすのは借金」を持論とする金川は、常にキャッシュフロー(現金収支)を念頭に置いた財務戦略を進めている。実際、同社のキャッシュフロー(当期利益+減価償却費)は、03年3月期で約1400億円と、化学業界ではずばぬけた存在。減価償却費は最近、700億円程度で安定しており、今後も「毎期1300億円のキャッシュフローが生まれる計算」(金川)だ。
 信越化学は近年、年800億円規模の設備投資を続けているが、その一方で、潤沢なキャッシュフローが生まれることもあり、毎期、差し引きで500億円以上のフリーキャッシュフロー(純現金収支)を手元に残す。
 配当も、ここ最近は年2円ずつ増配しているが、04年3月期見通しでは1株当たり16円。配当性向は8%台と決して大きな負担にはなっていない。有利子負債も約1500億円で、売上高に占める比率は約18%と、差し当たり圧縮を急ぐ必要もない。過去4年内に進めた、300mmウエハー設備の新増設、タイでのシリコーン中間原料工場の新設といった打つべき大型投資も一巡した。

ぜいたくな悩み
 こうした側面からも、同社の現時点での4500億円弱の手持ち資金は、何もなければ5年後に7000億円弱に膨らむという計算式が成り立つ。こうなると、今後は、次の成長に向け、豊富な手元資金をどう活用するかという、ぜいたくな悩みに直面することになる。
 同社は、企業の合併・買収(M&A)を有力な手段として挙げるが、そこでも、金川は慎重な姿勢を崩さない。金川が経営を進めるうえで最も留意する投資だが、自己資金については「いくらたくさんあるからといって、それを投資に振り向けなければならないと固定的に考えるのは誤り」と強調する。

石橋をたたく
 また、ITバブル時に、大型M&Aを手掛け、失敗した日系企業の例を引きあいに出しながら「当社は堅実経営を基本としているから、M&Aもイチかバチかではやらない。石橋をたたいてやる」。決して急がず、あくまで追求するのは収益性だ。「利益貢献が得られ、なおかつ市場の現状と先行きが明るい案件があれば、借金してでも迅速な投資に踏み切る」という。
 そんな慎重な金川が、現時点で想定するM&Aの規模は「手持ち資金の範囲で行える」中規模なものという。昨年実施したクラリアントからのセルロース事業の買収も300億円強だった。手がけるべきM&Aの条件として、収益性と同時に、既存事業とのシナジー(相乗)効果を挙げる金川。手元にある、ありあまる資金を、将来的な利益成長に結実できるか。現在も「いくつか話し合いを続けている」というM&Aの今後の行方が、同社の持続成長のためのカギを握っていることは間違いない。

 

最高益下のリストラ、従業員「第2の人生」支援
「株主」念頭に収益徹底自らの基本戦略を実行

名分の下に
 「セカンドライフ支援制度」。02年3月、信越化学工業は「従業員の第2の人生を支援する」という名分の下に、事実上のリストラを敢行した。この制度により同年3月末までに、単体で1500人の従業員が信越化学を去ることになった。
 「当社は従業員を大切にする方針を進めている。強制的なことは一切やっていない。残りたい人には残ってもらうし、退職される方には満足できるような条件も提示した。02年5月、年2回行っている定例のアナリスト向けの会社説明会に出席した社長の金川千尋は、この制度がリストラではないことを強調した。が、これがリストラであったことは、だれの目にも明らかだった。

