2002/12/11 ニチメン/日商岩井

ニチメンと日商岩井の経営統合について

 本日、ニチメン株式会社(以下、ニチメン)と、日商岩井株式会社(以下、日商岩井)は、株主の承認と関係当局の認可を前提として、株式移転により、両社の完全親会社となる持株会社を設立し、その傘下で経営統合を行うことについて基本合意いたしましたので、下記のとおりお知らせします。

1.統合の趣旨

 ニチメンと日商岩井は、以下の目的で一致し、対等の立場で経営統合を行うことで基本合意にいたりました。

(1) 個々の中核事業領域において、収益性・成長性の向上を絶えず追求することにより、それぞれの業界・市場においてトップクラスの競争力と収益力を持つ事業の集合体を目指す。
(2) 環境の変化や市場のグローバルな拡大に対して能動的に挑戦し、起業を通じて、常に新しい事業領域の開拓に努める「革新的な商社」の構築を目指す。
(3) 多様な顧客のビジネスパートナーとして、深化したサービスを提供できる機能型商社を目指す。
今日の経営環境は、日本経済の長期低迷、デフレの進行、信用収縮などにより厳しさを増しております。両社は、経営統合によって、事業シナジーの追求による収益力の拡大を図るとともに、統合による合理化と効率経営の追求、ならびにエクイティファイナンスの実施によって営業・財務基盤を強化し、変化を先取する対応を行います。

2.統合の概要

(1)統合のスキームおよびスケジュール

  平成15年2月下旬に開催予定の臨時株主総会の承認と関係当局の認可を前提に、下記のスキームとスケジュールで、経営統合を行います。
   
  1) 平成15年4月を目処に、両社は株式移転により持株会社を設立し、両社はその完全子会社として、持株会社の傘下に入ります。
  2) 持株会社の設立後、グループ経営資源を有効に活用するために、平成16年3月末までに、重複した機能や事業領域を持つ両社の組織および子会社を再編・統廃合いたします。特に職能(非営業)組織および職能子会社については、迅速に再編・統廃合することによって、早急に合理化効果を実現します。
  3) 平成16年3月末を目処に、両社本体事業と子会社の再編・統廃合を完了し、早期に統合効果が発揮できる体制とします。
   
(2)持株会社の概要
  商号、本店所在地、代表者、経営体制、資本金などの基本事項は、今後、両社協議の上、決定いたします。
     
(3)持株会社のガバナンス強化と、経営の透明性の向上
  グループ経営の透明性を高めるとともに、ガバナンス体制を強化する目的で、社外取締役の招聘を検討いたします。
     
(4)株式移転比率
  持株会社の設立にあたって、ニチメン、日商岩井各々の株式1株に対して割り当てられる持株会社の株式数は、外部機関の評価を踏まえて、今後、両社協議の上、決定いたします。
     
(5)持株会社の上場申請
  持株会社は、平成15年3月下旬に、東京証券取引所および大阪証券取引所などに新規上場申請を行うことを予定しております。また、持株会社の上場に伴い、ニチメンおよび日商岩井は上場廃止となる予定です。

3.統合の効果

(1)相互補完関係とシナジー効果
  両社の事業内容を比較・分析の結果、事業の競合や取引先の重複が少なく、十分な補完効果があることから、両社単純合算の売上総利益は、統合後もそのまま維持することが可能であると判断しております。さらに、統合によって、両社がこれまで培った顧客基盤、販売チャネルのネットワークに、両社が持つ商品群および機能を効果的に組み合わせるシナジー効果によって売上総利益の拡大が見込めます。
   
(2)合理化効果
  両社の統合によって、職能組織を中心に徹底したスリム化と、重複する機能を持つ子会社、内外ネットワーク、経営インフラの徹底した合理化・効率化によって、販売管理費を大幅に削減し、営業利益の拡大を追求いたします。具体的には、連結ベースでの人員を約17,000人(平成15年3月末見込:約21,000人)、連結子会社を約300社(平成15年3月末見込:約430社)にスリム化・集約化することなどにより、統合効果として、販売管理費を800億円削減することを見込んでおります。
(注)平成15年3月末の見込は、移管を予定している鉄鋼関係の人員・連結子会社を除外した数値
                                                                        
(3)バランスが取れた事業ポートフォリオと重点政策
  両社の事業は競合が少ないことにより、統合後の収益構造は、事業・地域両方のセグメントでバランスがとれたものとなります。その利点を活かし、広く張り巡らせたネットワークからの情報をベースとして、重点事業・地域に経営資源を傾斜配分することにより収益の拡大が見込めます。

4.財務目標

 5年以内に、下記の財務目標の達成を目指します。

  経常利益     :1,000億円以上
  ネット有利子負債:2兆円以下
  ネットDER     :5倍以下

 持株会社設立後の早い時期に、グループの財務基盤を強化する目的で、内外投資家を幅広く募ったエクイティファイナンスを実施します。


5.統合推進体制

 経営および業務の統合を迅速かつ円滑に推進し、統合目的を速やかに達成するため、両社社長をトップとする統合推進会議と、その下部組織である統合推進委員会を設立します。

6.今後の予定

平成15年1月下旬 :株式移転契約を含む経営統合に関する最終合意書を両社の取締役会にて 決議(株式移転比率、持株会社の概要などを決定)
平成15年2月下旬 :株式移転を議案とする両社の臨時株主総会を開催
                 
