3−15.雑感(その15−1998.8.5)ダイオキシンと農薬
アエラ、1998年8月10日号は、「農薬こそ大汚染源−ダイオキシンまみれの日本−」という記事を掲載している。ストーリーは、愛媛大学の脇本教授で、その根拠は、CNPに不純物として入っていた1368四塩化ダイオキシンと1379四塩化ダイオキシンとが、水道水、野菜、魚、農地の土壌、底質などに高い濃度で検出されること、これらの四塩化ダイオキシンはTEF(毒性換算係数)がゼロだが、未来永劫ゼロとは限らないことの二点だろう。
CNP不純物のダイオキシンがどこにでも検出されることは、よく知られていることであるし、TEQ万能で、TEFがゼロのコンジェナーを無視して分析が行われている現状は近視眼としか思えないから、この記事の趣旨には同意する。
我々の研究室が明らかにしたのは、TEQを使っても尚、農薬(主としてPCP)不純物のダイオキシンが、大きな割合を占めているということで、これは、以下の解析で明らかになった。
@
徹底的に土壌、底質に視点をおいて、研究計画をたてたこと
A
83のコンジェナーの分離、定量をしたこと
B
主成分分析と重回帰分析を組み合わせて、定量的な解析を行ったこと
世界的に見ても、我々の研究室と2,3の外国の研究室以外のすべての研究室が、TEQにからむ17のコンジェナーとそれに付随するいくつかのコンジェナー(CNP不純物は、容易に検出できるコンジェナーの一つである)の分離しかしていない。こういう状況の中で、83のピークを分離することは、実に大変である。数倍の労力と、細心の注意、腕が必要になる。83のピークを分離するという方針に対し、我々自身が不安を持ったのは、他と同じ研究室の分析法を用いたのでは、83の分離が不可能なので、別の分析法を使わなければならなかったことである。このことにより、83のうちの17についても、我々のdataが通用しなくなる危険性をはらんでいたのである。それでも、我々がこの方針に固執したのは、そうでなければ、ダイオキシンの発生源をつきとめることができないと考えたからである。
当初は、我々も、本当にこれだけ大変なことをしなければならないのだろうか、17のピークでいいのでははないかと考えた。毎年のように、院生からは、もう少し簡単にできないかという疑問が出された。83のピークを分離していたのでは、毎年分析できる試料の数が10未満になってしまい、研究発表もできなくなってしまうからである。研究成果をあせる院生の気持ちはよく理解できた。実は、研究費を集めてこなければならない私も同じ気持ちであった。
しかし、我々は徒労かもしれないと思いつつ、すでに7年近く、この方法に賭けた。83のピーク分離の成果が出始めたのは、3年ほど前からである。
我々の研究が出てから、主たるダイオキシンの発生源の一つとして農薬を挙げる人が多くなった。しかし、そこに挙げられている根拠から、農薬が主要な要因といえるような研究はないように思う。
ダイオキシンの発生源についての研究結果は、以下のとおり。
1.
T. Sakurai, N. Suzuki andJ.Nakanishi,Application of Principal
Component Analysyis to Isomer-specificDataMatrixof PCDDs and
PCDFs, Organohalogen Compounds, Vol.28, 314-319(1996)
2.
益永茂樹、桜井健郎、中西準子、東京湾と霞ヶ浦流域におけるダイオキシン類の収支、横浜国立大学環境科学研究センター紀要、24巻第1号(通産27号)1〜10頁(1998)
3.
益永茂樹、中西準子、桜井健郎、小倉勇、東京湾と霞ヶ浦流域におけるダイオキシン類の収支、第7回環境化学討論会講演要旨集、20〜21(1998)
3-33.雑感(その33―1999.2.22)農家の物置を探せ!
