日本経済新聞 2004/1/31

発明対価200億円命令 青色LED訴訟 東京地裁判決
 請求の全額 認定は600億円 「中村氏、貢献50%」 日亜側は控訴

 青色発光ダイオード(LED)の開発者として知られる中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(49)が、勤務していた日亜化学工業(徳島県阿南市)に発明の対価の一部として200億円を求めた訴訟の判決が30日、東京地裁であった。三村量一裁判長は発明の対価を約604億円と認定し、請求通り日亜に200億円の支払いを命じた。日亜側は控訴した。

判決の骨子
・中村教授の発明は青色LEDの基本特許の地位を占める
・日亜が得た独占利益は1208億円
・中村教授の発明者としての貢献度は50%で相当対価は604億円
・請求額は200億円なので請求通りの支払いを日亜に命じる

 同種訴訟での高額発明対価としては、光ディスク関連特許について東京高裁が29日に日立製作所に1億6300万円の支払いを命じたばかり。これを大きく上回り、史上最高額を一気に更新した今回の判決は、同種訴訟に影響を与えるだけでなく、企業側にも大きな波紋を広げそうだ。
 判決はまず、中村氏の特許発明が「青色LEDの製品化を可能にした」と指摘。特許権の効力が切れる2010年10月までに日亜が権利を独占することで得る利益を約1208億円と算定した。
 その上で、中村氏の貢献度について検討。「小企業の貧弱な研究環境で、独創的な発想で世界中の研究機関に先んじて産業界待望の世界的発明を成し遂げた全く稀有(けう)な事例」と述ベ「貢献度は50%を下回らない」とした。
 その結果、中村氏に支払われるべき発明対価を約604億3千万円と算定。中村氏の請求が200億円だったため、全額の支払いを命じた。
 中村氏は在職中、発明の報奨金として日亜から2万円を受領していたが、2001年に特許の帰属と発明の対価の支払いを求めて提訴。特許の帰属については、2002年9月の中間判決で「特許権は会社に帰属する」との判断が示されていた。
 訴訟では特許によって会社が得る利益について、中村氏側は3380億円の利益が見込めると主張したのに対し、日亜側は開発コストなどを差し引くと2002年時点で15億円のマイナスになると反論し、極端な開きが出ていた。
 判決は確定前でも200億円の支払いを実行できる仮執行も認めたが、中村氏は「最高裁まで争うだろうから」と仮執行しない意向を示した。また、対価の追加請求について検討するという。

中村修二・米カリフォルニア大サンタバーパラ校教授の話
 50%の貢献が認められたことがうれしい。今回の判決は、研究者の発明へのインセンティブを高め、ひいては企業の利益にもなる。

日亜化学工業の話
 訴訟対象となっている特許権をあまりにも過大評価し、他の多数の研究開発者や企業の貢献を正当に評価しない不当判決だ。

企業に200億円ショック
東京地裁 将来利益も算定 中村氏の発明「決定的役割」

 職務上の発明を巡る裁判の“象徴”ともいえる青色発光ダイオード(LED)訴訟で、これまでの常識を超える巨額の対価200億円の支払いを命じる判決が出た。今回の判決は特許にかかわるすべての企業に大きな衝撃を与えた。職務上の発明を巡る訴訟がさらに増えることは避けられない。企業が焦燥感を強める一方で、研究者からは判決の意義を評価する声が上がった。

