日本メタアクリルモノマー(JMMA),ラッキーMMAの歴史                 


 住友化学では1960年に高圧ポリエチレンをICIから導入する際、MMA樹脂の日本でのJVの提案を受けた。しかし条件が合わず交渉は中断した。
 
 MMAモノマーについては1962年頃に独自で検討を行った。開発は2つのチームに分かれて行われ、大阪では直酸法、新居浜では従来法のACH法の開発を行った。しかし直酸法はすぐに詰まるという問題が解決できずギブアップ、ACH法の開発を進めた。 (*)

* 大阪チームからメンバーを1年間新居浜に派遣した。(1988年に伊藤専務から聴取)
  工場はソハイオ法への転換で不要になったACC法ニトリルプラントを有効利用し、原料の青酸はソハイオ法ニトリルの副生品を有効利用するもの。

 1964年1CIとMMA樹脂のJVの契約を締結し、筒中プラスチックのキャストシートの輸入販売契約を引き継いだが、JVが政府の認可を得られず、1965年、キャストシートと成形材料の技術導入契約を締結した。モノマーについては日本瓦斯化学の技術援助を受けACH法プラントが1967年に完成、キャストシート、成形材料も同年スタートした。

(日本メタアクリルモノマー設立)

 1980年に入りモノマーを直酸法に切り替えるべく研究を進めたが、進展がなかった。この頃日本触媒でも直酸法によるMMAモノマー事業進出を狙い開発を進めていたが、酸化触媒開発に成功し、姫路にパイロットプラントを建設した。企画部ではこれの統合を考え、1982/6/30合弁基本契約書を締結した。この基本契約書には以下の記載があり、その後の事業運営でこの精神が引き継がれた。 (*)

・第一工場は住化愛媛に、第二工場は日触姫路に建設する。
・住化はポリマー、日触はモノマーを販売する。(住化既存需要家へのモノマー販売は可)
・酸化工程は日触技術、エステル化工程は住化技術
・外部ライセンスの場合は、その技術に対する貢献度により技術料を配分

* 日本触媒は酸化触媒を専門とし、C2、C3で事業化に成功し、C4を狙った。
 当時の日触の販売量は少なく、とても直酸法プラントを自分でつくれる規模ではなかった。このJVにより日触の参入が可能となった。

 1982/11 日本MMAモノマー梶iJMMA)が設立された。

資本金 10億円(出資比率 50/50)
能力  40千トン
引取  住化 MMA 30千トン
     日触 MMA  7千トン、メタアクリル酸 3 千トン(合計 10千トン)

 JMMAは上記のとおり資本金は日触の顔を立てて50/50としたが、引き取りは75/25であり、その差の部分の金利が不公平になるとして、これを配当で調整することとした。即ち下記の計算で配当を 3.5%とし、配当所要利益を上乗せしたコストで両社が引き取ることとした。

所要利益の計算

 日触にとり引き取り比率ベースの出資金  250百万円
      実際の出資金         500百万円
      過剰出資           250百万円
 過剰出資分の利息(8%)         20百万円
 同 税金                 11.6百万円
 差引 損失                
8.4百万円

 配当       3.5%の場合、    左の日触への影響
 所要利益     81.3百万円      20.3百万円(高く購入) 
 税金       42.8         11.8   (コスト高の影響)
 配当        35          17.5    (出資比率での受取)
 準備金       3.5          
 差引合計      0           
9.0    (益)≒上記損失



 原料イソブチレンは千葉工場にプラントを建設した。イソブチレン 41千トン、ブテンー1 10千トンのプラントで、余剰分はいずれもDICに販売した。JMMA向けイソブチレンは原価基準で供給。

 イソブチレンの製法は以下の通りで、輸送費の問題でナフサクラッカーの場所でしか生産できず、これが第二工場建設での大問題となった。 (*)

   C4留分 → ブタジェン + R−C4(ブテン1,ブテン2,ブタン、イソブチレン) 
   R−C4+メタノール → (イソブチレン分)MTBE +その他留分
   MTBE → イソブチレン+メタノール
    (イソブチレンのみメタノールと反応する。その他留分は蒸留で分離できる。)

* R−C4に40%程度含まれるイソブチレンを抜くために100のR−C4を運び、場合により60のその他留分を更に輸送すると、運送費だけでコストが異常に高くなり、採算が合わなくなる。(100+60)/40=4倍の運賃負担。

 1985年初めに操業を開始したが、詰まりが多発し、操業は難航した。(*)  急遽、従来のACH法稼働を考えたが、経理部指示で既に取り壊していたことが判明した。(**) 日触ではこの間実証プラントで改良法の開発に努めた。

* 伊藤専務の話では、当時伊藤専務は大分製造所長であったが、愛媛に対し、昔の経験から詰まりに気をつけるよう何度も警告した。しかし当時は石化とファインの研究は分かれており、警告は無視された。伊藤専務が研究担当となって全社の研究を一本化したのは、この経験からとのこと。
** この後、固定資産の異動は石化業務室の了解を必要とすることとした。

 1985年7月には日触からは早くも姫路での第二工場新設の検討に入りたいとの提案があったが、時期尚早として断った。

 1986年にモノマー不足が明らかとなり、三菱レーヨンと委託契約をまとめた。1987-89の3年間住化からACHを年間10千トン同社に供給し、モノマーを同5千トン引き取ることとした。

 1986-87頃、韓国の油公、ラッキー、韓南化学等から直酸法の技術ライセンス要請が相次いだ。韓国での需要は1万トン/年程度しかなく、規模にならないため時期尚早として断った。実際にはブーメランが最大の懸念であった。

