住友化学のポリスチレンの歴史
日本ポリスチレン(NPS)設立
(住友化学社史より:一部修正)
当社ではかねてPSの企業化を計画し、数年前からアメリカのコスデンオイル社の技術の導入を企画していたが、MITIはなかなか認可しなかった。
その後、石油化学の大型化時代に入り、集中生産によるコスト引下げのため、各社による共同生産の気運が高まってきた。当社も共同企業化を足場としてスチレン部門進出を画策していたところへ、昭和電工からスチレンの生産について提携の申し入れを受けた。同社は、1963/5、子会社の昭和油化と、日本鋼管の子会社でスチレン系製品を製造していた鋼管化学工業との合併により、あらたに日本オレフィン化学を設立してSM,PSの製造販売を行っていた。当社は昭電の申出でを受諾して、両社でPSを製造する新会社を設立し、日本オレフィン化学のSM/PS製造設備
(*1)を譲り受けて、その設備を大型化するとともに、販売の拡大に努めることとした。66年9月に提携の契約を結び、11/1
資本金20億円の日本ポリスチレン工業株式会社(NPS)を設立した(*2)
。この社長には昭電吉田章三常務が、常務には当社新居浜製造所副所長中島尚久が就任した(*3)
。化学工業界において系列の全く異なった、しかも有力な2社が提携の関係を結んだことは、これがはじめてであった。
当社ではNPSの製品を引き取って、67年初頭よりエスブライトRの商品名で
PSの本格的な販売を開始した。(以下略)
*1 この時に工場用地も同時に譲り受けた。この土地の含み益がNPS解散時に役に立った。
*2 出資比率 50:50
*3 担当者として 石母田、泉井氏らが出向した。
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1968/10 住化千葉にバジャー法SM 5万トンが完成(*4)、NPSのSMプラントを休止した。PSについては手直し増設を重ね、GP・HI合わせて年5万トンとなった。更に増設を検討、1968年BASFからバルク法GP技術を導入した。しかしその後の情勢の悪化で実施をとりやめた。(*5)
(技術料については頭金を支払い、全額は実施する時点で払うこととなっており、この条件が20年後の他技術導入検討時に懸念材料となった。)
*4 1969年8万トンに増設。
*5 昭電では住化が消極的であったためということになっている。
NPS損益悪化
1969年頃からNPSの業績が悪化、70年に18億円の減資増資で累損を一掃するとともに、住化からの出向者を引き揚げ、以後は開発・製造を昭電に委託することとした。
また73年には土地の一部(中央部分)をタンク会社の昭和ガテックスに売却して赤字の穴埋めに使った。(ピンク部分がNPS、右隣は昭和電工千鳥工場)
住友化学の対応
1982年頃、住化ではPS事業からの撤退も含め議論を行った。結論としては撤退ということであったが、当時の土方社長が「PSは将来性がある」とし、再検討を指示した。
その結果、83/8の経営会議で体制の強化による業績改善の実施が決まった。これにより以下の対策が取られた。
・ ポリスチレン部の設置(84/1)
・ エチレンからのコスト一通計算(84/1)
・ NPSへの技術者派遣(84/4)
・ 昭電にNPSのコストダウンを要請(84/7)、見返りに昭電引取りPS対応のエチレンの持ち込みを認める。
これを受け 84/12に昭電から川崎でバルクHIPSの増設提案があった。(*6) 住化からは逆に製販一体化の提案を行うとともに、千葉で是非PSをやりたいと主張した。両社でFSを実施したところ、製販一体化については昭電側での採算悪化が明確になった。増設については川崎案、千葉案ともほぼ同じ結果となり、いずれも経済性ありとして上に上げることとなった。
*6 当時のNPSの能力はサスペンジョン法2系列(10m3x8 29千トンと40 m3x2 29千トン)合計58千トンで、住化、昭電が折半していた。バルク法新設が望まれていた。
住化では85/10と85/12の経営会議に千葉でのHIPS 30千トン案を提案し、現状維持案・撤退案と比較して増設をと提案したがいずれも了承が得られず継続審議となった。(*7) その後昭電との間では千葉での増設を主張したが、昭電は川崎での増設を主張し、結論は出なかった。
*7 1984年策定の長期経営戦略の新規事業・ファイン化の流れの中でPSに対する新規投資への反対論が多かった。最終的に千葉プラント完成は91/3となったが、この間能力不足とバルク法製品なしのためシェアが下落、かつ建設時には建設費が最も高い時期になった上、完成時には景気悪化で需要が減少した。結果としては事業をやるかどうかの結論の遅れが致命傷となった。
86/8 BASFのMr.
