2025年 復活初年度
トップページ
日産自動車、本社硬式野球部の体制を発表
日産・昆加奈子マネジャー
週刊ベースボールOn line
日産自動車、再始動! 名門チームが16年ぶり復活「負けない野球」がキーワード
日産野球部 15年ぶり「ゼロからの」再始動
新生・日産「島人バッテリー」 高校や大学でも一緒 固い絆
《横須賀から全国へ》16年ぶりの名門復活へ歩み始めた日産野球部、伊藤新監督が明かした意気込みとチーム作り「技術の日産ふさわしいチームに」
new
公式戦の初陣 「JABA春季神奈川県企業大会」 1日延期に伴い、対東芝戦は
3/22(土)10:00(三菱金沢グラウンド)
初の公式戦 都市対抗王者
三菱重工East に善戦も敗れる
2日目も同点で迎えた9回にENEOSが2点ホームランでサヨナラ
3日目 東芝に0対6で完敗
日産野球部が本社で決起大会 new
2025/2/17 日産自動車野球部
日産自動車、本社硬式野球部の体制を発表

日産自動車は17日、本年より活動再開する日産自動車本社硬式野球部の体制を発表しました。
新チームは神奈川県横須賀市に拠点をおき、都市対抗野球大会・日本選手権大会の出場を目指します。
本社野球部のチームスタッフと所属選手は以下の通りです。
チームスタッフ
役職 |
背番号 |
氏名 |
出身校 |
ゼネラルマネージャー |
- |
田川 博之 |
早稲田大学 |
部長 |
- |
桝本 心 |
日本体育大学 |
監督 |
92 |
伊藤 祐樹 |
福井工業大学 |
ヘッドコーチ |
75 |
四之宮 洋介 |
青山学院大学 |
投手コーチ |
89 |
宮田 仁 |
國學院大學 |
マネージャー兼コーチ補佐 |
93 |
西川 勇人 |
中央大学 |
マネージャー |
- |
昆 加奈子 |
青山学院大学 |
トレーナー |
- |
打木 明治 |
帝京短期大学 |
本社野球部所属 選手
ポジション |
背番号 |
氏名 |
投打 |
出身校 |
* OPS = 出塁率 + 長打率 |
投手 |
11 |
砂川 羅杏 球歴 |
右右 |
共栄大学 |
持ち前のスタミナで安定感あるピッチングが売り。大学リーグ最優秀投手賞2回。捕手で入部する比嘉は八重山高以来の同僚。
|
投手 |
13 |
友野 聡太 球歴 |
左左 |
横浜市立大学 |
横浜市出身。大学ではリーグ最優秀投手に輝く。昨夏の大学代表
対ベイスターズとのプロアマ交流戦にリリーフ登板しプロを相手に見事な投球を見せた。 |
投手 |
14 |
島 龍成
球歴 |
左左 |
和歌山大学 |
小柄ながらマウンドでは闘志あふれる左投手。履正社高校2年時に甲子園優勝を経験。大学では4年春リーグに最優秀選手賞に選出。 |
投手 |
16 |
深浦 幹也 球歴 |
左左 |
中央大学 |
U15侍ジャパン。高校では1年時から主戦投手を務める。大学ではケガで登板機会は少なかったが4年時から復帰、キレのある投球で活躍。
|
投手 |
17 |
領家 佑馬 |
右右 |
城西国際大学 |
キレが良い直球と緩急をつけた変化球による制球力が持ち味。大学では右のエースとして活躍し、リーグ最多勝を獲得。 |
投手 |
18 |
阿部 克哉 |
右右 |
城西大学 |
長身からの角度あるストレートと多彩な変化球を持つ投手。大学時代は主に先発として起用され、救援でも活躍。 |
投手 |
19 |
安藤 利玖(りく) |
右右 |
中京大学 |
大学4年で学生スタッフからチームの主軸投手となった異色の経歴。体重を乗せた威力のある速球に、変化球を織り交ぜる。昨春の全国大学選手権で先発完封勝利。 |
|
|
|
|
|
|
捕手 |
22 |
川副 寿来( じゅき) |
右右 |
国士舘大学 |
高い捕球技術と強肩の捕手。高校では2年秋に県大会優勝。大学リーグでは捕手として3年時にベストナインに選出される。 |
捕手 |
27 |
比嘉 久人 球歴 |
右右 |
共栄大学 |
強肩捕手。大学チームでは4番。4年春のリーグ優勝に貢献し最優秀選手に選出。投手で入社する砂川と高校大学を通じてバッテリーを組んだ。
|
|
|
|
|
|
|
内野手 |
1 |
