日本経済新聞 2005/7/14
「石綿」死者 2000年以降急増
14社調査 大量使用から30年前後 業種さらに拡大
アスベスト(石綿)の大量使用から30年前後の2000年代に入って、中皮腫などの死者数が多様な業種で急増していることが明らかになった。複数の死者が報告された主な企業14社では、04年の死者だけでも41人に上り、1970年代以降の累計死者数(371人)の1割超となった。企業が公表した死者数も計460人を超えた。
石綿の輸入量は74年の約35万トンをピークに90年代から減少。95年に毒性の高い青石綿、茶石綿が使用禁止となり、04年には約8千トンとなったが、石綿の吸引から中皮腫などの発症に至る期間は一般に30−40年間と長く、石綿による健康被害が今後、本格的に増加することも懸念される。
日本経済新簡が14社を対象に聞いた2000年以降の死者数は計141人。累計死者数の3分の1以上を占める。石綿が大量輸入された70年代以降、製造現場などで粉じんを吸い込み、長い時間を経て中皮腫などを発症、死亡した従業員らの存在が浮き彫りになった。
死者数が最も多いニチアスは、04年までの29年間で、死者が出なかったのは84年だけ。同社は71年に毒性の高い青石綿の使用を中止。茶石綿は92年、白石綿は04年に使用をやめたが、最多の31人が死亡した王寺工場(奈良県)は操業開始が早く、一部の石綿製品は60年以上も生産していた。
工場従業員ら79人、従業員の家族1人が死亡したクボタは85年以降、死亡者が途切れず、04年は初の2ケタとなる13人が死亡した。
石綿の健康被害は建材や造船、水道管、鉄道車両などの製造業のほか、電力、ガス、運送業など幅広い業種に拡大しており、13日にも三井造船、東急車両製造など10社で計73人の死亡が新たに判明した。
富士重工業は鉄道車両の外壁と内壁の間に石綿を組み込む作業に携わっていた男性が98年に死亡した。三井造船は船舶の配管断熱材、関西電力は発電所の配管、変電所・倉庫の吸音材にそれぞれ石綿を使っていた。
今後、周辺住民や退職者、家族の健康被害が増えれば、訴訟などを通じて過去の使用方法など対策が適切だったかどうか問われる可能性もある。実際、建材メーカーのエーアンドエーマテリアルは過去に、遺族から訴訟を起こされ和解金を支払ったという。
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中皮腫 ▽…肺を包む胸膜などの表面を覆う中皮にできるがんの一種。原因の大半は石綿吸引とされる。通常石綿を吸い込んでから30-40年後に発症。初期症状は軽い息切れと運動能力の低下で、次第に呼吸がより苦しくなり、呼吸不全を起こす。決め手となる治療法はなく、確定診断後、1,2年で死亡することが多い。 ▽…中皮腫は4種類あるアスベストの中でも、飛び散りやすい「青石綿」を吸い込んだ時に起きる例が一般的。微量でも発症する可能性がある。日本では1995年に毒性の高い青石綿と茶石綿の使用が全面禁止されたが、石綿を原因とする労災認定は1999年度に20件を突破、2002年度に55件、03年度には83件と急増している。
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石綿 遅すぎた禁止
WHO危険断定の15年後 縦割り行政動けず
アスベスト(石綿)被害の拡大は、日本政府の対応の遅れが一因だ。石綿の使用を所管する厚生労働省(旧労働省)が本格的に禁止を始めたのは、世界保健機関(WHO)が危険性を断定してから15年後。石綿の輸入を管轄する経済産業省は「当時の労働省が規制しない限り早期の輸入制限はできなかった」と主張し、縦割り行政の弊害も浮き彫りになっている。
国際労働機関(ILO)が石綿の発がん性を指摘したのは1970年代初め。WHOも80年に石綿を発がん性物質と断定し、吸引してから30年前後で中皮腫を発症する危険性は世界的に指摘されていた。しかし日本は厚労省が75年に天井などへの吹き付けを禁止したものの、最終的に使用を禁止したのは昨年。
厚労省もWHOなどの指摘を受けた当時から危険性を認識し、「労働者の安全確保のためには全面禁止に持ち込みたい考えはあった」(厚労省化学物質対策課)という。だが使用を禁止して長期的な健康被害を防ぐより、住宅建材などに使う代替品の安全性や強度が保証されなければ石綿の使用はやむを得ないという考え方が前面に出た結果、石綿の全面的な規制は先送りされた。