 1987/3日触とのフリーディスカッションで日触から出来るだけ早く姫路で増設したいとの要請が出た。能力4万トンでうち日触引き取り3万トンとし、操業度アップのための手段としてラツキーへのライセンスもしたいというもの。
 同年5月日触より姫路での増設の正式申し入れがあった。森社長は中島日触社長に対し、事務局に検討させると約束、最後はトップで決めようと返事した。社長は社内では、合弁契約での次期姫路の約束に無理があった、遠い将来のことと考えていたとした。
 
 87/7 両社で販売、技術、原料、総合分科会の設立を決めた。

販売分科会では需要予測の結果、数年間は余剰と見て、将来ライセンスすることを条件にラッキーに供給することを検討するとした。

技術分科会ではプロセス対比の結果、日触改良法の採用を決定、建設予算の作成を始めた。

原料が最大の問題で、当社して下記の各案を検討した。
 ・PCSのMTBEの輸入(伊藤忠提案)
 ・ARCOのTBA輸入
 ・C4購入(丸善、昭電、出光に打診)

いずれも供給安定性やコスト面で問題で、出光は供給するとしたが、MMAに参加させるならという条件のため断った。 (当時の出光はあらゆる分野に進出しようとしていた。)

日触からは西部石油の提案に乗りたいとの申し入れがあった。FCC―C4(*)からイソブチレンを抜き、残りでオクテンを製造するものだが、検討の結果、高コストであることが判明した。

* FCC-C4はイソブチレンを15-20%含む。これを水と反応させるとイソブチレンの85%程度がTBAとなる。

コスト面からエチレンコンビナートでのイソブチレン製造しかないと判断し、新大協和石化(及びそのC4を扱う隣接のコスモ石油)と交渉した。

日触からは実証プラントでクラレから3千トン/年程度のイソブチレンを購入していることから、これを継続したいとの意向も示された。(クラレだけではとても全体を賄えない)

 その後 87/12月に入り三菱化成が関心ありということで話し合いを行った。

同社は隣接の旭化成にMMA用にR−C4を供給しているが、他の留分での製品の計画もあり、イソブチレンを自社生産して供給したいというもの。但し同社は技術は持っていない。

三菱としては自社事業としてやりたいとの意向であったが、当方から製造JVを提案した。一定の加工費収入を保証し、コストで住化が買い取る方式。三菱には隣接の旭化成のMMA用に供給していたR−C4を全量カットさせる交渉も行わせた。

*その後(現在に至るまで)日触からも住化社内でも不利な交渉をしたとの批判を受けるが、イソブチレン法を続ける限り、ナフサクラッカーの場所でイソブチレンを製造するしかなく、当時は水島しかない上、競争相手向けの原料供給を振り替えさせるということをしてもらって実現できたもの。この条件より有利な条件の原料での第二JMMAはあり得なかった。日触もこれを理解して了承した。

 87/7の両社販売部会での結論を受け、9月に社内でラッキーとの交渉を行うことの了承を得た。下記の条件で将来のライセンス(JVを含む)を認めようというもの。

・第二JMMAが軌道にのる91年末以降スタート
・それ迄は必要量全量をJMMAから購入
・ブーメラン禁止

 10月両社チーム韓国訪問(山田事業部長ほか)

ラッキーはストレートライセンス希望だがJVも可とし、90年需要を3万トンと想定して89年末に4万トンプラントを建設したいとした。12月の日触の訪問の際にはストレートライセンスを強く希望し、ブーメランが心配なら条件をつけてくれとした。(以下、ラッキーとのJVについては別項)

 87年秋、ARCOより米国でのMMA計画の提案があった。

米国でTBAを利用してMMAをやりたい。自社技術(Scientific Design社の開発)はあるが、時間がかかるので住化/日触の直酸法を採用したいというもの。
12月企画部から以下の提案を行った。

 ・10万トン規模の工場を建設
 ・モノマーに特化すること(ポリマーに出ない)
 ・需要確保のためRohm & HaasをJVに引き込むこと
 ・ARCOは原料TBAを特価で出すこと

 87/11、上記の状況のもとで第二JMMA案を作成(ラッキー向け輸出折込、原料はペンデイング)、両社社内の根回しを行った。
 森社長はラッキーと原料を懸念。広岡取締役は、姫路をやめ、米国の上記JVから日本、韓国にモノマーを輸入してはどうかとした。

 12月、日触の経営会議で本件を承認、中島社長から森社長に要請があった。森社長からは、原料からの一貫損益を詰めさせている。韓国は問題あり、原料も値上がりするので慎重にやりたい。近く結論を出すと返事した。

 88年1月、第二JMMAの件を経営会議に付議したが、広岡取締役はARCOとの米国でのJV計画を同時に付議した。

第二JMMAについては、ラッキー向け供給を折込んだ。
原料は三菱化成とのJVを本命とし、代替案としては、(1)イソブチレン(当社余剰分およびクラレからの購入品)とTBA(米国ARCOからの購入品)の混合使用、(2)TBAの単独使用、(3)新大協和石化・四日市工場でのイソブチレン生産があるが、コストと長期安定供給の両面を勘案し早急に決定したいとした。

しかし、ARCOとのJV案が同時に付議された結果、日本で生産するような製品ではないとの意見が出され、採算面、原料調遠面での問題も出て、ペンディングとなった。

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米国でのJVの件は経営会議で検討を進めることで了承を得、R&Hを加えてARCOと検討を続けた。

88/8 米国での会議で以下のとおりとなった。

R&H:TBA原料による直酸法は魅力的だが、当面ACH法デボトルネッキングの方が安いこと、完成予定の91年ごろには供給過剰が予想されることから、ACH法での増設に決定。95年頃の次の増設はこれでやりたい。当面欧州で数万トン必要、欧州で先行してやれないか。その場合、需要確保のためICIを引き入れてはどうか。

