「平成ベストナイン」 日産自動車 伊藤祐樹選手 BS-12 特別版
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2019/7/7 毎日新聞
社会人野球 「平成ベストナイン」表彰
「ミスターアマ」杉浦さんら
東京都内で6日開かれた、第90回都市対抗野球大会と日本野球連盟設立70周年の記念祝賀会では、平成の社会人野球界をけん引した「平成のベストナイン」の10人が発表され、表彰式には8人が出席した。
10人いずれも都市対抗野球もしくは日本選手権で優勝経験があり、社会人のベストナインにも選ばれている。
投手部門で選ばれた杉浦正則さん(51)は、大阪市・日本生命で1992、97年の都市対抗で優勝し、最優秀選手賞の橋戸賞を2回獲得、五輪に3大会連続出場し、「ミスターアマ野球」と称された。
「もう表彰されることはないと思っていたので、うれしい。92年に胴上げ投手となったことが最も印象的」と笑顔で話した。
社会人唯一の現役で外野手部門選出の林稔幸選手(39)=スバル=は「選ばれた誇りを胸に今後の人生を歩んでいきたい」と喜びを表した。鹿嶋市・日本製鉄鹿島の補強選手として18年連続出場する、13日開幕の第90回都市対抗大会に向け「最も印象に残る大会にできるよう頑張ります」と意気込んだ。
2009年都市対抗で狭山市・ホンダの優勝に貢献したプロ野球・広島の長野久義選手(34)は外野手部門で選ばれた。「受賞を励みにこれからも球界で精進します」とのコメントが読み上げられた。
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平成ベストナインを選出――第90回都市対抗野球大会、日本野球連盟設立70周年記念祝賀会が開催される
第90回都市対抗野球大会の開催、日本野球連盟設立70周年の記念祝賀会が、7月6日に東京都内で盛大に行なわれ、その中で平成30年間の社会人ベストナインが発表された。日本一を目指す舞台が後楽園球場から東京ドームに変わり、金属バットから木製バットに移行される期間に、社会人球史にその名を刻んだレジェンドたちが一堂に会した。
高林とペナントレース中の長野は表彰を欠席したが、他の8名は会社や指導者、チームメイトへの感謝を述べるとともに、社会人野球のさらなる発展に期待を寄せた。
09年に活動を休止した日産自動車の伊藤が「私たちも、ここへ戻って来られるように頑張ります」とスピーチすると、会場からは大きな拍手が湧いた。
●遊撃手/伊藤祐樹(日産自動車)
兵庫・津名高から福井工業大を経て、1995年に日産自動車へ入社。軽快なフットワークの守りと、粘り強さが光る打撃で定位置を確保し、98年の都市対抗で14年ぶり2回目の優勝に貢献する。この年に続き、都市対抗で4強入りした2001年にも社会人ベストナインを手にすると、03年は三菱ふそう川崎に補強されて黒獅子旗奪還の力となり、キューバで開催された第35回ワールドカップでは日本代表の主将を務め、銅メダルに輝いた。さらに、日本選手権では初優勝の原動力となり、最高殊勲選手賞に選ばれると、遊撃手として最多となる3回目の社会人ベストナインに。
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祝賀会には、王貞治さんも出席。野球界へ熱いメッセージを送った。独占インタビューでは、ミスター日産≠フ伊藤祐樹さん(遊撃手)と慶應義塾大学硬式野球部監督の大久保秀昭さん(捕手)が、社会人野球の面白さ、難しさについて話す。さらに!今回、夢の対談が実現。通称ミスターアマ野球≠フ杉浦正則さん(投手)とミスター社会人≠フ西郷泰之さん(一塁手)だ。今まで語られることのなかった社会人野球の魅力をたっぷりと伝える。
1995年、日産自動車に入社した伊藤祐樹は野球部が休部する2009年まで15年、
同社の誇りを胸にプレーを続けた。47歳となった現在は、本社で社業に専念している
会社に残る最大の理由は「使命感」
2009年2月9日。今も伊藤祐樹(47歳)はあの日のことを、忘れることができない。
