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第13回「ペイオフ実質延期の背景にある現実を直視せよ!」   2002/08/20

 7月31日、ペイオフの実質延期を小泉首相が指示したことで、このところ喧しかった「ペイオフ解禁の是非論」は実質的に終結した。多少の紆余曲折はあったとしても、後は落とし所を探るだけだ。時間の問題と言っていい。

 柳沢大臣答弁の食い違い
 あまりにも無節操かつ突然の幕切れに辛口のコメントを投げつける気力も起きないが、読者には第9回「柳澤大臣は約束を守ったか」という当コラムを再読することをお勧めしておきたい。私は、近著「粉飾答弁」(アスキー刊)をまとめるために金融行政に関する国会答弁を1万ページ以上読破したが、ペイオフに関する柳澤大臣の答弁は今回の実質延期と見事なぐらいに食い違っていた。普通なら恥かしくて辞任しておかしくないほどの食い違いだ。

 柳澤大臣は、「2001年の3月いっぱいまでに何とかこの日本の金融機関を本当に健全なものに……して、来るべきペイオフの時代になっても、預金者であるとかあるいは株主であるとかというような方々から不信の念を持って眺められる……ことのないような、そういう金融システムを一日も早く構築いたしたい」(99年7月9日)とか、「私は、金融機関の、金融のシステムとしての不安が今日現実のものになるとは到底思っておりませんので、したがって、ペイオフは、これはもう予定どおり、延期する必要はない、このように考えているところでございます」(2001年2月8日)とおっしゃっていたのである。金融機関は健全で安全なのだから、そもそも「ペイオフを怖れる」ということ自体がナンセンス極まりないというスタンスであった。

 さらに加えて、「(ペイオフを延期すると)懸命に努力した銀行と、まあひょっとするとこれは延びるかもしれないぞといって努力を怠った銀行とが実に不公平なことにもなる。また、国民の政府の方針に対する信頼というものもそこでまた揺らいでしまって、いつまでたっても本当に自己責任のもとにおける預金等の活動ということがある意味で溶解してしまう」(99年7月9日)とか、「ペイオフ解禁をまた延ばすとかなんとかいったら、せっかくずっと、経済のいろいろなこの厳しい状況の中でそれぞれの主体が緊張感を持ってこの時代を迎える準備をしているわけですけれども、そういったものが一挙に弛緩をしてしまう」(2001年11月7日)などと説教めいたことまで断言していた御仁なのだ。

 不良債権問題先送りの原点
 あまりの食い違いに追及するのもアホらしくなるが、こういう「食い違い」が発生するのは、現状に対する認識に大きな「食い違い」が存在するからなのかもしれない。真実が晴天の下に示されれば、柳沢大臣の「粉飾答弁」も公衆の面前で明らかになるものを……。このもどかしさをスッキリと解消してくれる識者はいないものかと探していたら、やはり日本は捨てたものではない。素晴らしい本を発見した。

 それは、中公新書から刊行されている
「メガバンクの誤算」という新書だ。著者はこのBizPlusでも論陣を張っていらっしゃる箭内昇氏。私も金融界に属する人間として、旧長銀の経営陣を真っ向から批判した最期の改革派という噂を仄聞したことがある。

 一読していただければご納得いただけると思うが、やはり現実の経営の第一線で不良債権問題と取り組まれた方の文章には重みと迫力がある。柳澤大臣がこの夏休みに読まなければならないベストワンの本。特に第4章「90年代邦銀の没落」は圧巻だ。不良債権問題の現実を直視せずに、ペイオフ延期だけに固執している愚を思い知らされるだろう。

 箭内氏は、近年の経緯を事実に即して克明に記している。例えば、1992年、日債銀が関連主要ノンバンク3社に対して、他行に金利減免の要請をしたときに、メインバンクの責任を果たさないという掟破りに対して、「日債銀いじめ」が湧き起こった。

 『この日債銀いじめをみた銀行経営者は、自分の関連ノンバンクや自行のメイン取引先についての金融支援を他行に要請することだけはなんとしても回避しようと固く誓ったに違いない』と箭内氏は当時を振り返る。そして、『だが、このとき固めた「誓い」が後の不良債権問題先送りの出発点であり、最大の要因になった』と断罪している。

 そうした中で、『大手銀行の財務担当者間では不良債権額トップの汚名だけはなんとしても避けたいという思惑が強く、水面下で陰湿な「不良債権隠し競争」が展開した』のだが、『実質的に破たんした取引先に対して償還期限延長の変更契約を結んで金利だけを支払わせた』り、『資金繰りが行き詰まった企業に追加資金を融資して元利金を支払わせた』のだという。これは外部の銀行アナリストによる分析ではない。当事者の赤裸々な告白なのだ。金融当局者なら心して読むべきであろう。

 政治が打ち砕いた金融界の常識
 箭内昇氏の「メガバンクの誤算」を読み進むと、さらに問題が悪化していく様がみえてくる。例えば、95年の兵庫銀行の破たん処理である。資産量トップの第二地銀だった兵庫銀行は、バブル時代の放漫経営で行き詰まり、93年6月から吉田正輝元銀行局長を社長に迎えて再建中のはずだった。しかし結果は、3兆5600億円の貸出資産のうち1兆5000億円が不良債権というボロボロの惨状。

 箭内氏は、このときの事後処理が現在に続くモラルハザードを招いたのだと厳しく指摘する。具体的には、『もっとも驚いたのは吉田社長の経営責任が社長辞任と退職金辞退だけですまされたことであった』と当時の心境を吐露し、『「公的資金を導入しても責任をとらなくてよい」という意識を脳裏に刻んだはずだ』と原罪を問うている。

 その直後の住専の破たん処理もひどかった。当初案は、母体行は全額債権放棄をした上で、農林系も1兆2000億円を負担するというものだったが、自民党は農林系の負担を半分以下の5300億円に削った上で、残りは公的資金を注入するという強引な処理案で強行突破したことをご記憶の方も多いだろう。

 この事件における、『農林系の負担する5300億円は債権放棄ではなく、住専から一度全額償還を受けた上で改めて贈与するという奇妙な方法だった。「農林系には焦げ付きなどなかった」と強弁したのである』という箭内氏の指摘は鋭い。確かに今から振り返っても住専処理は、『金融の原則を踏み外した最悪の処理』であった。この処理に関して、当時、『柳沢伯夫現金融担当相も自民党が設置した系統金融プロジェクトチームの座長として農林系擁護の急先鋒であった』ことは、念のため指摘しておこう。

 箭内氏は、この経緯を振り返って、『不良債権という純粋な金融問題が政治の道具になり、結局最後は政治家も官僚も手におえなくなって放り出してしまったというのが現在の銀行危機である』と喝破している。『金融界の常識は政治力によって見事に打ち砕かれ、大手銀行は以後メイン取引先の不良債権処理に対する意欲を完全に失い、問題先送り路線を走るようになったのである』との記述は真実だけに悲しい調べに満ちている。

 一度堕落してしまうと、後は苦界に堕ちていくだけである。『金融当局は、不良債権の実態を把握し、地価がさらに下落して銀行の経営がますます圧迫されるのを十分に予見しながらも、余力のある銀行に銀行界全体の損失を割り振るという奉加帳スタイルの処理策を強行して銀行界全体の体力をそいでいった』し、『銀行サイドも不良債権問題の深刻さを認識し、抜本的処理に着手しなければ危機を迎えることを予見しながら、業界内のカルテルを強化することによって展望のない逃げ込みをはかった』。そして、『不良債権問題は国家ぐるみの先送り構造に陥っていった』のであった。

 不良債権問題「3つの教訓」
 さらに次があるから恐ろしい。箭内氏に拠れば、98年8月の長銀破たんから以降の期間は、『当局も銀行も国益を損ねることを明確に認識しながらひたすら組織防衛に走った「国家的背任の時代」』なのだという。『当局は破綻した長銀を特殊例外扱いすることによって生き残った銀行を無理やり「健全銀行」に仕立て上げ、問題の本質を隠蔽することで大手銀行の不良債権処理を決定的に遅らせたのである』と一刀両断。世の中では「銀行に厳しい」とみられがちの私よりも、一段と厳しいご託宣だ。

 正鵠を得た箭内氏の指摘はあまりにも鋭い。金融当局者と銀行経営者の臓腑を抉っている感がある。金融の裏と表を究めた箭内氏は、不良債権問題に関して、重大な教訓を3点指摘している。

 まず第1の教訓は、『輸血(融資)だけで生き延びている企業は早期処理しないと傷口を広げる』ということ。しかし、箭内氏も認めているように、『大手銀行はその後も死に体の関連会社やゼネコンなどに輸血を続けて不良債権額を膨らませた』のが実情だ。

 第2の教訓は、『不良債権の隠蔽は麻薬の恐怖』ということだ。この点に関して箭内氏は、『長銀が破綻し、その不良債権の実態や「飛ばし」についての詳細が報道されるにつれ、ほとんどの大銀行経営者は規模の差こそあれ、自分の銀行が長銀の相似形であることを明確に認識したはずだ。しかし、大手銀行はいまだに合法的な飛ばしを続けている』と証言する。その詳細については、原本を読んでいただきたいが、未だに「飛ばし案件」や「まぶし案件」が不良債権額を膨らまし続けているという箭内氏の指摘に背筋がゾッとする。

 第3の教訓は、『ひとたび「健全銀行」の認定を受けると、金融当局も銀行もかえってその後の不良債権処理が困難になる』ということである。その結果、未だにわれわれは銀行危機の真っ只中にいる。『当局は行政面で何らの軌道修正することもなく「健全路線」を強引に突っ走って、業界全体を危機に陥れた。大手銀行はもっと悪質だ。不良債権の実態を完全に把握し、公的資金導入が不可欠であることを十分認識しながら「健全銀行」の仮面をかぶって国民をあざむいた』という箭内氏の怒りは悲しいくらいに正当だ。

 嗚呼、せめて小泉首相は、ペイオフ実質延期の号令を掛ける前に、この「メガバンクの誤算」を読むべきであっただろう。『「時間稼ぎ」と責任回避を実現した大手銀行は、統合・合併という規模の拡大による「目くらまし」戦略を展開してさらに背任の罪を拡大していった』という箭内氏の指摘に反論できる金融当局者や銀行経営者は、果たしているのだろうか。

 読者におかれては、「メガバンクの誤算」を読み、不良債権問題の実態をよくよく理解してから、拙著「粉飾答弁」を熟読されることをお薦めする。あまりに実態を無視した官僚答弁に、怒りで頭がぶち切れること請け合いだ。

 

第14回「金融問題を語るなら、まず、長銀事件の判決文を読め!」  2002/09/26

 金融問題を論じる多くのエコノミストたちに是非とも読んでいただきたい文章がある。
 
 当たり前の基本知識を理解しないエコノミストたち

 「証券取引法が、……会社の概況や経理の状況等その事業内容に関する重要な事項を掲載した有価証券報告書等の……開示を求めている趣旨は、現代社会における企業の資金調達手段として重要な機能を担い、かつ、その経済活動の基盤となっている証券市場において、投資家が、その自主的な判断と自己責任に基づき安心して有価証券の売買を行うことができるようにするためには、投資等の判断等をするに当たって必要不可欠な上場会社の財務内容等に関して客観的でかつ正確な情報の提供を受ける必要があることに基づくものであり、上場会社によってその財務内容の重要な事項に虚偽の情報が混入させられることは、多くの投資家の判断を誤らせて経済的損失を被らせるだけでなく、証券市場に対する投資家の信頼を失わせ、ひいては我が国の経済にも重大な悪影響を与えかねない」