小柴 滉樹 球歴 |
右右 |
専修大学 |
大学では主将。リーグ首位打者とベストナインを獲得。大学通算打率は三割超。左右に打ち分ける粘りの打撃と堅実な守備を誇る。 |
内野手 |
4 |
角田 蓮(れん) |
右右 |
駒澤大学 |
堅実な守備を誇る内野手。名門駒澤大学の副主将。
|
内野手 |
7 |
桂 飛勇己(ひゅうき) |
右左 |
中部学院大学 |
俊敏な動きで守備力の高い内野手。器用でスキの無い打撃も魅力。東海地区選手権で首位打者&打撃賞を獲得。 |
内野手 |
8 |
山本 侑汰(ゆうた) |
右左 |
福井工業大学 |
北陸の強豪、福井工大主将。大学の通算打率は4割超。3年時にリーグ最優秀選手に選出され、4年秋には本塁打王で3打席連続本塁打のリーグ記録を樹立。
|
内野手 |
9 |
宮原 光夫 |
右左 |
創価大学 |
横浜市出身。内野手。大学リーグではベストナインに選出。4年秋の神宮大会では4試合をフル出場し、打率.357の活躍でチームの準優勝に貢献した。
|
内野手 |
10 |
鍛治園 健人 |
右右 |
四日市大学 |
大学4年間でリーグ首位打者・本塁打王・打点王を獲得。大学通算打率3割超、OPS1.0超のスラッガー。通算四死球も50超で選球眼も良い。 |
内野手 |
12 |
梅澤 唯冬(いぶき) |
右右 |
中央学院大学 |
パンチ力ある打撃と変化球への高い対応力。主にショートを務め、守備力も高い。大学リーグのベストナインに選出される。 |
|
|
|
|
|
|
外野手 |
0 |
石毛 大地 |
右左 |
筑波大学 |
横浜出身。茨城日産から移籍。大学時代はリーグ首位打者。日本代表合宿招集歴あり。粘りの打撃と堅守が特徴。
|
外野手 |
2 |
石飛 智洋 球歴 |
右左 |
天理大学 |
昨春の全国大学選手権で7打席連続安打の大会タイ記録を達成。首位打者も獲得し、大学日本代表合宿へも招集。4年春・秋ともにリーグ戦のOPSが1.0超のスラッガー外野手。 |
外野手 |
24 |
玉置 健士郎
球歴 |
右左 |
青森大学 |
走攻守のバランスの取れた外野手。大学リーグでは2期連続でベストナインに選出された。 |
外野手 |
25 |
朝岡 慶(けい) |
右右 |
名城大学 |
俊足・強肩・好打の外野手。愛知:東邦高校で2年時に春の甲子園優勝を経験。大学通算打率3割超。4年秋にチームのリーグ優勝に貢献し、最優秀選手に選出される。 |
外野手 |
28 |
田中 雄大(ゆうだい) |
右左 |
福岡工業大学 |
強肩俊足の外野手。大学通算で三度のリーグベストナインに選出。 |
外野手 |
29 |
宮川 怜 |
左左 |
愛知工業大学 |
50m走5.8秒の快足を誇る。大学通算打率は3割超、通算100安打を達成。リーグ盗塁王、ベストナインを獲得。 |
本社野球部は、2023年12月に横須賀市と締結した「スポーツ振興に関する連携協定書」にもとづき、野球教室の開催など地域貢献活動を通じて、スポーツを核としたまちづくりの推進に協力していきます。

THE ANSWER
2025/2/17 Daily
16年ぶり復活の日産自動車野球部が体制発表
伊藤監督「弊社も厳しい状況の中で野球を通じて元気に」
2009年に休部し、今年から活動を再開した日産自動車の野球部が17日、体制を発表した。
昨春の全日本大学選手権で大会タイ記録となる7打席連続安打をマークした天理大の石飛智洋外野手(22)ら22人の選手が復活初年度のメンバーとして名を連ねた。
主将は石毛大地外野手(23)で、昨年1年、茨木日産でプレーしたチーム唯一の社会人野球経験者だ。
この日は横須賀スタジアムで練習を初公開。横須賀市の上地市長も激励に訪れた中、同社で15年間プレーし休部後は社業に専念していた伊藤祐樹監督(52)は「弊社も厳しい状況にある中で、従業員の方々や会社を、野球を通じて元気にしていけたら」と意気込みを語った。
(報道から)
チームスローガンは「再翔」。逆境をはね返し、大きく羽ばたくチームを作り上げる。
選手22人のうち、社会人経験者は昨季まで茨城日産硬式野球部に所属した石毛のみ。アマチュア球界で活動を続けるOBたちの協力も得て、新社会人となる大卒1年目を中心にチームを構成した。