ARCO:当面米国でやれないなら自社技術の開発も続けたい。技術コンタミを避けるため、欧州では原料を出すだけの参加としたい。(*)

これを受け同月 ICIに欧州でのR&H,ARCO、住化(日触)とのJVを提案。
ICIは基本的に関心を示し交渉に入った。
ICIとの間では出資比率(ICIはマジョリティ主張)、JVからの製品引き取り価格(当方:market price マイナスα、ICI:cost プラスα)などが問題となった。

本件最終的には話がまとまらなかった。

* ARCOは未完成のSD法技術を韓国の油公にライセンスしたが、企業化はできなかった。
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 88/1、新大協和より返事があり、立地、C4輸送(バース、タンク)、utility全て問題ありというもので、ギブアップ。
 他方、三菱化成とは交渉を進め、基本合意に達した。
 途中クラレが1万トン買って欲しい(最後は3万トン出す)とし、日触、当社、三菱化成に要請。これまでの経緯から、3千トン程度(日触購入量)の継続で決着した。

 このため2-3月に経営会議メンバーほかに根回しを行った。今回のMMAは当社の引取りは4万トンのうち1万トンに過ぎないこと、イソブチレン生産に三菱や日触に資金を出ささないこと、建設費が高くROIが低いこと等が問題になったが、日触との合弁基本契約での約束であること、イソブチレンについては当社が握るために当社の事業とすることを説明し、同意を得た。

 88/3 森社長に三菱化成とのイソブチレンJVによる第二JMMA計画を説明し了承を得た。社長はARCOとのJVについて、JVが日本、東南アに持ち込むのは業界を混乱させるからやるべきでないとコメント。

 4月 塚専務と三菱化成滝田常務を訪問し、正式に挨拶した。

 4−5月に三菱化成とF/S、契約協議をおこなった。この間SCEC建設費見積もりが大幅にアップし、三菱からは自社でもっと安くできるとの堤案あり。(一部三菱に依頼) また三菱の以前に停止したエチレンプラントの架構を使用することとした。 

C4価格、労務費その他でかなりもめた。三菱としては旭化成を切ってまでして住化のためにやる事業であること(*)から強気で、最後はいやならやめてくれとの態度に出たため当方がおりた。
日触にはイソブチが高くなることを伝え、これしか案がないとして了承を得た。

* 三菱の考えていた他の留分での事業化は実現しなかった。

 

 88/6 三菱化成とのイソブチレンJVを前提とした第二JMMAの稟議決裁。

 8/22三菱化成と合意、8/30日本イソブチレン設立稟議。

 88/9/8 対外発表、 9/9日本イソブチレン設立。

 89/11/8 日本イソブチレン竣工式。

 11/24 イソブチレン オンスペック。

 12/18 JMMA第二工場(姫路) 竣工式。

 

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 90/9 日触がMMAモノマー増設を検討したいと申し入れ。
 森社長からは日触に引きずられずに慎重にやるようにとの指示があった。愛媛の手直しとラッキーJVからの引き取りでつなぎ、原料・技術のメドがついた時点で次期を考えたいと答えた。

 91/7 愛媛、姫路でのモノマ−手直し増設案がほぼまとまったが、愛媛は1万tで14億円(リアクタ−追加)、姫路は1万tで約5億円(含み能力あり)。イソブチレンは千葉増設(MMA1万t対応3.5億円)はまとまったが、水島増設は検討になお時間がかかることが分かった。
 以上を勘案し、また当面三井東圧/クラレの4万t稼働で需給がゆるむことも考え、千葉(イソブチ)−姫路(MMA)の増設を行なうこととした。
   
 しかし11月に日触経営会議でMMA(及び千葉のイソブチレン)の増設に関し、大激論の末、却下されたとのことで、1年延期の要請があった。損益悪化で全般に投資を押さえているが、特にこの2−3ケ月で市場の状況が急速に悪化し、これまで強気であった販売部門(木島常務)がギブアップした由。当方稟議はほとんど終わっているが、止むを得ないので、当方が不足した場合は日触枠を当方に回すという条件で受諾した。

 92/3日触来訪。MMA(とアクリル酸エステル)が大赤字で損益改善が必要としてイソブチレン価格の引き下げの要請あり。三菱化成の利益分をまけてもらうよう交渉して欲しいとのこと。当方よりコストダウンは努力するが、日本イソブチレンがJVではあるが実質的には一定の口銭での製造委託であることから体系変更は難しいと説明、逆に日触側の触媒の改良(収率向上、劣化問題の解決〈3年の予定が2年で取換え要〉)を要請した。

 合わせて輸出の扱いが問題となり、今後基本契約の見直しをすることとした。

日触:日触はモノマ−、住化はポリマ−の分担から見て、住化の輸出は困る。
    同じ考えでラッキ−MMAの輸出は日触が担当すべきである。

住化:

2期計画は住化の輸出を前提に決定した(ポリマ−でだけでは住化の需要は増えず、建設は遅れる)。輸出は別である。加えてラッキ−について日触だけが扱えば両社対等の考えに反することになる(現行双方40千tづつ)。
JMMA設立後10年にもなり、基本契約も見直す時期である。

(以後、基礎化学品管理室に担当が移った。)  


 2001/11/5 住化と日触は、「アクリル酸とMMAモノマーの事業交換について」の発表を行なった。

住化は日触のMMAモノマー事業を引き受け、日触はメタアクリル酸のみとなる。
日本MMAモノマーの愛媛工場は住化の工場となり、姫路工場が同社(出資比率変更)の工場となる。
シンガポールも住化100%となる。
但し、ラッキー
MMAについては触れられていない。