産業界も石綿製品で工場の爆発事故や住宅火災を防げるとの認識があり、「企業から使用したいとの要望が強かった」(同対策課)。労働者が石綿を吸い込まないよう防じんマスクの着用や飛散防止対策を義務づけるなどの規制下で使用を認めるのであれば、「当時の状況では問題ないと判断した」と厚労省幹部は話す。
一方、経産省が毒性の強い石綿について、貿易を規制する外為法上の「輸入割当品」に規定して輸入を制限したのは95年。これはあくまで旧労働省の使用禁止を受けての措置だった。関税貿易一般協定(ガット)が一方的な輸入制限を規制していることを理由に、経産省は「国内で取引規制がされていない物品の制輸人禁止はできなかった」(貿易管理課)と後手に回った経緯を説明する。
クボタ社長に聞く
見舞金に独自基準
アスベスト(石綿)問題は、クボタが社員らの被害状況や死者数を公表したことをきっかけに情報開示が相次いでいる。同社の幡掛大輔社長に経緯などを聞いた。
ー 石綿被害の詳細を公表した経緯は。
「1978年に社員が初めて石綿が原因と思われる病気で死亡して以降、石綿を使わない製品開発を進め、労災認定後の上積み補償制度を設けるなど対策に取り組んできた。ただ今年4月に工場周辺に中皮腫で苦しんでいる患者さんがいると聞いて驚き、社員の被害実態も含め情報を公開すべきだと判断した。社会的責任を果たすべきだと考え、見舞金も支払った」
ー 石綿を使った操業環境に問題があったと認めるのか。
「そうではない。因果関係は認められていないが、結論が出るまで待っていては責任を果たせない。法律に反する操業があったわけではない」
ー 社内外の被害者への支援で何ができる。
「病院での検診に対する経済的支援を実施したり、社内の被害データを公開して治療に役立ててもらう。行政や関係企業が治療方法の研究や被害者救済を後押しする基金を創設することになれば協力していきたい」
ー 被害者らと株主の双方からの訴訟の可能性を抱える。
「周辺住民の被害者に今後も公平に対応するため、見舞金を支払う際の基準を明確にした。医師や弁護士、行政担当者と議論を重ね、居住地や期間、症状などをもとにした透明性の高いルールをつくった。(海外出張していた)先週、海外の投資家にも説明したが、おおむね好意的な評価だった。補償による損失などで株主に迷惑をかけるかもしれないが、ルールづくりなどが長期的には企業イメージの向上にもつながると確信している。理解してもらうため、説明責任を果たしていく」
日本経済新聞 2005/7/30
石綿不使用
87年に方針 省庁・官舎など国の建造物
一般の使用禁止は17年後
アスベスト(石綿)の健康被害問題で、建設省が各省庁の庁舎や公務員宿舎など国有建物の「建材の非石綿化を進める」方針を1987年9月に決定していたことが29日わかった。石綿の一般使用が原則全面禁止されたのは昨年10月。同方針は18年前に省庁が石綿の危険性を認識していたことを裏付けており、抜本対策に踏み切らなかった当時の政府の対応に批判が集まりそうだ。
建築物全般にあてはまる建設省所管の建築基準法の「告示」では、厚生労働省が石綿使用を全面禁止した昨年10月まで、石綿製品を耐火性建材として認め続けていた。
同方針を決めたのは、国有建物全般の発注を所管する旧建設省(現国土交通省)の官庁営繕部。「飛散性石綿は使用を禁止。石綿を含む成型品についても、順次石綿を含まない製品に切り替えていく」との内容だった。
同部は全国の旧地方建設局(現地方整備局)に通知、周知の徹底を図り、決定後の発注工事では「石綿を使用しない代替品を優先的に使用した」(国交省官庁営繕部)。国発注工事用に材料の品質や性能を示す「共通仕様書」から石綿製品が削除されたのは97年だったが、87年の方針決定後は同方針にもとづき、石綿製品の使用を実質的に排除していったという。
同部は霞が関の中央官庁の庁舎のみならず、各地方の国の出先機関や国家公務員宿舎などについての発注を担当。2005年度予算の発注総額は約650億円にのぼる。
この方針の決定について官庁営繕部は「当時は旧文部省が公立学校の石綿使用の実態調査に乗り出すなど、石綿が社会問題化。発注権限のある建物なら、非石綿化が可能と考えた」と説明している。
一方建築物の柱など骨格部分に一定の耐火性能を義務づける建築基準法では、昨年10月まで同法細則の「告示」のなかで「石綿スレート」など5種類の建材が示されていた。市町村などの「建築確認」では告示で示されている工法、建材を採用していれば「耐火性」を満たすと判断される。