フレッシュな顔ぶれで1月14日に始動し「練習はいまだに1度も雨がない」(伊藤監督)。天候も味方し、上々の船出を果たした。
チームは既に1月14日から練習を開始しており、今後は3月4日に初の対外試合、3月19日に開幕する「JABA春季神奈川県企業大会」が公式戦の初陣となる。
報道陣からは「経営が厳しい状況で野球をやることでどういった影響をもたらしたいか」と直球質問も飛んだ。
「これから日産自動車が復活していく中でいろいろとチャレンジしていかなければいけないこともあるでしょうし、苦労することが多いかと思うんですけれども、そういった中で我々もフレッシュなメンバーで強豪相手に戦っていく、そういった姿を見せ、会社を元気にしていければと思います。勝つことで皆さんも喜んでいただけますし、力にもなってくる。(チームの)皆と意識を共有してやっていきたい」と伊藤監督。
ENEOS、東芝、三菱重工Eastなど強豪ひしめく西関東地区で結果を出すことを誓った。
2025/2/24 毎日新聞 もっと社会人野球
迷ってもやりたい道 日産・昆加奈子マネジャー
15年の休部期間を経て1月に活動を再開し、新しいスタートを切った社会人野球の日産自動車野球部で、選手たちより早く “入部”
した先輩がいる。マネジャーの昆加奈子さん(23)だ。野球部復活により、思いがけず人生の岐路を迎えることになったが「迷った時は、本当にやりたい方に行く」と飛び込んできた。
大学日本一経験 活動再開に人生かけ

「こんなに青いユニホームが映えるなんて」
1月14日、快晴の空の下で22人の選手が初めて一堂に会し、神奈川県横須賀市のグラウンドで練習した。その様子を、まぷしそうにしながら見つめる昆さんの姿があった。前夜は「ワクワクして」なかなか寝付けなかったという。
2024年4月に入社し、配属先の人事部で新人採用のプロセスや予算管理などの業務を学んできた。その傍ら、伊藤祐樹監督(52)や四之宮洋介ヘッドコーチ(47)とともに、野球部の活動再開に向けた準備を進めた。社会人野球の大会に足を運んでは他チームのマネジャーの仕事を見たり、話を聞いたりもした。
中高一貫の神奈川・聖セシリア女子ではソフトボール部に所属していた。英語が得意で、海外留学を目標に青山学院大の地域社会共生学部に入学したが、新型コロナウイルスの影響で授業はすべてオンラインになり、2年時に必修とされていた留学プログラムも中止となった。
目標を失った時、父裕人さん(52)から「何かチームに所属した方がいい」と野球部への入部を勧められ、大学2年の4月にマネジャーとして硬式野球部に入部した。4年春からは、1883年の野球部創部以来、女性で初となる主務(チーフマネジャー)を任された。
「誰もやったことがないことをやりたい」と引き受けた昆さんについて、主務就任を打診した青学大の安藤寧則(やすのり)監督は「常に『もっと良くしたい』という前向きさがあり、新しい発想をする子。チームも明るくなった」と語る。
寮で選手と一緒に過ごす男性マネジャーと密に連携を取りながら、学校側とのやりとりや取材対応など、主に渉外業務を担当した。新たな試みとして、保護者向けに毎月、寮や球場に向かうバス内の選手の様子を撮影してメールで送ると、離れて暮らす選手の様子が分かると好評だったという。
この年(23年)、東都大学春季リーグで17年ぶりの優勝を果たし、全日本大学選手権では18年ぶりの日本一に輝いた青学大を支えた。
大学卒業後は野球と関わるつもりはなく、ある企業から入社の内定を受けていたが、23年9月に転機があった。
日産野球部の活動再開が発表され、当時青学大の臨時コーチで日産のヘッドコーチになることになった四之宮さんから「一緒に盛り上げない?」と日産野球部のマネジャーとして誘われた。
「楽しそう」「いいのかな・・・」と心が揺らいだが、「(チームの)立ち上げに関われるのは今だけ。どっちを選んでもきっと『違う方を選べば良かった』と後悔する。だったら、本当にやりたい方に行こう」と決断した。横浜市出身で、日産の工場見学にも行ったことがあるなど身近な存在だったことも後押しした。