(ラッキーとの交渉)

 1987/9 第二JMMAの当初の需要不足補完のため以下の条件で将来のライセンス(JVを含む)を認めることで社内の了承を得て、交渉を始めた。

・第二JMMAが軌道にのる91年末以降スタート
・それ迄は必要量全量をJMMAから購入
・ブーメラン禁止

 88/2ラッキー李副社長ほかが来訪。当方からはJVでやりたいとし、次の点で合意できらばF/Sに入るとした。

・JMMAからの優先購買(L社:OK)
・モノマーの日本向け販売禁止(L社:日本側に任せる)
・ポリマーの日本向け販売禁止(L社:担当が違うので相談する)   
・完成は早くて91年末(L社:需要が能力の6−7割の時点で完成したい)
・極秘扱い 〈業界対策〉

 88/4 住化・日触でラッキーを訪問。ラッキーの回答は、優先購買と日本向け輸出禁止は了解(但し他社のポリマー輸出はコントロール不可能)、他社の進出を押さえるためライセンス契約を先にしたいというもの。

 88/7 ラッキーが来訪。原則的に日本側の条件をのむが、韓国で最初のメーカーになるのが重要で、三星と三レが交渉中のため、他社かやる前にやりたいとした。当方は91年末完成は譲れないと返事。

 88/8 ラッキー許社長、李副社長が表敬訪問。

 88/末 ラッキーか条件をのむ見通しとなったため、JV案を日触と協議した。当初は韓国中心の事業であることから日本側35%程度のJVを考えたが、その後JMMAの延長との観点から50:50JVとすることとした。なおイソブチレンは別途住化とラッキーとのJVで製造することとした。

 89/2 経営会議で、ラッキーとのMMAのJV設立についてL/Iを締結しF/Sを実施することの了解を得た。

 89/4ラッキーとのMMAモノマーJV交渉で当方のL/I案を説明したが、ラッキーは制限が多すぎるとして不満。問題点と議論は以下の通り。

・ポリマーの日本への輸出禁止(*)
 当方はこれは大前提とし、これまでの議論でL社が了解したため話を進めることになったと説明。

* ラッキーは既にドイツから技術導入して成形材料を生産販売していた。

・日本以外ヘのモノマー輸出は日本側が Distributorになること。
 日本側は韓国市場をJVに譲り、その他の国にも輸出を認めるという大譲歩をしているという事情を説明

・ラッキーとしてはトップの感情の問題として出資比率を51%にしたいとした。
 日本側は最低50%でないとライセンスできないと主張。

ラッキーは本案を持ち返り、連休明けに返事するとした。

なお同社はモノマー工場を91年夏に完成の予定のラッキー石化エチレン工場内に建設する考えだが、エチレン工場は土地買収が一部残っていてまだ着工しておらず、間に合うかどうか疑問であった。

 

 89/5 ラッキーから前回会談の議事録を受領。

当方提案と先方コメントの対比があるが、これは当方提案を持ち返り社長と協議した結果の返事とのこと。当方の基本条件のポリマーの日本への輸出禁止や、他国への輸出を当方を通して行なうことなどを DELETEとかたづけており、話にならないもの。

 日触を通じ、「当方提案にゼロ回答なら話が進まない」と伝えたところ、社内で再協議したとして対案を送付してきた。

・ポリマーの日本向け輸出は日本側を通すか、了承を得て行なう。
・JVは50/50でよい。

なお当方からは原料イソブチレン(+ ブテンー1)を当社挾術のJVでやるよう提案しているが、本件はMMA(ラツキー本社が実施)とは切りはなし、ラッキー石化が既に海外他社と交渉していることが判明した。IFP (*)、スナム、ルーマスとも交渉。当社からは当社技術が実績あること、MMAとパツケージで考えていることを伝えた。日触としても原料をラッキー石化に白紙委任では困るとした。

* IFPから住化宛に、ラッキー石化向けに同社のMTBE合成技術と住化の同分解技術を組み合わせライセンスしたいとの申し入れがあった。

 当方の申し入れにも関わらず、ラッキー石化では独自の動きをしているため7月にラッキー宛に以下の連絡をした。

ラッキー石化がラッキーとは余り連絡なく、独自の判断でルーマス技術でイソブチレン起業を進めているのに驚き、不安を持つ。MMA計画にとり、安価なイソブチレンを安定的に確保することが必須であり、当社技術でのJVでやりたい。ラッキー石化との調整をして欲しい。

 89/8 ラッキー石化より返事。

・イソブチレンはやはりJVでなく、自分でやりたい。

・MMA事業にとってイソブチレンがキーであること認識した。安価での安定供給を約束する。どういう条件が必要か、提案が欲しい。

・早く技術を決定したいが、住化技術を(ライセンスで)採用する可能性を考え、最終の決定を行なっていない。(ライセンスの可否を含め)早く返事が欲しい。

 ラッキー石化では土地の買収は進んでいないが、既取得地(埋立地)での作業を開始した。

 89/9 ラッキーとラッキー石化が来訪。

ラッキー石化よりJVを拒否したのは、操業前で赤字会社である同社が法律上JVをつくれないからであったと釈明。
イソブチレンはラッキーが担当し、JVも受け入れると説明。R―C4はラッキー石化が供給し、イソブチレンを抜いた残りを返すという案。当方よりブテンー1も同時につくった方が合理的と説明、今後協議することとした。
当方よりR―C4はナフサ等価でないと輸入MMAに対抗できないと説明、ラッキー石化は他の基準(LPGスライド、米国C4価格スライドなど)も含め交渉したいとした。