 どうだろう。金融論の初級教科書を読まされているという感じだろうか。それとも、「そんなことは当り前だ」という反応だろうか。

 この文章の出自を答える前に、もう一つ、次の文章を読んでもらいたい。

 「商法において、利益の配当をするに当たって一定の配当可能利益の存在を要求している趣旨は、株式会社に対する債権を有する債権者にとっては、会社が保有している財産が唯一の担保であるため、安易な資本の流出を防止することによって債権者の利益を保護する必要性が高いことに基づく」

 これまた商法の教科書から引用したような印象を与えてしまうかもしれない。しかし、商法を学んだ者であれば当り前のこの基本知識を理解しているエコノミストは驚くほど少ない。

 じつは、この2つの文章、どちらとも出自は同じである。

 日本長期信用銀行の粉飾決算事件に関して、元頭取の大野木克信らは証券取引法違反と商法違反の罪に問われてきた。そして9月10日、東京地裁は、大野木被告に懲役3年、執行猶予4年を言い渡した。2つの文章は、そのときの判決文から引用したものだ。

 川口宰護裁判長は、「証券市場に対する投資家の信頼を裏切り失墜させたことは明らかである」と断じ、「巨額の違法配当を実施し会社財産を流出させたことは、会社財産及び債権者らの利益を危うくした誠に重大かつ悪質な犯行といわざるを得ない」と判示した。

 川口裁判長はこう解説している。

 「金融機関においては、一般企業以上に公共性が強く、企業経済活動をはじめとする国民経済の基礎となる重要な役割を担っていることからして、より高度な企業倫理が要請されることに加え、本件当時は、バブル崩壊に伴う景気の減退が続き、その原因が金融機関における多額の不良債権処理の遅れにあると指摘され、その早期処理が喫緊の課題とされていた時期に当たり、それまでの裁量的な行政指導による金融行政から透明性の高い客観的な基準に基づく行政処分による金融行政に転換するに当たって、金融機関の自己責任が強調され、それまで以上に自己責任の強化が求められていた中で、主要金融機関の一角を占め、長期信用銀行として国民の信頼を得ていた長銀の経営者であった被告人らが巨額の不良債権の隠蔽を図ったことは、誠に悪質な犯行と言わざるを得ない」

 どうだろう。粉飾決算は立派な犯罪なのだ。わが国のエコノミストは、この点に関する理解が決定的に欠けている。エンロンやワールドコムの粉飾決算を責めるのに、長銀に代表される邦銀の粉飾決算については口を拭っている。極めて場当たりで無責任な評論だ。

 資産査定通達違反は粉飾決算
 いずれにしても、この判決文を冷静な気持ちで読める銀行頭取はそうおるまい。もっとも、ひょっとすると、「世の中の仕組みを知らない裁判所が暴走しおって……」くらいの受け止め方をしていらっしゃるのかもしれない。

 非常に重要な判決なので、その内容を吟味しておこう。争点は、粉飾決算か否かという点に尽きる。

 となれば重要なのは会計である。財務諸表の会計処理基準については、商法の規定が適用される。そして金銭債権の評価に関し、商法285条の4第2項は「金銭債権に付取立不能の虞あるときは取立つること能はざる見込額を控除することを要す」と定めている。

 そして、いかなる場合が同条項にいう「取立不能の虞あるとき」に当たるのか、また、「取立つること能はざる見込額」をどのように算定するのかについては、商法第32条2項の「商業帳簿の作成に関する規定の解釈に付いては公正なる会計慣行を斟酌すべし」との規定に従うことになる。

 この「公正なる会計慣行」に当たるものとして、企業会計原則・同注解が挙げられるが、同様に、金融当局が示している決算経理基準も、「公正なる会計慣行」に当たると解せられる。

 さて、平成10年4月から金融機関の健全性確保のために早期是正措置制度が導入され、金融行政当局が、各金融機関の自己資本比率に応じて業務改善計画の提出等の是正措置を発動することになった。これに伴い、自己資本比率算出の前提として、大蔵省大臣官房金融検査部から資産査定通達が発出され、同年3月期末決算から、これらの基準と整合性を有する適正な自己査定基準を策定した上で自ら資産査定を行い、不良債権を含む貸出金等を回収可能性に応じて分類し、その結果に基づいて従来にも増して適切な償却・引当を行うことが求められた。

 この資産査定通達は、貸出金等の回収不能見込み等を判断する上で合理的な基準であり、当時これに代わる合理的な基準は存在しなかった。したがって、この通達は「公正なる会計慣行」に相当し、これらの基準に違反する会計処理に基づいて貸借対照表等を作成することは、有価証券報告書上の財務諸表の作成方法に係る規範違反となる。要するに粉飾決算とみなされるわけだ。

 早期是正措置制度は、不良債権を早期に処理し、バブル経済の崩壊で低下したわが国の金融システムの機能回復を図るとともに、市場規律に立脚した透明性の高い金融システムを構築することにより、その安定化、健全化を成し遂げるために導入された制度である。その背景に鑑みれば、この早期是正措置制度を有効に機能させるために策定された資産査定通達等の趣旨に反する会計処理は許されるはずがない。

 そういう状況下、長銀は、関連親密先は一般先と異なるとして、「経営支援先」「経営支援実績先」「関連ノンバンク」という債務者区分を設けた上、これらの関連親密先は、長銀が支援を続ける限り、経営破綻に陥る可能性は極めて小さいからという理由で、非常に甘い査定を適用していた。それが問題視されたのだ。具体的には、第一ファイナンス、エヌイーディー、日本リース、ビルプロ有楽エンタープライズなどが挙げられ、その内容の杜撰さが詳細に立証されている。

 巨額の不良債権知りつつテクニック弄する
 長銀と関連ノンバンクは、バブル期に不動産関連会社等への融資を増大させたため、バブル崩壊とともに多額の不良債権を抱え込むに至った。その後も不良債権の抜本的処理を図ることなく、赤字決算を回避する目的で受皿会社を設立して「不良債権飛ばし」をするなどして不良債権処理の先送りを続けてきた結果、大野木氏が頭取に就任した平成7年4月ころには不良債権額が巨額に上っていたとみられる。

 例えば、同年7月10日に開催された常務会において報告された長銀の関連会社27社の不良債権額は合計で1兆4334億円に及んでおり、長銀リース等の関連ノンバンク6社の不良債権だけでも9905億1700万円もあって、処理しなければならない不良債権額が8908億円にも上っていた。このとき、大野木氏が「9000億円の処理をすぐにはできない」旨の発言をした記録が証拠として残っている。

 また、平成8年4月に大蔵省による金融検査が実施される直前に開催された会議の資料には、「査定後(最悪ケース)」の場合には即刻償却しなければならない不良債権額(以下、W分類)が1兆1256億円と示されていた。

 さらに、MOF検での検査結果を受けて事業推進部担当者が作成し、経営陣に説明した「今後の不良資産処理について」と題する資料の中にも、関連ノンバンク7社について「実態ベース(現時点において当行として本音ベースで自己査定した場合の分類数字)」の数値として、W分類が1兆608億円と記載されていた。

 また、97年度から99年度までの3ヵ年の中期計画が策定される直前の平成9年2月の会議の席でも、7000億円から1兆円あると見られていた。さらに、同年12月の会議における社員向けの不良債権処理方針でも、「関連親密先の損失を完全に一掃するには1兆円規模の手当が必要で、当面はこれを一掃出来ないので抱えていかざるを得ない」との説明が行われていた。

 要するに大野木氏らは、少なくとも1兆円前後の処理を要する不良債権があることを十分認識しながら、意図的にその会計処理を怠ったのだ。その事実を否定することは難しい。

 ちなみに、平成9年4月下旬から5月上旬にかけて、長銀経営者に説明した「早期是正措置への対応と今後の不良債権処理について―不良債権処理3ヵ年計画―」という資料には、自己査定に関して「関連・親密先については、日本リースの扱い等無理をしているところがあり、会計士から相当意見が出てくる可能性がある」と記してあったという。また、償却・引当に関しても、「関連・親密先については引当率の考え方について会計士と相当議論になることは必至」と指摘していた。

 巨額の不良債権があることを知りながら、償却・引当を避けるために、諸種のテクニックを弄してきたことが白日の下に晒されたわけだ。

 前回のコラムで、箭内昇氏の「メガバンクの誤算」(中公新書)を紹介し、『大手銀行の財務担当者間では……水面下で陰湿な「不良債権隠し競争」が展開した』中で、『実質的に破たんした取引先に対して償還期限延長の変更契約を結んで金利だけを支払わせた』り、『資金繰りが行き詰まった企業に追加資金を融資して元利金を支払わせた』ことを示しておいたが、その事実が裁判でも立証されてしまったのである。

 川口裁判長は、明らかになった事実をとりまとめて、この事件の本質を次のように説明している。じつは、ここで触れられている点は他の邦銀にも当てはまる不良債権問題の核心である。

 「本件は、……早期是正措置制度が導入されるに当たり、……適切な自己査定を行い、不良債権について適切かつ妥当な償却・引当を実施した上で、客観的かつ正確な財務諸表を作成されることが期待され、かつ、義務付けられていた時期において、長銀の頭取……らが、……多額の不良資産を生じさせてしまった関連ノンバンク等を多数抱えている事実を隠蔽し、長銀に対する早期是正措置の発動を回避する意図から、……資産査定通達……の許容する範囲を逸脱した自己査定基準を策定して不良資産額を過少に積算した上、貸借対照表や損益計算書等の財務諸表及び利益処分計算書に過少な当期期処理損失を計上した有価証券報告書を作成……するとともに、株主に配当すべき剰余金が存在しないのに違法に株主に多額の配当を実施したという事案であって、その粉飾額は3100億円余りで違法配当額も71億円余りと多額に上っている」

 健全銀行の仮面かぶり国民をあざむく
 もっとも、川口裁判長の指弾は長銀ひとりに向かっているわけではない。重要な部分なので引用しておこう。

 「被告人大野木が代表取締役頭取に就任した時には、既に巨額の不良債権を抱え込んでしまっていて、その処理は容易な状況にはなかったと言える。そのような状況の中で被告人らは、何とか住専処理を実行したものの、その後は、株式市況の低迷で不良債権処理の財源となる有価証券の含み益が減少する一方で、早期是正措置制度の導入に当たってBIS比率を確保し、かつ、長銀に対する市場の信頼を繋ぎとめる手段としての配当を続けるという苦渋の選択をせざるを得なかった側面があることも否定できない。その意味では、長銀の厳しい財務状況の中でその経営陣の中核となり、極めて困難な舵取りを委ねられた被告人らの立場には同情すべき余地があり、被告人らだけを非難することは失当と言える。