労働産業に不向き
 連続最高益を更新する中でのリストラ。信越化学は同制度の導入について、電機やOA機器の東南アジアや中国への生産移管に伴い、01年9月中間決算での海外売上比率が01年3月期に比べ4ポイント増の59%に上昇したことを主因に挙げている。
 金川は「日本は電力や土地が高く、労働集約型産業には不向き。ここでやっていては国際競争に生き残れない」と説明した。
 信越化学は、同制度の実施により年60億円の固定費削減効果をひねり出した。03年3月期決算の営業利益を02年3月期に対して74億円増、伸長率にして6.5%増となる1221億円に拡大させた。とはいえ、このセカンドライフ支援制度実施に伴う合理化効果を抜きにすれば、実質的な増益分は14憶円にすぎない。
 これ抜きにして、03年3月期の8期連続の最高益の更新は困難だったということも否めなかった。どんな時でも「株主」を念頭に置き、利益に対して徹底したこだわりを見せる金川。,この制度の実施も「最適地での生産を行い、利益を株主に還元する」という自らの基本戦略を忠実に実行したにすぎなかった。
 信越化学の海外売上高比率は04年3月期で65%前後に達する見通しにある。こうした海外での売上比率が高まれば高まるほど、日系製造業が一様に抱える国内空洞化問題に同社も直面することになる。金川はそれを念頭に置いたうえで「日本での最後のよりどころは、他社にまねできない新規技術の開発」と言い切る。

固定観念が嫌い
 金川は固定観念にとらわれるのが嫌いだ。国際情勢が移り変われば、自らの考え方すら即座に改める。かつて「リスクが高い」と否定的だった中国への生産進出に対しても、最近は「危険度は減った。50億円前後の中小規模の投資であれば増やしていきたい」と路線変更した。すでにシリコーン加工品での生産進出も果たした。刻々と移り変わる国際情勢をにらんで、自らの考え方をも簡単に変える金川。「今現在は考えていないが、経済情勢に大きな変化が起これば(追加的なセカンドライフ支援制度の導入にも)迅速に対応する」.という。あくまで追求するのは「株主」に報いることだ。


次世代への架け橋、総仕上げは人材の育成
浮上する後継者問題、持続成長へ人選、ハードルは高く

社長の手腕
 04年3月期見通しで売上高経常利益率15.6%、株式時価総額で国内化学業界首位ーー。日本にとって失われた10年と言われる90年代に、トヨタ自動車やキャノンなどと並ぶ国際優良企業へと進化を遂げた信越化学工業。それを短期間でなしえたのは、まさしく社長の金川千尋の手腕に尽きる。
 だが、急速な成長を遂げさせてきたが故に、社内には金川に多くを依存するという風潮も生まれている。それを示す顕著な例が同社の広報活動だ。金川自身は90年代後半から投資家向け情報提供(IR)活動に積極的になり、これまでにいくつか賞も受賞している。新聞雑誌といったメディアヘの露出も多い。自ら著書も記した。だが、社長自らが表舞台に立つ一方で、他の役員や事業部長らが取材に応じることはほとんどない。
 金川は「能力ある人間の個性を尊重し大幅な権限を与えている」と今年の新年会で社員に対して説明している。が、実質的には多くの機能が金川に集中するのも事実だ。それは、毎期決算で数字という結果を残してきた金川に社員が絶対的な信頼を置いているから。例えば、金川がある案件の事業方針を変更した際には、その内容が「末端まで5分で伝わる」(同社社員)という事実からも、それはうかがえる。

続投へ意欲
 しかし、信越化学のここまでの業績拡大をけん引してきた金川も今は77歳。もうすぐ90年の就任から14年目の月日がたつ。3月15日には78歳の誕生日を迎える。最近は、週末の散歩を欠かさず健康には人一倍留意しているうえ、夜のパーテイーなどへの出席も控え、ひたすら仕事に熱中しており、続投の意欲は強そう。だが、それでも、次代をにらんだ後継者問題は浮上する。

金川プレミアム
 「人事のことは一切話せない」と固く口を閉ざす金川。だが、近年は40歳代の若手社員を取締役に引き上げるなど次世代を見据えた人材育成も強化している。とはいえ、自らの存在が「金川プレミアム」と呼ばれ株価に織り込まれているとの自覚も強い。
金川が社長を退けば、株価が半値になるのではとの見方も株式市場では根強く残る。
 かつて日刊工業新聞のインタビューで、「社長はだれがやってもいいものではない。美辞麗句はいらず、結果を出すことに尽きる。株主に対しては結果しかない」と話した金川。次期社長の人選のハードルは高くなりそうだ。
 たぐい希なる経営手腕で、信越化学の営業利益と当期利益の最高益を03年3月期まで8期連続で更新させてきた金川。就任以来、こだわり続けてきた「持続成長」をつづけるために、次世代を支える人材を育成し、バトンをつなげるかーー。それが、世界の化学業界でも数少ない、当期利益1000億円という「最強へのアプローチ」に向けた総仕上げともなる。