ラッキーから2つのJVは大変なので1つにしたいと要請あり、当方はメンバーが違うと別のJVを主張。(翌日の社長会談の席では行政指導でJVを増やせないとして強い要誇あり)
L/Iのペンディング事項を議論したが、あいかわらずメンツ上の主張があり、時間切れ。

 9/22ラッキー李社長来訪。

「イソブチレン問題を解決した。かなり遅れているのでよろしく」との要請があった。
また韓国の社会事情からJVをドンドンつくるわけにはいかないのでイソブチレンはMMAのJVでやつて欲しいとの要請があった。

 これを受け社内協議、以下を決めた。

@イソブチレンはMMAのJVに含める(日触の技術アクセス禁止、イソブチレンの利益はロイヤルティに上乗せ、優先株、出資比率変更などで工夫する)

Aブテンー1を合わせ製造するかどうか追って検討(住化LL用ブテンー1不足)

BP−MMAの日本向け輸出でネガティブ表現かポジティブ表現かでもめているが、重要事項のためこれは下りない。

C採用技術は現在姫路で建設中のものをそのまま採用する。

 89/10 L/I 最終提案を作成し送付。

 89/11 FS打ち合わせ。

以下の点で本件かなり難しいとの印象を得た。

・土地問題:ラッキー石化は新立地18万坪でエチレン新設を計画しているが、うち7万坪は未買収、民家200戸以上あり、政府は移住地を既に確保しているが条件で折り合わず、建設工事現場にもピケをはっている。イソブチレン、MMA用地はこの未買収地を予定しており、いつ整地ができるか不明。なおエチレン用地はラッキー石化所有だが埋立地のためまだ水抜き中で、完成は91年末以降か(当初91年6月メカコン予定)

・運営:ラッキー石化コンビナートに隣接しているが、フレアスタック・蒸気以外は一切協力を期待できず、BL外も一切自前でやる必要あり。(ラツキーの工場とは2−3km離れている。)

・建設費のアップ:日本べ一スで第二JMMA比大幅アップ

・売価:日本からの輸入価格で決まる。現在は玉不足(台湾の生産停止なども)で高いが、今後は下がると思われる。

 90/2 ラッキー、日触とのF/S会議

建設費か高いこと、売価値下がりが問題だが、なんとか成り立ちそうな感じを得た。
ラッキ石化のエチレンは杭打ち開姶、91年10月スタート予定。

 90/4 経営会議でラッキーとのJV設立の交渉をする件を付議し、了承を得る。
     L/I案を作成、韓国の弁護士にも確認し送付。
     日本への輸入禁止等についてはサイドレターとした。

 90/6 ラッキーとのJV交渉の結果を受け日触と以下を打ち合わせた。

・組織:当初経費節減を考えぺ一パーカンバニー方式としたが、経費面・運営面の両方から独立会社の方がよいことが分かった。(ラツキーは販売のみ受託したいとの意向だが、販売もJV組織とする)

・触媒代:F/Sでは日触が非常に高い触媒代をいれていたが、当方より強く主張し、コスト十αベ一スに大幅に引き下げさせた。(当社分もダウン)

・技術料:全額一時金で16億円を提示しているが、ラッキーからは大幅引き下げ要請あり。この額は(5億円+RR2.5%x10年間)でそれ程高くなく、2億円程度の引き下げを限度とする。

 90/7 ソウルで合弁契約交渉。 

李社長からは「不平等との声が強い」と条件見直しの要請があったが、「日本側としては増設したばかりで、韓国や台湾は重要な輸出市場である。その韓国に今の時点でライセンスする必要なないが、強い要請を受けてライセンスする。これを考えると我々の提案は決して無茶なものではなく、不平等ではない」と反論、李社長もこれを理解した。

 7月末にラツキーから修正提案があった。

ソウル会談で合意した案(李社長のOKをとったもの)ではグループの投資委員会を通せないというもの。

・日本側とラッキーとで平等でないというのが一つの理由。表面上はそう見えるが実態はそうでない旨何度も説明した事項。
・もう一つはMTBEガガソリン添加用として高い価値をもつことになり、ナフサ等価で出してまでMMAをやる必要があるかとの意見がグループ内に出ていること。

 90/9 ラッキーとラッキー石化で価格問題を調整。

ラッキー石化が原料ラフィネートの供給価格で当方主張に近い線におりたため前向きに進めることとした。

 90/10 ラッキーが来訪、JVについてほぼ合意に達した。 
 11月に入りトップに説明、了承を得て稟議手続きに入る。

ラッキーからは森社長宛てに調印式に訪韓して欲しいとの要請があった。日程が合わないため調印は持ち回りで行なうこととした。

 90/12/25 JV設立の記者発表。

 91/1ラツキーよりPE事業部長の高専務をJV社長にしたいとの連絡があった。

 91/1月末ラッキー高専務来訪、ラッキーMMA社長就任挨拶。
 工場用地の住民の立ち退き交渉が完了し、ラツキー石化のエチレンは予定通り秋にスタートすると。

 91/2 ラッキーよりJVの税制の件の連絡があり。

韓国には先端技術での起業化について5年間にわたり外国株主比率(50%)の法人税免税や5年間の配当源泉税免税ほかの恩典があり、MMAについては該当するとして説明資料を出し申請している。
審査機関の一つは先端技術であることを認めたが、もう一つの韓国化学研究所がこれまで自ら直酸法技術を開発しており(油公が2億円程度の助成を行った) 、ラッキーを認めると自己の技術が不利になるとして反対。ラッキーが交渉したところ、これまでの研究費約2億円を払えば承認するとしている。
対策としてJVが研究所と「触媒技術」確立の助成の契約を結ぶ。当面約1億円を払い、研究所はこれで油公との話をつける。更に1年間の研究費助成として1年後に約1億円を払う。その後続けるかどうかはJVのオプションとする。うまくいった場合の権利はJVに属する。