 この部分は、不作為の罪を重ねて、病状を悪化させ続けている金融当局者に心して読んでいただきたい箇所だ。わが国の金融当局は、業界ぐるみで罪を犯しているのだ。その点については、箭内氏も指摘していた。前回のコラムでも紹介したが、改めて読み返しておきたい。

 箭内氏は、「メガバンクの誤算」において、『金融当局は、不良債権の実態を把握し、地価がさらに下落して銀行の経営がますます圧迫されるのを十分に予見しながらも、余力のある銀行に銀行界全体の損失を割り振るという奉加帳スタイルの処理策を強行して銀行界全体の体力をそいでいった』と記述し、『銀行サイドも不良債権問題の深刻さを認識し、抜本的処理に着手しなければ危機を迎えることを予見しながら、業界内のカルテルを強化することによって展望のない逃げ込みをはかった』と断じた。そして、『不良債権問題は国家ぐるみの先送り構造に陥っていった』と慨嘆している。

 『長銀が破綻し、その不良債権の実態や「飛ばし」についての詳細が報道されるにつれ、ほとんどの大銀行経営者は規模の差こそあれ、自分の銀行が長銀の相似形であることを明確に認識したはずだ。しかし、大手銀行はいまだに合法的な飛ばしを続けている』と箭内氏は証言する。『当局は行政面で何らの軌道修正することもなく「健全路線」を強引に突っ走って、業界全体を危機に陥れた。大手銀行はもっと悪質だ。不良債権の実態を完全に把握し、公的資金導入が不可欠であることを十分認識しながら「健全銀行」の仮面をかぶって国民をあざむいた』という箭内氏による告発の真否が裁判によって明らかにされるのはいつなのだろう。

 

第15回「大切なのは銀行経営者か、それとも中小企業か?」  2002/10/08

 金融庁では、日本経済の再生に向け、「平成16年度には不良債権問題を終結させる」との小泉総理の指示を受けて、『金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム』を発足させることになった。同プロジェクトチームは、民間の専門家と当局とで構成し、不良債権処理に関する包括的なシナリオについて早急に幅広く検討することとなる。
 このプロジェクトチームにおける議論を踏まえ、金融庁では、十月中に不良債権問題を終結させるための方策を取りまとめる予定。10月3日、図らずも私自身が、メンバーに指名される運びとなった。

 検査・マニュアルに責任転嫁しやりたい放題
 その事実が意味することの重みは、翌日思い知らされることとなる。というのも、私がメンバーに指名されたその日、あるメガバンク(武士の情で名は秘す)の某支店が、中小企業の貸し剥がしを実施する際、「今度、木村というのが、金融庁のプロジェクトチームに入って、あんたのところの貸金を回収しろと言っている」と脅しつけたため、その中小企業の社長が弊社に抗議してきたからだ。

 「やはり、そうだったか……」

 私は深い失望を禁じ得なかった。様々な人々から銀行が貸し剥がしをする際、金融庁検査や検査マニュアルなどの責任にして、やりたい放題のむごいことをしていると、間接的には聞いていたが、それは事実であった。

 銀行は、自らが生き残りさえすれば、何でもありだということで、嘘八百を並べ立て、他人のせいにしながら、貸し剥がしを行っているのである。

 こういうことをしているから、日本経済は良くならないのだ。こういうビジネスをしているから、銀行は世の中の人から恨まれるのである。

 私は即断即決した。こうした惨状にある中小企業の人々をサポートするため、出来る限りのことをしようと――。そこで、弊社のホームページで、次の文章を掲げたのである。

 メールでとどいたある中小企業の苦境
 「このところ、金融庁の対応、金融検査マニュアルの内容あるいは金融分野緊急対応戦略プロジェクトチームの発足を理由に、健全な事業を営む融資先に対する資金供給の拒否や資金回収を行なうなどの不適切な取扱いを行なう銀行もあるようです。万が一、貸し渋り、貸し剥し、金利引上げ、無理な要求、それに類する不当な扱いをされた方は、そのような行為をした担当者名、所属する金融機関名と部署・支店、その内容をE-mail(obanan@kpmg.or.jp)にてお知らせください。弊社は、木村代表を介して、金融庁のしかるべきところに責任をもって報告いたします。」

 果たして掲載した翌日、早速いくつかメールが届けられた。そのうちの一つが、中小企業をめぐる金融の現状を見事に表現しているので、多少長くなるが全文を紹介したい。

 「はじめまして。神奈川県で中小企業を営む者です。この度、貴社代表の木村さんが上記プロジェクトチームの一員として選定されましたことを受けまして、中小企業を営む者として、率直な意見を述べさせて頂きます。」
 「私は基本的に木村さんの方策には賛成です。銀行の抱える不良債権問題は、そもそも日本に多く存在する中小企業の問題ではなく、一部の大手企業の問題です。」

 「殆どの中小企業は、その担保に会社の定期預金などと個人の土地(現金換算70%程度)、保有株式、債券などを提供しています。返済も滞りなく行なっているにも関わらず、先月から再び中小企業や個人事業主に対して貸し剥がしが加速していることが見受けられます。」

 「株価の低迷、内閣改造を睨み、金融行政が本格的に不良債権問題に取り組むと予想された時期から、私たちの身辺でも優良企業でありながら、銀行から融資の返済を求められており、この一年で、借金の半分以上返済されている方も多いです。残りも個人保有の土地を会社に売り、そのお金で返済するとか株を売って借金を返済している人も多いです。生命保険を解約されている方もおられます。」

 「つまり返済能力に問題がない借金を不良債権として認定し、返済を迫っている実態が小口のレベルで起こっている現象です。一部の問題不良債権ばかり誇張して、行き過ぎた金融行政があるのではないでしょうか。」

 「借りた金はなんとしても返すという事を愚直に実行しているのが中小企業の経営者です。中小企業の経営者は銀行からの借金返済要求に何とか応じて事業を存続させようと必死に努力しています。ここで銀行との縁を切るわけにはいかないというのが本音です。日本の中小企業で現在生き残っているところは歴史も深く、技術力に長けた日本経済の宝だと思っています。その中小企業が一部の大手企業が抱える問題の為に真っ先に切られる運命にあります。」

 「一方、大手ゼネコンに対しては債権放棄などという借金踏み倒しを認め、その分、中小企業の優良債権を奪い取っているのです。優良債権を不良債権として過度の回収を実施しているのです。」

 「中小企業が借金繰上げ返済に応じる行動、借りた金は何とかして返すというごく当たり前の行動が、皮肉にも土地や株の売却を加速させている面があります。」

 「ここ最近、大手過剰債務企業と一部の銀行の株価が急落しています。マーケットは早速不良債権の最終処理を織り込みに動いたわけですが危惧されるのは、優良な大手企業にもその思惑が波及し、取引している中小企業、下請けにもその波紋が広がることです。ある大手企業の仕事をメインとしている中小企業に対して、融資が打ち切られたり別の取引先から手形のサイトの短縮を要求されたり・・・・新規の仕入れが出来なければ、黒字倒産となります。」

 「いよいよ本格的な信用収縮です。中小企業は黒字であるにも関わらず倒産が続出することになりかねません。既に兆候はあちこちに出ており、政府の緊急のメッセージが必要です。来週にも発表されるデフレ対策の骨子ですが、それを待たずに週明けにも企業経営者の不安を取り除くメッセージが必要かと考えます。

不良債権処理加速により、優良企業、特に中小企業の資金繰りに支障をきたすことが
あってはならない。
政府系金融機関を通じ、優良な中小企業には潤沢な資金を準備する。
貸付信用力調査の期間も大幅に短縮するため、人員を大幅に増やす。
銀行から政府系金融機関への借り換えを容易にする方策及び貸付利率優遇を行なう。
銀行の貸し剥がし対策のため、適正な担保評価が出来る第三者機関を設ける。

など、できれば小泉総理の口から市場にメッセージを出して欲しいです。」

 「木村さんをはじめ、プロジェクトチームの方には大いに期待しています。ようやく本格的な不良債権を処理出来る環境が整い、これまでの重しを早く取り除いて頂きたい。但し、その過程で上記のような余計な混乱をきたすことの無いように、充分にご配慮願いたいです。
 大いに期待しています。」

 つらい思い、プロジェクトチームに届けたい
 貴重なご意見を寄せていただいたことに感謝したい。これだけの過分な期待に十分お応えできるかどうかは自信がないが、微力ながら、私はこのプロジェクトチームの作業に全力を傾ける所存である。

 われわれが護るべきなのは、こうした辛い想いをしている中小企業なのか、それとも、貸し剥がしを続ける銀行経営者たちなのだろうか。答えは、誰の目にもはっきりとしているのではあるまいか。

 読者の皆様にお願いする。

 もし、同じような事例に直面していたり、知り合いがそういう境遇にあるのなら、Eメールでその内容を教えていただきたい(obanan@kpmg.or.jp)。いただいた事例をまとめた上で、プロジェクトチームの会合に提出することを、私は約束する。

 今回のプロジェクトチームでの検討が、本当の意味で不良債権問題を解決することができるラストチャンスになるかもしれない。皆様からのインプットをいただきながら、出来る限り最善の解決策を得られるよう、努力したい。

 

第15回「中小企業経営者の魂の叫びを聞け」  2002/10/11

 先日掲載したこのコラムにおいて、銀行からの不当な扱いを受けている方々に対して、具体例を教えていただきたいとお願いしたところ、毎日物凄い数のEメールが弊社に届いている。そのうちのいくつかをお示ししたい。まずは、経営に何ら問題がないのに、ドンドン利上げされているケースである。

 2%程度の金利からいきなり8%を要求する銀行

 「私は、東京都で中小企業を営んでおりますが、近年、金融機関の利上げ攻勢に日々怯えております。」
 「業種は貸しビル業ですが、バブル期に先代が他界し、残された土地にビルを建設いたしました。当時は様々な金融機関からOFFERがありましたが、ある大手の都市銀行と長期借入の契約をし、今日まで15年間、一切の滞りもなく返済を続けておりますが、この1年間で、金利の引き上げが再三おこなわれました。昨年度は、若干の空室があったものの、何とか黒字で決算を終えられたにもかかわらず利上げされました。」

 「我々中小企業経営者の心理として、金融機関に反発して一切の返済を迫られるかも、という恐怖心が絶えずあり、身を削ってでも金利の上げに従わざるを得ないのが実情です.その胸中を知ってか、話し合いの中には絶えず他行に乗り換えてもっらてもよいというフレーズがでますが、今日、乗り換えられるような術があるはずがありません。 」

 「前述の掲載メールの中で、貸し剥がしの実情を聞かれて、木村様が『間接的には聞いていたが、やはり----』というくだりがありますが実態はかなり深刻です。特に心理的な不安には絶えず見舞われ、現実に成立している、取引ですら喜びを感じられません。大多数の中小企業経営者がこのような心理状態であれば、景気の浮揚などありえるはずがありません。」

 「プロジェクトチーム発足後の弊社取引支店よりの新たな要求はありませんので、金融機関名等は本日の段階では控えさせていただきますが、今年3月の金利の話し合いでは本部からという表現で8%以上の法外な金利の提示もありましたが、支店サイドもいくらなんでも、ということで4%台になりました。」

