週刊ダイヤモンド 
1992.7.11

企業レポート ドラマ再現 かくしてミノルタは裁判に負けた
  出きすぎた技術の成功が経営を振り回したツケ


今年3月に165億円に上る多額の和解金の支払いで決着をみたミノルタカメラとハネウエルの特許粗放は、ハネウエルの提訴から陪審による評決まで4年と10ヵ月をかけて争われてきた。結果的には大金をせしめたハネウェルの大勝という印象が強い。陪審制度が敗因と伝えられるがミノルタはこれが初めての海外訴訟。不利な状況はそうなる以前から確定していたようだ。

ミノルタは戦略がなかった
「カメラのオートフォーカス(AF)技術は私が真の発明者だ。私の前には先行技術はなかった」。
1991年9月24日、米ニュージャージ一州ニューアーク連邦地裁でミノルタカメラとハネウエルの特許紛争が陪審の前で展開されるトライアル(事実審理)がようやく始まった。その冒頭陳述において、証言台に立った元ハネウエルの技術者で、争点となった特許の発明者だったノーマン・ストーファ一氏は自らの特許の正当性について朗々と語った。満場の聴衆は彼の大演説に聞き入り、それは深く感銘を与えるものだったという。ミノルタ側の弁護団もその迫力に完全に息をのまれた。後にミノルタ側の証人として.証言台に立った米国も最も権威のあるカメラ専門誌「ポピュラー・フォトグラフィー」の編集長、ハーバート・ケプラー氏も「彼の演説には脱帽した」と述べている。

ハネウエルの弁護団を率いたマイケル・シレッシ弁護士は「証人の人選の差が裁判に勝利をもたらした」と語っている。

しかし、いくつかある争点を整理していくと、むしろミノルタが法廷闘争においては勝利している部分も確かにある。当初から係争を注意深く見守ってきた小倉盤夫東大名誉教授は、こう述べる.「ミノルタは法定における戦術はあっても、決着を想定した戦略はなかった。特許をすべて無効にでさると本気で思っていたのだろうか」。

知的所有権をめぐる論争が活発化している今、今回の係争ををその前夜から流れをたどることで、問題点を蜷哩してみたい。

ハネウエルは何を訴えたのか
ミノルタとの係争以前、ハネウエルは80年にキヤノンに対して特許侵害を警告してきたことがあった。それは今回の争点にもなったストーファ一特許3件のうちの1件(899号)、コンパクトカノラのAFモジュール(ビジトロニック・モジュール)についての侵害だった。キヤノンはロイヤルティーの支払いに応じ、その時は訴訟に至らなかった。

このビジトロニック・モジュールは77年発売の小西六写真工業(別コニカ)の'ジャスピンコニカ"に採用されたAF機構で、ハネウェルはモジュールメーカーとして大成功を収めた。しかし、79年に登場したキヤノンの赤外線アクティブ方式のAF機構が夜でも使用できるといった利点から、その後のコンパクトカメラの主流となり、ハネウエルの製品は市場から締め出されていく。ハネウエルの経営陣は市場が日本の技術に取って代わられる様を苦々しく眺めていたのだろう。

キヤノンヘの警告もそうした過程でなされたことだ。日本の応用技術に対して特許で攻略、この経験はミノルタとの係争の際に再び繰り返されるわけだ。

モジュールメーカーとしてハネウェルが次に取り組んだ商売は一眼レフカメラ用のAF機構に使うTCLモジュールだ。ただし、ピジトロニックの徹を踏まないように製品化以前に特許の使用権の譲渡と引き換えに、カメラメーカーに対して購入の約来を取り付ける先行開示契約でビジネスを進めた。ミノルタは当時真っ先に契約を結んでいる。主要なカメラメーカーもTCLを導入するが、搭載機は精度の面でいまひとつ、売行きもパッとしないものだった。ミノルタは性能の向上をハネウエルに求めるが、後(89年)に売却されることになるハネウエルの固体電子装置部門の対応は非常に消極的だったことが.トライアルの過程で明らかにされている。

ミノルタの"α一7000(米製品名:マクサム)"は東芝製のセンサーを使用しており、ハネウエルはまたしても日本の技術の前に敗北を喫することになる。

86年、米国におけるマクサムの発売後1年して、ハネウエルは特許侵害をミノルタに通告している。正式な提訴はさらにその1年後になった。

こうして特許訴訟は始まっていったわけだが、このころのハネウエルの狙いは一体、何であったのか。先行技術開発に自身を持つ誇り高い米国企業が日本の応用技術力の前に敗れていく。昨日までの顧客が手のひらを返したように日本製に走る。そうした状況に義憤を感じていたように思われる。
しかし、係争中に、経営陣が代わり、ハネウエルは次第に損害賠償で大金を得ることに力を注ぎ込んでいくのだが。