国有の建物については「非石綿化」を推進する一方、建築基準法では石綿製品の有用性を認めていた点について、国交省は「通常使用している状態で有害性が確認できなければ、法律で規制できないという見解がある」(住宅局建築指導課)と説明。「旧建設省時代から物質の安全性を判断できるだけの能力はない」とした上で、「石綿について専門家であり知見のある旧労働省が禁止しなければ規制はできず、声を上げるのも難しかった」としている。
石綿を巡る政府の主な対応
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2005/8/5 日本経済新聞夕刊
アスベストに損保が免責特約 被害増を察知、「保険」かける
アスベスト(石綿)の健康被害を出した企業が、アスベスト被害を「免責」とする保険契約を結んでいた。米国での訴訟増大を懸念した損害保険各社が求めたもので、企業も潜在被害を承知していたことになる。企業も損保も、被害が出れば国の労災補償に頼る判断だったようだ。
免責特約を付けた時期は損保各社によって異なり,1980年代半ばから90年代にかけて。いずれも損保側の申し出による。損保が懸念したのは、米国でのアスベスト訴訟の増大だった。米国でのアスベスト訴訟は70年代後半から急増。これまでに約8400社の企業が被告となり、2002年までに支払われた賠償金などの総額は700億ドルに達するという。
賠償額の大きさに70社以上の企業が倒産、保険会社も保険金支払額の増加などで経営悪化したところが少なくない。日本の損保も米市場の再保険で損失を被った例がある。そこで損保各社は米国を「他山の石」として、日本ではアスベスト被害が出ても保険の賠償対象としない特約条項を付けたわけだ。
米国の労災補償はアスベストのような職業疾患には補てん制限額を設けているほか、労災認定を受けると使用者を訴える権利を失うなどの理由から、被害者は労災認定より企業に賠償を求める不法行為訴訟を選ぶケースが多い。賠償保険は本来そうした企業向けだが、あまりの被害の広がりに機能不全に陥っている。
日本の損保にすれば、自らの事業のリスク対策を講じたことになる。問題は、そうした企業と保険会社の契約が従業員に十分知らされていたかという点と、労災は従業員の健康被害を補償しても、家族や周辺住民はカバーできないという点だ。しかも年齢ごとに支給額の上限がある。例えば、50歳代前半の従業員が死亡し、受給者が妻一人なら、一時金を含む支給金は最高で1千万円を少し上回るだけ。
被害が多発する企業は賠償金支払いで行き詰まる可能性もある。だからこそ企業の賠償力を担保する民間保険に意味がある。米国を他山の石とするなら、土壌汚染賠償責任保険や浄化費用保険のように、企業の早期対策を促すようなアスベスト用の保険を新たに開発する工夫もできたはずだ。
損保各社は企業の社会的責任(CSR)への取り組みに積極的。だが、売り物のCSR報告書で"アスベスト免責”を情報開示しているところはない。損保の担当者は「契約は代理店を通じるので、免責自体も契約者企業に伝わったかは不明」とも打ち明ける。
アスベスト倒産の相次ぐ米国では、民間拠出を元にした補償基金などを盛り込んだ被害補償法案が上院に上程中。基金の大口出し手は、当該企業と保険会社。日本の損保は同法案の行方も気になるようだ。
アスベスト被害で解散企業の責任負担 住友大阪セメント
兵庫県尼崎市に73年まであったアスベスト(石綿)建材会社「関西スレート」(01年解散)の工場近くで幼少期を過ごし、石綿が原因とされる中皮腫(ちゅうひしゅ)になった女性(45)に対して、同社に後から資本参加した「住友大阪セメント」(本社・東京都)が19日までに、見舞金200万円を支払うことを決めた。資本参加前の会社による健康被害について見舞金を出す例は珍しい。石綿関連企業では解散や合併しているケースが多く、今後各地での企業側の救済策にも影響を与えそうだ。
女性を支援している「尼崎労働者安全衛生センター」が7月、住友大阪セメントに救済を求めていた。
同センターによると、女性の両親は関西スレートに勤務。このため、女性は13歳までの約10年間、工場向かいの社宅で生活していた。工場建物隣の石綿スレート置き場は子どもたちの遊び場となっており、女性もよく遊んでいたという。
女性は03年に、胸膜中皮腫と診断された。同年9月に右肺を摘出したが、今年3月になってリンパ節などへの転移が見つかり再入院した。現在は自宅で療養している。