2月21日の読売新聞朝刊の「対立・討論」で話した、個々の食品の基準値を決めることができないと言うことの理由を述べたいと思っていたのです(この問題は、実は非常に面白い問題なんです)が、それは後日に回し、ダイオキシンの発生源について、今日はまとめておきます。
すでに、新潮45に書きましたが、東京湾底質中に存在するダイオキシン類(TEQ:毒性換算量)の発生源の45%が大気降下物で、かつて使われた水田除草剤PCPが31%、不明が24%と書きました。
わが国では、まずPCP(ペンタクロロフェノール)という除草剤が1950年代の終わりから1971年まで使われた。その魚毒性が強く、1972年から、ほとんど生産されていない。極く少量は輸入されているが。
PCPが禁止されて、つぎに出てきたのが、CNPという水田除草剤。これは、魚毒性も弱く、mildで、水田の生き物ももどってきた。私は、実にいい農薬が見つかったものだと感心していた。ところが、1981年に、東京都衛研の山岸さんが、CNPにダイオキシン不純物が含まれることを見つけ、発表した。これは、大きな衝撃を与えたが、後に、ダイオキシンではあるが、いずれもTEF(毒性換算係数)がゼロのものばかりで、TEQとしてはゼロであるということで、騒ぎは鎮静化した。その後、国立環境研の森田昌敏さん、横浜国立大学の花井義道さんが分析したが、やはりTEQはゼロとの結果であった。
我々の研究グループは、ダイオキシンの発生源について、できるだけ広く情報を集めなければ、ダイオキシン対策もたてられないという立場で、それをおいかけている。その中で、かつての農薬の不純物の濃度をもう一度チェックしようということになった。なぜなら、どうも今まで言われていることだけで、説明できないことが多すぎるからである。何よりも、CNPのTEQがゼロであるということに、私は強い疑いを持った。
PCPも、CNPも、古いものほど不純物のDXN(ダイオキシン)の濃度は高いことが推定されたから、古いものを探そうということになった。
八方手を尽くしたが、PCPは禁止されてから、27年経過しているし、CNPは使用停止になってから、まだ数年ではあるが、やはり20年前のものがほしかったから、それを探すのは困難を極めた。どこでも、ありませんという返事だった。製造元の三井東圧(現在三井化学)にも電話した。
ところが、実家が農家の浜田弘さんが、そんなところ探しては駄目だよという。探すのは、農家の倉庫だという。半信半疑で調べて驚いた。農家の倉庫には20年以上前の農薬がごそごそ残っていた。
その結果を、今年のWS(ワークショップ、毎年1月に横浜国立大学で開かれている)で発表した。PCPは一番古いのが、1967年ものだった。CNPは、1978年だった。そして、一番驚いたのは、CNP中のDXNはいずれも、TEQはゼロではなかった。1978年のCNPでは7100ppb, 1983年で1280ppb、1986年で62ppb、1987年で3.9ppb、1989年で4.9ppbで、見事に年とともに低下していたが、しかし、いずれもゼロではなかった。
では、今まで何故ゼロと報告されてきたのだろうか?
まず、1981年の山岸さんの報告の時期の分析能力だと、検出できなくても仕方がないように思う。森田さんが1991年、花井さんが1997年。この頃だと、含有率が低くなっていることもあって、できなかったのではなかろうか。今回の我々の分析は、島津テクノリサーチとの共同研究である。
米国の枯葉作戦が中止されたのは1971年、ベトナム戦争終結が1976年。1970年代の中頃には、三井東圧は、自分のところの農薬にDXNが含まれることに気がついたに違いない(CNPの水田除草剤としての登録は、1965年。最も多く使われて時期が、1970年代中頃)。そこで、製法の転換を試みたであろう。我々の結果を見ると、1970年代の終わりに、DXNの量が激減していく。そして、そのTEQは、1978年ものに比較し、1983年には1/5に、1986年には100分の1程度に減っている。三井東圧は、減らす努力はしていた。しかし、誰もTEQはゼロだというから、それを隠れ蓑にして売り続けた。
CNPは、思わぬことで、使用禁止に近い措置を受けることになった。それは、新潟大学医学部の教授山本正治さんが、CNPの多使用地区には、胆道がんが多く、これが水道水中のCNPによるものだという発表をしたためである。
それは、ともかく、私は当時、このCNPをおいかけていた。そして、環境中にCNPが残っていることを見つけた。そこから、不純物のDXNの研究に入っていった。
それは別として、この研究の結果、環境中に出たダイオキシンの量を、歴史的に明らかにできた。その結果を図に示すので、興味のある方は、clickしてほしい(計算、および作図は、教授の益永茂樹さん)@ CNP中のDXN
A 枯葉剤との比較(濃度)
B 枯葉剤との比較(DXNのTEQ)
C DXNのsource
D 日本におけるダイオキシン含有農薬使用量の変化
図面についてのやや詳しい説明
@CNP中DXNの経年変化と使用量
Aベトナムで散布された枯葉剤、日本で水田に散布されたPCP,CNPのDXN不純物の濃度の比較。枯葉剤は、2378TCDDそのものの重量、PCPやCNPは2378TCDD毒性換算量(TEQ)。枯葉剤の分析結果が最近になってでてきて、枯葉剤の場合、TEQは2378TCDDの2倍程度になるというから、その関係を使って、DXNの散布量をTEQで表現して、三つの農薬を比較したのが、Bである。