前向きな姿勢は社会人でも生かされている。入社直後の24年5月には、社内で野球部を盛り上げようと、人事部社員が閲覧できる野球部のホームページを開設。社会人野球の基礎知識や、伊藤監督らのインタビューなどを自ら記事にして掲載した。野球部の公式ホームページのコンテンツについても、より多くの人に見てもらうために伊藤監督や広報に積極的に進言した。
1期生となる新人選手の顔ぶれが決まり、「選手が社内のどこを歩いても『応援しているよ』と声をかけてもらえるような、社員としっかりつながっている野球部にしていきたい」と思っている。
マネジャーは、野球部OBの西川勇人さん(39)と務める。社会人野球の企業チームでは女性マネジャーはまだまだ少なく、新生・日産とともに誰も歩いたことがない道を切り開き、力強く進んでいく。
2025/3/3 週刊ベースボールOn line 社会人野球
CLOSE UP
日産自動車、再始動! 名門チームが16年ぶり復活「負けない野球」がキーワード
厳しい業績の中で会社の「シンボルチーム」となるべく、再スタートを切った。2009年限りで休部して以来、16年ぶりに社会人野球界に戻ってきた。企業が野球部を持つ意味をかみしめ、会社全体の士気高揚を目指している。
取材・文=大平明
目的は「一体感の醸成」
社会人野球の舞台へ16年ぶりに戻ってきた。1959年に創部し、都市対抗は29回出場。84年と98年には黒獅子旗を手にし、2003年には社会人日本選手権を制した。川越英隆(元オリックスほか)、梵英心(元広島)、熊代聖人(元西武)
らプロ野球選手も多数輩出してきた名門チームだ。しかし、09年にリーマン・ショックの影響で業績が悪化して休部。それから雌伏の時を過ごすこととなったが「従業員の一体感の醸成」を目的に、復活のアナウンスがあったのは2023年9月。1年以上の準備期間を経て、今年の1月14日にチームが再始動。2月17日には体制発表を行い、活動拠点となる追浜工場からは応援用のパネルなどが贈呈された。
09年の休部時は副部長を務めていた田川博之ゼネラルマネジャーは「この半年間、日産自動車を取り巻く情勢が非常に厳しく、心配の声が選手の耳にも届いています。ただ、そうしたなかでも『野球部を復活させてほしい』『明るい知らせを待っています』というお言葉に背中を押されて、ここまでやって来られました。応援していただける社員、地域の皆さまに明日へ向かって頑張っていける希望の力を届けられるように全員で腹をくくっていきたいと思っています。ぜひ、期待してください」と決意を語った。桝本心部長は「企業スポーツは応援する方々の士気を高める力があると思っております。選手たちは多くの支えに感謝しながら、全力プレーをお見せできるように努力してまいります」と話した。
チームを指揮するのは伊藤祐樹監督(福井工大)である。初優勝を遂げた03年の日本選手権では最優秀選手賞、19年には日本野球連盟(JABA)による平成のベストナインでは遊撃手部門で選出されるなど「ミスター日産」と呼ばれた名選手だった。
「活動を開始して1カ月ほどたちますが、1日も雨に降られることなく、順調に来ています。先日、内田誠社長が自力での復活を宣言されました。われわれはそのシンボルチームとなるべく、しっかりと地に足を着けてまい進していきます」。指揮官が奮闘を誓えば、この1年間、チーム再始動への準備を進めてきた四之宮洋介ヘッドコーチ(青学大)は抱負を語った。
「若いチームなので成功までに時間がかかるかもしれませんが、一つのチームになって成長していきたい」
日産自動車は23年12月に横須賀市と「スポーツ振興に関する連携協定」を締結。野球教室の開催など、地域貢献活動を通じてスポーツを核としたまちづくりの推進に協力していく。お祝いに駆けつけた上地克明横須賀市長は、激励の言葉を送った。
「日産自動車野球部は横須賀のアイデンティティーの一つだと思っているので、復活を待ち望んでいました。横須賀は野球が盛んですから市民球団として活動していただきたい。そして、一日でも早く栄光の日本一の座に戻ってほしい」
日産自動車は2023年12月に横須賀市と「スポーツ振興に関する連携協定」を締結。横須賀スタジアムでの公開練習で、上地克明横須賀市長が激励の言葉を送った.