 「主文、原告に200億円を支払え」ーー。30日午後、裁判長が史上最高額の支払いを命じた瞬間、法廷は静まり返った。発明者の中村修二氏は緊張のためか硬い表情のまま。
 判決言い渡しが終わり、中村氏にようやく笑みがこぼれ、弁護士らとがっちり握手。一方、被告の日亜化学工業の代理人は口を真一文字に結んだまま法廷を後にした。
 判決が中村氏の対価を604億円と巨額認定としたのは、企業が特許によって得る利益を算定する際、将来の推定売上高を組み入れた上、発明者の貫献度も50%と高く評価したためだ。
 日立製作所に1億6300万円の支払いを命じたケースでは、提訴した時点で特許権の効力が切れており、発明対価の算定に将来の利益は関係なかった。原告側弁護人によると将来の利益分まで考慮したのは初という。
 今回の判決は、日亜が青色LEDの特許権の使用を他メーカーに禁じ、ライセンス料収入がなかったため、特許による「独占利益」を推定売上高からはじき出した。
 まず、青色LEDが市場に出始めた1994年から特許の効力が切れる2010年までの日亜の推定売上高を計算。将来分については@市場全体の成長率A日亜の市場占有率B日亜の成長率から予測し、合計は約1兆2千億円と認定した。
 日亜が特許権を独占せず他メーカーに使用させた場合、他メーカーが約6千億円の売上高を上げると想定。この場合、他メーカーは少なくとも20%の特許料を日亜に支払う必要があり、日亜は特許により「約1200億円の独占利益」を得るとした。
 中村氏の発明について判決は「青色LED製造に決定的な役割を果たす技術」と高く評価。日亜が競合他社に対する優位を保っているのは「特許技術によって製品の品質(輝度)に差があるため」と認めた。
 発明における会社側と発明者側の貢献度は、日亜側については約3億円の初期設備投資、実験研究コストの負担、中村氏の留学費用の負担などを挙げるにとどまった。

日亜化学、経営に影響 「不当判決」コメント発表

 日亜化学工業は「ほかの多数の研究開発者および企業の貢献を正当に評価しない不当な判決」とのコメントを発表したあと、記者会見などは開かず沈黙を守った。仮に200億円の支払いが発生すれば高収益の同社の経営にも大きな影響が出る。
 日亜化学は裁判について青色LED全体に対する訴訟ではなく「製造方法に関する特許1件についての対価訴訟」と指摘。中村氏の方式では現在の製品にはできず「当社の利益に全く貢献していない」と強調した。
 同時に「巨額のリスクを負担した企業に破天荒ともいえる巨額の成功報酬を請求することは、安定収入と巨額のリスク報酬の二重取りを求めるもので理論上許されない」と判決を批判した。
 日亜化学の2003年12月期の連結売上高は前の期に比べ55%増の1800億円となったもよう。税務上の利益に相当する申告所得は02年12月期で465億円に達する優良企業だ。売上高に占めるLED製品の割合は約8割で利益の大半を稼ぎ出す。日亜化学は米クリーや豊田合成を引き離して実質的に世界首位だ。
 同社は1956年の設立。ブラウン管などに使う蛍光体を手掛けていたが、93年に青色LEDを開発、急成長した。93年当時の売上高は200億円以下だった。

職務発明制度をめぐる提訴の最近の状況

企業名 技術 請求額 状況
日亜化学工業 青色発光ダイオード 200億円 200億円 地裁判決
オリンパス 光ピックアップ 2億円 230万円 最高裁判決
日立製作所 光ピックアップ 10億円 1億6千万円 高裁判決
日立金属 窒素磁石 1億円 1000万円 地裁判決
味の素 化学甘味料 20億円 地裁審理中
キヤノン レーザービ一ムプリン夕一 10億円 地裁審理中
三菱電機 フラッシュメモリー 2億円 地裁審理中


産業界に危機感 「リスクとコスト過大」  発明者は判決評価

 「これほどのリスクとコストを負担させるなら、日本から研究開発拠点を撤退させる企業すら現れかねない」。産業界の危機感は強い。
 キャノン顧問の丸島儀一氏は「これで訴訟に走る人が増えることは避けられない」と苦渋の表情を見せる。「発明者は給料をもらって研究に没頭し、成果だけを強調する。投資リスクを背負っているのは企業だ。こんな理不尽が通る国には外資企業は投資をしなくなるだろう」と警告する。
 日本知的財産協会の土井英男・政策・国際部長も「日本と同じように法律で特許の対価を決めるドイツでは、実際に企業が研究施設を置くことを敬遠している」と指摘する。社内報奨制度を整備していなかったために社員から訴えられ、会社が損失を被った場合、株主代表訴訟を起こされると危ぶむ声もある。米国では企業は研究者と契約で発明の報酬を含めた処遇を決めておくため、後になって多額の対価を要求されることはない。
 高額報酬を認める判決が出たことで、元勤務先を訴える発明者がさらに増える可能性もある。
 企業は報奨制度を拡充するなど、職務上の発明を巡る訴訟を防ぐ措置を強化してきた。ただ、先駆的な制度をもつとされる日立製作所でさえ、社員への支払総額は年間7億円程度で今回の200億円という対価はまったく想定していない。
 一方、発明者は判決を評価する。永久磁石の特許を巡り元勤務先の日立金属を訴え、昨年8月の東京地裁判決で1128万円を認められた岩田雅夫氏は「独創的な発明者は変人や奇人と映りやすく、現状では特許法により発明対価が保証されていることで救済されている」としている。
 携帯電話やデジタルカメラに不可欠なフラツシュメモリーの発明者で元東芝研究者の舛岡富士雄東北大学教授は「判決はオリジナリティーのある仕事をした技術者を正当に評価しており、画期的だ。現場の技術者に夢を与える」と話している。