日本経済新聞 2004/10/19

日経フォーラム 世界経営者会議

事業の強さで貢献
 信越化学工業社長 金川千尋氏

 原油高への対処や熾列な技術開発競争、中国の台頭など、それぞれの企業の「経営力がありのままに業績に表れる時代になった。経営者は従来にも増して、「正確な現状分析」「高度な判断」「明確な業務の執行」が求められている。
 企業が安定して成長していくには継続して利益を上げることが最低条件だ。利益を上げることで初めて税金を納めることができる。大きな利益を上げて税金を払い、その貴重な税金を政府が有効に使えれば、企業にとっての最大の社会貢献だ。「企業は利益ばかりを追求するのではなく、慈善事業や寄付などを通じて社会貢献すべきだ」との意見も聞くが、そんな考え方では企業の本質を見失うことになる。
 また、持続的に企業を発展させるには「経営情報の開示」「従業員の働きやすさ」「環境問題」の3つに的確に対処しなければならない。特に我々のような化学メーカーでは環境への対応なしでは、企業活動自体が成り立たない。製品や環境に対する正しい情報の発信も、企業の社会的責任の一つと考えている。
 当社の製品は塩ビや半導体向けのシリコンウエハーなど市況に大きな影響を受ける製品が多い。ウエハーは2001年度のIT(情報技術)バブル崩壊で大きな影響を受け、同年度の電子材料部門の収益は前の年を下回った。だが同業他社が大きな赤字を計上する中、当社は合理化を徹底し、電子材料部門が赤字になることはなかった。
 ウエハーなどの先端製品、塩ビのような汎用品、シリコーン樹脂など先端と汎用の中間に当たる製品をそろえた商品構成が、景気の好不況による波を小さくし、安定した成長を支えてくれる。もちろん、各業界で競争に勝てる強い事業にできなければ、多角化しても安定成長はできない。変化の激しい社会での組織のかじ取りでは、トップが状況を正しく把握し、自ら戦うことが求められる。経営者が日夜、懸案解決のために努力することが企業の持続的発展に欠かせない条件だ。

かながわ・ちひろ
 極東物産(現三井物産)を経て、62年信越化学工業入社。海外事業本部長として国際営業と海外投資を担当。90年に社長に就任。「変化に強い経営体質」を掲げ、04年3月期まで9期連続で連結純利益が過去最高を更新してきた。東大法卒。78歳。


日本経済新聞 2004/12/29

日本経済 2005年への視点 株価と経営
 金川千尋信越化学工業社長

企業の実力差鮮明に
ー 景気の先行きを懸念する声が出ています。
 「今年を振り返ると、ピークは5月から7月ごろまでだった。塩化ビニル樹脂なども中国の旺盛な需要に支えられた。それが年末に向けて停滞気味になってきた。それを悪くなったと表現すればその通りだが、要はブームが過ぎ、努力が求められる普通の状態に戻るということだろう。

横ばいか減益も
ー 来年は巡航速度の成長に軟着陸するということでしょうか。
 「そうあればいいが、心配な要素もある。例えば米国の大幅な貿易赤字。これまでは資本収支の黒字で補ってきたが、アジアの国々が準備通貨の一部をユーロに移すなどの動きも出てきた。資本流入が細れば、米ドルの大幅下落もありうる」
 「もう一つは日本のゼロ金利政策をいつまでも続けられないこと。米国も来年は短期金利の誘導目標を4%近くまで引き上げるだろう。日本も金利生活者などを犠牲にした異常な政策には限界がある。金融政策が正常化に向かい始めたときに、一部には立ち行かなくなる企業も出てくる」