「食堂に集合がかかりまして……。休部になるということで……。大変でした……」
1959年創部の日産自動車野球部は親会社の経営合理化の一環により、2009年限りで休部となった。都市対抗2度(1984、98年)、日本選手権1度(2003年)の優勝を誇り、社会人球界をけん引してきた超名門チームだ。
伊藤は津名高(兵庫)、福井工大を経て95年に日産自動車に入社。コーチ兼任を含めて15年プレーし、10年連続を含む都市対抗13回出場で、98年と03年には三菱ふそう川崎の補強選手として優勝を経験している。社会人ベストナインには遊撃手として最多3度受賞。03年の第35回IABFワールドカップ(キューバ)では日本代表の主将として、銅メダル奪取へとジャパンをけん引した。
休部当時、37歳。部員32人中、他チームへ15人が移籍しているが「日産の伊藤で終わる」ことを選択した。
「本当はまだ、野球をやりたかった……。『お前の力が必要だ!』という場所でプレーするのも、一つの考えではありましたが……。でも、育ててもらった日産から背を背けることはできない。移籍は頭になかったです」
会社に残る最大の理由は「使命感」だった。
「私が言うのもおこがましいですが、(日産に)いなければいけない、と。休部になれば当然、新たな野球部員は入社してこないわけです。その(会社に残る)中心にいないといけないと思っていました」
「廃部」ではなく、あくまで「休部」である。つまり、活動を再開する道が残されているという状況だ。「日産魂」を持った人間が会社に在籍していなければ、野球部復活への熱意も、経営者側には直接的に伝わらない。休部である野球部を「守る立場」こそが、伊藤自身が背負うべき役割と考えたのだ。
10回目の野球教室を開催
休部以降、毎年、日産自動車野球部OBによる野球教室を開催している。今年はちょうど10回目。11月30日、厚木市内の球場には野球部OB21人、そして、今回は広島・長野久義(Honda)ら同社野球部にゆかりのある特別ゲスト14人が講師として参加した。厚木市内、伊勢原市内の小学生約140人が約3時間、往年の社会人戦士から直接指導を受けている。進行役の伊藤はマイクを手に、グラウンドを縦横無尽に走り回り、子どもたちを盛り上げた。「本当にありがたいですよ」。特別ゲストが多数集結したのも、伊藤の人望の厚さを証明するものである。
2019年は社会人野球を統括する日本野球連盟の設立70周年と、都市対抗野球大会が第90回の節目ということで「平成ベストナイン」が制定された。伊藤は遊撃手部門で同タイトルを獲得している。
「入れ替わりが激しいですから、会社の中にも(休部から)10年経過すると、野球部があったことすら知らない社員もいる。社内報でも紹介していただきましたが、10年続いた野球教室の活動を含めて、日産自動車が世の中、表舞台に露出されることはありがたいこと。現役時代を通じて、地域への感謝を忘れずに取り組んできたチームです。一つひとつがつながっていって、復活するところまでに行き着くとうれしいです」
伊藤のポーズ写真に写り込んでいる横断幕は当時、所属部署が制作してくれたという。宝物であり、自宅に大切に保管している。まさしく、野球部が職場の代表として、会社内の士気高揚の役目を果たしてきた歴史がある。
かつて、東京ドームを暴れ回った赤いユニフォーム。「日産魂」とは何か? 伊藤は言う。
「準備、集中、積極性です」
野球と仕事は表裏一体。グラウンドで培われたマインドは、職場でも生かされる。野球とは、人生を教えてくれる。本社勤務の伊藤は愛すべき「NISSAN」のために、汗を流し続ける。復活の日を信じて……。
2019/12/1 日産自動車野球部(伊藤祐樹)
昨日(11/30 9:30-12:30)、日産自動車野球教室を快晴の厚木市玉川球場で140名の選手達を迎え開催しました!
今年はスペシャルゲストのCARP長野選手はじめ 多くの現役OBのプロ野球選手他 日産野球部に縁のある社会人野球チームからも大勢の講師陣が応援に駆けつけてくれ豪華講師陣での野球教室となりました!