 「このような、中小企業経営者の不安を聞いていただけることは大変ありがたいと思いますが、経営者の中には年齢等の理由でメールが打てない、自社だけの問題と考え、自身で抱え込んでしっまている方々も多数いると考えられます。是非、このような庶民レベルの現実をお上に認知していただき、日々、経営に集中できる環境を早急に整えていただきたいと節に要望させていただきたいと存じます。」

 もう一つ、Eメールを紹介したい。

 「はじめまして、東京都で不動産賃貸業を営む弱小企業のものです。現在20代後半、私で3代目となります。」
 「私どもは、○○銀行をのぞくメガバンクと取引させて頂いておりますが、あまりにもその行動がひどすぎます。所謂貸しはがしと思いますが、『期限の利益・・・』『手形の書換え応じない・・・』『担保評価が目減りしたので・・・』等々の理由にならないこじつけ、人質を武器に、一方的な金利引上げ等を強要してきます。私ども全国の弱小企業及び弱小経営者は、当然会社の全ての資産を担保に差出、社長個人の預金にも質権を設定し、かつ社長当人及び親族まで連帯で保証しております。当然借りたものは返すつもりで、日々努力し、企業の内容もすべてガラス張りで頑張っておりますが、イキナリ金利を倍にしろといわれても無理なものは無理なのです。そんなことをしておいて、その裏では、大企業の借入を棒引きし、かつ棒引きした企業に超低金利で融資しております。その穴埋めを、命をかけて会社経営している私どもから脅しにより金利をアップさせ、更には潰すという行為を平気でしております。担保価値が下がったのは、私どもの責任ではありません。かつ強引にゴルフ会員権や土地を買わせ、担保価値が下がったら、『すぐに売ってもらわないとこまる』等々あまりにも、不条理すぎます。当社は、前記の通り、資産を売らされた累損はありますが、毎期黒字であり、特に問題なく営業できておりますが、このままの対応を銀行が続けるならば、借入金・金利も払っているのに、強引に潰されてしまいます。銀行側の今までの杜撰な融資姿勢を中小企業のせいにされるのは、ゴメンです。ひどい文章で申し訳ありませんでしたが、木村様には、気付いてみたら、銀行と一部の大企業しか日本にはのこらないで、中小企業は全てつぶれ、経営者は自殺していた・・・なんて世の中にだけは絶対にしないようお願い致します。期待しております。」

 一度も延滞がないのに無理やり不良債権扱い
 なぜ、こうした声をマスコミは拾い上げようとしないのだろうか。どうして大銀行を擁護する無責任なアジテーションを張り続けるのか。国民の血税を資本注入でもらっている大銀行が、こうして中小企業の経営者たちをなぶりものにしていることがなぜみえないのか。ジャーナリストなら市民の目線で物事をみるという良心は残っているはずだろう。それとも、大銀行から流されるでっち上げ情報の渦に溺れて、記者を目指した頃の魂の欠片すら失ってしまっただろうのか。次に示す中小企業経営者の魂の叫びを聞いて心が震えないのなら、報道の現場から降りるべきだ。

 「私は一度も延滞などしたことはない。それなのに、銀行は一方的に書き換え期日を拒否して無理やり不良貸付債権偽装をしてきた。その次には、返済がなければ当該債権を整理回収機構に売る、と言ってきた。担保となっている不動産は、いくらで売られるか分からない。当然二束三文だろう。残りの不足額は大企業と違って、すべて私の個人保証をしている。だから、取りっぱぐれは無い。銀行や大企業の役員どもは個人保証もしていない。それなのに、あいつらには税金を注入すると政府はいう。この状況のどこが自己責任だと言うのか」

 「1社1000億円債権放棄するなら1000社に1億円ずつ融資を」

 「あまりにもアンフェアだ」――彼らは叫び続けている。

 地方で講演をすると、「あの企業に1000億円も債権放棄するのなら、俺たち1000社に1億円ずつ融資してくれ」という多くの人からの声を聞いて心が張り裂けそうになる。私たちの日本を、「気付いてみたら、銀行と一部の大企業しか日本にはのこらないで、中小企業は全てつぶれ、経営者は自殺していた…」などという国にしてはなるまい。

 これから、私に対する、あらゆる誹謗中傷の記事が百花繚乱の様相を示すだろう。このプロジェクトチームに入ることを決意したときから、私は腹を括っている。日本を「気付いてみたら、銀行と一部の大企業しか日本にはのこらないで、中小企業は全てつぶれ、経営者は自殺していた…」という国にしないために、倒れるときも前のめりで倒れる覚悟はできている。

 心ある人は応援してほしい。そして良心の腐ったジャーナリストは誰で、屈折したメディアはどこなのかを市民の目で選別していただきたい。

 

第17回「トップの保身とわが身の出世か、それとも銀行の将来か?」  2002/10/16

 先日来、Eメールで皆様からのご意見を募集してからというもの、毎日大量のお便りが寄せられてくる。様々な立場から胸を締め付けられるようなメールが多い。まずは、製造業の方からのメールをご紹介しよう。

 「ハードランディングで自殺者を増やす政策」

 日経 BizPlusの木村様のページを拝見しメールいたします。
 先日来、竹中大臣に提出された木村氏の51社リストというのが出回っています。
 「以前から公開されていた30社リストの建設業、小売り業に加え、○○○、△△△、□□□などの名前も挙がっています。
 私の親戚も電機メーカーに勤務していますが、業績をあげるため休日も出社して体調を崩してまで働いています。
 毎日11時過ぎまで残業で、自費でタクシーに乗って帰宅します。なぜタクシーを使うかといえば、夜は電車がなかなかこないので少しでも睡眠時間を増やすためと、線路を見ると自殺したくなるので、その予防のためだそうです。
 残業代を稼ぐために残業しているのではありません。リストラで人員が減って納期に間に合わないのでやむを得ず働いているのです。
 製造業が何をしたというのでしょうか。まじめに新しいものを作りつづけ、情報通信の基幹を支えるメーカーまでがなぜ破綻処理のリストに挙がらなければならないのでしょうか。
 現在は赤字を計上していますが、2003年3月期には黒字転換するとの業績予想が発表されています。
 従業員は関連も含めると10万人以上。
 査定もなしに融資をして不良債権を積み上げた銀行は資本注入で存続させ、日本のテクノロジーを支えるメーカーをつぶすのですか?メーカーを葬り去ったら、産業が空洞化し、中国に工場も市場も明け渡し、もう日本再生の道はなくなると思います。
 大企業でも例外なくつぶす。といって、かけがえのない技術をもった企業をつぶしていいのでしょうか。企業自体は分社、解体するとしても従業員は再雇用されるのでしょうか。現在、天下り先の準備された官僚でもない限り、35歳以上の人の就職先はまず見つかりません。
 教えてください。やはり自殺しないとならないのですか?
 高齢者人口を減らすためにハードランディングで自殺者を増やす政策なのですか?

 こうしたご批判があることについては、わが身の不徳を反省するしかないが、「自殺者がこれ以上増えることを防ぎたい」という切実な想いという点で言えば、私もこの方と同じ立場に立つ者である。このまま何もせずに放置し続ければ、前回、前々回の当コラムでご紹介したように、自殺者が増えていくことは避けられない。銀行経営者が自らの保身のための行動をとればとるほど、犠牲者の数が増えていくことは火を見るより明らかなことである。

 だからこそ私は、今回の小泉首相の決断を高く評価したい。

 真に国民のことを思えば、この危機を放置することはできない。

 銀行経営者よりも国民が大事なのであれば、日本として取るべき方向はクリアになる。

 「51社リスト」は某メガバンク幹部の捏造
 ちなみに、私は「51社リスト」など作成していないし、竹中大臣に提出してもいない。ちなみに、そのリストを作成し、私に関する風評を流しているのは、あるメガバンクの中枢部門に勤める○○氏や△△氏(すでに個人名は特定されているが、武士の情で名は秘す)である。彼らはサラリーマンとして出世するために、この危機を招いた銀行経営者たちに必死になって媚びを売っている。さみしい限りだ。わが身一つの出世のために、中小企業を潰し、日本経済をおかしくして、多くの国民を巻き添えにしながら、良心の呵責も感じていない。子供たちのために、良い日本を残してやろうと思う気持ちはないのだろうか。このままでは国際的な銀行として活躍できなくなるであろうメガバンクにおいて、そんなに出世がしたいのか。

 いま指摘した某メガバンクの○○氏と△△氏には、次のメールを是非読んでもらいたい。

 私は今某都市銀行に勤務する銀行員生活9年目の者です。今、海外支店に勤務しておりますが、一時帰国した際に「日本資本主義の哲学」を買って帰りの飛行機の中で拝読しました。また、日経BIZ PLUSのコラムも拝見しました。
 率直に申し上げて私は木村さんのご意見に賛成です。不当な批判にひるむことなく是非頑張って頂きたい。環境が許せば木村さんのもとで暫く手足となって働きたいくらいです。
 今の銀行は『生き残り』のために必死になっているつもりなのかもしれませんが、『生き恥をさらしている』ような状態だと思います。金融は本来経済の主役ではない。目立たないいぶし銀の輝きを誇っている、という名脇役であるべきなのです。
 資本コストの低さをいいことに過大な債務に依拠して経営を行ってきた企業経営者の一方的な銀行批判が美しくないのも確かですが、なじりあいをしたってしかたありません。それぞれがムダにもたれあう経済ではなくて、きちんとした立ち居振る舞いがベースとなる経済へと転換していかなくてはならないのです。批判の応酬はあまり実りあるものではありません。みんなでどんどん新しいプランを出していくべき時期です。
 日本の金融システムが日本資本によって健全性を保てないなら、中国など優良な資金運用先を求めている国の金融機関(およびその他の事業会社)の出資で、健全な新銀行を全国に20行くらい作ってはどうでしょうか。
 その銀行の仕事は

ちゃんとした経営を行っている中小企業向けに、透明性のある基準と条件で融資を行う。
資本コストと責任が曖昧になるため、信用保証協会は使用しない。
金利水準は既存の銀行より高めだが、ノンバンクよりは低めに設定。
WIN−WINの関係をなりたたせるため、株式を銀行に一部割り当て、最終利益に応じた
配当収入を得られるようにする。
株価の変動リスクから切り離すため、上場企業は対象外とする。
かかる新銀行設立のため出資する内外企業は、税金面での優遇を得る。

 当事者能力を欠いた旧プレーヤーがもうだめなのは十分わかりました。他の分野においてもそうであるように、間接金融の分野にも新しい元気なプレーヤーが必要です。
 あるいはビジネスモデルを明確にした上で、ひろく国民に出資を募って新銀行を作ってはどうでしょうか。ひとり1万円の出資で1兆円のCAPITALを持つ金融機関ができあがります。これを10行設立しても10兆円。1400兆円の個人金融資産のほんの一部です。自己資本比率を20%に保ったとしてもトータルで資産規模50兆円の銀行ができるわけです。それなりのインパクトはあるでしょう。ITの時代です。店舗網の整備コストはそんなに大きくはならないと思います。事務センターや本店を過疎の村に置いてはどうでしょう。地方の活性化にも役立ちます。
 質の高い仕事をしたがっている若い銀行員がどんどん銀行を離れています。実直に頑張ってきた経験豊富な40歳以上の銀行員がどんどん肩たたきにあってます。でも彼らは金融マンとしての志まで完全に失ったわけではない。給料が世間から批判されない程度に下がったとしても、心ある金融マンは新しい金融機関の担い手になるべく、沢山集まってくるはずです。
 今、政治家にもっとも必要な言葉は「みんなでちからをあわせて頑張ろう!」という言葉だと思います。おごる必要もないけれど、日本はなかなかたいした国です。
 「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」今こそ憲法前文の理念を高らかに掲げる時ではないでしょうか。お体、ご自愛ください。