Beckersが来訪。日本でPSをやりたいとして住化とのJVの提案があった。 BASFはNPSでの住化/昭電の関係を知った上で、昭電とはやりたくないとして住化だけとのJVを主張した。
これを受け、小松原樹脂ゴム事業部長と後藤企画部長がBASFを訪問して交渉したが、87/1BASFから返事があり、日本でのJVはギブアップすること、但し技術ライセンスは行うとし、技術資料の送付があった。
87年に入り、ダウと日本でのPCのJV交渉が進み、住化が住友ノーガタックを出す見返りにダウ化工に住化が資本参加し、同社へのPS納入権を確保することとなった。(*8)
これによりGP 年25千トンの需要確保が明確になったため企画部でも本計画に熱心となった。これを受け、千葉でのGP40千トン/HIPS
30千トン案を作成した。
*8 ダウはPC事業化に当たり、PC/ABSアロイの可能性に期待し、住友ノーガタックをJVのベースとすることを要求した。ダウ化工は旭ダウの事業でPS押出発泡事業をしていたが(原料PSは旭ダウが供給)、旭化成とダウの離別でダウ側が引き受けていた。原料PSは旭化成が供給していた。
87/9ようやく住化/昭電で、近い将来に千葉で企業化を行うという条件で先ず川崎で企業化を行うこととし、技術導入先を探すこととなった。当時昭電ではダウ化工の話は知らず、川崎で先行すれば千葉での企業化は遅れると考えていた。
技術選択にあたり両社では第一候補としてBASFを考えた。1968年の技術導入契約の条項から、もし他社技術を導入すればその時点で未払技術料10億円を要求される可能性が強いというのが両社法務部の見解であった。昭電から87/10にBASFに技術導入を打診したところBASFより昭電に対し世界戦略見直し中として待って欲しいとの連絡があった。88/1に住化からBASFに対し前年のBASF提案に基づき川崎と千葉へのライセンスを要請した。
88/2-3月にNPSとして(両社技術者が参加)
調査チームを各社に派遣したところ、技術料に関し下記の結果が出た。
HI GP
ハンツマン 520 百万円 260 百万円
BASF 1,000 520
アトケム 240 175
昭電はこれを受け、アトケム技術を入れ早急に企業化したいと主張、住化は川崎と千葉で同一の技術をすべきこと、技術内容からBASFとすべきこととし
(*9)、以前の契約により契約上の支払義務がどうなるのかを調査すべきと主張した。
*9 当時はHIPSでの高級処方技術が事業の将来を左右すると考えられていた。その面ではダウとBASFの技術が最高でハンツマン、アトケム技術は軽視されていた。ダウについては旭化成との契約で日本での技術導入は不可のため、住化としてはBASF技術で地位向上を図ろうとした。
1988/4 ダウとのPCのJV契約を締結、当社のダウ化工への参加(35%)と同社へのPS供給が決まった。そして社内で千葉でのPS企業化を前提にBASFと交渉することの了承を得た。
これを受け、88/5に昭電に住化の構想を以下の通り説明した。
1990年の需要を 住化:73千トン、昭電:40千トンと想定
供給ソースとして 千葉でHI 30千トン、GP 40千トン
川崎でHI 30千トン、GP 29千トン
千葉、川崎のバルクは同時着工
技術はBASFとし、値下げ交渉をした上で第一、第二プラントで折半。
昭電としては千葉は先の話とし、まず川崎に作ってしまうことを考えていたが、同時ということと住化の能力が大きいことにショックを受けた。
1988/5 住化単独で(筆者が)BASFを訪問し技術供与を要請した。
BASFでは世界的に供給過剰が起こることを懸念しており原則として技術供与はしない方針だが、以前に日本でのJVを提案し、ライセンスを約束した手前、技術は出すとした。当方からの事業採算面からの値引き要請に対しては、熱意に免じてと若干の値引きをするに止めた。なお以前の技術導入契約による未払い技術料に関しては(当方から頭金を既に払っていると持ち掛けた点を考えたか)今や無効であるとして問題なしとのことであった。なおテリトリーとして製造販売を日本国内に限るとの提案があったが、日本企業のアジア進出などを理由に販売のテリトリー制限は消した。
これに対して2つの反応があった。
森社長からは、そんな高い技術を入れず三井東圧と交渉せよとの指示が出た。しかし三井からはGPは出すがバルクのHIPS高級グレードは出せないとの返事があった。再検討を依頼したが三井/電気化学JVのサンスチレン(*10)
に出している汎用グレードしか出せないこと、技術料も現在価値換算ではBASFとほぼ同じであることから断った。