BTEQで表した、枯葉剤(ベトナム)、PCP(日本)、CNP(日本)による、DXNの環境放出量。
C環境中に放出されたDXN(in terms of TEQ)のsource別経年変化
これを見ると、焼却炉起因のDXNが如何に小さいかが分かるだろう。ただ、農薬は、すでに使用されていないので、対策はとられていると言える。ただ、農薬で使われた分のほとんどは、今でも海や川にあり、また、水田にある。これを単にstockとみることはできない。これが、どのようにflowに効いているかを見つけるのが、我々にとっての緊急の課題である。これが、米に移っているのではないかという心配があるが、厚生省の1997年度の調査では、コメの中のDXNの濃度は低い。
環境ホルモン空騒ぎ
私の研究室でいわゆる環境ホルモンの一種、ダイオキシンの研究に取り組み始めたのは、今から一○年ほど前である。農薬の影響を調べていた時、農薬そのものより不純物のダイオキシンのリスクが高いことを知り、どうしても研究すべきだと考えた。しかし、途中で何回かこの研究をやめようと思ったことがあった。あまりにも研究費がかかりすぎるからである。研究費で四苦八苦してきた身には、今のダイオキシンブームはありがたいと言っていいかもしれない。しかし今、新聞、雑誌、TVなどでダイオキシンについて言われていること、そこに登場する学者の言っていることは、あまりにも大げさで九割方違っていると思う。『文藝春秋』十月号に日垣隆さんが書いているとおりである。これでは環境問題に関する社会の信頼を失い、将来に禍根を残すのではないかと心配である。また、母乳をやめるなどの間違った選択をさせることにもなるし、何よりも“いい焼却炉”まで皆が怖がるということになり、ごみ処理がつまずいてしまわないか危惧している。
ただただ危ないという翼賛報道の中で、もう少し冷静にという意見を新聞などで公表している研究者は、私一人しかいない。そのためだろう、市民団体からの激しい批判が集中し、差出人の名前のない薄気味悪い手紙が送りつけられ、また、誹謗中傷のビラが各戸配布されてもいる。もちろんこのような仕打ちを受けて気持ちがいい訳ではないが、私は今はそれほどあせってはいない。
三○年間、環境問題にとりくんできたが、私の意見は、常に最初は誰からも理解されなかった。ひどい孤立と誹謗中傷の中で数年じっとしていると、いつのまにか私の意見の方が多数意見になってくるという経験を何回もしたからだ。世論は変わるのである。
日本は世界一汚染された国なのか
ダイオキシンに関する議論で一番の問題は、「ハザード」と「リスク」の区別がないことである。例えばある物質の一グラムのもつ毒性が他の物質一グラムの毒性に比べて大きければ、その物質はハザードである。ダイオキシンは間違いなくハザードである。しかし、人の健康への危険度、つまりリスクはその物質の毒性の強さと摂取量とで決まるから、強いハザードでも摂取量が小さければリスクは小さくなる。人間にとって大切な指標は、ハザードとしての特性ではなく、リスクの大きさとその特性である。
東京都、神奈川県、埼玉県などの都市におけるダイオキシンの大気中濃度は、日本国内の他都市や外国の大都市に比較して非常に高い。しかし、一般的な日本人のダイオキシン摂取量は、東京であっても、他の先進国と比べて、特に高いことはないようである。それは、母乳中のダイオキシン濃度を見れば分かる。
日本人の母乳中ダイオキシン類の濃度は、脂肪一グラム当たり五一ピコ(一兆分の一)グラムという摂南大学教授・宮田秀明さんらの調査結果を基に、日本人のダイオキシン汚染レベルは異常に高いということが通説になっている(ダイオキシン類の濃度はすべて毒性換算値。また、母乳中または血中濃度は、すべて脂肪一グラム当たり毒性換算濃度のピコグラムである)。
一方、今年三月になって発表された厚生省の結果では、一一一検体の平均値が一六・五だった。また、産業廃棄物焼却の影響が心配されている埼玉県所沢市周辺での調査では、一○○検体の調査で、その平均は懸念とは逆にさらに低い一五であった。この値は、他の先進国の値とほぼ同じ程度である。ただ、これは一般人の値であって、特に摂取量の高い人々(高摂取量群)がいることを否定するものではない。
平均的な日本人が食物摂取で、どの程度ダイオキシンを摂取するかについては、先の宮田さんらの一日一六三ピコグラムに対し、環境庁調査の六三という二つのかなり違う結果が出されている(一日の摂取量については、すべてピコグラム。単位を略すことがある)。これに、大気吸入分一○、その他二を加えて、全摂取量を求めると、前者では一七五、後者では七五になる。ここで、宮田さんらの結果に基づく摂取量を一般人(1)、環境庁のを一般人(2)としておこう。
では、摂取量として、一般人(1)と一般人(2)のどちらが正しいのだろうか? 前者が正しければ我々の汚染レベルは世界でも際だって高いといえるが、後者が正しいならば他の先進国並ということになる。たった二つの調査で、データに開きが出るのは当然でもある。しかし、平均値がこれだけ違えば、国の政策も当然違ってくるし、どちらがより正しいかの見極めは必要になる。まず、そこで私は一般人の摂取量の検討を行なった。