丁々発止
両者は序盤戦から法廷手続さで丁々発止を繰り広げる。まず、ハネウエルはストーファー特許3件についてマクサムが侵害しているとミノルタカメラ本社を地元ミネソタの連邦地裁に提訴する。この時点ではまだ、コンパクトカメラに関するオガワ特許、TCLの契約違反の問題は訴状に載っていない。また、ストーファ一特許のうち899号はビジトロニックに関するもので、マクサムには直接は関係しない。しかし、この特許が3件の内で有効期限の残存が最も長く、侵害は認定された場合の損害賠償額もそれだけ大きくなることになる。

ハネウェルの提訴を受けたミノルタは5月、米国法人であるミノルタコーポレーション(以下「ミノルタ・アメリカ」が当該特許の不成立を地元ニュージャージーの連邦地裁に逆に提訴する。

ハネウエルはその動きを見て、6月、ミノルタ・アメリカを被告に加える旨を訴状に追加する。

同じ6月「同一の特許を巡る争いが、2つの裁判所で進むのは訴訟経済上よくない」坂本正ミノルタカメラ顧問弁護士)と判断したミノルタは、この訴訟をニュージャージーで一本化するよう申し立てる。
この管轄移送の問題だけで、両者は6ヶ月争い、結局12月ににミノルタの主張が通りニュージャージーの連邦地裁に当該ケースの管轄を一本化する。

管轄移送は実際法定を舞台にしたトライアルの段階になると意味を持ってくる。法延に大量の文書を持って出向くことが多く、足場のある地元のほうが有利だと、ミノルタ側はその時点で判断したのだろう。しかし、管轄移送に6ヶ月かけた効果については疑問視する向きも多い。

ディスカバリーに音を上げる
88年に人って、ミノルタけハネウエルの訴状に対する答弁書を返送する。これが済むと,米国の裁判で独特のディスカバリー手続きの段階に入る。一般に.証拠開示と訳されるディスカバリーでは、原告、被告の双方が互いの主張を立証するために相手に証拠を提出を求める。証拠開示には3つの手法がとられる。質問状の送付、弁護士が相手の会社に乗り込んでの書類提出要求、証言の録取だ。
通常の訴訟ではこのディスカバリーで相手の手の内が読め、和解が成り立つケースが多い。

ミノルタの弁護士は、ハネウエル側の徹底したディススカバリーの要求に舌を捲いた。「88年にオガワ特許が追訴され、対象製品が広がった。質問状は1回4000以上の項目が33回にわたって波状攻撃のように送られてきた。質問には30日以内に英語で返答しなければならなかった」(坂本弁護士)と振り返る。ハネウエルの場合89年に関連部門を売却しており、対象はごく限られざるをえなかった。
ミノルタの提出した証拠書類は60万、70万枚に及び、そのすべてを英語に翻訳する膨大は作業があった。

また、証言録取は、日本では大阪の米国領事部において行われた。田嶋英雄社長を含め32人、米国でけ9人が証言を取られた。1回の録取は朝の9時から午後の5時まで及ぶ。人によっては4回、5回と受けていた。より抜さのメンバーであるαの開発チームがこうしたことで時間を取られる。後にミノルタが控訴を思いとどまることになった大きな理由になる。

88年、ミノルタはディシカバリーの範囲の広さに音を上げ、特許侵害の有無の部分と、損害賠償の算定にかかわるる部分との進行を分離、特許侵害を先行させる旨を申し立てるが、これは認められなかった。
一方、ハネウエルは90年にディスカバリーの進展スピードを不服に思い、ITC(米国国際貿易委員会)に提訴する。こちらも、ニュージャージーへの管轄移送の際の合意違反としてミノルタの抵抗に遭い、実現しなかった。

しかし、地裁判事はディスカバリーの進展を促すために、元州判事を日本に派遣する。「連邦地裁のこの措置については、思うところがあるが、コメントは控えたい」と坂本弁護士は口を閉ざす。どうやら、地裁の強権の下でハネウエルの弁護士は、ミノルタのきわどい業務機密の開示を得ることができたのだろう。