*10 電気化学もBASFからその以前に技術導入の予約をしていた。しかしMITIの指導で三井東圧、新日鉄化学とJV(サンスチレン)を設立、電化敷地内に三井法技術でプラントを建設した。住化がBASFに日本での独占を要請したのに対し、電化にはコミット済みとしてこれを除くとの条件がついた。電化はサンスチレンのグレードでは不十分として、後にBASFからHIPS技術を導入した。
昭電はBASFとの以前の契約での残額支払い義務を懸念していたが、これがないと知り、昭電としてはアトケムですぐにやりたいと申し入れてきた。千葉は住化判断でやれ、川崎は昭電判断でやるというもの。住化からはNPSとしてやる以上、技術は同じであるべきだとし、品質面からBASF技術を取るべきだとした。これに対して昭電からは技術料の高い第一プラントを千葉で、第二プラントを川崎でとするなら考えるとの反応があったが、住化社内では差額を負担してまで同一技術にする必要なしということで一致した。
1988/7 経営会議にBASF技術による起業案を提案、了承を得た。(その時点では三井からの最終返事が未着で、条件つきであったが、その後三井の返事により最終了承を得た。)
BASFとの契約交渉は企画部が引き受け、園田/太田チームが交渉に当たった。(*11)
交渉開始は夏休みなどの理由で遅れ、88/10にチームを派遣、難航の末、まとまり、89/2
技術導入契約の決裁を得た。なお同時にシンガポールでのPS企業化を前提にライセンスを要請したが拒否された。(*12)
*11 それまでは石化部門が推進してきたが、住友ダウ、ダウ化工関連で企画部としてPS事業推進に熱心となった。
*12 その後JV案を提案。BASFは関心を示したが最終的に拒否。
この結果、NPSとしては川崎でアトケム法、千葉でBASF法で、それぞれ昭電、住化の責任で増設することとなった。
BASFとのキックオフでは建設費がかなり高いこと、ペレタイザーに関して住化が希望する最新案をBASFが反対したこと、日本の需要に合わせたグレード変更にBASFが反対するなど(*13)
問題が多いことが判明した。
*13 BASF標準グレードに対して既存需要家の使用グレードが若干劣るものがあるが、既存グレードへの手直しをBASFは反対。(劣るグレードに変更するなど考えられないとの当然の主張であるが、これが日本の商慣行であった。)
89/5千葉で起業の検討会を開いて建設費を見直し、89/6起業稟議の決裁を得た。なお千葉の操業開始までの間はBASFの韓国JVの暁星BASFに委託することとした。
NPS運営問題
89/4 千葉稼動後のNPSの運営を昭電と協議。
住化提案:
千葉はNPS100%子会社とし、住化が運営する。
川崎の運営は昭電に任せるが、既存のサスペンジョンプラントはあくまで本来の両社のJVプラントであり、住化は権利と義務を有する。
昭電提案:
1案:サスを含め実質的に昭電のものとし、住化の干渉を排除。
2案:川崎も別会社とし、NPSは持ち株会社とし、土地をその別会社に貸与する。
またSMの扱いについて、既存契約ではNPSは全量住化から購入することになっているが、昭電としては自社PS分は自由としたいと要請 (*14)、住化は、既存契約の存在、当時のSM不足に際しNPS枠外まで昭電に供給していること、昭電が住化ソースの日本オキシランの株主であること等の理由で、一定量(25-30千トン)は住化から引き取ることを要求した。
*14 昭電は日本スチレンモノマー(新日鉄化学/新大協和JV)の新日鉄化枠から5万トンを引き取る契約をしており、これを持ち込もうとした。
89/5には昭電から、昭電社内で過去の経緯からいろいろな意見があり (*15) 今後千葉と川崎で別運営になるが、将来解散する場合の土地の引取り価額を決めておきたいとの提案があった。昭電田崎専務の意向で、NPS存続の積極的意義がなくなるため将来解散の可能性があるが、その場合昭電が土地を買い取る必要がある。土地は必ず上がると思われ、今後の地価アップは昭電負担となる。この歯止めとして将来の解散時の土地買い上げ価額を決めておきたい、というもの。それが駄目なら(税務上は当然駄目)現時点で土地を買いたい。実際にはNPSで売却益に課税されるので、NPSの住化枠を買いたい。(住化で課税されるが)というもの。
*15 昭電社内では歴史的に住化のせいでNPSが停滞したこと、今度は千葉でやらせろと勝手にことを言うとの、住化に対する不信感が出ていた。
1990/2 千葉PSプラントの地鎮祭を住化単独で実施。(その前に昭電のアトケム法プラント地鎮祭があったが、これは昭電単独に実施)
MITIにNPSとして千葉PSプラントの新設を報告、完成後川崎の旧設備の2系列のうちの1系列(29千トン)の一部18千トンを休止するとした。
90/2 昭電に対し、千葉稼動後にすぐ解散するのは問題としつつ、株の価額がどの程度になるかの感触が必要ではないかとして土地の鑑定を提案した。
