日本経済新聞 2003/3/24 神戸医療産業都市特集

神戸 再生医療の中核 先端施設 相次ぎ始動

 再生医療を中核に新産業の集積を目指す「神戸医療産業都市」の整備が急ピッチで進んでいる。4月には中核施設の先端医療センターが本格オープン、企業や大学の進出も相次いでおり、神戸が先端医療の研究拠点として大きく浮上してきた。再生医療の産業化という次のステップを目指し、産学官の取り組みが活発になっている。

糖尿病などに的
 VB・大手32社進出

 700万人といわれる日本の糖尿病患者。発病の可能性が高い予備軍まで含めると約1400万人にも達する。失明や壊疽(えそ)など重い合併症を引き起こす、この病を克服する新たな治療法の研究が神戸で進んでいる。
 豪州バイオベンチャーの日本法人、ステムセルサイエンス(神戸市、中島憲三社長)はポートアイランドニ期地区の神戸国際ビジネスセンター(KIBC)に進出。発生・再生研と、血糖を抑えるインシュリンを生み出すべータ細胞を作るための研究に乗り出した。
 同社は様々な細胞や組織に成長する可能性のある胚(はい)性幹細胞(ES細胞)からべータ細胞など特定の細胞を分化させる技術に強みを持つ。マウスのべ−タ細胞の分化にほぼ成功。今後は人間のべ−タ細胞を作り出し、注射などにより体内へ移植する「細胞移植治療」の実現を目指す。
 糖尿病治療では2005年にも人間を対象にした治験を始める方針で、パーキンソン病の治療研究も視野に入れる。藤沢薬品工業に勤めた経験を持つ中島社長は「糖尿病もパーキンソン病も新たな治療薬開発に10年はかかるが、細胞移植治療の実用化はそんなに時間はかからない」と話す。
 KIBCには名古屋大学の上田実教授の研究成果を事業化するベンチャー企業のオステオジェネシス(神戸市、北川全社長)も拠点を置く。7人の研究者が歯槽骨再生の研究に取り組んでいる。
 歯槽骨再生には、骨髄から間葉系幹細胞を取り出し、骨を作り出す能力を持つ骨芽細胞に分化させることが必要だ。骨芽細胞を衰退した歯槽骨付近に埋め込み、歯槽骨を再生させる仕組み。ポーアイニ期に細胞培養センターを建設、フル稼働すれば年間で200人の患者に骨芽細胞を提供することが可能になる。北川社長は「2007年をめどに販売を開始したい」と言う。
 「新たな先端医療が生み出される揚所にビジネスチャンスが生まれる」と語るのはKIBCに進出したベンチャー企業、メディビック(東京)の橋本易周社長。同社は進出企業に多い実際の医療に携わる研究開発型企業ではない。ここに集積する企業が治験などで得たデータを整理、統合管理するのが仕事だ。
 現在、医薬品メーカーは個人の遺伝子特性に合わせた「テーラーメードの医薬品」開発にしのぎを削る。同社は治験などで得られた患者のデータと、その患者の遺伝子解析結果を整理する一定のフオーマットを医薬品メーカーに提供する。双方のデータが結びつけば、個々人の遺伝子の違いが薬効、副作用にどのように影響を及ぼすかがわかり、個々人に合わせた医薬品の開発に役に立つ。
 このほか、キリンビールが先端医療センターに進出、再生医療の研究に着手。東洋紡、日立製作所も進出を決め、遺伝子研究を進める計画だ。大企業の進出もここにきて相次ぎ、医療産業都市に進出する企業は全部で32社に達した。
 ただ、進出企業の大半は医療分野の研究が目的で、雇用効果は小さい。そもそも神戸市が医療産業に目を付けたのは雇用など経済波及効果の大きさだ。進出企業は順調に増えているものの、今後は医療用機器メーカーなど幅広い医療関連産業の集積が課題になる。

神戸医療産業都市への主な進出企業

社名 事業内容
トランスジェニック 遺伝子破壊マウス事業
オステオジェネシス 歯槽骨再生
メディピック 研究開発支援
ステムセルサイエンス 再生医療
朝日インテック 医療器具の開発・事業化
日本ベクトン・ディッキンソン 医療検査機器・試薬製造販売
キリンビール 再生・細胞医療
オリンパス光学工業 医療機器・再生医療
東洋紡 遺伝子・データ解析システム研究開発
日立製作所 遺伝子・情報解析