小倉教授け88年を境にハネウエル側の戦略は一変したと指摘する。以下、教授の指摘によると、87年末に対日強硬派と捉えられるジェームズ・レニエ会長が就任している。その会長の指導の下に事業のリストラクチャリングが進められていく。89年クライスラーの立直しに成果を上げた、クりストファ一・ステファン氏が引さ抜かれ財務担当副社長に就任、途端に今回の係争への取組みが変わっていく。まず、法廷外の和解交渉における姿勢が変わった。ある程度歩み寄りのあった和解金交渉は、このころから値を吊り上げ始めたらしい。また、損害賠償専門でスゴ腕のマイケル・シレッシ弁護士が弁護団に参加、新たに、TCLの契約違反を追訴し、ミノルタを大いに苦しめた。

言語がハンディになったトライアル
ディスカバリーの作業は91年5月に終了し、その後の審理のスケジュールが確定される。
9月にトライアルが始まり、実際に陪審を前にした審理に入る。

「法延で使う書類の翻訳をはじめ、言語の問題は本当に大きな壁だつた」(坂本弁護士)
ミノルタは当初裁判所の近隣の州で通訳を探したが、数が集まらず結局全米に募ったという。必要な通訳は12人に上った。日本人証人に対する通訳は質問する側が用意するというルールで、ハネウエルも通訳を用意したが、それはたったの1人だった。

また、証人への質問時間は決められているため、日本人が証人の場合は翻訳の時間を取られ半分の時間で主張しなければならないというハンディもあったようだ。当然、「誤訳、意訳による意図がねじ曲げられて陪審に伝えられることもあった」(吉山一郎ミノルタカメラ専務・当時)。

冒頭でも証人について触れたが、技術関係の証人を集める点でも、ミノルタ側弁護士は難しさを語る。「カメラメーカーがほとんど日本に集中するなか、米国でカメラの専門家を見つけるのけ非常に困難だった」.結局アメリカ中を探し回り5人の証人を集めている。ハネウエルはストーファー氏ともう1人の社内技術者のたった2人で事を済ませた。

争点については、ミノルタは故意の侵害と契約違反が認定されるのを最も恐れ、それぞれに専門の弁護士チームを組織した。ライツの先行特許を持ち出しての特許の無効を求める主張は、ミノルタが後に言うほどには熱心に展開していなかったようだ。

ハネウエルは損害賠償の算定に、より熱心だった。彼らは製品を販売していなかったために損害賠償の基準はあいまいになるが、ミノルタがマクサムの販売により上げた2.6億ドルの利益のうち1.4億ドル相当はハネウエルヘのロイヤルティーに当たるという主張を繰り広げた。その算定基準のなかには直接カメラとは関係ないはずの、複写機など事務部門の収益増も考慮に入れられていた。

評決の日は2月7日に来た。ストーファ一特許1件(401号).オガワ特許1件の侵害、935号特許の非侵害、残存期限の長い899号特許の無効、TCLの契約違反はなし、故意の侵害も認定されなかった。この結果は争点の多くの点でミノルタの主張が支持されたことを表わしている。しかし.ミノルタが9635万ドルの賠償金を支払う評決、さらに1億2750万ドルになった和解金を考えるとミノルタは敗れたと言わざるをえない。

「最初から結果を想定して取り組んでいれば、少なくとも、評決に至る前の和解を選ばざるをえないと判断したはずだ」と小倉教授は語る。ミノルタカメラの大番頭として開発面から同社を支えた吉山一郎氏はかつて、ある企業から特許侵害を訴えられた際、簡単にシャッポを脱ぎ金を払った。「結局出来すぎた成功に技術陣の鼻が高くなって、経営を振り回してしまった」(小倉教授)。世界の最先端の技術国家になった日本としては、自覚しておくべき一言だろう。

      

        

       

 

化学工学 1993年第1号  
    国際特許係争の経験
     一開発担当の立場から一

     東邦チタニウム 片岡拓雄・寺野稔

1. はじめに

日本企業の躍進により、国際貿易上の問題が多く報じられている近年において、日米間の特許係争が増加している。
米国内においては.価格競争力に勝り,かつ品質の優れた日本製品が氾濫し,産業上のかなめである軍事基盤さえも日本の半導体産業に支えられているといっても過言ではない状況である。こうした現実に直面した米国国民が、日本製品を歓迎しつつも.一方では深刻な危機感を抱えていることに、疑問の余地はないであろう。貿易不均衡という問題も相まって、経済に対する危機感は対外政策上の圧力となって重くのしかかっており.次第に強度を増している。

そのひとつの現れとして,近年日本企業にとって脅威な存在となっているのが,International Trade Commission(国債貿易委員会、通称1TC)である。ITCの権限は、1974年の通商法第337条により飛躍的に強化され、このITCを有利なかたちで利用することが、米国企業.法律家の間に浸透しているようである。日本をはじめとして,対米輸出の依存度の高いドイツ.韓国,台湾においても.ITCが障壁として立ちはだかっており,国際的な経済紛争は、事業規模、業種を問わず民間企業を巻き込んだかたちで深刻な局面を迎えている。