ダイオキシンを含む食品は数百種を超える上に個々の食品ごとに換算して結論を出すのは難しい。そこで人の体内濃度は摂取量に比例するから、むしろ母乳中あるいは血液中濃度を調べると平均的な摂取量が分かる。この方法を、一般人二○○人分の母乳や血液の検体調査の結果に適用すると、一般人(2)が現実に近いと思われるという結論を得た。すなわち摂取量が一般人(2)の七五ピコグラムで正しいなら、日本人の平均的な摂取量は、他の先進国と同じレベルであり、これまた、日本人は世界一たくさんダイオキシンを摂取しているという通説が崩れることになる。
「ごみ焼却炉」主犯説のウソ
環境問題では、一般人の他に必ず高摂取量の人々がいる。その人たちを捜し出し調査をすることは、その人々のためばかりでなく、一般の人たちのためにも重要なことである。
現在最もダイオキシンの汚染に晒されていると伝えられているのがごみ焼却炉周辺の一帯である。私たちは本当に焼却炉の周辺に住む住民の汚染度が高いのかどうかについて摂取量の推定調査を行なった。
焼却炉周辺住民のモデルは、強硬な反対運動が起こっている茨城県の竜ヶ崎市塵芥処理組合城取清掃工場から○・二〜一キロメートル以内に住む人たちと仮定して推定したものである。年齢は七○歳、清掃工場は四○歳の時に稼働をはじめ、三○年間その影響下で生活し、食べる野菜のすべてがそこでとれたものという設定をしている。ここでは国内最悪と思える状況を想定し摂取量の推定をした。焼却炉排ガス中のダイオキシン濃度は、既存の焼却炉に適用されている排気ガス一立方メートル当たり八○ナノ(一○億分の一)グラムという許容量の五○倍程度、四○○○ナノグラムと例のないほど極端に高く設定した。こうした特殊な状況設定をした上で、危険度を大きめに評価した一般人(1)の数値を足しあわせてみた。
しかし、結果は、ごみ焼却炉周辺でも摂取量が二四七と想像していたほど高くはならなかった。大気からの吸入分も、緑黄色野菜からの摂取も一般人よりは高いがそれほど高くはならなかった。つまり、ごみ焼却炉周辺は世間で騒がれているほど危険性が高くはないと結論づけられると考えられる。一般的には焼却炉周辺の野菜ばかりを食べるわけではないので、野菜が特に危険だとも言えない訳である。
そして、意外なことに緑黄色野菜からのダイオキシン摂取よりも別の大きな摂取源があることが分かった。魚介類からの摂取である。
わが国には毎日多量の魚介類を食べる人たちがいる。そこでこうした人たちのダイオキシン摂取量も推定した。ここでは先に述べた宮田さんらの調査と同じ条件で魚介類を一日平均三二○グラム食すと仮定した。
その推定結果が三八六ピコグラムの一日平均摂取量である。ダイオキシンと言えば、ごみ焼却炉と思いがちであるが、実は魚介類多食者の摂取量が最も高い可能性がある。ダイオキシンのリスクは、ごみ焼却炉よりも日ごろ食卓にのぼる魚介類にこそ潜んでいるということができる。
このように予想される摂取量の値と、その摂取経路を住民に示すことは、とても重要なことである。人々は、リスクの程度を理解でき、また何に注意すればリスクを減らせるかが分かる。しかし昨年になって厚生省は、いきなり大きな発生源として全国にある焼却施設名とその排ガス濃度を公表した。同時に何故住民にこの魚介類からの摂取経路を伝えなかったのか不思議でならない。埼玉県所沢市の問題などは、発生源は改善されるべきだが、市場で買った食物を食べているかぎり、それほど大きな脅威にはならないことを知れば、皆がもう少し落ち着くことができたと思う。現に所沢で行なわれた母乳中に含まれるダイオキシン濃度の調査結果は、全国平均値と何ら変わらなかった。
新聞やTVだけでなく、科学誌に至るまで、ダイオキシンの八五パーセントは一般ごみ焼却炉から出ていると書いている。このデータは、何らかの目的で発表されたものと思っている。
では、何故魚介類のダイオキシン類濃度は高いのだろうか? またそれはどこからくるのだろうか? 我々は環境中にあるダイオキシンの発生源は何かという視点で、研究をしてきた。
やや専門的になるが、ダイオキシン類の中には、塩素が四個以上ついた同族化合物が一三六種類ある。化合物としての骨格は同じだが、塩素の数や位置の違いで、かくも多数の同族化合物が生ずる。その同族化合物の分布が発生源によって微妙に異なる。それを利用して、現在あるダイオキシン類の発生源を推定できる。我々は八三種類の同族化合物を分離定量し、その結果を主成分分析と重回帰分析にかけて、東京湾と霞ヶ浦の底質についてその発生源を推察した。八三もの同族化合物を分離している研究室は、世界中にわが研究室の他にない。
その結果、東京湾の底に溜まっているダイオキシンについては以下のことが分かった。底質中のダイオキシン類の四五パーセントが大気沈着に起因し、三一パーセントがPCP(ペンタクロロフェノール)に、二四パーセントは不明とその他であった。大気沈着の中には、一般ごみ焼却炉、産業廃棄物焼却炉および工場からの排出物が含まれる。PCPは水田除草剤として一九七○年代半ばまで日本中で使われ、その後はごく少量しか使われていない。まさかと思うかも知れないが、一九七○年代に使われた農薬の不純物が未だに東京湾の底質に残り、魚介類に移行したのである。「水田除草剤として使用が最盛期の六五年頃には、一般人の尿中に一○○%の検出率でPCPが(中略)検出された」(植村振作他『農薬毒性の事典』、三省堂)というから、農地はもちろん農業従事者さらには我々の体内にPCPの不純物であるダイオキシンが蓄積しても不思議はない。
発がんリスクは水道水と同じ