 次々に離散、若手メガバンク行員の憂い
 他のメガバンクの若手銀行員からは、「銀行は手数料収入を増やすために「優越的地位を濫用し」半ば強制的に(1)金利スワップ(2)シンジケーション(3)通貨オプション等を押し込んでいます」という告発もいただいたが、その彼は、こう憂えていた。

 私の周りでは有能な若手行員が次々に離散しております。しかしながら銀行の使命というものを少しでも考えたことのある人間であれば、その役割をまっとうしたいと思っているのです。

 卑劣な誹謗中傷を繰り返している某メガバンクの○○氏と△△氏に告ぐ。

 トップの保身とわが身の出世を第一に考える前に、貴方たちの銀行の将来を担う若手銀行員の意見を聞いてみるべきなのではないだろうか。自分の胸に手をあててみてもらいたい。


第18回「銀行の不良債権処理は真っ当なのか?」   2002/10/21

 Eメールで皆様からのお便りをお願いしたところ、様々な情報が舞い込んでくるようになった。以下は、ある男性からの告発である。

 前略、私は、滋賀県○○○に住む44歳の男性です。私は、今回、貴殿に初めてお手紙をお書きします。私は平成7年まで、当時の△△△銀行の子会社である□□□に勤務しておりました不動産鑑定士であります。私は、□□□において、△△△銀行が不良債権処理に際して必要とされる書類を作成しておりました。当時の大蔵省は、担保価格の査定のために不動産鑑定評価書の提出を要求していたからです。

 銀行が求めた不動産の大幅な水増し評価
 要するに、不良債権処理の現場に居た方なのだ。その方がこう証言している。

 貴殿は、銀行が大幅な引当金の不足に陥っているとたびたび著書において指摘されております。また銀行は不良債権処理において真実を隠しているとも指摘されております。私は、実際に△△△銀行の不良債権処理の実務に携わっており、貴殿の指摘は全面的に正しいものと思います。・・・・・・不良債権処理(間接償却)において、その時点における担保不動産の現在価値の査定が必要です。そのために不動産鑑定評価書が必要とされるのですが、現実には、大幅な水増し評価が行なわれております。同封した不動産鑑定評価書がご覧になればよくわかるように、架空の想定条件(これを鑑定評価条件)につけて、大幅な水増し評価が公然と行なわれております。貴殿がこれまで著書において指摘されていた、銀行の引当金不足は真実です。ただしそれについてマスコミも監督官庁も容認していたことは確かです。

 これが、もし、真実であるとしたら大変なことである。

 その方が綴られている△△△銀行の実態に関する説明を以下にお示しするので、是非、読者の方で真偽のほどを判定していただきたい。

 私は、△△△銀行の子会社である□□□において不動産鑑定士として、△△△銀行が不良債権処理手続に際して、当時の監督庁である大蔵省に提出する不動産鑑定評価書を作成しておりました。銀行が行なう不良債権処理に当たり債権償却特別勘定への繰り入れは、融資案件の損失金額から担保不動産による保全分を査定する作業が、不動産鑑定評価なのです。同封の書類は、私が、平成7年に実際に作成した不動産鑑定評価書の写しです。この当時私は、□□□大阪支社に勤務しておりました。そして主に△△△銀行の不良債権処理の仕事をしておりました。今から実際に行なわれていた不動産鑑定評価の作業についてご報告致します。
 まず対象となる担保不動産の不動産鑑定評価額を不動産鑑定士自身の判断で決められません。△△△銀行の場合には本店に融資管理室という部門があり、「本件は、この金額で、書類(不動産鑑定評価書)を作ってくれ。」という形で具体的な指示があります。△△△銀行の子会社の□□□では、銀行の指示に基づいて不動産鑑定評価書を作成しております。最初から決められた鑑定評価額で不動産評価書を作るためには、いろいろな不適切な操作を行ないます。同封した書類に基づいてご説明します。実際より不動産鑑定評価額を水増しするために、現実とは違う架空の鑑定評価条件を設定します。本件では、対象不動産の土地と建物の所有者が違うにも関わらず、土地と建物が同一の所有者であるとして、「自用の建物及びその敷地。」としての価値を査定します。土地と建物の所有者が違う場合には、借地権が発生しており担保不動産の価格が下がるからです。ですからこのように事実と反する鑑定評価条件を設定して、この場合では、権利関係の付着していない自用の建物及びその敷地として価格を査定し、鑑定評価額を大幅に水増ししております。△△△銀行ではこのようなやり方で貸し倒れ引当金の計上を意識的にコントロールし、不良債権処理額を実際より少なくしておりました。平成7年当時の監督官庁は大蔵省でしたが、△△△銀行と□□□は共謀して意識的な不適切な操作を行ない、虚偽の書類を大蔵省に提出しておりました。

 本件以外にも暴力団が賃貸ビルを不法に占拠している場合、現況有姿のままでは対象不動産の価格が大幅に下がってしまいます。△△△銀行ではこのような場合には貸しビルとしてはでなく、自社ビルとして鑑定評価を行い、その価格を査定します。□□□ではこのような現実とは明らかに違う架空の鑑定評価条件を設定し、△△△銀行の不当な要望をお答えしておりました。その事実はこの書類でも明らかなように、「お申し出により」と明記されており、△△△銀行の強い要望であることは明らかです。

 私は、□□□に在職中、△△△銀行の不良債権処理のために多数の不動産鑑定評価書を作成しておりましたが、どの仕事においても、必ず本店の融資管理室という部門から「この案件は、この価格で、不動産鑑定評価書を作ってください。」という指示がありました。その指示というのは対象不動産の担保価格をかなり水増ししたものでした。△△△銀行は□□□の親会社であること、また不動産鑑定士といっても所詮サラリーマンであることにより結局△△△銀行の言いなりに不動産鑑定評価書を作成しました。今から考えると自分の信念に従い、△△△銀行の要求を断れば良かったと思います。

 不良債権処理において間接償却を行なう場合には、実際に担保不動産を売却しないため、不動産鑑定評価書のような書類に頼らざるを得ません。その不動産評価鑑定書が、銀行の子会社の不動産鑑定士によって作成され、不良債権を過小に粉飾しております。もちろんこのようなことは明らかに問題があるのですが、これまで全く問題にされませんでした。今日、不良債権がかえって増加しているのは、一つは債権の分類に関する査定の甘さです。もう一つは、担保不動産より保全させる債権の査定の甘さです。この二つが本来の不良債権を過小に査定したものと思います。

 今回、私は、実際の不動産鑑定評価書の写しを同封致しました。この書類は金融庁の専門の皆様が御覧になれば、「△△△銀行が不正な書類操作により、不良債権隠しをやっている。」という事実がよくお分かりになると思います。このような書類を御覧いただき、不良債権発生のメカニズムについて解明されることを念願しております。

 隠された不良債権の数字はいったい……
 実際、この方は、不動産鑑定評価書の写しを同封されており、上述した証拠として提示されている。不動産鑑定士の登録についても証明書のコピーをいただいた。その資料を見る限りにおいては、この△△△銀行の不良債権処理には、かなりの問題が混入しているように見受けられる。

 いつまで経っても解決しない不良債権問題の背後には、ひょっとすると、この告発が示しているような裏事情が少なからずあるのではあるまいか。そうであれば、銀行が表に出している不良債権も数字自体が信じられなくなる。

 良心を失っていない銀行員の方々、元銀行員の人々、不良債権処理の関係者にお願いしたい。もし、この告発のような事実があるのであれば、是非メールで教えていただきたい。不良債権問題を解決するためのソリューションを描くためには、不良債権の実態を直視しなければならないからだ。それが、もし、いかに汚れきって腐臭に満ちたものであったとしても……。

第19回「『真っ当な銀行』を生かすためにこそ『普通でない銀行』を摘出する」  2002/10/28

 先日、ある銀行の不良債権処理に関する告発をご紹介し、同様の実態をお知りの方に情報提供をお願いしたら、すぐに、次のようなメールが届いた。

 「木村様、NIKKEI NETのBizPlusの第18回「銀行の不良債権処理は真っ当なのか?」に記載された貴殿の質問につき、既に答えはご案内かとは思いますが、長年にわたり不良債権処理に携わって来た者としてメールします。」

 この実務家は、○○○○銀行の不良債権専門部を皮切りに、△△△△不良債権処理コンサルティング会社に転職、そして現在は、□□□□外資系投資銀行に在籍しているのだが、彼はこう断言している。

 「本件問題の担保不動産の不当に高い評価は債権者の内部では公然かつ当然のこととして未だに行われていると思います。」

 プロフェッショナルである彼の言い分を聞こう。

 「私が勤めていた○○○○銀行では、MOF・日銀の査定および自己査定における不良債権分類の回避および粉飾決算のために融資担当者に対して担保不動産の評価の不当な増額を本部であった事業推進部が指示し、私はそれに従事していました。また、不良債権売買ビジネスが始まってからは、転職先の△△△△会社で不良債権処理のアドバイザーをし、現職においても不動産担保付不良債権のプライシングをしている経験から言えることが一つあります。それは、売り手である銀行が作成した担保物件評価額は投資家として厳密なデューデリジェンスをした上での担保物件評価額よりも通常20〜30%、ひどい場合には50%以上も高いことが普通であると言うことです。ここに所謂「買い叩き」と言われる原因があると思います。投資家側の評価額の方が高くなることもありますが、それは売り手側の評価が競売の最低売却価額であったり、下手な任意売却交渉に基づくものであったりする場合だけです。」

 仮に、これが事実であるとすれば、わが国の銀行における不良債権の処理に対する疑義は深まらざるを得ない。もっとも、そういう銀行ばかりではないことも付け加えて置かねば、フェアとは言えまい。実際、以下のようなメールもいただいた。

 「あまりにひどい銀行の例をこのような場に公表すると、すべての銀行がこのような処理をしていると一般人は思われてしまいます。われわれの銀行は、担保の査定を土地6掛、建物5掛を基本として、自己査定を実施しており、破綻先に至っては、バルクすることを前提に3掛で査定しています。掛け目の差こそあれ、普通の銀行は、厳格な自己査定を実施していると信じています。普通でない銀行もあるかもしれませんが・・・」
 「異常な銀行を前提とした議論はつつしんでいただきたい。あるいは、そのような前提付での議論をしてください。まっとうな銀行さえ、悪者にされてしまいます。よろしくお願いします。」

 御指摘通りである。実際、このような銀行があることも事実だろう。銀行を一括りにして、「みな悪い」というのも乱暴だ。私の願いも、真っ当な銀行が真っ当に評価されるフィールドを作るべきだーーという一点に尽きる。しかし、そのためにも、もし万が一にも「普通でない銀行」が存在するとしたならば、その実態を知らなければならない。それが、「真っ当な銀行」に対して敬意を払うための必要な知識だからだ。