ー やや波乱もありうるということですか。
 「因果関係は説明しづらいが、今年の台風や震災、インド洋沿岸を襲った大津波はその前兆のような気がするのは私だけだろうか。北朝鮮などとの関係次第では日本のカントリーリスクが問題になる可能性もある」
 「危機は回避できても、大幅に良くなる要素も見当たらない。金融政策も財政政策も手詰まりだし、中国も過熱抑制策に乗り出している。総合的に考えて景気は横ばいぐらいだと思う」
ー 企業収益は。
 「少なくとも今年のような製品市況は期待できない。好調が予想される2005年3月期と比較すると、2006年3月期は全体として頭打ちないし若干の減益もあり得る。円高の影響もじわじわと出てくる」
 「来期も順調に利益を伸ばす企業は、優れた経営をしたところに限られると思う。市況の好転などで全体が押し上げられた今期と異なり、格差が鮮明になる。当社も投資家に2ケタ増益の継続を約束しており、何とかそれを守りたい」

1万4000円視野
ー となると、株価は全体としてあまり上昇しないでしょうね。
 「確かに景気横ばい、業績頭打ちでは投資の基本から言えば買いにくい。しかし、株価は将来への期待を背景にした人気にも左右される。現在の日本の株価水準は1989年のピークの3割にすぎない。この割安感を手掛かりに、来年は世界の資金が日本株に集中する気がする」
 「国内が資金需給を見ても、無借金企業が急増し、銀行はお金を貸す先がない。かといって不動産投資は妙味が薄れ、国債をこれ以上保有しても仕方がない。結局、株式が有望な投資先として浮上しそうだ。上下動を繰り返しながらも年末に向け、日経平均株価で1万4000円ぐらいが視野に入ると思う」

ー 株価が低すぎるという企業経営者の不満も解消されそうですか。
 「そうあってほしい。当社も2、3年前に海外の大手投資家から『2ケタの利益成長があるのか』と問われ、答えに窮したことがある。その苦い経験から、どうすれば2ケタ増益が実現するかを真剣に考えた。今回も日米で3千億円を超える巨額投資を決断した。合理化や値上げにも取り組んだ。経営の王道を歩むべく努力をした分は、きちんと評価して欲しい」

ー 企業買収時代にはどう備えますか。
 「米国流の敵対的な買収はまともな会社経営を妨害しかねない.仕掛けられれば、毒薬条項など許される範囲の防衛策を講じるつもりだ。ただ、時価総額が2倍になると言われるのならば、『どうぞご自由に』といって譲ることもあるだろう」


週刊現代 2003/10/25

勝っているトップはここが違う 信越化学工業金川千尋社長登場!
 8期連続最高益を更新中 「中期計画・組織改革・CIはムダ」      

 「文句を言うのは何もしていない人間。本気で何かに取り組んでいる人は、必ず共鳴してくれる。そうでなければ会社は強くできない」
ーー圧倒的な高収益体質で快走する信越化学工業の金川千尋社長はこうカ説する。名経営者が明かす、意外な“経営の極意”とはーー。              ジャーナリスト 大塚英樹

守りながら攻める
 「業績を良くして会社の価値を高めるために死力を尽くすこと。人事も大切、財務も大切、技術開発も欠かせない。しかし、これらは所詮方法論にすぎません。目標はあくまで会社の底力を強くすることにあります」
 インタビューの最中、「経営者にとって最も重要なことは何か」と問うと、信越化学工業の金川千尋社長は即座にこう答えた。徴笑みながら、「私を動かすエネルギーは、事業を成功させたい一念です」と続けた。
 史上類を見ないデフレ不況下にあって、信越化学は8期連続最高益更新中という驚異的な業績を誇る。売上高7975億円に対して営業利益が1221億円、純利益が730億円、売上高営業利益率が15.3%(いずれも’03年3月期連結決算)と、他に抜きん出た収益力が強さの源泉だ。“超優良企業ぶり”を示す数字は枚挙に暇がなく、営業利益は売り上げで化学業界トップを走る三菱化学の1.3倍、売上高営業利益率でも業界2位の住友化学(6.6%)を大幅に上回る。株式の時価総額では、デュポンやダウ・ケミカルなどに続き、化学業界の世界第4位('03年8月末時点)につけている。
 同社の主力商品は住宅資材などに使われる塩化ビニール、シリコーン樹脂、半導体用シリコンウェハー、光ファイバーの素材や半導体製造などに使われる合成石英の4品目。塩化ビニールとシリコンウェハーはいずれも世界トップシェア、シリコーン樹脂は国内1位で世界3位だ。
 ごく普通の中堅化学会社だった信越化学を、この10年間で日本を代表する超優良企業へと体質転換させたカリスマ、金川社長に経営の極意を訊いた。