ここまで摂取量と摂取ルートについて述べてきた。ここでは、ダイオキシンのリスクの大きさについて説明しよう。厚生省、環境庁、WHO(世界保健機関)が耐容一日摂取量をそれぞれ体重一キログラム当たり一○、五、一〜四ピコグラムと発表しているが、これらと比較すると、これまでに調査した集団では魚介類多食者を除いて基準値を下回っている。その意味では日本はまず安全だとも言える。しかし、耐容一日摂取量がどういう安全をどこまで保証してくれるのかは明確ではない。
ダイオキシンについて、最も心配されたのは、がんと奇形であった。ここでは、日本人は、一○人に三人の割でがんで死んでいる。つまり一生涯のがんリスクは一○分の三である。ではダイオキシンによる発がん確率はどのくらいだろうか? 高めに評価した一般人(1)では一生涯で一万分の三、より現実に近いと考える一般人(2)の値では一万分の一・三程度のものである。
比較のために水道水のリスクを考えてみる。現在水道水中の発がん物質の一つ一つのリスクは一○万分の一のレベルで規制されているが、東京都金町浄水場の水道水は一九八○年代終わり頃にはやや高く、発がん性塩素消毒副産物が少なくとも五つはあった。するとこの水道水を飲んで暮らしていた人のリスクの合計は、ちょうどこの一般人(2)のリスクレベルになる。これを考えれば、ダイオキシンのリスクの大きさが理解して戴けるのではなかろうか。
最終的には技術的な可能性や、コストも考えなくてはならないが、リスクのレベルだけで考えると主たる摂取ルートが食物であるのナ、一万分の一程度のリスク、つまり一般人(2)のリスクレベルより、やや低いあたりを目標に国は削減計画を立てるのがいいと思う。
ところが魚介類多食者のリスクは最も高く、一万分の六、焼却炉周辺住民は一万分の四である。当然、これでも削減対策が行われるべきレベルではある。ただ一部で騒がれるようにごみ処理場の周辺の半分もの住民がダイオキシンが原因でがんになるというような荒唐無稽な事態は到底考えられないことである。
また生殖障害のリスクも無視できるほど低い。子宮内膜症については、一般人(2)では無視できるほど小さいが、一般人(1)では一○○○分の一程度のリスクがある。ホルモン作用による免疫力低下の影響も心配されているが、それらは他の内分泌攪乱物質と同じルールで評価されるべきで、少なくとも成人に対する影響は、発がんリスクの制御レベルで十分制御できる。
母乳の汚染は減りつつある
ダイオキシンは母親の体内に蓄積されるので、胎児・乳児への影響は心配される。母乳から乳児に移行するダイオキシン量は多い。わが国の母乳中ダイオキシン類の平均値は一五程度だが、母乳だけで育てると、六ヶ月児の一日の摂取量は一般人(2)の五倍近く、体重一キログラム当たりの摂取量は一般人(2)の五○倍にもなる。但し、成長が早いので体内濃度はそれほど高くない。それにしてもこの量にはぞっとするし、胸が痛む。蓄積性の物質は、皆このような状況を生みだす。だからこそ分解性が悪く蓄積性の化学物質は厳しく規制されてきたのである。
ただ、この量が厚生省の出した耐容一日摂取量の五倍になるから問題だという学者のコメントは明らかに見当違いである。もともと、この耐容一日摂取量は一生涯その量を摂取したときにおきる慢性影響を回避する目的で作られたものであるから、乳児の短期的な摂取量をこの値と比べること自体に意味がない。
短期とは言えこの量のダイオキシンが子供の体内に入ることが、どの程度のリスクなのかは、大人の基準とは別に独自に検討すべきことである。このリスクの程度を知るために私もかなりの努力をした。まず、このような微妙な問題のときは動物実験の結果では駄目だと判断した。そこで人間の被害例を集中的に調べた。そこではじめてカネミ油症事件がその前例になることを知った。
カネミ油症は当初PCBによる中毒と考えられたが、途中から実は不純物として含まれていたダイオキシン類の影響であると主張されるようになった。それは大発見であったが、一方でカネミ油症事件にPCBは関係なかったかのような誤解を生み、こうしたダイオキシン主因説に対しては私はかなり強い批判を持っている。それはおくとして、カネミ油症では胎児性の油症患者が出たし、乳児への影響も確認されている。しかし、はっきりした影響が見られるのは、油を摂取した時期から数年間に限られており、それ以後については発症が認識されていないようだ。
このとき最少量で発症した人でもダイオキシン類の一日摂取量は、一般人(2)の二万五○○○倍、体内蓄積量では三八五倍で、この上に比較できないほどのPCBを摂取した(第一薬科大学教授・増田義人さんの結果から計算した)。しかも、被害を受けたと届けた人が約一万四○○○人、認定患者は一八六七人に達し、地域的に集中して住んでいる。今のダイオキシン汚染とは被害の大きさがまるで比較にならないのである。このことから現在の一般人のダイオキシンの摂取量では、皆が一番気にしているような特別の病気になるということはないと判断した。しかし、一方で油症患者の摂取した毒物の量を考えると、今でも油症患者の子や孫はなんらかの不都合を背負って生きているに違いなく、このことを放置していいのだろうかと、そちらの方が心配だった。