90/3 昭電との間で、将来の解散(住化持ち株の昭電への売却)を前提に、千葉完成後の運営を当面以下で行うことで合意した。
千葉工場:住化資産とし、住化が操業するが、表面上はNPSが製造元で住化がNPSから製造受託する形を取る。製品は一旦NPSに売り、即買い戻す。
川崎バルク:昭電資産とし、NPSにリースしてNPSが操業。
川崎サス:従来通り(製造元NPSで販売元は両社名併記)
90/4 ダウ化工に対し契約に基づく1年前のnoticeを行い、91/5頃から供給を開始できると伝えた。来年度の同社需要は32千トン、契約では住化は75%以上を供給できるが、2年前のPS不足時に旭化成から追加供給を受ける必要上、91年に限り住化の供給を減らすことに同意しており、年間18千トンベースとすることとした。
90/6 川崎アトケム法プラント竣工式。能力は3万トンだがリアクター1基追加で5万トンになるもの。
90/8ダイセルがPS進出を決定。OPS起業で住化に原料供給を要請していたが自分で原料遡及をすることにしたもの。シェブロン法で5万トン、92年春完成予定。
90/12 NPSが日本不動産研究所に土地の評価を依頼していたが結果が出た。社宅用地を含み80億円という予想以上のもので(簿価は
5億3千万円)、昭電としては評価額が高いこと、今後の土地税制がどうなるか分からないこと、サスを住化が当面引き続いて引き取ることを理由に本件ペンディングにしたいとした。その後昭電のPL問題の拡大から買い取り提案を引き下げた。
91/3/20 BASF派遣の7人が立ち会い、千葉PSプラント始動式。3/22からGP、3/29からHIPSの生産を開始した。
91/7 NPS役員会で10m3釜(8基計29千トン)が老朽化が進み、いつまでもつか不明なこと、修理には1基63百万円必要なことが分かったとの説明があった。
NPSは10m3釜8基の系列と40m3釜2基の系列があるが、後者だけでは両社の必要量に対して不足となる。しかし両社とも修理費を出す考えはなく、供給をどうするか、バルクでは生産性の低い高分子量GPの商売をどうするかを考える必要ができた。
91/12昭電と協議。昭電ではHIPSバルクに続きGPバルクを94年に新設する予定であったが、資金面、損益面からほぼギブアップの状況。逆に旭化成から昭電に対し、新設を止め、旭の5万トン増強に2万トン分参加するよう要請があったと報告があった。新設プラントだけでなく旭の全グレードから必要なグレードを供給するとの提案で、昭電ではPS事業の損益悪化に耐えられないとしてこれに乗り、川崎のサスプラントを翌年末にも休止したい考え。但し昭電内部でも旭化成依存では自主性がなくなるとして異論もあった。
住化ではバルクへの切り替えを急ぐとともに、切り替え不能のビーズ用は販売打ち切りを考えた。研究面では高分子量GPの生産性向上対策や、高性能HIPSの研究を進めることとした。同時に旭化成のガス・インジェクション特許対策として
Battenfeld社のガス射出成形特許の導入を検討した。
92/1 BASFがモービルの米国PS事業(280千トン)を買収することを決定。
92/4 昭電から、バルク法GP新設はギブアップ、老朽10m3釜稼動は諦め、残存プラント29千トンは動かせたいとの中間報告があった。理由は以下のとおり。
・ 全休止の場合、償却費その他の負担が年間180百万円ある。
・ サスと昭電バルクで負担している共通費をバルクのみ(昭電のみ)で負担する必要があり、年間350百万円の負担増となる。
・ 他社品に切り替え不能のグレードが6千トンあるが、当面販売を切れない。
・ 従業員50人の扱い(組合が問題視)
住化としては高コストは困るとし、コスト次第では13-14千トンは引き取るとした。
92/8 昭電から、昭電単独引取りケース(9,500t/y)と住化引取りケース(合計19,000t)の両案の提示があった。現行人員44名(スタッフ除く)をそれぞれ24-26名、28-30名とするもの。
これに対し住化からは93/6月末でサスの引取りを停止したいと申し入れた。住化としては電気化学に対し、翌年からの3年間,GP月500-600tの委託を申し入れた。
92/9 昭電の経営会議で本案を付議し、了承を得た。
・ NPSの操業を落すこと、不足分(10千トン)を旭化成に委託すること、了解
・ 住化が93/6に引取りをやめた後、昭電として単独で動かすかどうかはコスト等を勘案して慎重に検討する。
NPS解散問題は一切話題に出ず。PSの赤字が大きいとして事業を続けるのかとの質問が出たが、事務局からは将来GP起業もやりたいとしたとのこと。
直後に日本経済新聞に「旭化成との販売協定、住化との離婚」の記事が出たため、昭電内部では組合対策、需要家対策に大変であった。MITIには旭化成とは単なる委託であり、千葉・川崎のバルクもNPSの傘の下の運営であると釈明した。