ー 厳しい環境下で高収益を上げ続ける秘訣は何でしょう。経営にあたって心がけていることを教えてください。
金川 「守りながら攻める」ことですね。

ー 「攻撃こそ最大の防御なり」と言いますが。
金川 いえ、守りが先です。不況下で収益を上げているからでしょうか、他人からはよく「攻めに強い人間」と評されますが、実際は反対。私は、守りに強い経営者なんです。まずは法律を遵守する。税法、独禁法、製造物責任(PL)法、賠償法、民法、商法、刑法....。当たり前のことですが、非常に大事です。たとえばPLでは、一つ過ちを犯しただけで何百億円、時には何千億円もの損害が生じることがある。そんな巨額の損失を出したら、会社はアッという間に潰れてしまいます。
 違法行為だけではない。事故もあれば不祥事もある。いつ足元をすくわれるかもしれない恐怖感を常に心に留めています。どこに落とし穴が存在するかに目を凝らし、一つ一つ埋めていく。着実に経営の舵取りをするには、恐れる心を忘れず、リスクを未然に防ぐことに努めなければなりません。

ー 9月は新日本製鉄の名古屋製鉄所、ブリヂストン栃木工場、出光興産の北海道製油所などで大規模な事故が相次ぎ、リスク管理の重要性が改めてクローズアップされました。

金川 もちろん守るだけでは利益を上げることはできない。「攻め」も必要です。新規事業を育てる、大きな投資案件の可否を迅速に決断する……、経営には果敢に攻めることも欠かせない。

ー 攻めの要諦とは?
金川 攻める際に重要となるポイントも、実はいかに守るかなんです。具体的には現在ある仕事を強化すること。新規事業を起こすにしても、開花するのに3年かかるか5年かかるか分からない。無事花開くまで支え続けるには、現在の事業で利益を出すことが大前提になります。新規事業と言えば聞こえはいいが、ベンチャー企業を起こすのと同じこと。十に一つ当たるかどうか、きわめて成功率の低い挑戦です。やみくもに手を出せばいいものでは決してない。慎重にテーマを絞って、やると決めたら集中して開発できる体制を整える。攻めるには攻めるなりの準備が必要です。

流行を追ってはダメ
ー 事業の引き際も難しいものです。
金川 誤りがちなのは、古いという理由だけで事業を止めてしまうことです。ウチが肥料から撤退したのは、つい2〜3年前のことですが、「なぜそんな古い事業を続けているんだ」と、アナリストに何度も撤退を勧められていました。ところが肥料は2億〜3億円の利益を出していた。新規事業を始めて1億円の利益を上げるのに何年かかりますか? 利益が出せなくなれば撤退しますが、「古いから止める」だけでは明らかに間違いです。

ー 信越化学の事業構成は新旧の素材がバランス良くミックスされている。守りを固めるためですか。
金川 ご指摘の通り、ウチはハイテク事業としてシリコンウェハーや合成石英などを手がけ、従来からの素材として塩ビやシリコーンなども守備範囲に収めています。新旧二つの事業を持っていることが不況への抵抗力になっている。ハイテク事業に特化しすぎた企業はIT不況に直撃され、業績も株価も低迷しました。ウチは従来型の事業が補ってくれたお陰で難を逃れた。先ほどの撤退の話も同じですが、経営にブームやファッションを持ち込んではいけません。経営は信念を持って取り組むべきもの。その時々の流行になびいていては風向きが変わった途端に針路を見失い、会社を難破の危険にさらすことになる。