第20回「経営者たちと若手社員たちとの間を分かつものは何か?」 2002/11/01

 このコラムを書き始めてから何十通ものメールが届くようになった。思わぬ方々からいただく場合もある。じつは、俗にいう「問題企業」に勤めていらっしゃる方からもメールをいただいているのだが、その一部をご紹介したい。まず最初に紹介する彼は、ノンバンクに勤務している。

 「社会的意義見出せない企業にジャッジを」

 「私は、30社リストに載っていますノンバンクに勤めています。不良債権の数値については、関係する部署にいませんので詳細は不明ですが、バブル崩壊時には1兆円を超していたと聞いています。その後の経営側およびマスコミからの情報では8,000億円になっているようです。ここ最近、経営者からは株価の動きに一喜一憂しないようにという説明だけですが、多くの社員は経営者に対しかなりの不信感を抱いています。それは、ここ2〜3年の経営者からの説明がいつも裏切られてきているからです。要するに、いままでのこの会社の収益が不良債権の償却を中心にうごいてきたことを体感的に知っているのです」
 「この会社特有の顧客の回収不良債権は当初より大幅に増加しています。本来は貸倒引当金を積むべき不良債権なのに、債権額に対して0.25%または1,000円の入金をさせることにより、不良債権と認定せずに、先延ばしをここ2〜3年図ってきたのです。そして、経営陣から、こういった行為が合法なものなのかどうかの説明はないのです。粉飾に加担しているかもと思いつつ、私たちの日々の業務は流れていきます」

 この指摘が真実なのであれば、病の根っこは相当深いとみざるを得ない。銀行にとっての不良債権という資産の裏側には、問題企業という悩ましい存在がある。その存在の実態が腐りきっているなら、銀行としては、その部分は引当や償却で諦めるしか仕方がない。しかし、その腐った理由が銀行の責任であるとしたなら、構図はかなり複雑になる。そして、その原罪があるがために、銀行が不良債権を引当や償却を適切にできないとするなら、重罪だと言ってよいだろう。彼はこう告発する。

 「この不良債権の原因は、この会社に出向してきたメーンバンクの人々によって作られてきたものです。バブル崩壊から10数年、経営や顧客がどうなろうともこの企業がとりあえず延命できればいいとばかりに、目先の収益の数値だけを追い求め、商品や回収などの経営面に手をつけられなかったことが原因なのです。彼らには、世の中のうごきがみえていなかったのです」

 そして、彼はこうシビアに断言した。

 「取りとめもないことを記載しましたが、云えるのは常識を持つ者として社会的に意義をみいだせない、現在の企業に対して、正しいジャッジをしていただきたい。それが私の願いです。たしかに個々の社員には生活がありますが、この企業が現状のまま延命したとして、果たして社会に貢献できる活動が可能だとは思われません」

 ここまで腹を括って言えるサラリーマンは少ないと思うが、ちなみに、ある中堅ゼネコンに勤務している25歳の会社員からも次のようなお便りをいただいている。

 若手社員の危機感がなぜ経営陣に伝わらないのか

 「こんなに危機的な状況なのに、あいかわらずゼネコンの古い人は昔ながらの役に立たない公共事業に頼っています。今私は本社にいるので天下りのOBの声がよく聞こえますが、時代遅れもいいとこです。上の人の言葉は決まって、『今堪えれば、またよくなる』です。現在の不況が構造不況といわれて久しいですが、まさしくゼネコンは構造的な『ぐうたら企業』です。いまだにお金がかかっただけ請求しているのは建設と医療だけではないでしょうか」
 「私は営業ではないのではっきりとはわかりませんが、まだまだ談合も行われていると思います。もちろん、上の人も今の経済状況と今後の日本経済をわかっているとは思いますけどこれを断ち切るには断固とした選別しかないと思っています。竹中経済・金融相も言ってましたが、私も大企業も整理の対象になるという意見に賛成です。大きすぎるからつぶせないという説明では国民を納得させれません」

 「もはや死に体の企業を残すために何百億、何千億の資金を使うのなら、その何十分の一の資金を注入すれば生き残る企業をいくつか再生したほうがGDP的にも雇用対策の面からも効果的だと思います。不良債権処理を行えば株価が下がるのはあたりまえです。もう、補正の声がでてるようですが、銀行の含み益がなくなるまで下がろうが、もはやハードランディングしかないと思います」

 「建設業で言えば談合というのはいろいろなものがからまりあって存在しており、これをなくすのは小手先だけの変化ではどうにもならないと思います。昔のバブルのころのよき時代を知っている内部の人間では必ず改革はできません。危機的状況である今回しか、又外部の人間でしかこの仕組みを変えることはできません」

 嗚呼、こういう若手社員の危機感がなぜ経営陣に伝わらないのだろう。なぜ経営者であるにもかかわらず、自らの進退を賭けて、改革のための第一歩を踏み出そうとしないのだろう。ただただ、わが身の保身のために、企業内容を悪化させ、従業員を疲弊させ、経済全体に迷惑を掛けている姿を無様だとは思わないのか。こうした淀んだ環境を打開しない限り、日本経済に明るい展望など描けまい。

 いまご紹介した事例と同様に、銀行内においても、経営陣と若手の断絶が発生している。事業法人の方々からは、「なぜ銀行はこんなに批判されているか、根本的なことが分かってないのではないのでしょうか? 我々のお金を借りておいて給与が私達より高い、人員も整理しないというのは通常の企業に対して銀行がお金を貸し出すときではありえないですよね。一般家庭なら身売りをすることもあるぐらいですよ」という批判が多数寄せられているが、じつは、あるメガバンクの若手行員からもこうした自省のメールが届いている。

 支店長や本部の調査役に2000万円の給与

 「突然のメール失礼します。私は某メガバンクの若手行員です。若手の観点から、銀行をどうすべきか、ということについて思うところを述べさせていただきたいと思います。銀行は給与体系を見直すことが必要な時期に来ていると思います。いつも6時に帰り、大して仕事していないような支店長や本部の調査役が、そろって2,000万円近くもらっているような状況はやはり圧倒的におかしい。是正されなくてはならないと思います。それ以外にも銀行には、非難されて然るべきことが山ほどあると思います」

 この厳しいご時世に、私たちの税金である公的資金を注入してもらっているメガバンクの支店長や本部の中間管理職が年収で2000万円近くもらっているというのは驚天動地だが、それが本当だったら、銀行のリストラって一体なんだったんだろう、という疑念に苛まれる。彼はこの自省の後に本音をぶちまけた。

 「結論から言うと、銀行の経営陣を総入れ替えすべきです。また大口融資の焦げ付きの原因となった融資に関わった人間の刑事罰も検討していくべきだと思います。国民の貴重な預金資産を、千億円単位で毀損させた責任はあまりにも重過ぎます。責任追及は難しいなどといいますが、過去の稟議書をみれば一発で誰が関わったかわかる話です。もちろん担当者だけに責任を問うのは酷で、過去の10年くらいの役員全てに退職金を返還させ、刑事罰を検討することも必要だと思います。過去の役員100人に退職金を1億円ずつ返還させても、100億円です。1回分の配当くらいできるのではないかと思います」

 じつは、こういう風に考えている銀行員は何も彼一人ではない。若い彼らの方が銀行経営陣よりも良識があるように感じられるのは私の錯覚だろうか。例えば、もう一人の若手銀行員はこう嘆いている。

 「なぜ自分の身を自分で総括できないのか」かみ締めて

 「自分の叔父は銀行業は『人材死滅産業』だと言って、銀行に就職する時はあまり良い顔をしなかったのですが、『官僚主義』『大企業病』の病巣というものは外部から『破壊』されないと永遠に解決しないのでしょう。当行の役員連中は入行時から幹部候補で選抜されていて現場の営業を経験していないから、世の中の流れなんて分かるはずが無い。先日も専務と飲む機会がありましたが、ろくな話もしなければオーラも発していない。銀行業には魅力があるが、銀行という組織には魅力が無い。こういう行員は非常に多いのではないでしょうか」
 「元長銀の箭内昇氏などが憂いていられる、『なぜ自分の身を自分で総括できないのか』という言葉の重みを当行役員にはじっくり考えていただきたいものです」

 箭内昇氏の著書「メガバンクの誤算」については、当コラムでも何度かご紹介したが、現場で役員まで務めた方が書いただけに文章の迫力が違う。その箭内氏が銀行経営陣に対して投げ掛けているメッセージ――「なぜ自分の身を自分で総括できないのか」――という心の底からのメッセージの響きは本当に本当に重たい。

 経営者たちと若手社員たちの間を分かつものは一体何なのか――それを深く考えるべき時が来ているように、私には思える。読者の皆さんはどう感じられるだろうか。

 

第21回「『竹中大臣VS銀行経営者』の攻防戦から何を読み取るか?」 2002/11/08

 「竹中プラン」が後退した理由を国民はどう考えたのか…
 不良債権処理加速策に関して、いわゆる「竹中プラン」が10月30日に公表された。「竹中路線 第1幕は挫折」(毎日新聞)、「竹中案『核心』先送り」(読売新聞)、「『手術』できず『内科治療』」(東京新聞)などメディアでは散々な評価だ。そのことについては、プロジェクトチームの一員として、わが身の非力を恥じる以外ないが、いわゆる「竹中大臣VS銀行経営者」の攻防について、このコラムの読者の方々から様々なご意見をいただいているので、いくつか紹介したい。

 「銀行の圧力で曲げられた」竹中プラン

 「はじめまして。私はコンピュータ関係の企業に勤めているエンジニアです。私自身は直接銀行に関わりがあるわけではないのですが、常日頃からなぜ日本の経済は停滞したままなのか、この状況の根源はどこにあるのかを気にかけてきました。結局、私の目に映る今の日本の現状は、銀行の腐敗によるところが大きいというのが正直なところです(もちろん、それ以外に金に群がる政治家や官僚といった存在も大きいのですが)」
 「さて今回、竹中大臣が策定しようとした不良債権処理案は銀行からの激しい圧力で捻じ曲げられてしまったように思えます。正直、銀行側の発言を聞いた時もう終わっているなという印象しか残りませんでした。今年4月に日本中の話題を掻っ攫った○○○銀行の△△社長。あの時は厳しい批判にようやく頭を下げた感じでしたが、今回は掌を返したように竹中大臣に牙を向く始末。そもそも損害賠償という形で○○○銀行という法人自体にもかなりの損害を与えた人間が未だに経営責任者として執務を続けているというその無責任さに怒りすら覚えました。それ以外にも、自身の経営努力もする事無く、社員をリストラすることもなく、不良債権を処理するために優良債権から貸し剥しを行い、安易に利息を徴収できる個人向けローンでサラ金まがいの金集め。いったい銀行のモラルはどうなってしまったのでしょうか。昨今いくつかの銀行や金融機関が大規模な合併を行ってきましたが、単純に足し合わせただけで余剰人員を吐き出さず、組織も最適化されていないように見受けられます(某銀行系証券会社はまさしくそんな感じです)」

