2003/4/24 理化学研究所 論争
半世紀ぶりの新種ビタミンPQQ(ピロロキノリンキノン)
理化学研究所(小林俊一理事長)は、ピロロキノリンキノンと呼ばれる物質が新種のビタミンとして機能していることを世界で初めて解明しました。理研脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)精神疾患動態研究チーム(加藤忠史チームリーダー)の笠原和起基礎科学特別研究員らによる成果です。
ビタミンは、健康を維持する上で微量ではあるが必須の物質で、体内で作り出せないために食物から摂取しなければいけません。ビタミンは体内において、特定の酵素と結合して酵素が正常に働けるように補助します。世界で最初のビタミン(現在のビタミンB1)が鈴木梅太郎博士(東京帝国大学、のちに理研)によって1910年に発見されて以来、1948年に見つかったビタミンB12まで、13種類のビタミン物質がこれまでに同定されています。ピロロキノリンキノン(pyrroloquinoline
quinone;PQQ)は1979年に見つかった物質で、PQQを含まない餌をネズミに与えると生育不良や皮膚がもろくなるなどの異常が観察され、栄養学的な知見からビタミンの候補として考えられてきました。しかし、体内でどのような役割を担っているのか、つまりどのような酵素と結びついているのかが謎のために、ビタミンとして認められていませんでした。
本研究では、哺乳類においてはじめて、PQQを利用する酵素を見出しました。その酵素は、必須アミノ酸であるリジンの分解に関わっており、正常に働くためにはPQQが必要であることが判明しました。この新しいビタミンPQQは、健康的な生活をおくる上で重要であり、特に医療の分野において今後大きく寄与すると期待されます。
本研究成果は、英国の科学雑誌『Nature』(4月24日号)に掲載されます。
1.背景
ピロロキノリンキノン(pyrroloquinoline
quinone; PQQ)は、ニコチンアミド(ピリジンヌクレオチド)とフラビンに次ぐ3番目の酸化還元補酵素※1として細菌から見つかった有機分子です(図1)。PQQを含まない餌を与えたマウスは、成長が悪く、皮膚がもろくなり、また繁殖能力が減少するなどの異常を示し、哺乳類にとって重要な栄養素のひとつではないかと考えられてきました。しかし、生体内における生化学的な役割が不明のためにビタミンとして認識されることはありませんでした。
研究チームは、躁うつ病(双極性障害)に関わる遺伝子をクローニングする過程で、必須アミノ酸のひとつであるリジンの分解に関わる新しい遺伝子を見つけました。動物の体内でリジンはおもに、2-アミノアジピン酸
6-セミアルデヒド(AAS)に分解され、さらに2-アミノアジピン酸(AAA)に酸化されます(図2)。AASがAAAに酸化される反応を触媒するAAS脱水素酵素の遺伝子はこれまで見つかっていませんでした。今回、AAS脱水素酵素の遺伝子を見出したことがビタミンPQQの同定につながりました。
※1 酸化還元補酵素
アミノ酸がつながったタンパク質だけでは、酸化還元反応を触媒することが難しいために、酸化還元に関わる多くの酵素は反応を補助してくれる有機分子を利用しており、それを酸化還元補酵素という。
図1 ピロロキノリンキノンの分子構造
図2 動物のリジン分解経路の初期過程リジンは、アミノアジピン酸セミアルデヒド(AAS)にAAS合成酵素(AASS)によっていったん酸化された後、さらにAAS脱水素酵素(AASDH)によって酸化される。
この2番目のステップにおいて、PQQが酸化還元補酵素として機能する。
2.PQQを利用する酵素「AAS脱水素酵素」