ー 会社の地カを強くする要は「人」です。人材についてはどう考えていますか。
金川 少数精鋭を徹底することが最重要でしょう。社長になったときに真っ先に手をつけたのが「人」の問題で、毎年600人採っていた新卒採用を一気にゼロにしました。明らかにムダな人員を採用していたからです。要らない人は採らない、要らない組織は作らない。経営の原理原則に従ったまでですよ。現在の新卒採用は研究・製造部門を中心に年間20人前後です。

ー ムダを排除することに徹しておられますね。会議も激減させたとか。
金川 3分の1にしました。6〜7時間かけていた取締役会も、最近は3時間で終えます。専門知識のない者から評論家的な意見を聞いても時間の浪費ですから、会議に呼ぶのは現場に通じた専門家だけ。中期計画作りも止めました。

ー えっ、中期計画もムダですか。
金川 ムダの最たるものですよ。中期計画を作るために各工場から何人もの人間が集まりますが、1年先の状態が分からないのに、3年先が誰に読めるか。売り値を高くして原価率を下げれば、いくらでも帳簿上の利益は書ける。仮定に基づいた計画を作って喜んでいるヒマがあったら、別のことに時間を使ったほうがよっぽどマシです。

ー 副社長時代にも「CI(コーポレート・アイデンティティ)活動はムダ」と、反対されたそうですね。
金川 ええ。役員の中で反対したのは私一人でした。当時、「会社の名前を売ることも必要だ」とテレビで社名を流していました。アメリカのコンサルティング会社に多額のカネを払って社名のロゴを作らせたり、看板や名刺を変更させたりしてね。「バカげたことに何億円ものお金を注ぎ込むのは止めるべきだ」と主張したんです。「会社の名前なんて、業績が良くなれば自然に売れますよ」と。今どうなりましたか?

ー カンパニー制の導入など、組織改革で企業活性化を図る考え方については?
金川 組織を変えるには1時間もあれば充分です。でも組織を変えても業績は伸びない。仕事を伸ばすのはあくまで人の力で、人材をいかに育てるかに目を凝らすのが経営者の役割です。人が育つには5年、10年の歳月を要します。組織をいじるヒマがあったら、少しでも人材のことを考えるべきですよ。

社外取締役に任せるな
ー 金川さんの市況変動を読む目には定評があります。変化の芽を見つけるコツは何ですか。
金川 需要家の動向を注意深く観察し、彼らの言葉に耳を傾け、何を考え、何を望んでいるかを真摯に受け止めることです。まあ、読めるのはせいぜい1年、2年先までですけどね。経営者として量も重要なのは、変化の方向を読み間違えないこと。ヒントは日々のマーケットの動きに詰まっていますから、とにかく観察を怠らないことですよ。

ー 常にデータや数字のチェックを怠らず、現場の生の情報にも接していると聞ききました。
金川 経営者は絶えず生きた数字やデータを見る必要があります。会社が進むべき方向を定めるのに必要不可欠だからです。アメリカでは社外重役で構成する経営会議が経営の方向、方針を決めて、社長以下が業務を執行するケースがあります。しかし、社外重役が新しい事業の方向を決めるのは、理解に苦しみます。日々現場で起こっていることを知らない社外の人間に、経営の方向など決められるわけがない。

ー 以前から「私のボスは株主だ」と仰っています。
金川 株主に報いる=会社を強くすることだからです。技術をおろそかにしたり、労務対策を誤ったら会社の足元がおぼつかなくなる。研究を怠れば将来がない。財務を悪くしたら倒産する。株主に応えて会社を強化するには、そのすべてに力を尽くさなければならない。どれ一つ欠けてもダメで、全部揃って初めて継続配当が可能となり、株価も上がって株主に満足してもらうことができるのです。

ー 経営者に要求される資質は何でしょうか。
金川 第一に現状判断が正しくできること。二つ目が先見性。先が見通せるかどうか。3番目は実務執行能カ。いくらいいアイディアや方向性を打ち出しても実行力がなければしょうがないですからね。最後に人間性。精神的にも肉体的にも健全、健康であることでしょう。性格の冷たい人はダメですね。人がついてきませんよ。