日産野球部の活動ではありましたが、大勢の方にご協力いただき本当に感謝いたします。
現在、日産自動車野球部は休部中ではありますが、ご協力いただいた皆さんの想いも含め今日のこの一日は必ず日産野球部の復活に繋がっていると信じています
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日刊スポーツ
2009年から野球部が休部状態になっている日産自動車が11月30日、厚木市営玉川球場で今年で10年目となる地域貢献を主眼とした野球教室を開催した。
厚木市、伊勢原市の少年少女野球チーム12チームから、小4〜6年までの140人が集まり、日産自動車野球部OB21人と東芝、JX−ENEOSなど他企業の社会人チームからゲスト指導者14人が出席した。
一流の指導者に教えてもらえるため、開始前から楽しげな雰囲気だった球場は午前9時、サプライズゲストとして、広島の長野久義外野手(34)がコールされ、上下黒ジャージーの長野がさっそうとグランドに登場すると、子どもたちの興奮はマックスに達した。叫び声とも悲鳴ともつかない絶叫と歓声が響き渡った。
フランクな長野はすぐに子どもたちの輪に溶け込んでいく。接し方はさりげなく、スマートだ。外野手の捕球練習に顔を出すと、「捕れるかなあ」。わざととぼけた表情を浮かべつつ、子どもたちの注意を引きつけながら、お手本の捕球動作を実演。すると、すぐに少し離れたグループの子供から「長野さん、こっち(のグループ)にも来て」と声がかかる。「すぐあとで行くよ」。ここでも長野の言葉はその場を和ませ、楽しげな空気は外野芝生一杯に広がっていく。
打撃練習に移ると、女子児童がコーチに促されるように長野の前にやってきて素振りをはじめた。めったにない機会だ。女子児童は目いっぱいバットを振る。そんな姿を黙って見つめながら、足の動きをワンポイントだけアドバイス。「あとは完璧」と、端的に褒めた。
すると今度は、この様子を見ていた左バッターの男子児童が単身で目の前に進み出てバットを振り出す。「僕のスイングを見て」。そう言っているかのように、必死でバットを振る。すると長野は今度は「僕は右だから、左打者はまったくわからないよ」と言いながらも、真剣にスイング軌道を目で追った。男子児童にとっては何物にも代え難い夢のような時間だったに違いない。
極めつけは、指導者の子供が長野にプロ打者の物まねを披露した時だった。まだ幼稚園に通っていると思われるその子は、父親から「じゃ、次は筒香」「坂本勇人」。「ソトは?」と次々とお題を出されると、懸命に物まねを見せる。ソトのまねでは、父親が「もっと(本物は)ヒッチ(打つ直前にグリップを上下に動かす)してない?」と言うと、その子は「最近はしないよ」と即答。そんな2人のやりとりを、これまた長野は心底感心した様子で見入っている。最後に「じゃ、丸は?」と父親が言うと、見事に丸らしい足の振り下ろし方とスイング軌道を再現。「ああ、これね、この動きだね」と、長野は自身と入れ替わりに巨人に移籍した丸の物まねに感嘆の声を上げていた。
長野は社会人野球のHondaから09年にドラフト1位で巨人に入団。そして今年1月、丸が広島から巨人にFA移籍したことに伴う人的補償として、広島移籍。日産自動車野球部とは直接の関係はないが、野球教室前に行ったあいさつでは「日産自動車の方には大学生のころからお世話になっていました。野球教室をやっていると聞きましたので、お手伝いさせて下さいとお願いして今日を迎えることができました」と、いきさつを手短に説明していた。
野球教室が終わりに近づいた時、報道陣の取材に対応した長野は、日産自動車野球部への思いについて聞かれると丁寧な口調が一瞬止まった。「僕は何かを言うには難しい立場ですので」と真顔になった。それでコメントは終わるかなと思ったが、意を決したように言葉を続けた。「社会人野球や(大学時代の)全日本などで日産野球部のみんなとは仲間として野球をしてきました。今は1人の社会人野球ファンとして、日産には復活してほしいですね」。
今、日産自動車は苦境に直面している。今年の4月〜9月期の連結決算では、前年同期比の営業利益は実に85%減という厳しさだった。難しい局面だけに野球部復活という道程はこれからも苦難が予想される。しかし、この日長野をはじめとした他企業の社会人野球部出身者がかけつけた姿には名門日産野球部へのエールが、そして地域住民からは日産野球部への愛着がそこかしこに感じられた。