この手続きにより税法上の恩典を確保した。

 91/3 ラッキ−MMA キックオフ・ミ−ティング
     姫路(MMA)と千葉(イソブチレン)で1週間。

 91/3/28 ラッキーMMA 設立。

 91/6 ラッキ−MMA 高社長ほか来訪

MMA1段、2段リアクタ−については三菱重工、石川島播磨、三井造船から見積もりをとり、他社がギブアップしたなかで三菱重工(姫路MMA受注)と交渉を続けてきた。    
三菱はベストオファ−として970百万円を出したが、ラッキ−としては 88/5の姫路の発注額705百万円との差は韓国の状況からして理解しがたいとして、当社、日触にも協力を要請、900百万円以上はありえないとして社長以下が三菱との交渉に乗りこんできた。

内部打ち合せで住化、日触(両社資材部参加)から最近の起業の値上がり状況、日本側でも三菱と当たった結果非常に厳しい状況であることを説明。その結果ラッキ−も970百万円を如何に下げるかに焦点を当て、取り合えず社長を除き訪問(住化、日触同行)。 

三菱重工落合プラント部長以下と交渉、三菱ではラッキ−との関係(アクリル酸リアクタ−受注)、JMMA,住化、日触との関係から赤字覚悟で政策的にとして945百万円を提示したがラッキ−は925百万円を主張して譲らず、結局高社長が出馬して最終 935百万円で決着した。納期についても三菱原案14か月を極力短縮する方向で検討してもらうこととした。

 91/7 現地での役員会に出席(黒田取締役=副社長、中山=取締役)

ラッキ−MMAの用地には数十軒の民家があったが現在3軒。うち1軒は7/20に立ち退き、残る2軒は 8/10 に政府による強制立ち退きの予定。既にほとんど整地が完了しており、現在ボ−リング中、10月に杭打ちの予定。
ラッキ−石化のエチレンはスタ−トアップ中。設備には問題なく訓練不足で手間取っている。大林と大阪石化で各数日練習しただけと。
 
ラッキ−MMA第一回役員会で建設予算、資金計画、人員計画ほか承認。建設費は当初F/S比で8%アップ。建設費、土地代のアップのほか、採用を早め訓練期間を長くとるため、操業前費用がアップ。韓国の金利は上昇しており高いもので歩積をいれて18%程度。産業銀行の低利融資制度もなくなった。F/Sで平均 12.5%でみていたが 15%に修正。
建設費アップで自己資本比率が24%に低下、政府のガイドラインは30%のため今後借入に影響するおそれありと。

91/11 ラッキ−から提案があった。

韓国の石化の状況はかなり悪化しており、93年春のMMA完成時にフル生産の自信がなくなった。ラッキ−が本年に予定していたp-MMAの増設も無期延期となった。    
このためメタアクリル酸製造設備を加えたいというもの。
またラッキ−石化エチレンの100%操業が無理な場合、必要なC4が不足する可能性があり、不足分を他エチレンセンタ−からのC4を受け入れる手段として、MTBE製造設備を加えたいと。(MTBEを受託生産)

 91/12 ラッキ−MMAが来訪。

稼働時(1993/ 春) の販売不振を想定し、MTBEのスポット売り・MAAでの販売をやれる体制をつくりたいとの提案があったが、当社、日触とも反対。

MTBE:スポット売りのための設備は不要(需要があるかどうかも不明)。
     若干能力に余裕あり、現有設備で抜き出せる可能性もある。 
MAA:需要見通しが不十分。

なおDebt/equity ratio 改善のため増資を考えたいとのコメントがあったが、日触がこれに強く反対(当社も)、他の手段を考えるよう要請した。

 92/4 ラッキ−来訪(MMA起業関係打ち合わせ)

建設は順調。
JV契約交渉において同社側の要請で韓国内販売はラッキ−に業務委託することにしたが、今回ラッキ−側からやはりJVで販売を行いたいとの修正提案があった。コストダウンにもなるため受諾する方向。
(利害対立を避けるため輸出については日本側が受託することにしたが、ラッキ−が「対等の精神で」国内はラッキ−と強く主張したもの。手間と口銭から実務部隊が断った模様)

 92/5 ラッキ−MMA役員会出席。

・建設は順調。93/2 test-run, 93/4 商業生産開始予定。
・建設予算:予算内におさまりそう。
・資金繰:ラッキ−の努力で低利の韓国開発銀行の先端技術融資を40億円調達
    (これでも表面は12.4% だが、歩積両建で実質15% 程度になる)
    輸入機械代金支払いのため資本金の残り60億Wを7月末に増資する。     
    (但し一部少額を来年に繰り延べ、免税処理の開始時期を1年ずらす)
    年末の最後の技術料支払いは資金状況を勘案し6か月を限度に延ばす。  
・損益改善策
    MMAに加えMAAもやりたいと。日触品でテスト販売をしてみる。
    イソブチレン余剰能力利用のためMTBEをやりたいと。
    品質問題など技術面を早急に検討する。
     (日本のスペックのMTBEはこのままでは無理)

 92/6 高社長ほか来訪

建設は順調で当初予定より早く93/4に商業生産開始の予定、建設費も予算内に収まる予想)

販売委員会開催(於日触)
・ 契約では韓国内の販売はラッキ−鰍ノ委託することとなっているが、先方よりJVでやりたいとの要請があり、承認した。
・ 当初1−2年は国内だけでは低操業として、これの補完のためJVでの輸出も認めて欲しいとの要請があったが、輸出は日本側がagent となって扱うというのがJV設立の前提条件であるとして断った。