「気持ち」がある22人
練習環境については、2月末にクラブハウスと室内練習場が完成する見込み。グラウンドは来夏の完成を目指しており、それまでは横須賀スタジアムなど市内のグラウンドを利用して練習に励む予定だ。また、ユニフォームの胸には幸福の象徴で、同社のレジェンドカーの名前にもなっている「ブルーバード」が描かれ、ホーム用は白色、ビジター用は横須賀市をイメージした青色が基調となっている。伊藤監督は背番号92を着ける。その理由を「今年で日産自動車は92歳なので」と、同社が1933年に本格的な自動車生産へ乗り出したことにちなんでいる。
選手は投手7人、捕手2人、内野手7人、外野手6人の計22人。そのうち21人は新卒選手だ。伊藤監督は「もちろん強いチームを目指すのですが、『日産自動車の野球部をつくるんだ』という思いが根底にあったので、『日産自動車でやりたい』という気持ちがある選手を選びました。北は北海道から南は沖縄まで、全国から選手が集まったのですが、リモートで面談をさせてもらい、それぞれの思いを確認しました。会社の状況が厳しくなったなかでも、内定を取り消した選手は一人もいなかったので、チームの立ち上げにふさわしい採用ができたと感じています」と満足している。
練習が始まった当初は日替わりでキャプテンを回していたが、1カ月がたとうとしたところで石毛大地(筑波大)が主将に就任。石毛は昨季まで茨城日産でプレーしていた唯一の社会人2年目の選手だ。伊藤監督は「社会人野球は独特な取り決め事項があり、現場を経験している選手が欲しかったのでお願いしました。石毛は昨年の都市対抗の北関東予選で高い打率を残しましたし、練習のなかでリーダーシップが垣間見えたので主将を任せることにしたんです」と理由を挙げた。石毛主将は「自分だけ年齢が一つ上なので、覚悟はしていました。前のチームを離れることに葛藤がありましたが、チームメートは温かく送り出してくれましたし、半ばあきらめていた地元の神奈川でプレーできることが何よりもうれしいです。まだ手探りで何が正解なのかも分かりませんが、伊藤監督やコーチに引っ張ってもらい選手たちで考えながら、自分も先頭に立って進んでいきたいと思います」と、重責を受け止めている。
都市対抗予選において日産自動車が所属する西関東地区は、同最多の優勝回数を誇るENEOS(12度)と2位の東芝(7度)。さらに、昨夏の都市対抗を初めて制した三菱重工Eastと強豪チームがひしめく。
「力の差があることは否めませんが、自分たちからコケることはないようにしていきたい。そのためには当たり前のことを、当たり前にやること。普段から注意していることを高い精度で全員ができるようにしていきたいです」(伊藤監督)。「試合に勝って勝負に負けた」という言葉があるが、指揮官が目指すは、内容で負けていたとしてもきっちりと白星を手にする野球である。「隙のない野球をするのが日産自動車。負けない野球を突き詰めていきたい」。

3月の春季神奈川県企業大会が初の公式戦であり、6月には都市対抗二次予選を控える。西関東地区はENEOS、東芝、三菱重工Eastと強豪チームがひしめく激戦区である
[写真=矢野寿明]
勝つことで従業員の力に
大きな看板を背負う選手たちは練習を始めてまだ間もないが、成長速度には目を見張るものがあるという。「トレーニングでフラフラしていた選手たちがしっかりとできるようになり、ランニングも良い力感で走れるようになってきました。技術の前の段階ですが、野球にもつながっていくと思います」。石毛主将によると「バッティングではスイングの力がまだ足りていないのでハードコンタクトする意識を持って『質にこだわっていこう』という話をしています」と打力向上にも励んでいる。