本業を巡る企業間の戦いとは別次元として、野球の世界においては、選手間の絆は、そんな垣根は軽々と超えていく。すべてのメニューが終わった後、長野は140人全員にサインをした。サインをしてもらうため、行儀よく一列に並ぶ子どもたちと、丁寧に応じていく長野。決して暗い未来ばかりが待っているわけじゃない。
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スポーツ報知
広島の長野久義外野手(34)が30日、神奈川・厚木市内で行われた野球教室に参加した。この野球教室は、2009年に休部となった日産自動車野球部のOBが中心となり、休部翌年の2010年から続けてきたもので、今年で10回目。長野は社会人時代はHondaでプレーしたが、大学日本代表などで共にプレーした先輩からの誘いもあり、サプライズゲストとして参加した。
ゲストの最後の1人として名前がアナウンスされると、参加した約140人の小学生、保護者からこの日一番の歓声。長野は「まだ知ってもらえてると、うれしかったですね。みんな楽しくやっていたのでよかった」と笑顔。「来年はオリンピックもありますし、多くの子供たちに野球を知ってもらって、野球の楽しさを分かってもらえれば。こういうイベントに、できるだけ参加できるようにしていきたい。なかなか会えない先輩方ともお会いできて、よかったです」と話していた。
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毎日新聞
厚木市小野の同市玉川野球場で30日、「日産自動車NTC(日産テクニカルセンター)野球教室」が開かれ、同市と伊勢原市の少年野球チームの高学年を中心とした児童約130人が参加した。
同社は、硬式野球部が休部となった2010年から地域社会への貢献と児童のスポーツに対する向上心を高めることなどを目的に野球教室を毎年開催し、今年で10回目。
指導に当たったのは、日産OBや他の社会人野球チームの選手のほか、プロ野球からも広島東洋カープの長野久義選手らが駆けつけ、総勢34人の指導者が約2時間にわたり熱心に教えていた。
子供たちは一流選手たちからポジションごとのマンツーマン指導、走塁や打撃なども含めた総合的な指導を受け、汗を流しながら元気に励んでいた。
厚木市立妻田小6年で妻田ブルーフォックス所属の一色絢平さん(12)は「キャッチャーの練習で悪送球を防ぐためのスローイングなどを学んだので、これから試合で役立てたい」と笑顔で話していた。
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週刊ベースボール
2009年の休部以来、毎年開催されているこのイベントは、今回が記念すべき第10回目。節目となる今年は現在、広島東洋カープでプレーする長野久義外野手を筆頭に豪華なスペシャルゲストが集まり、厚木市と伊勢原市の少年野球チームに所属する140人の小学5、6年生が汗を流しました。
経営上の都合により、日産野球部が休部となった10年前、最後の年に日産野球部の副部長を務めていた田川博之さんは、厚木市にある当時所属していたテクニカルセンターの総務部長の「地域を盛り上げたい」という思いに共感し、野球教室開催を提案したそうです。
「それまでは突然の休部に寂しい思いもありました。10年前のスタート時は、今よりも小さい規模でOBを集めて日産自動車の自社グラウンドで行っていました。10年目を迎えて、こんなにもたくさんの人が集まってくれるとは想像していなかったので、すごくうれしいです」
とグラウンドを見つめながら、とても感慨深そうでした。
特別ゲストの1人として参加した東芝野球部の主将・松本幸一郎内野手は、自身のお父様が日産野球部のOB。そのため、幼いころから日産野球部を応援していたそうです。
「父がコーチを務めていたときに、東京ドームに都市対抗の観戦に行きました。当時の日産は青いユニフォームで、観戦した日は偶然にも東芝府中との試合でした。日本一にもなった強いチームだったので、休部を知ったときは悲しかったです。ぜひ将来的には復活して、神奈川の社会人野球がより一層盛り上がれば」
と野球教室を通して、今後も力になりたいとお話ししていました。
OBによる熱心な指導が続いた