 

基礎研究と治験 結ぶ 
 「TRI」、解析に期待

 60床を備えた臨床棟が完成、4月に本格オープンする先端医療センター。オープンを前にロビーにはソファが運び込まれ、臨床棟には無菌病室も造られた。従来の医療機器棟での放射線治療に加え、今後は研究中の新治療法、新薬の効果を確かめる治験をはじめとする臨床研究のほか、最新鋭の医療機器や再生医学を活用したがんなどの治療が受けられる。

 センターの5階では血管再生の第一人者、浅原孝之・再生医療研究部長がジャズを聴きながら研究を進める。同氏は米タフツ大で研究生活を送っていた時に、皿管組織を作り出す血管前駆細胞の存在を確認したことで知られる。心臓内の衰えた血管を再生する場合、心臓にカテーテルを通して血管細胞を注入することが効果的と見られている。「国内で夏から秋にかけて治験を始める」と話しており、患者本人が望めば、治療を受けることが可能になる。
 同センター西側で一足先にオープンした理化学研究所の発生・再生科学総合研究センター(発生・再生研)。再生医療実現に向けた基礎研究が行われている。発生・再生研の一角にプラナリアという不思議な生き物がいる。体長1センチ程度で水田などに生育する.顕微鏡でみると三角頭に小さな目がユーモラスだ。
 プラナリアは細かく切り刻んでもそれぞれの部位が10日程度で完全な1匹の姿に再生する。その秘密は胚性幹細胞(ES細胞)にある。この細胞は体の様々な細胞に分化する能力を持つ。プラナリアは全細胞の2割がES細胞で体のいたるところにあるため、どの部分を切っても再生が可能だ。
 人間でもこのES細胞を使う再生医療の研究が進む。人間のES細胞を使えば、心臓の筋肉である心筋細胞を作り出し、心臓に心筋細胞を移植して心臓の衰えた部分を再生することもできる。
 ただ、体内に入れた細胞が目的外の細胞に分化すると、その部分ががんになる。再生医療の怖さだ。発生・再生研の阿形清和グループ・ディレクターは「現在の科学者はES細胞の分化を自在に操れない。ES細胞を自在に操って再生するプラナリアに学ぶことで、細胞移植に安全な細胞を作り出したい」と話す。
 同じ発生・再生研の笹井芳樹グループ・ディレクターはパーキンソン病の治療研究を進めている。治療にはドーパミン細胞を脳に移植する方法が選択肢の1つとして浮上している。現在、笹井氏はサルの同細胞作製に成功。3年程度で実際にサルに有効なのかを確認したいという。
 発生・再生研での基礎研究が新治療、新薬として実を結ぶには先端医療センターで臨床研究が必要。基礎研究と臨床研究を結びつける役目を果たすのが5月オープンのトランスレーショナルリサーチ・インフォマティクスセンター(TRI)だ。
 TRIは先端医療センターなどの臨床研究で得た膨大なデータをコンピューターを使って解析する。これにより、医薬品の物質と薬効、副作用の因果関係などが浮かび上がる。日本では基礎研究と臨床研究のつながりを狙った施設がほとんどなかっただけに医療関係者の注目度は高い。
 先端医療センター長の寺田雅昭氏は「先端医療というと医学者の実験場というイメージを持たれるかもしれないが、我々が目指すのは明日の標準治療」と指摘する。
 中核施設の相次ぐオープンで本格的に動き出した神戸医療産業都市。推進役の神戸市は、地域限定で規制緩和が認められる国の構造改革特区に申請、構想推進に弾みをつけたい考えだ。

 