そんななか、伊藤監督が「大学での実績を含めて、中心のバッターになるのでは」と期待を寄せているのが石飛智洋(天理大)だ。昨年の全日本大学選手権では大会タイ記録となる7打席連続安打を放っている。投手陣は指揮官が「長身から投げ下ろす140キロ中盤の真っすぐとフォークが持ち味の頭脳派投手」と評価する阿部克哉(城西大)をはじめとした7人が、横一線でエースの座を争う。今後は3月4日のオープン戦で初の対外試合に臨み、公式戦は同19日のJABA春季神奈川県企業大会に備える。都市対抗の西関東二次予選は6月30日に開幕する。「都市対抗予選までに、どれだけ中身の詰まったチームをつくれるか。小さな穴に飛び込んでいく準備をしていきたい」と伊藤監督。石毛主将は「チームができて2年目、3年目になったからといって本戦に出場できるとは限らないので、1年目の今季から本大会出場を狙いたい」と意気込む。
伊藤監督が「これから日産自動車の業績を復活させていくなかで、いろいろとチャレンジしていかなければいけないこともあるでしょうし、従業員の皆さまも苦労することが多いかと思います。そういったなかでフレッシュなメンバーで強豪を相手に戦っていくわれわれの姿を見ていただいて、会社を元気にしていければ。勝つことで皆さまの力にもなれると思います」と話す。会社と一体になって困難に立ち向かっていく日産自動車野球部。スローガンに「再翔 2025」を掲げ、胸のブルーバードが再び天高く翔び上がっていくことを期す。
2025/3/15 毎日新聞
日産野球部 15年ぶり「ゼロからの再始動」
唯一経験者の重責
選手22人で活動を再開した日産自動車野球部で、ただ一人、既に社会人野球を経験している選手がいる。
茨城日産から移籍してきた石毛大地選手(23)だ。他の21人が3月に大学を卒業予定というルーキーの集団になる中、わずか1年の経験だが、「新生」野球部にとって、けん引役としての期待は大きい。
1歳下21人率いる石毛大地主将
 |
 |
神奈川県横須賀市の日産自動車追浜工場内で2月17日に行われた野球部の新体制発表会。その数日前に伊藤祐樹監督(52)から主将を任された石毛選手は「キャプテンとして、社会人経験者としてチームを勝利に導けるように頑張ります」と語った。報道陣からの質問にも落ち着いた様子で対応していた。
伊藤監督はチーム発足にあたり、当初から「経験者採用」を考えていた。「社会人野球のことを何も知らない選手ばかりではチーム作りに苦労する」と考えたからだ。
石毛選手については「たった1年かもしれないが、社会人野球の面白さも厳しさも、応援される喜びも経験し、伝えられる人は、若いチームにとって重要な存在。積極的に伝えていってもらいにい」と期待を込める。
その石毛選手を候補の一人と考えたのは、1年前の”出会い”があったからだ。
石毛選手は筑波大の3年時までは、大学卒業後は一般就職をしようと考えていた。しかし、4年春のリーグ戦を戦う中で「やっぱり野球を続けたい」という気持ちが強くなった。4年の秋になっても進路が決まらない中、浪人覚悟で社会人野球へ進むことを決断した頃、飛び込んできたのが日産野球部復活のニュースだった。横浜市出身の石毛選手は実家近くに、休部前の日産野球部のグラウンドと選手寮があった。
「家族や恩師など応援してくれる人たちへの恩返しも込めて、野球を続けるなら地元でやりたいという強い思いがあった。またとないチャンスだと思った」
筑波大野球部のOBが茨城日産のトレーナーを務めている縁で、まずは日産野球部OBでもある茨城日産の渡辺等監督(60)に「日産野球部に入りたい」との思いを伝えた。渡辺監督から伊藤監督らにつないでもらい、日産入りへの熱意をぶつけた。だが、新生・日産は2025年春に卒業する選手を採用対象として考えていたことなどから、夢はかなわなかった。
渡辺監督の計らいで、日産野球部が本格的に再始動するまでの間、茨城日産で野球を続けられることになった。24年春に茨城日産に入り、普段は中古車の販売やメンテナンスなどの業務にも携わることになった。
会社背負い戦う
石毛選手は「(1年後に)日産野球部へ入れなければ野球はやめよう」との覚悟を胸にプレーし、「1番・中堅」として定位置をつかんだ。