筆者らも,東邦チタニウム(株)において.イタリアの大手化学会社の米国子会社であるハイモント社との間で.ITCを舞台として争われた特許係争を経験している。ここでは,ITCによる調査の概要について触れるとともに,当社の具体的な体験を一例として述べてみたい。

2. ITCによる特許権侵害調査

ITC調査の対象となる行為の種類や範囲は明示されていないが.通常(1)特許,商標の権利侵害等に関わる工業所有権侵害、(2)ダンピング等の問題を中心とする不正競争行為,(3)独禁法違反行為の3つに分類される。ITCの統計によれば.日本企業が巻き込まれたケースの約8割が特許侵害問題に関わるもりである。 

特許問題に関連して,ITCとは別に.連邦地方裁判所に申立てられる侵害訴訟があげられるが.これは常に民事訴訟であり,通常長期間に渡って争われるものである。これに対して.ITCに申立てがあった場合,調査は公示後1年以内に終了し.決定がなされる。被告となる外国企業が不意に訴えられた場合.このように極端に短い審理期間での対応は相当な負担であり,不利となることは言うまでもない。だからこそ,米国企業にとってlTCが好まれるわけである。

ITCによる調査は多岐にわたるが.被告側に対応が迫られる第一段階は.ディスカバリー(証拠開示)である。きわめて広い範囲に渡って詳細な関連資料提示や質問状に対する回答が求められるほか,デポジションと呼ばれる証言聴取も行われる。ディスカバリーにもとづき,当事者間での議論がITC法廷で行われるが.これはヒアリング(事実審理)と呼ばれているものであり,司法手続きにおける裁判に相当する。審判官による仮決定が調査開始日から起算して9ヶ月以内に制限されていることから,通常.ディスカバリーは5カ月内に.ヒアリングは7ヵ月内に完了しなければならない。仮決定後.要請に応じて再審査が行われるが.12ヵ月後には最終的なITCの決定が下される。ITCの判決が被告側にとってクロ(不公正輸入を認定)となった場合,大統領は外交上の影響を考慮してITC決定の妥当性を判断するが,大統領が異議な唱えない限り.ITCの命令(排除命令または中止及び停止命令)が効力を発することになる。

上記の通り、ITCの手続きは極端に短縮化されたものであり,十分な準備のもとで申立てする原告側に比べ,被告側としては短期間に多くの体力を消耗することを意味する。そうしたITC調査の特質が公平であるかどうかについては疑問の多いところではあるが,米国をマーケットの対象とする限り.ITCは日本企業にとっては避けて通れね存在となっている。

3. 当社での経験
 3.1 背景

特許係争の対象となったのは、ポリプロピレン(PP)製造用の高性能触媒に関わるものである。従来固体触媒としてはTiCl3をペーパーとしたものが主流であり.現在でも旧型のPP製造プロセスを中心に広く用いられている。しかし,1970年代前半に.モンテジソンおよび三井石油化学工業により、画期的な触媒技術の進展が達せられた。これは、担体としてMgCl2を用い電子供与体と組合わせてTiCl4を担持したタイプである。両社はそれぞれ独自に開発を進めてきたが,1975年以降は共同で開発が行われ,第3世代といわれる高性能PP用触媒の分野での先行技術を構築した。従来型TiCl3触媒に比較すると、触媒活性は,単位触媒重量当たり10倍以上、単位Ti量当たりでは数百倍程度にもなる。その結果、それまで必要とされていた生成PPからの触媒除去工程を省略することが初めて可能となり、簡略化された省エネプロセスが実現するに至った。

現在では、全世界PPの約50パーセントが第3世代触媒を使用して生産されている。また.第3世代触媒の使用を前提としてデザインされた新型のプロセスの6割近くがハイモント(モソテジソンの米国子会社)および三井石化のものである。

 3.2 特許係争の経緯

東邦チタニウムはTiCl3触媒の製造・販売において二十数年り歴史を有するが.上記のような触媒技術の革新の流れを受けて,かねてから第3世代触媒の開発を行ってきた。触媒製造方法に関しては、独自の技術によるもりであるとの確信があったため.1986年にはコマーシャル生産を開始し.先行するハイモントおよび三井石化との間で競合を続けてきた。