なお昭電経営会議に先立ち、(トップ間の連絡の可能性があるため)土方会長に事態を報告した。会長コメントは「やむを得ない。サスペンジョンでは無理。1968年にBASFからバルク技術を導入したのにやれなかったのが痛い」。
92/12 NPS役員会で、93/7以降昭電側もサスを動かさない方向であることが判明。なお昭電からは昭電が所有する昭和ガテックス社(NPS隣接地を含めタンク業を行っている)の株とNPS住化持ち株との交換の提案があった。
93/1 昭電がPL対策でNPS近辺の遊休土地を丸紅に売却した。この価格を当てはめるとNPSの土地は73億円となる。
93/3 経理部と対策を協議。
・
昭和ガテックス株との交換は無理(住化として株式売却益がたち、課税される)
・
NPSの住化持ち株を昭電に売るのも売却益課税となる。
・
NPSの住化持ち株を減資払い戻しする案が好ましい。(*16)
(資本取り引きで非課税)
*16 株式を時価評価し、その額で払い戻しをするもの。資本勘定が赤字になるため昭電が増資する必要がある。NPSは昭電の100%子会社となるため将来吸収合併すれば土地の含み益に対し誰も課税されずにすむ。住友ノーガタック株をダウに売るに際し、住化減資払い戻し、ダウ増資で処理した。
93年初めの昭電の人事異動でNPS問題は大橋取締役―花倉部長―高橋課長ラインで担当することとなり、最終決着まで(住化)広岡・中山/(昭電)大橋・花倉・高橋 (*17) 間で交渉を行った。大橋氏は「住化/昭電はいろいろJVをやってきたが全てつぶれ、また両社の人的関係も土方会長時代までは親しかったが今や広岡/大橋しか残っていない」とし、なんとか2人でうまく解決したいとした。
*17 花倉・高橋氏は日本ポリオレフィンに出向。99/8現在、花倉氏は日本ポリオレフィン社長、高橋氏はモンテルとのPPのJVの副社長。
93/4 昭電に対し正式にJV解散を申し入れ、住化に対する減資払い戻し案を提案した。昭電としては社長まで上げたが、主に資金問題(PL訴訟の支払いのため土地株式の売却を行っており、NPSの土地の含み益を住化に払う余地はない)でどうしようもないので暫く待って欲しいとの返事。これに対し、資金が問題なら、日本オキシラン、TPC、PCS、日本アンモニアターミナル等の昭電持ち株を買い取ってもよいとした。
また昭電からは下期のNPS予算としてサスが負担していた固定費をバルクで負担できないので従来通りJVで持って欲しいとして固定費430百万円(稼動時は650百万円)の負担の提案があった。 (*18)
*18 この問題で両社の関係が悪化した。住化としては受託契約が切れたら人員は親会社が引き取るのは当然としたが、昭電は30年も一緒にやってきたのに(勝手に千葉プラントをつくり)川崎品が不要になったから人員を昭電に引き取れとは何かとの不満と、実際に人員を吸収する余地がないことから、昭電川崎全体での定年補充に順次当てるので終わるまで労務費を負担せよとした。住化トップは昭電主張に激怒、事務局は板挟みとなった。これの解決にも早期解散が必要となった。
93/7昭電を訪問し、会長、社長との相談結果だとして、@早期解散、A固定費負担は年内解散なら受けるが、先は了解しがたいと伝えた。
これに対し昭電からは社内検討のため、各社株の評価を教えて欲しいとの要請があった。
これに基づき社内検討の結果、簿価ベース純資産評価でオキシラン
660百万円、TPC 1,265百万円、PCS 494百万円、日アターミナル
5百万円であることを連絡した。
昭電としてはオキシランは住化にとり価値があるとして2,000百万円程度と予想していたとしたが、住化にとっては運営面で特に変わりが生じないこと、今後の収益性は低下することを理由にこれが限度とした。日本アンモニアターミナルは昭電としては絶対必要として売却反対。また昭電営業からはオキシラン(PO)、TPC(昭電ブランドでPE,PPを販売している)の既存商権を切られては困るとして、この点での保証の要請があった。
93/12昭電より対案の提示があった。住化提案は簿価評価で3社合計24億円であるが、昭電はそれぞれの会社の過去5年平均の利益をベースにした暖簾代の上乗せ、または過去5年の利益を前提にした収益還元法で、住化提案の数倍の提案。昭電としてはNPSは単なる土地の評価(昭電としても売れない)であるのに対し、これら各社は昭電にとって必要なJVであると妥当性を主張した。最終的には政治解決しかないことで一致。
94/3昭電よりNPSの決算説明があった。下期の費用が休止損失となり441百万円の赤字となった。当面の処理として以下を実施することとした。