この他、母乳中のダイオキシンが乳児に与える影響については、IQの低下などが報告されている。しかし、それらはいずれもかなり高いダイオキシン濃度の場合であって、一般人のレベルとはかけ離れている。唯一、一般人の数倍以内のダイオキシン類濃度で影響が報告されていたのは、九州大学医療技術短期大学部助教授・長山淳哉さんの研究結果であった。それは母乳中のダイオキシン類濃度が増加すると乳児の血清中チロキシン濃度が減少するという関係で、これを示すグラフはあらゆるダイオキシン本に引用され、テレビや新聞にはおそらく数十回は引用されたのではないだろうか。これほどまでに有名な研究となったのは、他にダイオキシンと体調異常との因果関係は見つからなかったからである。
しかし、驚くべきことに、今年の夏ストックホルムで開かれた国際ダイオキシン会議で長山さん自身がこの関係は統計的に有意ではなかったとして否定したのである。私はたとえこの関係が成り立ったとしても、母乳を捨てることにはならないと主張してきた。チロキシンの濃度がこの程度低下することは一つの生体内反応であって、直接病気の発生を意味しないからである。しかし、一方で、母乳の利点は、乳児が罹り時には致命的な影響を与える病気を防ぐことであり、判断基準の重みが違うのである。これをリスク評価の専門用語で、評価のエンドポイント(影響評価点)のレベルが違うという。とはいえ長山さんがご自分の説を引き下げた今となっては、数々のダイオキシン本やテレビ新聞はなにをか言わんやである。
今年の春、厚生省は母乳中ダイオキシン類の経年変化を発表した。分析したのは大阪府公衆衛生研究所。何と一九七三年からこの二五年間に、母乳中のダイオキシン類は半減していた。ごみの焼却だけがダイオキシンの原因だと、思っていた人には全く理解できない結果だったらしい。先に述べたように、かつては農薬の不純物がダイオキシンの主たる原因であり、それが現在は禁止されているから母乳中のダイオキシン類は減少するのである。これは欧州も同じで、歴史的には化学合成品の不純物がダイオキシン汚染の主要な要因で、その後焼却の寄与が加わるが、化学品の規制で環境中のダイオキシンは減少しているのである。
日本の場合には、もう一つダイオキシン摂取量が減少する原因がありそうだ。それは我々の食品の輸入品依存率が上がっていることによる。食べ物の大半を外国や遠洋に依存していれば、日本のダイオキシン汚染と関係なくなるのは当たり前である。
旧南ベトナムで枯れ葉剤が大量に散布された地域は、ダイオキシンによる汚染によって人体に大きな影響を与えたとして必ず例に取り上げられる。ダイオキシンが、がんや奇形を高い確率で発生させていると書かれている。
私の友人は、この汚染された地域を調査して土壌や沼地の底質などのダイオキシン残留量を詳しく測定した。また、人の血液、母乳なども採取して測定している。実際の彼の測定結果を見てみると、先入観を覆す事実が明らかになっていた。ダイオキシンは土質からは検出されず、人体からも先進国の半分という値が得られたのである。さかんに南ベトナムをダイオキシンの被害を受けた地域と報じた新聞は、この調査結果を「日本人のダイオキシンレベルは、南ベトナムの二倍」と報道した。こうした新聞社の報道姿勢には開いた口がふさがらなかった。
念のために付け加えておくが、別の調査結果では高濃度のダイオキシンが検出されたとするものもある。いずれにせよ厳密な調査がまだ実施されていない状況にあるのだ。
先述したように、日本人のリスクレベルは欧米と特に変わらない。ではあるが当然、日本の環境レベルはさらに改善されなければならないと考える。
私は、一般人については一○年か一五年以内に、今のレベルの二分の一にすることを目標にしたらいいと思う。ゼロではなく半分にした理由の第一は、途上国の人のダイオキシン体内濃度が我々の二分の一のレベルであること。第二は、発がんリスクのレベルについての考察。第三は、毒性の強いダイオキシンを商品として製造することはないのだが、燃焼の副産物として必然的に発生するため費用とのかねあいが必要だからである
そして、魚介類多食者、焼却炉周辺住民などの高摂取量の人々については、できるだけ早急に一般人のレベルにすることを目標にすることを提唱する。
判断力を失った厚生省
今年になって、世界保健機関は、ダイオキシン類について、従来より厳しい新しい耐容一日摂取量の勧告値を出した。これは体内蓄積量を指標に考えるという点で従来より進んでいる。ところがそれを基に勧告値を出すプロセスは矛盾だらけである。どうも厚生省と環境庁はこれに追随するらしいが、本当にこれでいいのかという疑問は残る。
厚生省は、一九九六年六月、「ダイオキシンのリスクアセスメントに関する研究班中間報告(本文)」を出した。その中で、耐容一日摂取量の値を提案した。その報告を見て、私は愕然とした。四分の三くらいが、米国環境保護局(EPA)が一九九四年に出したダイオキシンのリスク評価報告書の草稿(EPA草稿)と酷似しているのである。
このEPA草稿の厚さは、三○センチ以上あり、頁数は二○○○頁近い。曝露解析三巻、健康影響評価三巻の合計六巻にもなる。その健康評価書のほぼ八割程度の部分から、抜き出して作られたと思われるのが厚生省中間報告であった。
以下に、EPA草稿の章の題名と、括弧内に、厚生省中間報告の章の題名を示す。第一章・体内分布と薬理キネティックス(ダイオキシン類の体内動態について)。第二章・作用機構(該当する章なし)。第三章・急性、亜急性、慢性毒性(ダイオキシン類の一般毒性)。第四章・免疫毒性(ダイオキシン類の免疫毒性について)。第五章・発生、生殖毒性(ダイオキシン類の生殖発生毒性について)。第六章・動物における発がん性(ダイオキシン類の発がん性について)。第七章・発がん性に関する疫学・人間のデータ(ダイオキシン類の発がん性等に関する疫学データについて)となっている。