 「私のような銀行とは無縁の人間ですら、今のひどい状況が銀行の責任によるところが大きい事を認識しているのです。悲しいのは、ただの国民ですら日本の今後を憂慮しているにも関わらず、政治家や官僚が全く昔のままで変わっていない事です。今回の騒動でも自民党からは結局銀行を擁護するような圧力ばかりが目立ちました。こんな連中に日本の予算配分が決定されているのかと思うと、日本の将来は暗いと感じざるを得ません。銀行には責任ある行動を取ってもらわなければなりません。彼らのエゴに負けないでください」

 やはり、「銀行からの激しい圧力で捻じ曲げられてしまった」という評価が多いようだ。そうしたマイナス評価をプラス評価に変えていくためには、より一層の努力が必要になるということを重々心に刻んだ上で、今後のプロジェクトチームの活動に貢献していきたいと思う。ちなみに「竹中大臣VS銀行経営者」については、次のようなご指摘もいただいている。

 「はじめてメールをいたします。コラムを読ませていただき、まったく同感しました。日本経済社会は、わたしがかねてより推測していたとおりに、腐敗しきっているのです」
 「おりしも、竹中金融相と大手都銀首脳とのやりとりが報道されましたが、わたしは竹中金融相を支持します。都銀首脳が抗議している目的は自分の保身だけです。日本経済を立て直し、国民を苦境から救うためにどうしたらいいかを、銀行はわかっているのに白状していません。ただ自分たちだけの収入減だけを嫌がっているのです。そしてこれまでの経営責任を自分に問うことをせず、政府や不良債権貸出先に転嫁しているのです。『卑劣きわまりない!!!』と私はずっと思っていました」

 「竹中氏の政策は、銀行関係者のためより国民のためを考慮したもので、正しい政策だと思います。小泉首相も卑劣な都銀の保身に手を貸すのではなく、国民全体のための政策を、ぜひとも断行していただきたいと願っています」

 もし、この読者による「都銀首脳が抗議している目的は自分の保身だけ」という鋭い洞察が正しいとするならば、そういう志の低い経営者に「バンカー」という名誉あるポジションを与えておいてよいのかについて、改めて問い質す必要があると言えるのではないか。
 そういう観点を十分に反芻した上で、人生の大先輩から寄せられた以下の提言をじっくりと読んでみていただきたい。

 「高齢者は財産の30%を献納し総懺悔を」

 「私は、71歳、福祉ボランティアをしています。不良債権問題を解決するには、小出し先延ばしの対策では更なる窮地に落ちこむことは明白です。私は、『三方100兆円損』を提案します。65歳あるいは70歳以上の国民は私有財産の30%を国家に献納する。それと差し替えに政治家、官僚、大企業のトップ(65歳あるいは70歳以上)の人は全員退陣する。高齢者総懺悔をして健全財政にして若い世代に引継ぎ日本再生を図る」
 「大戦後の改革以上の手を打たなければ立ち直れないと見ています。政治家、銀行トップの無様な責任逃れを見過ごすわけにはいきません。若いビジネスマンに無情感を与える社会は滅亡して行きます。使い道のない高齢者の財産を活かし。若者の活力と結びつける事が本当の政治だと思います」

 このメールをいただいて、私の目頭は少なからず熱く潤んだ。日本の行く先を憂えて、自らの私有財産の30%を献納するというところまでの危機感に苛まれている方々がいるのだ。また、「わたしは65歳。定年退職後日本語教師をしていますが、ほとんどの欧米人は、『日本人には全体を見た発想がない。全体から見て最善は何かを求めることをしない』と言っています。小泉内閣は、過去のしがらみを今こそ断ち切って大英断を断行されるよう、国民は願っているのです」という暖かいエールを寄せられた方もいる。ベルギーにおいて商社を営んでいる方からは、「政治家や個々の銀行・企業の幹部の保身等を論じている段階ではないはずです。既に遅すぎると言われる対応をいち早く行い、その一方で失業者対策、雇用対策などのセーフティーネットを構築することが必要であると考える次第です」というお便りをいただいた。

 「高齢者総懺悔」と言い切った老練のサムライと比べれば、「保身目的」とまで蔑まれる銀行経営者の影はあまりにも薄い。「俺はバンカーだ」と胸を張るのであれば、以下のメールに示されるような批判に真摯に応える必要があるのではないだろうか。

 「日本を変え、『誇り』を取り戻せ」

 「ジャック・ウエルチ氏やカルロス・ゴーン氏の講演を聞く機会がありましたが、この両氏は明確なメッセージを発信していました。経営者としての優秀さに加え、燃えたぎる情熱を感じました。いまの大手銀行の経営者で、大勢の学生を前にして自らのビジョンを意思表示できる人はどれくらいいるのでしょうか? 日本にも優秀な経営者がまだまだ存在しているのは承知しています。ただ残念ながら、銀行の経営者には魅力ある人はほとんどいないように感じられるのです」  「岩月謙司氏が著した『女は男のどこを見ているのか』(ちくま新書)によれば、『いい男』とは『美しい行為ができる人』と定義されています。『男』に必要な要素とは、『実践で使えるような真の智恵と勇気をもっているかどうか』『誇りは命より大事なもの』ということのようです。いまの銀行経営者の方々にも子供はいると思います。男として、父として、次世代の子供達に伝えていかなければいけないものはなんなのでしょうか? 今の日本人にかけているものは、『誇り』なのではないでしょうか? 年間3万人もの人達が自殺する国家。今、変わらなければ、日本の将来はない」

 この批判に対して、正面から反駁できる銀行経営者が少なからずわが国に存在していることを私は望みたい。しかし、前回のコラムを読んだ方からは、「2000万円うんぬんというくだりがありましたが、どうせそんなことだろうと思っておりました。競争にまみれたことが無い人は、必死の思いというものの実質を知らないのでしょう。税金で延命しているくせに、社員の処遇を下げる苦しみさえ知らないとは、その人々の子供がどう教育されているか怖いぐらいです」という辛辣なメールもいただいてしまった。

 さらにシニカルな見方をされるリアリストからは、以下のような鋭いご指摘もいただいている。

 「竹中プランの成否は国民自身の責任」

 「銀行経営者も単なるサラリーマンである。彼らが自らの利益を図るのは当然といえば当然である。一般に人が自らの利益のために醜悪を演じるのを、非難する資格のある人は決して多くないだろう。問題はむしろ不良債権の先送りを可能にしてきた政治と行政にある。もっと言えば、それを許してきた日本社会の構造が問われるべきである。つまり、目先の痛みを恐れて改革を先送りしてきたのは国民自身の多数部分であると見るしかない。畢竟、竹中プランの成否は国民自身がそれを是とするか非とするかにかかっている」

 個人的には、「銀行経営者も単なるサラリーマンである」という指摘に対して軽々に頷きたくないという気持ちを大事にしたいと思っているが、「目先の痛みを恐れて改革を先送りしてきたのは国民自身の多数部分であると見るしかない。畢竟、竹中プランの成否は国民自身がそれを是とするか非とするかにかかっている」という推察は正に慧眼である。

 その意味で、いま価値を問われているのは銀行経営者だけではないと考えるべきだ。いま真価を問われているのは、われわれ国民自身なのである。私は、小泉政権が国民の支持を得て、正しい政治と行政を行うことを願って止まない。



第22回「この『言いようのない不安感』の源は何処にある?」  2002/11/13

 10月30日に公表されたいわゆる「竹中プラン」に関するコラムを前回掲載したところ、すぐさま多くの読者から反応が寄せられた。まずは、「某重工業に勤務する30歳のエンジニア」からのメールを紹介したい。

 「当初はプラント部門に配属となり業務をこなしておりましたが、設備投資が減少する中、仕事量が減り(正確には、プラント事業はコストダウンが激しい業界で、仕事量はあるが、金銭的に相応の人員を抱えられない状態になり)、グループの子会社に出向となりました。慣れない環境、全く違う業務内容。何時再度異動になるかわからない恐怖感と戦っております。そんな中でも『自分の市場価値を高めるにはどうするか?』と自問することも多いこの頃です」

 という厳しい雇用環境の中で、一人の個人として凛として戦っている彼は、根本的な疑問をいきなり本音で投げ掛けてきた。

  「この業界が銀行業界だったなら、公的資金投入とやらで助けてもらえるのか、と思うと、本当に馬鹿馬鹿しくなります」

 銀行業界に携わる関係者なら、この声に対して真摯に耳を傾けるべきだ。銀行に関して「公的資金」という国民の税金投入が当たり前のように議論されていることを「当たり前」と思ってはならない。そのこと自体、わが国において、「銀行」という存在が優遇されていることを雄弁に物語っているのだ。そのことを重々承知した上で議論しなければ、如何なる美しい主張も国民の意識と大きく乖離してしまうだろう。

 優遇されている銀行はもちろん、国民に対して正しく報道する義務があるマスコミであれば、そういう国民の良識を一時も忘れてはなるまい。良識に基づかない報道は、所詮、一日経てば消えてしまう雑音にすぎないからだ。そのマスコミに関する彼の評価は厳しい。

  「今回、竹中大臣が策定しようとした不良債権処理案についてですが、私としては、マスコミの対応・報道のやり方が気になりました。すなわち、最初のオリジナル案が発表された際は、猛反発する銀行経営者の言い分を、さも正しいかのように放送(報道)し、一転、妥協案が発表されるや、今度は『骨抜き』とののしる。なんと、薄っぺらなのでしょうか」

 これも、全く以ってそのとおりである。その場しのぎで、いい加減な報道が如何に多いことか。情報源である銀行サイドの説明を鵜呑みにして、ミスリーディングな記事を垂れ流し、そのストーリーが崩れるや否や、「骨抜き」と罵る。もし、ジャーナリストであれば、市民としての視線を忘れてはならないはずなのに、その視線すら見失っている。そうではないという方がいるのなら、以下に示す彼の鋭い指摘に応えてみてほしい。

 変われない日本に「言いようのない不安」

 「失われた10年(結局何もしなかった)で明らかなように、銀行経営者に自浄努力を期待するのは、夢ほどの現実味を持たないので、彼等の言い分など、聞くに値しないと思います。正に保身の為だけに動いていると思われます(またしても不良債権額の査定が甘かった旨の報道がありました)。少なくとも、銀行業ではない、工業の世界では、負債を抱えた企業の経営者の言い分なんぞ誰も耳を貸しません」
 「銀行のように保護され、自らリスクを取らず、努力すらしない業界の人間が、また、官僚が、どうでもいいような連中に限って、水準以上の高給を得ている事に、言い知れぬ不公平感が・・・否、解っていても、変わらない状況が、日本の景気に暗い影を落としているのです」

 彼が指摘する、この「言い知れぬ不公平感」を漠然と感じている読者は多いのではないだろうか。真に重要な問題を直視することなく、モルヒネや万創膏で先送りし続けたツケや膿みが日本経済や日本社会を大きく歪ませている。その結果、「言いようのない不安感」に国民全体が苛まれている。その原因を探る上で、「今年の8月まで1989年から13年間英国に滞在し、現在、東京に支店をおく英国系の会社に勤めている39歳の男性」からのメールが一つの参考になると思うので、是非読んで欲しい。