クローニングした遺伝子からタンパク質の一次構造を推測したところ、AAS脱水素酵素の前半部分(N末端側)にはアミノ酸を捕捉するための構造があり、後半部分(C末端側)には「PQQ結合配列」が7つ連続して存在していました(図3)。PQQ結合配列は、さまざまな細菌のPQQ依存性脱水素酵素に共通して見つかる構造です。細菌のPQQ依存性脱水素酵素においても6〜8回の連続したPQQ結合配列が必ず存在しており、この連続した構造によってPQQと結合していると考えられています。この特徴的な構造がマウスのAAS脱水素酵素に見つかったことから、AAS脱水素酵素は哺乳類において初めてPQQを利用する酵素ではないかと考えられました。その後の解析から、PQQ結合モチーフを持つAAS脱水素酵素の遺伝子は、ヒトを初めとする哺乳類だけではなく、その他の脊椎動物、無脊椎動物(昆虫のハエ)、さらにはイネなどの高等植物にも広く存在していることがわかりました。
図3 アミノアジピン酸セミアルデヒド脱水素酵素の構造
マウスの場合は1,100アミノ酸残基からなるタンパク質。N末端側に基質と結合するための構造(ピンク色で表示)があり、C末端側にPQQ結合配列(水色)の7回の繰り返し構造がある。この部分でPQQと結び付くと考えられる。
3.PQQ欠乏マウス
PQQを含まない餌をマウスに与えるという実験を行い、リジン分解におけるPQQの重要性を調べました。これまでの報告どおり、PQQ欠乏マウスは、繁殖能力が低く、また毛並みが悪いなどの異常が観察されました。血液中のリジンとAAAの量を測定した結果、PQQ欠乏マウスでは、PQQを含む餌(餌1gあたり約900ngのPQQを含む)を与えたマウスと比べると、AAAの量が有意に減少していました。AAS脱水素酵素の反応産物であるAAAの量がPQQ欠乏マウスで少なかったという結果から、PQQがAAS脱水素酵素の酸化還元補酵素として働いていることが示唆されました。
4.新しいビタミンとしての今後の期待
今回、PQQの生化学的な役割を明らかにした研究成果をもって、PQQは動物にとってビタミンであることがはじめて確定したと考えられます。すでに知られている酸化還元補酵素であるニコチンアミドとフラビンは、それぞれビタミンB3(ナイアシン)とビタミンB2(リボフラビン)として私たちは摂取しなければいけません。PQQも、その分子構造※2と酸化還元補酵素としての役割から、ビタミンB群に属するビタミン※3であると考えられます。PQQは、さまざまな植物(野菜)や動物(肉類)に微量に含まれていることが知られており、特にお茶や納豆、果実に比較的多く含まれています(表1)。現在、医療用のビタミン剤(経口剤・注射剤)や栄養補助食品(サプリメント)のマルチビタミンには、PQQは添加されていません。PQQ欠乏状態の人がいるかどうかは今のところ不明ですが、新しいビタミンPQQの認識が広がると同時に、ビタミン剤として多様な応用が期待されます。
※2 PQQの分子構造
カルボキシル基が3つあるために水溶性である。また、ビタミンB2(リボフラビン)と同様にキノン骨格を持ち(図1で示した構造図では右下の部分)、左側の部分はビタミンB6に類似した化学特性を持つ。
※3 ビタミンB群
歴史的にはラットの発達に必須の水溶性物質をビタミンBと呼んだが、その中にさまざまな作用を示す複数の物質が含まれていることが明らかになり、ビタミンB複合体と呼ばれるようになった。そこから単離された化合物群をビタミンB群という。具体的には、チアミン(B1)、リボフラビン(B2)、ナイアシン(B3)、パントテン酸(B5)、ピリドキシン(B6)、葉酸、ビオチン、コバラミン(B12)が含まれる(表2)。PQQがかつてのビタミンB複合体に含まれていた可能性もあるがそれを示すデータはない上に、「ビタミンB+数字」という名称よりも物質名を使う傾向にあるため、葉酸やビオチンのようにPQQも化合物名で呼ばれるべきであろう。
三菱ガス化学、補酵素PQQのビタミン用途の開発を加速
http://www.mgc.co.jp/news/2003/030924.pdf
三菱ガス化学株式会社(本社:東京、社長:小高英紀、以下MGCと略す)は、14番目のビタミンであるピロロキノリンキノン(以下PQQと略す)の研究開発を加速します。