米国の報告書からの完全な抜き書きである。一パーセントくらいは新しく加わっている感はあるが、内容はそれ以上のものではない。厚生省報告書の冒頭に研究の方法という項目があり、こう書いてある。
「TCDD(四塩素化ダイオキシン、筆者注)に関する文献は多岐にわたる膨大なものであるので、(中略)各国政府または国際機関等ですでに評価がなされているレビュー等をもとに、毒性について評価することとし、その中で重要な文献については、適宜、一次資料にあたって研究を実施した」
これを研究と言うのだろうか。しかも、各国政府の文書を参照したと書いてあるが、EPA草稿を参照したことがどこにも書かれていない。唯一、疫学データについての章に、EPAの再評価文書(一九九四)を参考にしたという記述があるだけである。では、何故ネタ元のEPA文書を引用文献として示さなかったのだろうか。真似したことを隠したかったからか? それもあるかもしれない。しかし、書くことができなかったのは、この草稿の全ページに「DO
NOT QUOTE」(引用するな)と書かれているからだったからではないだろうか。
これは、国際的に問題になるような盗作事件である。しかし、事件か否かより、こういう態度で報告書が作られ基準値が決められるところに、恥ずかしく救いがたいわが国の現状がある。
水俣病の教訓に学べ
ダイオキシンに関する議論より、環境ホルモン全般の議論となるとそれはもっと実体がない。環境ホルモンとは、外因性内分泌攪乱物質に対する日本でだけ通ずる呼び名である。ここでは内分泌攪乱物質とよぶことにしよう。
内分泌攪乱物質が大きな関心をよぶきっかけになったのは、言うまでもなくアメリカ人女性シーア・コルボーンらの著書『奪われし未来』である。これを読んだとき、著者らが生物界の異変の原因を地道に追ってきたことに科学者として感銘を受けた。そして、生物界でおきた不思議なことのいくつかが「内分泌攪乱」という考えで説明できるかもしれないと私自身も考えた。今後こういう視点も含めて環境問題を見るべきだというひとつの示唆として読んだ。総じて生物界ではありそうなことだが、人についてはそれほど大きな影響はありそうもないというのが私のその時の感想だった。例として挙げられている生物の大量死や人間の精子の減少などとある種の物質との関係については、とてもこの本に書かれていることをそのまま信用する気にはならなかった。
ところが、この本が日本に入ってきた途端に、人類の危機を喚起する警世の書として受け止められ、あらゆる異常が環境ホルモンで説明づけられるような錯覚を生み出してしまった。生殖障害から人類存亡の危機を連想するのは非常に分かりやすいが、これは明らかな誤解である。人間という生物集団が如何に他の生物集団と違うかを知らないところからくるのである。
考えてみてほしい、この五○年位の間に日本社会では一人の女が数人の子を産む時代から、一・五人以下の子しか生まない時代に急激な変貌をとげた。理由はともあれ、生殖率は半分以下に低下した。しかし、これで日本人という生物集団が滅亡しているわけではない。先進国における人間の集団は、生殖能力の変化には非常に強い構造をもっていて、他の生物集団とは決定的に違うのである。
もちろん、だからと言って、化学物質が生殖機能に影響を与えないとか、与えてもいいと言ってるわけではない。それは自分ならびに自分の子や孫が生物としての可能性を阻害される問題としてとらえればいいのであって、人類滅亡の危機などを持ち出す問題ではないと言っているだけである。
現在の騒ぎの中で、わが国で環境ホルモンが生態系に与えた影響の例としてマスコミでさかんに取り上げられたのが、東京と川崎の間を流れる多摩川に生息するコイにはメスが異様に多いという報告である。ところがこれに関して詳しく調べている人から面白い話を聞いた。
多摩川のコイはそこで孵化し育ったものではなく、霞ヶ浦で養殖した稚魚を放流したものであるという。またコイは、赤い、脂肪が多い、丸いなどの理由でメスが珍重される傾向があり、養殖の現場ではメスを多くつくる努力がなされているのだそうだ。現に、今年の五月三十一日付読売新聞茨城版には、「メスだけが生まれる受精卵の大量生産に成功」と茨城県内水面水産試験場の成果が誇らしげに書かれてあった。
霞ヶ浦でのメス化と、多摩川でのメス化は生物学的に同じではないが、生産の現場では性に対する制御が行われているということは事実なのだ。そもそも、魚の性というものはある年齢(魚齢)以下では分化していないのに、魚齢が正確に調べられないまま精巣の大きさが測られたり性比が論じられたりする杜撰な調査も問題である。
科学的に内分泌攪乱物質が人間や生物に与える影響はまだ分からない。しかし、これまでの化学物質の毒性評価の中にはなかった視点であるから、この視点で化学物質を洗いざらい点検する国際協調態勢ができてようやくそれが動き出したというのが、今の世界的な状況である。
そんな中、環境庁は「内分泌攪乱作用を有すると疑われる化学物質」という六七物質のリストをインターネットで発表した。これを受けて、多くの識者がテレビや、新聞、雑誌等で、「疑わしきは罰する」でなければいけない、だから、疑わしいものは使うのをやめるべきだという主張を展開した。そして、これこそが公害病や薬害の愚を繰り返さないための「予防原則」だと主張した。