バイオ関連 人材育成
 神戸大が拠点運営 大学発VB振興

 来年春、神戸市ポートアイランドニ期地区の先端医療センター北東にバイオ関連の研究・人材育成拠点が建設される。文部科学省の予算で整備されるが、実際の運営にあたるのは神戸大学だ。神戸大は医療産業都市構想に全面協力する方針を打ち出しており、ここを先端研究と大学発ベンチャー育成の拠点として活用する。
 施設は敷地面積約2千平方メートル、延べ床面積約3千平方メートルの四階建てで、研究・人材育成拠点と神戸大学インキュベーションセンターの2つで構成する。研究・人材育成拠点では神戸大をはじめ、京都大学、大阪大学などの教官も参加する「細胞・生体機能シミュレーションプロジェクト」など先端分野の研究が行われる。
 同拠点の特徴は研究に加え、人材育成にも力を入れること。大学や企業が参加し、先端医療の研究者だけでなく、研究成果の実用化・産業化を推進できる人材を育てる。医学、工学両分野の研究者による「医工連携」講座も開設、地元中小企業の医療産業参入を促すための研修や教育も実施する計画だ。
 インキュベーションセンターは、神戸大学の教官、学生による起業に向けた研究開発プロジェクトの実施や、起業間もない大学発ベンチャーを育成する拠点になる。神戸大には大学発ベンチヤーが16社あるが、このうち医療関連は5社。膠原病の治療薬を開発する塩沢俊一・医学部教授の「膠原病研究所」、千田廉・農学部助手らが設立した動物行動解析用ソフト開発の「ノベルテック」などがある。同センター開設で大学発ベンチャーの振興に弾みをつける考えだ。
 独立行政法人化を控え、大学の生き残り競争は激化する一方。研究資金獲得のため神戸大は産学連携に力を入れており、医療産業都市構想を連携強化の好機とみている。学内には構想への協力を検討する調査研究会やバイオサイエンス研究会も設置、医、工のほか、理、農など理系学部を総動員して協力体制を敷く。医療産業集積へ神戸大の果たす役割に大きな期待がかかっている。

 

診療 広域連携の動き
 早期がん治療に 副作用を少なく

 関西では各地で先端医療の研究・診療施設やバイオの産業クラスターの建設が進んでいる。再生医療を核にした医療産業都市構想に取り組む神戸との連携の可能性が広がってきた。
 世界最大級の大型放射光施設「SPring一8(スプリング・エイト)」がある播磨科学公園都市。中核施設の一つの兵庫県立粒子線医療センタ一(同県新宮町)では4月から、がんの病巣を狙い撃ちすることで副作用を少なくする陽子線治療の一般診療が始まる。国立がんセンター東病院(千葉県柏市)に次いで全国で二番目、西日本では初めての試みだ。
 陽子線治療は放射線治療の一種。従来の放射線治療ではエックス線の量が体の表面で最大になるため、他の健康な細胞を傷つける副作用があった。陽子線治療では、がん細胞に絞って陽子線を照射できるため、周辺の細胞を傷つけずにがん病巣の治療ができる。
 神戸の先端医療センターでは、ごく小さながんの発見も可能な陽電子放射断層撮影装置(PET)を使った検査が始まっている。兵庫県の担当者は「早期がんを治療できる粒子線センターとの相乗効果が期待できる」と話す。
 先端医療やバイオ研究など優れた研究開発能力を持つ地域を育成するため、文部科学省は神戸市の「再生医療」や大阪府の「彩都バイオメディカルクラスター」など全国15地域、13クラスターを「知的クラスター」に採択している。
 彩都は大阪府北部の茨木市などにまたがる丘陵地に位置する。最も都心に近い「西部地区」は2004年春に街開きする予定。大阪大学や大阪大病院、国立循環器病センターなどに近く、バイオベンチヤー企業の誘致に取り組む。
 大阪府は昨年、大阪大、武田薬品工業など医薬品メーカーと連携して産学官組織「彩都知的クラスター本部」を設立、大阪大と医薬品メーカーをつなぐ科学技術コーディネーターを彩都内に常勤させるとともに、技術移転機関(TLO)の大阪TLOとの連携などを通じ支援体制を整え、遺伝子情報利用などを利用した新薬開発を目指す。
 彩都と神戸の両クラスターは連携して「関西広域クラスター」を形成、両地域の特性や個性を生かしながら、技術促進やバイオベンチャー企業の創出などに取り組もうとしている。

 