 「私が渡英してからしばらく、英国はかなり深刻な経済状態を経験し、失業者の増大、銀行をはじめとする金融機関のリストラなどが進行しておりました。バークレイズ、ミッドランド、ナットウエストといった大手の名門銀行が、次々に大幅な人員削減を発表し、支店の統廃合を進めるていたプロセスは、英国の経済状態などまったくわかっていなかった私にも肌身に感じられるほど悲壮感が漂っていました。例えば、つい先日までそこにあった銀行の支店が看板をはずし、しばらく荒れ果てた空き店舗になっている状況が日常茶飯事にみられました。自分が住む賃貸物件を探している段階で、不動産業者の案内で家を見てまわり、ロンドンの近郊の住宅地ですら、ローンが支払えなくなった持ち主が夜逃げして、住む人が居なくなった家というのが沢山ありました。当然ながら、不動産価格も暴落しており、賃貸するより、買ったほうが得だと考えたものです。たしか私の記憶では、ロンドンから地下鉄で30分ほどの高級住宅地として有名な地域ですら、4LDKの1戸建が、当時の円換算で2000万円とか3000万円ほどになっていたと思います。街の中にたむろする多数の浮浪者等を見るにつけ、バブルにまみれた日本しか知らなかった私は、『これが不況と言うものか』と痛切に感じました。ちなみにその後、英国経済は回復し、現在同じような家が3倍以上の値段で取引されているようです」
 「今回久しぶりに、帰国してみて、第一印象として、不況だ、デフレだなどと騒いでいる割には、東京はそれほど景気が悪そうにも見えないな、と思いました。事実、私の大学時代の同期でいわゆるメガバンクにつとめている連中は、『給料やボーナスがふえなくなった』とは言いながら、年収は軽く1000万円を超えており、依然としてかなり高給取りです。先日もメガバンクに所属する友人の一人が都内で1億円近い1戸建てを購入しました。自身が勤める銀行からかなり有利な条件で住宅ローンの融資が受けられるそうです。彼らのことをやっかむつもりは毛頭ありません。しかしながら、帰国後数ヶ月が経過して、マスコミを通じていろいろな情報に接していくにつれて、日本の現状や将来に関して言いようのない不安を感じております」

 彼が知っているメガバンクに勤める友人は、軽く年収1000万円を超えていたり、銀行からかなり有利な条件でローンを受けながら1億円近い1戸建てを購入しているらしい。しかし、彼の真の問題提起は、そういう待遇面に対するやっかみではなかった。彼が、日本の現状や将来に関して言いようのない不安を感じる一例として挙げたのは、「今回のいわゆる『竹中プラン』とそれにたいする銀行の側の対応」なのである。彼は説く。

 「たとえば、税効果会計の見直しについて過去に金融庁主導で、銀行が導入した制度を今になって変更するのは『ラグビーのつもりでやっていたゲームが途中でサッカーにかわるようなものだ』というような議論がきかれます。ただ私たちのように、過去の経緯についてそれほど詳しくない者からみると、そもそも、銀行側はどうして会計制度を諸外国並みに変えるだけで、自らが自己資本不足におちいり、立ち行かなくなるような可能性がある制度を無防備もまま採用してしまったのか、まったく理解できません」

 どうしてどうして、「過去の経緯についてそれほど詳しくない者」と言いながら、彼の論旨は正鵠を突いている。上記の文章の後には、連続した鋭い問い掛けが続く。

 「銀行の会計制度変更批判は筋違い」

 「金融庁が指導すれば、なんでもありなんでしょうか?」

 「少しでも、これはおかしいと思った銀行経営者はいなかったんでしょうか?」

 「今回、あれだけ激しく制度変更に反対するのであれば、はじめから、厳しく自分たちの体力を精査し、繰り延べ税資産の自己資本組み入れ自体を拒絶するか、たとえ税効果がなくても一定以上の自己資本比率を確保できるような備えをしておくべきだったのではないでしょうか?」

 「恣意的におかしな会計制度を利用してバランスシートをmanipulate(操作)しなければ自力で国際舞台で戦えなくなることがわかっているなら、どうして制度が再び変更されても大丈夫なように備えておかなかったのでしょうか?」

 「本当に優れた経営者なら、最悪の場合を常に想定して、あらゆる種類の経営環境の変化に対応できるように備えておくのが当たり前の話ではないでしょうか?」

 一言の反論もない。まったく以っておっしゃるとおりである。しかし、周りを見渡すと、自らの甘えが現在の制度に塗り込められているだけであることを自覚している銀行経営者は驚くほど少ない。自らの実力を嵩上げしてくれていたインチキの底上げ靴の威力を、いまでも自らの実力と勘違いしているのではなかろうか。

 その後も、活目に値する「経営者論」を彼は述べつづける。

 「資産デフレが進行して、担保価値が毀損し、不良債権に対する引当が十分でなくなる可能性があるなら、そういう可能性に備えて、万全を期するのが銀行経営者のつとめだと思います。それと同様に、繰り延べ税資産の自己資本参入という都合のよい救済制度が、世論の批判にさらされ、変更を余儀なくされる可能性があるなら、それに対応できるような方策をあらかじめ講じておくのが銀行経営者のつとめなのではないでしょうか? それが出来ないのは単に見通しが甘かっただけだと思います。経営者の見通しが甘かったら、企業は競争に敗れます。その責任をとるのが経営者です。資本主義の社会ではそれが当たり前の競争原理だと思います。自分たちが経営者として、経営環境の変化を予想し、それに対応するだけの能力がなかったことを棚上げして、正論を述べて健全な会計制度に戻そうとしている人々を逆に批判するのは全くの筋違いです」
 「私の同僚で、日本語に堪能なある中国系のアメリカ人が『恥ずかしくもなく、公衆の面前で、何人もの大銀行のトップが、そろいもそろって、よくこんなバカなことを言えたものだ』と言っていました」

 要するに、わが国の銀行経営者は「経営者であるとは何か」という基本を理解していないのである。だからこそ、われわれは、「日本の現状や将来に関して言いようのない不安」を感じてしまうのだ。経済を健全かつ円滑に運営するための役割を担っている銀行業の経営者が、経営者としての基本を理解していない。だから、他の国では考えられない債権放棄の濫発を行ってしまう。だから、儲からない大企業を大事にして、中小企業を皆殺しにしてしまう。だから、社債金利が20%を超えている大企業に1%台で貸し出しながら、中小企業には6%とか8%などという議論を吹っかけている。経済の屋台骨を支える銀行業において、こういう常識外れで筋違いの経営が通用してしまっているから、日本経済が閉塞感に苛まれるのだ。そういう「不安感」は私も共有している。

 「『日本なくなる』20―30代に焦燥感」

 「先月末以来、どう見ても経済に精通しているとは思えない政治家たちが、こぞって竹中大臣のプランに異議を唱えているのを見て私は非常に危機感を抱いています。さらに、正すべきところを正そうとせず、問題の先送りを繰り返すという失政を繰り返す政治家たちが跋扈している現状を見ながら、先日の補選のように、なお与党に選挙で票を投じてしまう国民の責任も無視できません」
 「今回、大銀行の頭取、社長たちが演じたような醜態を一刀両断にして、正論を堂々と述べてくれる方々がもっと社会的に認知され、国民が間違えを間違えと速やかに認定し、責任を追及できるような仕組みをつくらないと、日本と日本人は、もう国際社会で相手にされない存在になってしまわないでしょうか?」

 こうした危機感を彼が募らせているのは、じつは彼が国際社会と直に接しているからであるようだ。日本だけに通用する「井の中の蛙」論ではすぐに化けの皮が剥がれてしまう真剣勝負の世界に生きているからこそ、わが国が抱えている矛盾が透けて見えてしまうのだろう。自分がいる環境を紹介しつつ、彼はこう述べている。

 「私の会社では、上司は全て英国人です。それなりに日本人にたいする礼儀をわきまえ、いろいろな意味で、日本人や日本の文化を理解し、尊敬もしている人も多いのですが、日本人をまったく蔑視している人も沢山います。日本人は、問題解決の能力がなく、いろいろな意味で責任をとることが出来ない人種だと思っています。私はそういう人々に接するにつけ、彼らが日本をもはや先進国とは思っていないのかもしれないのではないかと感じます。日本の大学教育というものが全く役に立たないもので、そういう教育しか受けていない日本人は、組織の中で責任ある地位につけられないと考えているようにも見えます。ある種の業務などは、最初から日本人には無理と決めてかかっています」
 「私は、日本人として、そのような不当な評価には憤りを感じます。しかし、現実に政治、経済の表舞台で日本を動かしている人たちが演じている茶番劇をみるにつけ、あまり大きな声で日本を擁護出来ない状況であるのも事実です」

 「どうして税金を投入しないと債務超過になるような銀行に勤めているような人たちが高給をむさぼり、信じられないような立派な家に住むことが出来るのでしょうか? どうしてそのような銀行の支店が、同じ地域に2つも3つも営業を続けているのでしょうか? 私には、なにかが狂っているとしか思えません」

 そう、「何かが狂っている」のである。根本的な「何かが狂っている」からこそ、日本経済はここまでの体たらくを続けているのだ。そして、その「何かが狂っている」ことの象徴こそが、わが国における銀行の行動なのである。銀行経営者の保身以外に合理性を持たない経営戦略を十年以上続けていることの副作用が、日本経済の隅々に害毒を巡らせてしまった。だから、「言いようのない不安感」が消えることはない。だから、若い世代は閉塞感に苛まれてしまうのである。

 例えば、前回のコラムで紹介したメールの中で使われていた「若いビジネスマンに無情感を与える社会は滅亡して行きます」という一文に感動した方から、こんなメールをいただいている。

 「この言葉には極めて納得性があります。それは自分自身も同じ想いを抱いているからです。10月20日のサンデープロジェクトで、島本幸治氏(BNPパリバ証券チーフストラテジスト)が『20〜30代の焦燥感は相当なものだ』と与党幹部に発言したとき、『自分達の気持ちを代弁してくれた』と盛大な拍手を送りました。同世代なら、この気持ちがわかるはずです。年金システムの虚構(本質はネズミ講)や財政赤字及びその歯止め対策に打つ手なしといった状況の中で、自分が60歳になったらどうなるのだろう、と焦燥を覚える層は実際多いのです」
 「このままだと、江沢民が『20年後、日本などなくなる』といった予測が実現するかもしれません。それを回避するためには新陳代謝が必要です。マキャベリが国家も身体のように老廃物を排出することが必要であると述べているように、早く老廃物を出してしまわなければなりません。……我々が発展するには旧世代からの『くびき』を脱するしかない。そして、その『くびき』が取り払われれば、日本経済は自然と発展するに違いないのです。また先延ばしにすれば、無秩序・無気力な無法社会で国力はズタズタになります」

 「20年後、日本などなくなる」という江沢民の予測を実現してよいと思う日本人は誰一人としていないだろう。「無秩序・無気力な無法社会で国力がズタズタになる」前に、何らかの手を打たなければならない。だからこそ、「竹中プラン」にゆるぎない魂を吹き込み、熱い血潮が日本経済を駆け巡るような改革を実現していくことにより、日本経済を再生させていく「グッドスタート」にしていかなければならないのである。


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