・ 資本金20億円では「大会社」となり、CPAの監査が必要なほか、地方税均等割も高いため減資して4億円とする。(欠損金を消した残りは剰余金とする)
・ NPS所有の社宅用地を昭電子会社に売却する。 (*19)*19 場所:横浜市保土ヶ谷区、土地 2,256m2、簿価:土地38百万円、建物31百万円、売却先:昭和ホームズ(昭電グループの厚生施設管理会社)、売却額:土地 327百万円+建物 簿価+α
売却時期 1994/6
94/5 昭電、旭化成が連名で昭電のPS撤退を発表(前日に住化に報告)。
発表文以下のとおり。
1994年5月18日
ポリスチレン事業の営業権等譲渡・譲受け (*20)
旭化成工業株式会社
昭和電工株式会社
旭化成工業株式会社(大阪市北区、弓倉礼一社長)と昭和電工株式会社(東京都港区、村田一社長)とは、今般標記の件に関し以下のとおり合意に達しましたのでお知らせします。これは、現在両社間で実施しているポリスチレンの生産受委託契約をさらに実効あらしめるための検討を重ねてきた結果、合意に至ったものであります。
記
1 現在、旭化成は水島(年産143千トン)・川崎(年産60千トン)・千葉(年産130千トン)に合計年産333千トン、昭和竃工は川崎に年産30千トンのポリスチレン製造設備を有している。両社は、この度の石油化学不況に対応して、1992年10月より年15千トン規模のポリスチレンの生産受委託(昭和電工が旭化成に生産委託)を実施するなど、提携関係を深めてきている。本提携関係をさらに実効あらしめるための検討を重ねた結果、今般、昭和電工は同社の石油化学事業のリストラクチャリングの一環として、1994年末を目途に、同社が保有するポリスチレン(ACS樹脂を含む)事業に関わる営業権およびこれに付随する工業所有権等をかねて友好関係にある旭化成に譲渡することとした。今回の合意により、旭化成は、設備稼働率の向上が期待できる。
2 両社は、営業権等の円滑な譲渡を図り、商社による営業協力を徹底するなど、今回の合意が需要家の皆様にご迷惑をおかけすることのないよう、万全の措置を講じることとする。
3 両社は、本日以降早急に独占禁止法等必要な法的認可を取得するなどの手続きを進める。
今回の合意を契機に、旭化成と昭和電工の両社はさらに友好関係を深め、樹脂業界の発展に寄与することを念願している。
以上*20 昭電は旭化成にPSの営業権を譲渡(川崎の設備は旭化成は使用せず)、見返りに昭電は旭化成水島(ゼオン南側の飛び地にある)のPP設備を譲り受けた。これはBASF法で、BASFとしてはPSで技術ライセンスを断り、PPでも交渉の結果断った癖に同じPPで技術を譲受けしたいとは何事かと反発。大橋常務が急速参加し1週間かかった。旭が金を払った模様。しかし98年には生産を停止した。
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昭電は年末にバルク設備を休止することとし、これでPSから撤退することとなるため、昭電にNPSの年内解散を迫った。
昭電は隣接の昭和ガテックスに土地売却の交渉をしたが、ガテックスは用途がない(土地を時価で買っても採算が取れない)として拒否した。
94/12 新第一塩ビの設立を発表。住化からは中山が7月には新会社に移るので、それまでに現行メンバーで解決したい、交渉メンバーが変わると話がこじれるとして早期解決を要請し、昭電もこれに同意した。
昭電からは、日本オキシランは営業の反対が強いので、PCS+TPCとの交換としたい、TPCの商権は5年間は認めて欲しいとの提案があった。
95/1社内で交渉案を説明。(添付資料1)
95/2 広岡/大橋会談があった。大橋常務からは、昭電内に土地を買うことへの反対が強いこと、PCS/TPCは離したくない、日本オキシランは困るとして、昭電が保有する大紀アルミニュウム工業所(*21) の株ではどうかとの提案があった。住化アルミ事業部でもこの会社には関心がなく拒否、広岡専務からは大紀アルミなど不要とし、早急に解決しないと両社の関係が悪化するとしてPCS/TPC案での再考を要請した。
*21 大阪2部上場のアルミスクラップ再生業。昭電は3301千株を持っており、時価は29億円。住化アルミ事業部でも不要とした。
95/4 広岡/大橋会談で以下の合意を見た。
・ PCS/TPC(の日本側投資会社)の昭電持分とNPSの住化持分を交換する。
昭電側は20億円と見ている。詳細は事務局で詰める。
・ 他の株主には住化から伝える。当面両社間にとどめる。
・ 昭電がTPCから引き取っている製品の扱いは当分継続する。但し口銭率や昭電ブランド使用について現地で不満があるので随時改定する。
事務局での確認に対し、昭電はTPC品の件については住化からの提案はあったが昭電は了解していない、昭電シンガポールにとっての収益源なので、これをあまり言われると話がこわれるとした。 (*22)