関西スレートは73年に同県加古川市に移転。78年になって旧・大阪セメント(現在の住友大阪セメント)が資本参加し、「ダイスレ工業」に社名を変えた。だが、経営不振で00年12月に工場を閉鎖、01年3月に会社は解散した。
住友大阪セメントは18日、見舞金として女性に200万円を支払うことを尼崎労働者安全衛生センターに伝えた。同社は今月半ば、関西スレートの元従業員とその家族が石綿を吸い込んで中皮腫を発症した場合には見舞金として、死亡した場合には弔慰金として200万円を支払う、とする基準を設けたという。同社は「当社の子会社となる前の話で法的責任はないが、当時の従業員の家族という縁もあったことを考慮した」(広報グループ)としており、一般の周辺住民は対象としていない。
石綿関連工場の周辺住民への健康被害については、クボタが200万円の見舞金や弔慰金の支払いを決めている。
クボタ、石綿被害者に最高4600万円
兵庫県尼崎市の大手機械メーカー「クボタ」旧神崎工場の周辺住民に石綿(アスベスト)による健康被害が広がっている問題で、同社と「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」などの患者・支援団体とが補償内容について合意し、クボタが17日午後、発表した。
工場から1キロ圏内に居住・勤務歴がある人で、中皮腫や肺がんになった患者・遺族に4600万円〜2500万円を救済金として支払う。そのほかの救済策は、クボタと患者支援団体が代表者を出し合う協議機関で話し合いを続ける、が主な内容。まず、これまで一律200万円の見舞金・弔慰金を認められた88人を対象に、総額32億1700万円を支払う。
クボタは「同社が原因とは特定できていないが、とする根拠は見いだせないが、石綿が飛散しなかったとは言い切れず、社会的責任から救済策に踏み切った」としている。患者を支援してきた「関西労働者安全センター」の片岡明彦事務局次長は「被害者側も納得できる内容だ」と話している。
クボタ側はこれまで「道義的責任」を理由に周辺住民らに200万円の見舞金・弔慰金を支払ってきた。一方で、労災認定を受けた従業員が在職中に死亡した場合は労災給付に加えて最高3200万円の上積み補償をしており、被害者側は「工場の壁一つを隔てるだけで同じ被害者に差を付けるのはおかしい」と訴えてきた。
クボタの幡掛大輔社長と患者や遺族らは昨年末に兵庫県尼崎市内で初めて話し合いの場につき、クボタ側は「石綿が飛散しなかったとは言い切れない」と責任を認め、謝罪。条件を詰める協議を続けていた。
アスベスト:釜山でも中皮腫多発 ニチアス合弁跡地で
耐火材メーカーのニチアス(本社・東京都港区、旧日本アスベスト)が出資して1971年、韓国釜山市に設立した石綿工場の跡地周辺で、石綿がんの中皮腫が多発していることが分かった。発症率は、他地域の10倍に達している。中皮腫の潜伏期間は30〜50年とされており、今後の被害拡大が懸念される。工場では石綿の中でも毒性が強い青石綿が使われたが、工場の設立はニチアスが国内での青石綿の使用をやめた時期とほぼ一致しており、「公害輸出だった」との指摘も出ている。
調査を行った国立釜山大学医学部のカン・トンムク准教授(予防職業医学)は23、24両日、横浜で開かれる国際アスベスト会議で発表する。
カン准教授は、97〜06年の釜山市内の4大学病院の記録などをもとに中皮腫発症の記録を調査。石綿織物工場「第一化学」が69〜92年に操業した釜山市役所近くの跡地の半径2キロ以内では、11人が発症し、100万人当たりの発症率は年間3.07人に達した。工場が近くにない非暴露地域では同年間0.30人にとどまっており、同工場周辺の相対危険度は10.3倍に達した。
ニチアスの社史など複数の資料によると、社員を派遣するなどして現地で71年に技術、資本援助して合弁会社「第一アスベスト」を設立し、石綿布を生産した。一方、ニチアスの国内4工場はいずれも71年に青石綿の使用を中止した。71年には「特定化学物質等障害予防規則」が施行され、石綿粉じんの排気装置の基準が定められた。
現地の工場に71年に入社したパク・ヨンクさん(52)は一緒に働いていた妻(当時38歳)を石綿肺で亡くした。パクさんは毎日新聞の取材に「当時、保護のため日本語の雑誌がすき間にはめ込まれた中古の石綿紡織機が運び込まれ、日本人技術者も来た。やがて青石綿が使用されるようになり、日本に輸出された」と証言している。
ニチアスは、詳しい経緯や中皮腫多発について「今の段階ではなんとも申し上げる材料がない」と話している。