中小、新産業に挑む
 「機械金属」で新製品 神戸市は開発費補助

 神戸の中小企業が医療産業都市構想をチャンスととらえ、新分野に挑んでいる。機械・金属加工の中小企業は大半が神戸製鋼所、三菱重工業、川崎重工業など重厚長大型大企業の下請け。長引く不況で受注が減っているが、医療関連産業参入で活路を開く考えだ。
 神戸市機械金属工業会は医療用機器開発研究会を発足させ、同分野参入に取り組んできた。当初研究会に参加する企業は約30社だったが、現在は70社を超える。産業用機械部品の山城機工(神戸市)、機械部品切削加工のトヨタセイキ工業(同)など4社はオープン型磁気共鳴画像装置(MRI)向けの手術器具を開発、近く販売に乗り出す。
 また、工業会は先端医療センター、発生・再生研、京大などが進める再生医療を利用したパーキンソン病治療の研究事業にも参加。会員企業2社が治療に必要な脳外科手術用の脳定位固定装置の開発に着手した。
 神戸市も中小企業の医療産業進出を積極的に後押ししており、研究開発費を補助する制度を新設。この制度を活用して機械部品のマツキ(神戸市)が陽電子放射断層撮影装置(PET)の画像を鮮明にする放射線シールド装置を開発。永光産業(兵庫県加古川市)は手術用照明装置の商品化、神港精機(神戸市)もプラズマ重合膜を医療分野に応用する研究開発に取り組んでいる。
 これらの企業は下請け業務が主力なため、自社で独自商品を開発・販売した実績が少ない。このため研究会のメンバー企業が共同出資で販売会社を設立、販路開拓をする計画だ。医療産業都市構想は地元企業に大きな刺激を与え、地域の新産業創造に大きな役割を果たそうとしている。

 

再生医療の現状と課題
 細胞の供給体制 整備 関西の機関 研究の核に

 21世紀の医療の柱は3つある。「統合」「個」「再生」である。
 現在、医学研究はヒトゲノム(人間の全遺伝情報)の解読とその応用に力点が置かれている。しかし、人間の遺伝情報だけでは病気の手がかりは得られるものの、治療することは難しい。遺伝情報だけをみるのではなく、人間全体を見た医療に取り組まなければならない。「統合」の意味はそこにある。漢方に代表される東洋医学がそのイメージに近い。
 「個」は一人ひとりの生活環境や体質に合わせた医療である。これまでの既製服型ではなく、仕立て服型のテーラーメード医療の確立である。ゲノム医療によって可能になるだろう。
 そして「再生」。失われた体の機能を(自分の)細胞・組織を使って回復することである。 人をはじめ高等生物では、もっている再生能力を超えて組織や臓器を修復することは不可能と考えられていた。だが、細胞や組織を生物学的、工学的に制御することにより可能になった。
 この再生医療が離陸期を迎えようとしている。
 対象になる組織・臓器も皮膚や顎(がく)関節をはじめ、骨、心筋、血管など多岐にわたる。大学や公的研究機関だけではなく、産業界の取り組みも盛んだ。再生医療が伸びるための条件は色々あるが、中でも重要なのは基盤整備。その最大のものは細胞・組織供給システムづくりである。
 失われた組織や臓器を再生する元になるのは、幹細胞と呼ばれるものである。血液や骨髄細胞も再生医療に欠かせない。こうした細胞などを収集・保存し、求めに応じて供給する細胞バンクが必要になってくる。
 すでに米国では、非営利の遺伝子資源管理組織であるATCCの中に細胞を系統的に収集・保存するNSCRという機関が稼働している。
 また、英国は2002年9月に公的な幹細胞バンクの設立を発表。中国も幹細胞バンクづくりを進める計画を表明している。日本では2003年度から、文部科学省が資金を出し、京都大学や慶応義塾大学などが中心になってヒト幹細胞バンクの整備がスタートする。
 細胞・組織供給システムづくりでは、まず必要な細胞を安定的に供給する体制を作ることが重要だ。一方、細胞・組織を集めるに際して社会の納得が前提になる。バンクに入る細胞の元になるものの中には手術で摘出した臓器・組織や胎盤、人工授精余剰卵など微妙な問題をもっているものが少なくない。再生医療の利害得失を十分説明し、人々の納得を得なければ再生医療の進展は望めない。
 このほか、知的財産としての扱いやベンチャー育成など課題は多い。
 今はよちよち歩きの段階だが、再生医療技術は医療のあり方を根本的に変える力を持つ。米国では300社とも400社とも言われる多数の再生医療ベンチャー企業が活動し、培養皮膚をはじめ軟骨などを商業べ−スで供給している。欧州も同様に産業化に力を入れる。
 日本でも国のミレニアム・プロジェクトの一つに再生医療が取り上げられ、研究開発が進む。その拠点が神戸を中心にした関西である。理化学研究所の発生・再生科学総合研究センター、京都大学再生医科学研究所、産業技術総合研究所のティッシュエンジニアリング研究センターといった研究機関が、日本の再生医療の核になると期待を集めている。