長谷川社長

長谷川社長は当時、年に5―6回はニューヨークに来た。チェースマンハッタン銀行のAdvisory Committeeのメンバー(Kissingerもメンバーだった)で年に2回出席したほか、マスターズ(長期間皆勤)やUSオープンもあった。半分位は奥さん同伴で、その際はSCAIの出向者が夫婦同伴で食事によばれた。

食事の席ではしゃべるのはほとんど筆者夫婦とトム西坂夫婦だけであった。ずっと前に駐在員が奥さんの発言で飛ばされた話が代々伝えられているからである。

三沢社長も任期終了前に帰国することとなった。
三沢さんの場合はずっと輸出勤務で直前は農薬営業部長であった。NY駐在員時代から、ヘッドは長谷川さんへの対応方法をよく知っている外国部の部員が主であったため、懸念する人が多かった。しかしSCAIが農薬事業中心の会社であることから、当時の農薬事業部長の岡田英之さんが自分が責任を持つとして決めた。(しかし、直後に住友ベークライトに移った。)
やはり長谷川さんは三沢社長の対応に不満を表明していたが、森本さん等が支えていた。

しかし三沢さんの責任でない事態で帰らざるを得なくなった。
長谷川さんは米国では単独行動でSCAI事務所に来られる場合以外はSCAIはほとんど関与しなかった。その時長谷川さんはカーター前大統領と会談をすることとなったが、アトランタ総領事が是非といって同席した。条件としては会談議事録を長谷川さんに見せるということで、NY総領事館に議事録を送るとのことであった。SCAIではそんな話を全く承知していなかったが、NYを離れる前夜に長谷川さんから、「あれはどうなっている?」と聞かれた。驚いて三沢さんが何の話か聞いた上でNY総領事館に電話したが着ていないということで、アトランタ総領事館に電話した。総領事は帰宅した後で、仕方なく翌朝電話すると、早朝にゴルフに出たということで連絡がつかなかった。後で分かったことだが、領事館同士の情報伝達は禁止で、必ず外務省経由ということになっており、時間がかかったもの。この件で長谷川さんから強い指示が出て、交替となった。(当時、森本さんが飛んできて筆者がホテルに呼ばれ、事情を説明した。)

三沢さんの後任選びは難航したが、最終的に横塚さんになった。横塚さんはデュッセルドルフ駐在員もしており、しかもその後、シンガポールのPCS社長と、海外駐在が長い。