ところが,88年8月にハイモントから特許侵害の警告を受けた。これに対して東邦は89年8月,ハイモントおよびモンテジソン社を米連邦地裁に提訴し.東邦の触媒がハイモント.モンテジソン.三井石化の所有する米国特許を侵害するものではないとの判決を求める確認訴訟(通常DJAと呼ばれる)を起こした。これに対し.ハイモントは同年10月,ITCに東邦触媒の輸入差し止め要求を申立てた。翌年の7月にITCは.ハイモントの申立てを却下した。これに基づいて両社は和解,東邦は全世界において制限を受けることなくMg−Ti型触媒の製造・販売を行い得ることになった。同時に東邦はDJA申請を取下げている。

 3.3 特許検討および訴訟対策

結果的にITCからの輸入差し止め要求を食い止め満足のいく形で和解に至るためには、技術や発想の独自性が最も重要であるが.その他にも、長年の特許検討の蓄積と社外弁理士・弁護士との連携ということも見逃せない。当社は.過去にもエクソン社とTiCl3型触媒に関連する特許訴訟を経験し、事実上勝訴に持ち込んだ経緯もあり、万一に備えての訴訟対策の必要性は十分に認識されていた。

このため,先行技術を落ち目無く調査・分類し社内で検討する作業は,高活性触媒の開発開始当初から着手した。モデル化合物を用い,分析機器を駆使した基礎的な試験も行われた。他社特許と当社技術との違いを明確にするための特別な試験も計画され、実行に移された。他社の特許をトレースするような試験でも,初めから自社技術との差を調べることを目的とした位置づけがなされていたため.後の訴訟の段階では有効に働いた。まさに"備えあれば憂いなし"である。

とは云え,開発担当側が主体となった検討だけでは十分ではなかった。技術屋の立場で明らかに違いがあると認識するような事項でも.法律屋の意見は必ずしも一致しない。特許上の違いを判断する上では.別の観点から見直す必要にしばしは遭遇した。機能上の違いよりは特許中に表現された文言上の違いがより重要である。さらには,均等論を適用した場合の抵触性の検討も十分に行う必更があった。弁理士による鑑定では抵触性無しと判断されても.万一の事態を考えると慎重にならざるを得ない。

当社がハイモントを相手取って確認訴訟を起こしたことに対抗して,ハイモントがITCに提訴してくるであろうことはある程度予想できた。しかし.実際のITC調査への実務的対応は困難を極めた。ディスカバリーの段階で相手側当事者から送られてくる質問状に対する回答期間は.原則として10日である。質問内容を吟味し,不適当な質問に対しては異議を唱えなければならない。また,書類提示の要求もある。過去の社内報告書、会議議事録、ユーザーとのやり取りに関する証拠書類など広く及んだ。提示の対象となった文書類は膨大であり,小さな会議室の一室を埋め尽くした。なお書類提示の際には,守秘命令(Protective Order)の対象となる秘密事項および守秘特権(Attorney-Client Privilege)に関わる書類に関しては,特に留意する必要があった。次にデポジションでは.公証人の立会いのもと,相手側弁護士から関連事実の供述を求められる。有能な弁護士はトリッキーな質問をしてくるので,警戒が必要であり、相応の準備と訓練を要した。供述には一人当たり1〜2日,主な発明者に対しては3日を費やし,質問内容は事細かなものまで及んだ。

以上はITCの調査過程における実務的な経験の一部であるが,前述した短期間での対応を迫られるため.日頃の準備無しでは有利な結果に持ち込むことは極めて困難であると思われる。一般に.対策,準備を十分に行った企業の場合は,ITCでの勝算が高いことが言われている.なお.弁護士費用等も相当な額に昇り、会社としてもかなりの負担となることには覚悟が必要である。

4. おわりに

米国人は訴訟好きであるということがよく言われる。それもある意味では.米国の特殊性として.訴訟をひとつの話し合いの場として捉えようとしているからなのかも知れない。ITC特許訴訟の半数は和解により終結しているように.最初から和解の条件を有利にしようとして手続き開始する企業もあるらしい。

無論、訴訟はできる限り回避したいものである。そのためには第一に.オリジナルな研究閉発を行うことが大切であることは言うまでもない。そして,独自の発想,方法により試験を進め開発したことを詳細に記録に残すように努めるべきである。しかしながら.他社技術との抵触の可能性を百パ一セント否定できるようなものは稀であろう。したがって.先行技術や関連特許の特定・回避の検討を十分に行う必要がある。万一の訴訟に備え,社内的な文書管理も徹底されていなければならない。また、技術者としてもある程度の特許知識を持つことが有用であり,それを守りの戦略ではなく攻めの戦略に役立てていくことが望ましい。しいてはそれが真の競争力となって,日本の技術の独自性・優位性をアピールすることができるものと考える。