 92/12 ラッキ−MMA 社長交替

社長の高世煥氏が本社の専務になり、以前企画担当でJV交渉の責任者であった高裕文副社長(樹脂部門担当)が後任社長となる。

なお本社の副社長(モノマ−担当)の李鼎成氏が再び社長(副CEO)となり、以前のように崔根善氏との二人社長制となる。

 93/1/28  事故。

HTS(塩浴--- 除熱剤)を投入し終わり、臨時配管を撤去している最中にHTSが吹き出し、1名死亡。

当社、日触が調査した結果、下記の事実が判明。
・問題のHTSは硝酸加里(イスラエル製)と亜硝曹(BASF製)の混合品だが、両者に固結防止剤が少量入っている(ラベル表示あり)。[日本では入れない]
・これが熱により変質し黒色異物となっているが、分析の結果これはTNT火薬並の熱量をもつことが分かった。
・温度を上げていった段階でこれが爆発を起こしたものと思われる。
・なおこのHTSはラッキ−ではアクリル酸、フタル酸でも使用しており小規模の爆発や黄煙を出していたが、たいしたことはないということで原因究明をしていなかった。今回は大量(A酸 200t に対し 500t)、高温(A酸 200゜に対し 300゜)のため影響が出たもの。

対策として系内のHTSを順次ベッセルに移して機器を洗浄し、HTSを加熱して不純物を分解させた後、戻すこととしたが、この処理に2か月かかり、スタ−トは当初予定の4月からずれるが安全を期することとした。爆発により一部配管、insulationなどに被害が出たが、主要機器は問題なく、被害部分の修理も完了。
死亡者の遺族との交渉は完了。慰謝料 150百万W(22百万円)とのこと。

 1月の事故の後処理のため遅れたが、4月末に順調にスタ−トし、5/1 には 15tを初出荷した。

 4/26 イソブチレン投入
 4/28 MMA オンスペック ---- 80%ロ−ド
 5/1  100% load

 93/11/17ラッキ−MMA 竣工式 

グル−プの具会長以下が出席し内輪で行った。日触は田中社長が出席。



竣工式出席の機にラッキ−MMA予算案を聴取した。

本年春に操業を開始したが損益状況を勘案し原価計算開始は93/10 からとした。
来年度の販売は内販 33,500t, 輸出 2千t の合計 35,500tで、ほかに余剰能力を利用してMTBEを17,630t 生産しグル−プの湖南精油に販売する。
売価は旭化成と台湾のKMCの下げ合いで 865$ まで下がっている。(起業時には1400$ 程度を想定、最低でも1100$ としていた)
償却は法定の6年定額のため17億円程度にもなり、売価ダウンも大きく、損益は 13億円の赤字となる。(MTBEの黒字 1億円強を含む)
当面増資なしでやっていける。
*韓国では減価償却は法定耐用年数でしかやれない。(年数を長くすると法定年数経過後の償却は否認される。償却の操作は開始時期を遅らせるだけ。)法定年数は日本より短い。

 (以降、基礎化学品管理室が担当)


ラッキーMMA ポリマーと一体化

(化学工業日報 1999/1/14)

           PMMA事業を売却 韓LG化学、日系合弁社に

韓国最大の総合化学企業、LG化学は、メタクリル樹脂(PMMA)の事業を日本企業との合弁会社であるLG MMAに売却した。合弁会社ではPMMAの原料であるメチルメタクリレート(MMA)を製造しており、原料モノマーから樹脂までの一貫生産体制を整えたことになる。LG化学はコア事業への集中や高付加価値事業の育成を柱とした事業再構築を加速しており、PMMA事業の合弁会社への売却もその一環とみられる。 
LG化学は、主力生産拠点の麗川工場に年産能力22千トンのPMMA設備を保有していたが、同設備と関連従業員はLG MMAにこのほど移管された。PMMAはアクリル樹脂とも呼ばれ、透明素材として自動車や電気部品、建材など幅広い用途がある。韓国ではハンファ総合化学もPMMAを事業化していたが、昨年秋に仏エルフ・アトケムに事業を売却している。
LG MMAはLG化学50%、住友化学工業25%、日本触媒25%の出資構成で91年に設立され、現在、韓国で唯一のMMAメーカーとなっている。麗川の工場には年産能力5万トンのMMA設備のほか、同2万トンのMTBE設備、メタクリル酸設備がある。
LG化学は昨年、米アライド・シグナルとのエンプラ合弁事業やサウジアラビアでの塩ビ合弁事業からの撤退、カーボンブラック事業売却などのリストラを実施。一方で、米ダウ・ケミカルとポリカーボネート(PC)樹脂、米ローム・アンド・ハーストとフォトレジストでそれぞれ合弁事業契約を結んでいる。PC樹脂の合弁会社はこのほど正式発足し、今年上半期中にも麗川で世界最大規模(年産13万トン)の工場建設がスタートする予定だ。

 


「住友化学工業最近20年史」から

シンガポールにおけるアクリル酸、MMAモノマー事業の展開

また、MMAモノマーでは韓国で合弁事業が順調に進んでいたが、引き続き近年の東南アジアにおける誘導品の需要の著しい伸びに着目し、国別、需要家別に積み上げた場合、今後年間5万t程度の新規需要が見込まれた。MMA樹脂も同様に需要増加が見込まれた。
そこで当社はPCSで増産するプロピレンと、新たに生産するメチルターシャリープチルエーテル(MTBE)から得られるイソブチレンとを主原料として、アクリル酸とMMAモノマーおよび誘導品の企業化を図ることとした。アクリル酸エステル事業には東亞合成の、高吸水性樹脂事業には住友精化の、MMAモノマー事業には日本触媒の参加を得て、サクラ島にPCSと配管で接続する新たなプラントを建設することを決め、平成7年7月、設計作業を開始した。