日本経済新聞 2004/2/1-2

発明の対価 青色LED判決の衝撃

「毒か薬か」200億円 成果乏しい研究者、報酬減も

 200億円か、2万円かーー。青色発光ダイオード(LED)訴訟は、研究者に対する報酬に相場がない日本の現実を浮き彫りにした。発明という成果を会社と個人がどう分け合うか、市場原理に基づいた価格形成が必要な時代が到来した。
 青色LEDの発明者である中村修二・米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授が、日亜化学工業在籍中に得た報奨金は2万円。これに対し東京地裁は中村氏の請求通り、200億円の支払いを日亜に命じた。
 「毒にも薬にもなる判決だ」。半導体の研究者として日立製作所に勤めた湯之上隆同志杜大学COEフェローはこう語る。15年間の日立在籍中に20件前後の特許を海外で成立させたが、報奨金は年5万−10万円。判決に快哉を叫びたい半面「200億円となると個人プレーに走る技術者が増えかねない」と懸念する。
 発明対価の相場形成の芽は出始めている。2001年度に1件当たり最高2億5千万円の特許報奨制度を導入した三菱化学は、これまで3件で計5億5千万円を払っている。即戦力の確保を目的とした中途採用が増え、より良い待遇を求めた転職は珍しくなくなった。企業は成果配分のルールづくりに動き出さざるを得なくなっている。
 研究者も市場原理にさらされつつある。モルガン・スタンレー証券によると、2002年度までの5年累計で、減価償却前の営業利益を研究開発費で割った値はソニーで1.92倍、東芝で1.19倍。米IBMの3.28倍に比べ研究開発効率はきわめて低い。
 利益に対する貢献度で測れば、人件費を含む研究開発費は過剰との見方もできる。成績優秀者への報酬が膨らめば、成果の乏しい人は報酬や処遇が脅かされるかもしれない。実際、研究者の一部を営業現場などに回す企業は少なくない。
 スター研究者が与えた「夢」は、多くの研究者に厳しい現実を突きつけてもいる。

米「成果は会社に帰属」 契約社会、株などで「貢献」反映

 米国では、青色発光ダイオード(LED)訴訟の東京地裁判決を企業と従業員があらかじめ契約を結ぶ米国型の雇用システムに移行する過程の一つとして受け止められている。今のところ、米各紙は事実関係を報じた東京発の通信社電を転載する程度だ。
 研究者に限らず、企業が従業員を雇う際に契約を結ぶのが米国では一般的。研究者の場合、職務上の発明の取り扱いを決めるが、発明は会社に帰属するとの契約が多い。今回の訴訟のように、職務発明と明らかなものの帰属を巡る裁判が起きる土壌にはない。休暇中に思いついた発明など「職務発明かを争うケースはある」(米国弁護士の庄子亜紀氏)が、少数派だ。
 報酬についても契約に基づき、出願・成立時に一定額を支払う場合が多い。業績に結びついたとしても現金で100億円を超えるような巨額報酬を払うケースはほとんどない。
 例えば、半導体世界最大手のインテルは、特許出願時と成立時にそれぞれ一律数千ドルを支払う契約。業績に貫献しても特別報酬は出ない。会社側は発明に必要な研究設備・資金を提供するリスクを背負っているうえ、従業員は雇用と引き換えに役務を提供するのが当然と考えるからだ。
 ただし、出願・成立時の報奨金が一律でも、その後の事業・利益貢献度は別の形で研究者の所得に反映される。有力な発明をすれば人事評価が上がり、昇進に伴って多額の従業員向け株式購入権(ストックオプション)を得られる。こうした仕組みに不満があれば、自ち起業する道もある。
 米国から見れば、巨額な発明対価を争った今回の訴訟は特異な事例といえる。