内分泌攪乱物質の例は、水俣病と比較するのは適当ではないが、水俣病の例からも、かくも幼稚な予防原則を導き出すことはできない。水俣病は当初は伝染病と考えられた。やがて、工場排水が疑われ、熊本大学研究班は、マンガンが原因であると発表、つぎはセレン、さらにタリウムと変わり、最後に水銀に到達した。伝染病と思われた時点で、隔離するのがよかったか、マンガンと発表された段階でマンガンの禁止に踏み切れば良かったのか、もしそのようなことをしていたら、水銀を追いつめることはずっと遅れてしまったに違いない。まずは、原因と結果の関係をもう少しはっきりさせることが必須である。それなしに対策ができるわけがない。
先に述べた母乳中のダイオキシンの問題に、この予防原則を適用すると、ダイオキシンの濃度に拘わらず母乳はやめろということになる。しかし、母乳をやめることの危険性についても予防原則を適用するとどうしても母乳を続けろということになり、この予防原則が如何に無意味であるかが分かる。
もっと怖いのは“思考力の麻痺”
では、疑わしいものがあるとき、どうすればいいのか? 「禁止する」と「何もしない」という二分法的な考え方では、これからの環境問題には対処できない、その中間の道を選ぶべきだというのが、私の考えである。その中間の道とは、リスク評価をし、リスクの大きさとその物質を禁止したときの別のリスクの大きさとを比較しながら対策を立てることである。
ところが、多くの文章に内分泌攪乱物質は不確かなことが多く、リスク評価ができないと書いてある。これは、実に意外なことで、最初は何を言っているのか分からなかった。不確かな要素を持つから、リスクという概念はでてきたはずである。しかし、やがて分かったことは、多くの人がリスク評価という言葉を安全量を求めるというように誤解しているということだった。
リスク評価には摂取量の評価と毒性評価が必要である。内分泌攪乱物質については、後者についての情報がまだ無きに等しい。摂取量と影響の大きさとの関係(専門的に言えば、量反応関係)がはっきりしない。それは早急に研究されるべきだが、それがないときは、我々はリスク比較とかリスクランキングという方法を用いる。
その場合はできるだけ問題を絞り込む。そして影響の大きさを比較するのである。必要に応じてグループ分けする。そうすれば量反応関係が分からなくとも影響の相対比較が可能になる。もちろん、これが非常に正確かといえば、そうではない。リスク評価は予測だからいつまでたっても真に正確にはならない。その時点でできる最高のことをするしかないのである。その意味でリスク評価は不可能とか正確でないという批判は何の意味もない。なぜなら、リスク評価ができなければ、もっといい加減にその時の気分で為政者が適当に判断することになるからである。今までの日本の行政はそれだったのである。リスク評価のもう一つのいい点は、その評価の方法が誰にも分かることである。
内分泌攪乱物質の人への影響については、まず、胎児・新生児への影響に絞り、リスク比較をすることがいいと思う。大人への影響はある程度研究が進んでから対策をたてるので遅くはない。影響の大きさから言えば生物への影響は大事だが、これも明らかに害のあるものについて対策をたて、あとは少し時間をかけて調査するのでいいだろう。
胎児・新生児へ化学物質が移行する経路は、母親の体内に蓄積した物質の胎児・新生児への移行と、妊娠・授乳中に母親が摂取した物質の移行の二つのルートが大きい。前者についてはダイオキシンのような蓄積性のものが問題になる。したがって、蓄積性(体内半減期から分かる)、摂取量、ホルモン活性を調べ、予想できる体内でのホルモン活性総量を比較することから始めるしかない。もちろん、今の段階でホルモン活性を正確に求めることはできないが、予備的な試験はどんどん行われていてかなり利用できるようになっている。こういうデータを用いれば、人の体内での大体のホルモン活性の大きさをいくつかのグループ内で比較ができる筈である。その値を体内のホルモン量や自然起因の植物エストロゲン量などと比較することによって、どうすればいいかが分かってくるのである。これは我々が発がん物質の規制の過程で間違いつつ学んできた方法である。この値が出ても不正確であるから発表するなという意見もよく聞く。しかし、一方で六七物質のリストだけが一人歩きして混乱を引き起こしている。少しでも定量的なデータが加えられるべきだと思う。
しかし、とりあえず、まず一番に環境庁はこの六七物質を疑わしいとした根拠を発表してほしい。どういう方法で測り、どの程度の大きさのホルモン特性をもっていたのでリストに載せたのかの根拠を。まさか、根拠もなしに発表したわけではないだろう。それが分かれば企業も同じ試験法で追試ができる。是非、環境ホルモンについての議論を科学的に冷静に進めるためにこのことをやってほしい。今のように危ない、危ないという議論だけだと、まもなく国民は麻痺して環境問題を真剣に考えることをやめてしまうのではないだろうか。その反動が怖い。
最後に私のウェブサイトでは、ここに述べたことがさらに詳しく説明されているのでアクセスして欲しい。
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/index.html
(なかにし じゅんこ・横浜国立大学教授)