注 シンガポール石化
第一期 MTBE 55千トン Tetra Chemicals (Singapore)
第二期 MTBE 66千トン→イソブチレン→MMAモノマー 53千トン

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(日刊工業 2001/7/19)

       住化、シンガポールMMA工場の生産能力を増強

住友化学工業はシンガポールのメチルメタクリレート(MMA)工場の生産能力を増強する。100億円前後を投じてプラントを増設し、2004年の稼働予定で現在比2・5倍の年間13万3000トンに引き上げる。看板や照明器具などの原料になるMMAは樹脂原料の用途が伸びているほか、モノマーとしても中国などで需要拡大が見込めると判断した。韓国合弁でも能力倍増を計画しており、04年に合併予定の三井化学と合わせたMMAの生産でアジアのトップクラス入りを狙う。
シンガポールでMMAの生産能力を増強するのは住友化学が60%を、残り40%を日本触媒が出資している「シンガポールMMAモノマー」。
主原料の一部は自家製に加えて、近隣で稼働を始めたエクソン・モービルのエチレンプラントなどを対象にした外部調達も検討する。
並行して住友化学は、全額出資でMMAポリマー(重合体)を製造しているシンガポールの「スミカMMAポリマー」の生産能力も設備手直しにより今夏にも現在比1.4倍の年間3万5000トンに拡充。04年には同4万5000―5万トンに増やす予定で投資額は数億の見通し。
MMAはアジアで樹脂としてのポリマーについては欧米市場向け食器や人工宝石用途などの需要が膨らんでいる。一方でその原料となるモノマーもアジアや中国で看板向けなどの市場が拡大し、年率6%程度の成長が見込まれている。住友化学は韓国でも韓LG化学、日本触媒と合弁の「LGMMA」で03年をめどにMMAモノマーの生産能力を現在比倍増の同10万トンに増やす計画。これにより合併予定の「三井住友化学」として、合弁からの引き取り量を含む国内外の供給量合計は同約30万d。現在、世界首位の三菱レイイヨンに迫る体制を整える。


2001/11/5 発表
                                                 
 株式会社日本触媒
                                            住友化学工業株式会社


                  アクリル酸とMMAモノマーの事業交換について


 日本触媒(本社:大阪市中央区、社長:柳田浩)と住友化学(本社:大阪市中央区、社長:米倉弘昌)は、このたび、両社のアクリル酸事業およびMMAモノマー事業を相互に営業譲渡し、アクリル酸事業は日本触媒に、MMAモノマー事業は住友化学に、統合することに基本合意をいたしました。
 従来、日本触媒が営業していたMMA事業と住友化学が営業していたアクリル酸事業を交換する「事業交換」の具体的内容は以下のとおりであります。

1.住友化学は同社愛媛工場のアクリル酸製造プラント(80,000d/年)および製品の営業を日本触媒に譲渡する。
2.日本メタアクリルモノマー有限会社(日本触媒50%、住友化学50%)は次のとおり改組する。
 1)同社第1工場(愛媛)MMAモノマー製造プラント(
40,000d/年)および製品の営業は、住友化学が譲り受ける。
 2)
同社第2工場(姫路)MMAモノマー製造プラント(50,000d/年)は、新たに住友化学64%、日本触媒36%の合弁会社とし、住友化学は32,000d/年までのMMAモノマーの製品引取権を、日本触媒は18,000d/年までのメタクリル酸の製品引取権を持つ。
3.日本触媒は、シンガポールMMAモノマー社(
53,000d/年、住友化学シンガポール60%、日本触媒40%)の全持分を住友化学に譲渡する。

 以上の事業交換により新たに住友化学は
48,000d/年のMMA能力を、日本触媒は80,000d/年のアクリル酸プラントを付け加えることになります。(18,000d/年のメタクリル酸の製品引取権は日本触媒に残ります)
 アクリル酸およびその誘導品ならびにMMAモノマー/ポリマーについては、アジア市場を中心に、今後とも世界的には、比較的堅調な需要の伸びが期待されるものの、アクリル酸およびその誘導品については、国際的巨大メーカーであるBASFによるアジア市場への大規模な工場進出や高吸水性樹脂会社の買収攻勢にみられるような市場の囲い込みによって、また、MMAモノマー/ポリマーについても、世界的な事業売却・事業統合等の合従連衡の進行とアジア地区での活発な新増設によって、メーカー間の競争は、ますます熾烈なものになると予想されております。
 両社はそれぞれアクリル酸事業とMMA事業の両方の事業を行っておりますが、日本触媒は、アクリル酸の製造・販売のみならず、自ら幅広い誘導品(アクリル酸エステル類、高吸水性樹脂等)事業を展開しているものの、MMA事業についてはモノマーの販売を手掛けているのみで、ポリマー等の誘導品事業は行っておりません。一方、住友化学は自製のMMAモノマーをベースに、幅広くMMAポリマー(シート、成型材料等)事業を展開しているものの、アクリル酸事業については、アクリル酸の単体(粗酸および精製酸)販売のみを行っており、自らはそれらの誘導品事業は行っておりません。
 両社は今後の厳しい経済環境のもとで、前述のような熾烈な企業間競争に勝ち抜いていくためには、お互いに誘導品を有しているコア事業に経営資源を集中投入することにより、当該コア事業をさらに強化・発展させていく必要があるとの認識で一致し、今回の事業交換の合意に至ったものであります。
 なお、本事業交換の実施時期については、可及的速やかに手続きを行い、2002年3月末を目途に完了させる予定であります。