平成15年3月下旬
〜4月上旬
:ニチメンおよび日商岩井の上場廃止、持株会社の新規上場・設立登記

7.その他

 株式移転比率、持株会社の概要、ニチメンおよび日商岩井の上場廃止予定日、持株会社の上場予定日などは、決定次第、お知らせいたします。

 


 


日商岩井の歩み   http://www.nisshoiwai.co.jp/ni/j/index2.html  

  日商 岩井
創業期(1900 年頃)
明治維新(1868年)以後、政府はヨーロッパの商習慣や市場の研究を奨励し、積極的な産業振興に努めました。進取の気性と起業家精神に富む鈴木岩治郎や岩井文助には、無限のチャンスが到来します。
1902年、鈴木岩治郎は神戸に「鈴木商店」を設立。大番頭、金子直吉の采配のもと、砂糖貿易商として世界的な拠点網を確立するとともに、製糖・製粉・製鋼・タバコ・ビールなどの事業を展開します。さらに、保険・海運・造船などの分野にも進出し、ロンドン・バルティック取引所(世界有数の船舶物資取引所)で、日本企業として2番目のメンバーとなります。 一方、鉄鋼産業の幕開け(1901年)に伴い、岩井文助は1912年、「岩井商店」を発足。鉄鋼商社として急成長を遂げ、国内でもトップクラスの地位を築きます。
第2次世界大戦前 「鈴木商店」は穀物取引において世界的な名声を獲得するまでになり、当時の小説に「スエズ運河を航行する船舶の10隻に1隻は日本の鈴木に属すといわれ、そのシンボルマークは世界中の海で見ることができる」と記されたほど隆盛をきわめます。その後、金融恐慌期の苦難を経て、1928年、「日商株式会社」を新たに設立。
また「岩井商店」はダイセル化学工業・日新製鋼・徳山曹達・関西ペイント・富士写真フイルムなど、現在、各分野のリーディングカンパニーとして活躍する会社を次々に設立し、グループ企業を形成していきます。こうした関係は、一貫して現在の日商岩井の強力な基盤に継承されています。1943年、「岩井産業株式会社」と改称
戦後〜1970年代 戦後から1950年代にかけて、「日商」と「岩井産業」はそれぞれ金属・機械部門を中心に取引を拡大。重工業の発展に伴い、一層の基盤強化を実現します。さらに、1952年には「日商アメリカ株式会社」を設立するなど、海外拠点網の構築を開始します。
1960年代、日本経済の奇跡的な成長に資源・原材料を提供することで社会的役割を果たした両社は、同時に流通・消費財物資の分野にも進出。
事業目的の一致をみた両社は、
1968年10月に合併。「日商岩井株式会社」として新たなスタートを切り、より多くの資産と、より緊密なネットワークを背景に、より広範な営業活動を展開します。

ニチメン http://www.nichimen.co.jp/corp/roots.html 

明治維新以後、いわゆる文明開化の風潮にのって、海外から綿糸や綿布が大量に輸入されたため、当時のわが国の貿易は入超つづきであった。

そこで政府は、明治11年(1878年)ごろから、設備近代化による紡績の振興をはかったため、紡績の生産規模は一躍増大しわが国の基幹産業の一角を占めるようになった。一方原料の国産綿花はその需要をまかないきれず、いきおい原料を海外に求めざるをえなくなっていた。しかも品質においても外国産の方が有利であったため、まず中国綿が、次にインド綿が、その後はより良質のアメリカ綿が輸入されるようになった。

しかしながら、当時、綿花の輸入業者は一社のみで、あとはいわゆる外商にたよるほかなかった。海外からの情報が不足していた当時のこと、外商の中にはいわゆる「商館風」を吹かせ暴利をむさぼる者もいて、まだ発展途上にあった紡績業界に深刻な状況をもたらした。このころ大阪の紡績会社の有志たちが、かかる情勢に危機感を持ち、
綿花直輸入会社の設立にむけて動き出した。1891年10月、摂津紡績、平野紡績、尼崎紡績、天満紡績の4社の首脳陣を中心とした25人の発起人が名を連ね、「日本綿花株式会社」設立願いを大阪府知事に提出した。

1892年10月、大阪府知事から設立許可が下り、11月10日に設立総会を開催、初代社長に官僚出身の佐野常樹(当時38歳)を選出、事務所を大阪市西区靱北通4丁目に開設(現在の大阪本社の所在地 大阪市北区中之島2丁目は3代目にあたる。)し、ここに
ニチメンの前身である「日本綿花株式会社」が誕生した。

1943 社名を「日綿實業株式会社」に改称
1982 社名を「ニチメン株式会社」に改称


Chemnet Tokyo 2003/7/16

蝶理の「事業再構築計画」認定、経産省

 経産省は、蝶理から提出された「事業再構築計画」を、産業活力再生特別措置法に基づく再構築計画として15日付で認定した。
 
 同社は事業構造の変更として、100億円の増資を予定。旭化成、東レ、みずほコーポレート銀行、UFJ銀行、中央三井信託銀行が優先株を引き受ける。また、175億円の無償減資と、160億円の資本準備金・利益準備金のを使い欠損金にあてる。
 
 さらに事業革新として、中核的事業の競争力を強化するため、物流の円滑化、電子商取引の導入、業務プロセスの見直しなどに取り組む。これらの計画を実施することにより、2003年度には、従業員一人当たりの付加価値を前年度比12%向上させることが可能になる、としている。
 
 なお蝶理の資本金は、3月末現在190億7000万円、従業員数は626人(4月1日現在)。