PQQは、生体のエネルギー獲得系において必須な酸化還元酵素の補酵素の一つで、1979年、ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD)、フラビンアデニンジヌクレオチド(FAD)に次いで、3番目の補酵素として、C1資化性微生物の研究から発見されました。PQQは、微生物を始め生物界に広く存在し、種々の生理活性機能や、必須栄養素としての活性も認められています。更に、本年4月、PQQはビタミンである事が明らかとなりました。
MGCは、世界に先駆け、独自の発酵技術によりPQQの製造技術を確立し、1987年以来現在に至るまで、研究用試薬として広く販売し、多くの研究者に使用されています。同時に、多くの大学と共同で、PQQの生理・薬理研究を行い、PQQの抗酸化作用、神経成長因子(NGF)増強作用、アルドース還元酵素阻害(ARI)作用などを見出しています。更に、大学と共同でガス・マス分析法による生体内の微量のPQQ
測定法を開発し、PQQ
は多くの野菜や肉類などの食品、特に納豆(61ng/g)、パセリ(34ng/g)や緑茶(30ng/ml)に多く含まれる事、更に、ヒト体内にもPQQが存在する事を明らかにしています。
1989年、マウスでPQQ欠乏症(PQQを与えないと発育不良や繁殖能力が低下する)が明らかになりましたが、PQQがどのような酵素と結びつくのかは不明でした。本年4月に、理化学研究所の研究チームにより、哺乳類で初めてPQQを補酵素とする酵素として、リジンの分解に関わるアミノアジピン酸セミアルデヒド脱水素酵素が見出されました。
これにより、PQQ は、1948年のビタミンB12以来、50年ぶりに発見された14番目のビタミンとして注目を浴びています。
MGCは、PQQのビタミン作用が明らかになった事から、PQQ
のこれまでの知見をベースに、PQQの栄養素としての製品開発に向けて、開発を加速します。
PQQ
などの生体キノン化合物を広く研究する研究会として「生体キノン研究会」が昨年8月に発足しました。その第2回講演会(本年9月26日、中央大学駿河台記念館)では、国内外の研究者によるPQQ
のシンポジュウム「新しいビタミン、補酵素PQQの最近の研究」が企画されています。PQQ
は、新しいビタミンとして研究の面からも関心を集めています。
2004年9月8日 三菱ガス化学
生体キノン研究会第3回講演会の開催
http://www.mgc.co.jp/news/2004/040908.pdf生体キノン研究会(会長は紀氏健雄・神戸学院大学薬学部長)は、9月17日に、東京で第3回講演会を開催いたします。
自然界には、コエンザイムQ10をはじめ、ビタミンK、ロドキノン、ピロロキノリンキノン(PQQ)など数多くのキノン化合物が存在し、生体の中で重要な役割を担っており、その生理作用から医薬品や健康食品として注目されています。これらのキノン化合物を広くかつ深く理解して行くことを目的に生体キノン研究会(事務局:三菱ガス化学株式会社・生物化学部内)を2002年8月に設立しております。
ロドキノンは、光合成細菌から初めて単離された脂溶性の生体キノンであり、嫌気性呼吸鎖の構成要素と考えられています。現在基礎研究が行われており、ロドキノンの関与する代謝経路を標的とした医薬品の開発が進められています。ビタミンKは、血液凝固作用や骨量減少改善作用が認められ、医薬品や健康食品原料用途で使用されています。PQQは、生体のエネルギー獲得系において必須な酸化還元酵素の補酵素の一つで、1979年に微生物から発見されました。PQQには抗酸化作用、神経成長因子(NGF)増強作用、アルドース還元酵素阻害(ARI)作用などが見出されています。2003年4月に、哺乳類で初めてPQQを利用する酵素が見出されたことから、PQQは新しいビタミンではないかと注目を集めています。コエンザイムQ10は、体内に広く存在する補酵素で、エネルギーを供給する働きに加えて、抗酸化作用を持つことから、国内外で医薬品や健康食品原料として広く使われています。
朝日新聞 2005/3/2
論争広がる新ビタミン説 理研発表の化合物PQQに疑問符
米英の研究者 「解釈に誤り」
理研グループ 「研究続ける」
ピーマンや納豆に含まれるピロロキノリンキノン(PQQ)が新種のビタミンだ、とする理化学研究所の2年前の発表に、異論が続出している。理研が論文を掲載したのと同じ英科学誌ネイチャーは今年になって「証拠が不十分」とする英米の研究者らの論文を掲載した。