*22 本件はPCS,TPCに昭電が資本参加する際の条件であり、昭電は強硬。昭電だけがやっていることについても他社が要求しなかっただけだとした。
取引価額については双方の価額を20億円として売買してはどうか、TPC,PCS株で売却利益が出ることでトップの説得材料となる(PL問題で利益が必要)、NPSは100%子会社で凍結すると。
これを受け、税務上説明可能な、取引額15億円のケースと19億円のケースを計算し、住化分については減資払い戻しを受ける案を作成して提示した。(添付資料2)
昭電側は社長には10億円の利益が出るとして了解を取ったので20億円でやりたいとし、住化の減資案にはNPSが債務超過になるとして難色を示し、TPC製品の扱いは同時決着が必要で昭電としては現状条件で10年間継続したいとした。
その後昭電からはNPS減資は対等でない(昭電は課税、住化は免税)として双方売買又は双方減資の提案があった。PCS、TPCについては他社が絡む上、税務上も問題ありとして拒否した。TPC品については口銭据え置き(5%)は5年(その後は3%)、昭電ブランド使用は3年の方向で固まった。
取引条件については広岡/大橋交渉となった。
大橋氏からは「社内でNPSに関しては住化にいいようにやられているとの批判がある。住化が勝手に千葉で起業化した結果、昭電がPSから撤退する羽目になった。その上で使い道のない土地の面倒を見させられ、シンガポールまで取り上げられる。更に減資で住化だけがうまい目をみるというもの。力不足で社内説得できない」と。
広岡専務からは@交換で合意した、A10億円なら互いに税金なしなのに、昭電が20億円とするから税金回避のため減資を頼んだとした(*23)
。これに対し大橋氏から「言い難いが、住化は4億円の節税になる、これを半分もらうというなら社内説得がしやすい」との提案があった。
*23 添付資料2の3 取引方法参照。住化のNPS簿価は1150百万円のため取引額15億円なら売買でも課税は少ない。
社内で対策を協議、事務局からは理屈の問題ではないので(また同額交換が大前提ではなく、合意した評価額で取引するのが原則であるので)1億円程度の差をつけてはどうかとした(これで通るとの感度を得ていた)が、専務からは50百万円で交渉するよう指示があった。
しかし昭電はこれを拒否、最後に広岡/大橋会談で1億円の差をつけることで決着した。(*24)
これにより住化と昭電のJV日本ポリスチレン工業は実質解散した。
(*25)
*24 事後に昭電からは同社の決算対策にあの利益は非常に役に立ったとして感謝の意の表明があった。
*25 PCS、TPCの日本側他株主とも昭電との取引価格をベースに買い取り交渉を行った。
1997/6
日本経済新聞に「住友化学と三井東圧のPS統合」記事が出た。
97/8 資本金20億円(両社折半)の日本ポリスチレン
(*26)が設立され、10月に両社から設備を譲受け、営業を開始した。
*26 社名では当初「東洋ポリスチレン」等が候補に上がったが、三井側が「日本」を希望、廣岡専務が昭電の大橋社長に依頼して「日本ポリスチレン」名の使用の了承を得た。なお住化/昭電JVは「日本ポリスチレン工業梶vで、新会社は「日本ポリスチレン梶v、英語名略称も前者はNPS、後者はJPSと区別。
2001年2月9日 昭和電工は3月末で休眠中の日本ポリスチレン工業と合併することを発表した。
(Chemnet Tokyo 2001/2/9)
昭和電工、全額子会社日本ポリスチレン工業と合併
昭和電工は9日、同日開催の取締役会で全額出資子会社「日本ポリスチレン工業」と合併することを決議したと発表した。
日本ポリスチレン工業は、ポリスチレンを製造するため1966年に設立したが、95年に昭和電工が同事業から撤退したため現在は製造を中止している。この合併により、川崎事業所の資産管理の一元化及び資産の効率的活用を図り、グループの経営基盤を強化していく方針。存続会社は昭和電工、合併期日は2001年3月29日の予定。
添付1 1995/1/12 社内説明資料
日本ポリスチレン且タ質解散の件
結論 以下の方向で昭電と交渉を行ないたい。
日本ポリスチレンで住化に対して減資払戻しを行ない、同社を昭電の100%子会社とする。
上記は実質的に昭電が支払うことになるが、この資金の手当てのために昭電からPCS、TPCの同社持株を購入する。
上記取引は等価交換であるが減資と株式購入のため個別に価値をつける必要がある。PCS,TPCについては近い将来他の株主からの購入も必要で今回の価値付けがその際の基準にもなるため、いろいろな評価方法のなかで出来るだけ低い評価方法を採用し、以下のとおりとする。
購入金額はPCS 4.8億円、TPC 11.2億円、合計16億円とする。減資払い戻し額は16億円とする。(資本金の当社分10億円、当社の持株簿価は11.5億円。簿価を超える部分はみなし配当扱いで無税となる)
経緯
日本ポリスチレン鰍ヘ資本金20億円で、当社と昭電が50:50で出資している。同社は 1993/6に操業を停止し、同じ敷地内で操業していた昭電のPSプラントも1994/12に操業を停止した。
本来であれば同社を解散すればすむが、同社の解散は以下の理由で難しい。・ 同社の工場用地は同社が所有しており、評価額で60億円程度になる。
・ 現時点で同土地の売却は極めて困難である。
隣接のGATXに提案したが拒否された。
昭電で子会社の昭和物流に提案したが、時価で土地を買って倉庫業では採算が取れないとして拒否された。昭和物流は昭電の土地を買ったが、これは昭電の決算対策。川崎地区の状況からみて、工場用地としての売却は難しい。
・ 親会杜で土地を分配して解散する場合は、土地を時価で売ったとしてNPSで課税されるため実際的でない。(実際には売らないのに課税される)
・ 当社からは昭電に買取りを要請したが、現時点で利用計画が全くない土地を時価で買うのは有り得ないとした拒否された。将米的には川崎地区全体のリストラ構想にもよるが、ハイテク関係の研究所等の用途での利用は考えられる。しかし何時、いくらで売れるかは分からない。逆にこのまま保管した場合は固定資産税や管理費用などの費用がかかるため、将来土地が売れるとしても、現在価値に換算すれば多くは期待しえない。
昭電側も早期解決を希望しているため、次の案で解決することとした。@ 住化に対して減資払い戻しを行なうことにより、昭電による土地買取りや住化持ち株買取りの際にかかる税金を節約し、昭電負担を軽減する。
A 昭電としては現金支出には耐えられないとの状況にあるため、同社所有の当社とのJV株式を当社が買い取り相殺することにより、現金支出なしで済ます。
B JVについてはNOC、日本アンモニアターミナル、PCS,TPCがあるが、前2社については営業面の利用価値の点から昭電が売却に難色を示した。後2社については昭電としては他の株主の今後の動向も考え、後記の条件付きで売却には同意した。株の評価については下記のとおり両社の間に大きな差があったが、友好的に早期解決を図るという考えのもとに、NPS(減資)とPCS/TPC株式売却の交換で決着る方向でまとまる見通しがついた。
*NOCについては評価そのものが収益還元で23億円、類似業種比準価額で33億円と、当社評価(財務上の実価6.6億円)と大幅に差がある。
CPCS,TPCについては近い将来他の株主からも株を買い取ることとなるが、その際に今回の取引価裕が参考とならざるを得ないため(税務上も)、可能な限り低くすることとした。本米現地会社の含み益を配当した場合の税引後利益を乗せて純資産を計算するが現状では見做し税額控除があるため税金が低くなり純資産が増加する。たまたまこの制度が西暦2000年にはなくなり、それまでに配当することはない見込みのため、これを利用して税金を高くし純資産を減少させた。(配当すれば税の恩典は受けられるのにたまたま配当しないだけであり、価値としては本来はもっと高い)評価額
NPS:別紙1をもとに16億円とした。土地の評価は94/1の公示価格をもとにするが、その後の値下がり、真ん中で分割されていること等を勘案し、20% lessとした。(これでも実際には買うところはないと思われる)
除却損、除却費用(推定)を控除。
赤字については93/末の累損と社宅売却益を相殺しゼロとした。昭電は1994以降も労務費負担をはじめ多額の赤字を主張している。NPS評価益の当社持分に対する税金は減資処理により免除される(昭電が土地を売った時に実現)が、当社としてはNPS株を昭電に売却した場合と同額の税引後利益を得るという観点で計算した。(売却損益に対する重課税を控除)PCS,TPC:別紙2のとおり、
両社の財務上の実価:PCS4.8億円、TPC11.2億円合計16億円とする。昭電は両社の今後の価値を勘案すれば財務上の実価では不十分とし、@のれん代(3年分の利益)加算で両社計31億円、A収益還元(過去5年の利益を8%で還元)で両社計で55億円になるとしている。(別紙2の3)
条件
昭電としては昭電シンガポールがTPC品約15千トン/年を販売し、口銭収入を頼りにしていることから、TPC株式売却後も5年間は販売契約を継続することを条件にしている。今後、契約期間と口銭率(現在5%、一般商社の場合は3%)について交渉したい。(例えば3年間は5%、あとは3%など)
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PSC,TPSの評価




取引価額案 1995/5
1.PCS,TPCの評価