「結局、PQQがビタミンという生化学的な証拠は何もないのでは?」
昨年10月、横浜市であった日本生化学会大会。PQQをめぐる理研グループの最新発表に質問が出た。理研・脳科学総合研究センターの笠原和起特別研究員は「直接的な証明はまだありません。今のところできていないというのが正しいです」と答えた。
「ビタミンであることが初めて確定した」と笠原さんらが発表したのは03年4月だ。
ショウジョウバエのゲノム(全遺伝情報)のデータベース上で、躁鬱病に関連する選伝子を検索したところ、未知の遺伝子を偶然に発見した。U26と名付けたこの遺伝子が、体内の必須アミノ酸のひとつリジンを分解する酵素をつくる遺伝子だと突き止めた。その上で、PQQがU26に結びついて働く「補酵素」だと主張、「ビタミンB群に加えられるべき状況になった」とした。
ビタミンの多くは、体内の生理作用にかわる酵素に結びつく補酵素として働く。PQQがU26の補酵素だと証明できれば、新ビタミンとして大きく前進する。その根拠として二つを挙げた。
2つの「根拠」
@細菌ではPQQと結びつく酵素(PQQ酵素)が10種類ほど見つかっており、その酵素を構成するアミノ酸には「PQQ結合配列」という共通した並び方がある。U26がつくる酵素にもこの配列がある。
AマウスにPQQを含まないエサを与えたところ、リジンの代謝が阻害され、毛のツヤが悪く、繁殖能力が低くなった。
今年1月のネイチャー電子版では、この両方に疑問が出された。
英サウサンブトン大のグループは「『PQQ結合配列』の解釈が誤っている」と指摘。「そのようなアミノ酸配列を持つたんぱく質はほかにもたくさんある」とした。
細菌のPQQに詳しい山口大学農学部の外山博英助教授は「PQQ結合配列と呼ばれる部分は立体構造でみると、たんぱく質表面の外側にあり、PQQの結合には直接関与していない」と解説する。PQQ結合配列があるというだけでPQQ酵素だとするには「弱い」という。
笠原さんの上司に当たる加藤忠史グループリーダーは、英グループの指摘には「論理の誤りがある」と反論している。
一方、米カリフォルニア大グループは、理研グループのマウス実験を再現したが、PQQの欠乏でリジンの代謝が阻害される証拠は見つからなかったとした。これに対しても、加藤さんは「実験結果の統計的な分析が不十分」と反論している。
「1年後にメド」
理研グループは「(指摘に)説得力があるとは言えない」としているが、ビタミン説への疑問は広がりつつあるようだ。
科学誌「ビタミン」03年7月号で理研グループの主張に疑問を寄せた日本ビタミン学会理事の柘植治人・くらしき作陽大教授は「ビタミン研究者が納得できる説明になっていない」とし、「PQQの研究の経緯から類推すると、ビタミン様物質の一つとはいえるが、ビタミンの可能性は薄いようだ」と話す。外山助教授も「状況的にはビタミンでない可能性が高い」としている。
理研グループは論文発表後、U26がつくる酵素を人工的に精製することには成功しており、「現在も研究を続けているので、まとまった時点で結果を論文で発表していきたい」とする。あと1年ほどでPQQ研究にめどを付ける予定で、それまでにビタミン説を裏付けられるか、注目される。
ビタミン 現在、13種類ある。発見第1号は、1910年、鈴木梅太郎博士による「B1」だ。48年に見つかったB12以来、新たに追加された物質は、まだない。 体に重要な作用をもたらしても、体内で一定量合成されていたり、欠乏症がなかったりすると、ビタミンとは認められず、「ビタミン様物質」などと呼ばれる。 サプリメントとして売り出されているコエンザイムQ1Oもその一つ。57年に発見され、体内のエネルギー産生に欠かせないとわかって、ビタミン候補に挙げられたが、後に体内でも合成されていることが判明した。 □ビタミン13種 A、B1、B2、B6、B12、C、D、E、K、ナイアシン(ニコチン酸)、葉酸、ビオチン、パントテン酸 □主なビタミン様物質 コエンザイムQ10(ユビキノン)、カルニチン、リポ酸、コリン |