都市対抗北関東2次予選では、前年代表の日本製鉄鹿島を破るなどし、創部4年目にして初の代表決定戦に進出。SUBARUとの代表決定戦は延長十回タイブレークの末に惜敗し、本大会初出場はならなかった。
しばらく立ち直れないほど悔しかったが、職場に戻ると「良い試合だったね」「思わず見入っちゃったよ」などと声をかけられた。野球部の活躍や存在が社員にどう伝わり、影響力を持っているのか。「会社を背負って戦うことの意味が分かった」と感じられる機会になった。
日産の伊藤監督は、大学時代の石毛選手のプレーは見ていなかったことから、茨城日産の試合に足しげく通った。石毛選手の実力や成長を見て、採用できると判断した。
今年1月、石毛選手は日産野球部の繰習着を着て、1期生としてスタートラインに立った。初の全体練習では「全員僕よりも一つ年下なので、まだ少し距離は感じる」と苦笑いしながらも、「みんな話しやすくて良いチームになりそうな雰囲気がある」と話していた。周囲への気遣いや練習中に垣間見えたキャブテンシーから、伊藤監督は再スタートを切ったチームの初代主将を石毛選手に託した。
日産野球部は、会社と共に歩むことをテーマとし、社員の結束力向上を目指している。「社会人野球は野球だけ頑張っていてもだめ。職場の皆さんに応援してもらえるチームでなければ、ここで野球をする意味がない。野球以外の部分でも自分にできることを考えて行動していかないといけない」と石毛選手。
わずか1年だが、その経験をチームメートと共有していく。たった一人の先輩は、チーム作りに欠かせない存在だ。
------
「悔しいっすね」二度と 休部の歴史に触れ 玉置健士郎
日産野球部は選手全員が「ゼロからのスタート」となる中、伊藤監督が採用で重視した要素がある。それを体現するような熱い選手が、北国からやってきた。
神奈川県横須賀市内に全22選手が集まって初練習に臨んだ1月14日、1人だけ朝から半袖姿の選手がいた。青森大から入る玉置健士郎外野手(22)だ。ランニングでは先頭を走りノックには全力で飛びつく。「楽しくて。早くみんなで野球(の試合)がしたい」と笑顔を輝かせていた。

伊藤監督が玉置選手を初めて見たのは24年4月下旬。岩手県であった北東北大学春季リーグでスカウト活動をした際、外野守備の動き、周囲への声かけから光るものが伝わってきた。試合後、青森大の三浦忠吉監督(43)に進路を尋ねると、プロ一本に絞っているとのことだった。「やっぱりそういう選手か」と思い、それ以上の声かけはしなかった。
伊藤監督は採用にあたり「ドラフト待ち」はしないと明言してきた。社会人チームの内定を受けた上でプロ野球・ドラフト会議の結果を待つ選手を選ぶよりも「日産の野球に合っている選手。そして、日産でやりたい気持ちがある選手」を求めた。
札幌市出身の玉置選手は北海道・白樺学園高3年だった20年春の第92回選抜大会出場を決めたが、新型コロナウイルスの感染拡大により大会は中止。チームでは同学年の片山楽生投手(NTT東日本ーオリックス)ら注目選手の陰に隠れた存在で、首都圏の大学から声はかからず、青森大に「拾ってもらった」。
入学直後から「プロに行く」と宣言し、一心不乱に練習に取り組んだ。三浦監督は「軽そうに見えて、実はすごく真面目で責任感が強い。周囲への影響力もある選手」と評し、4年春には主将も任せた。
無名の道産子から、俊足と好守でプロ球団のスカウトの興味を引くまでに成長した玉置選手は、日産から関心を持たれていると三浦監督に聞いたものの、進路としては考えなかった。
ただ、気になってインターネットで「日産野球部」と記事を検索する。「休部していたのか。昔はすごく強かったんだな」「休部後も野球教室を開いて、いろいろな活動をしていたんだな」と、関係者の熱意や思いに引かれていった。
春季リーグ戦後、進路を迷っていた玉置選手に、三浦監督は監督室での面談で「プロに行くことも大切だけど、日産というチームの立ち上げに関われるのは素晴らしいことだぞ。しっかり考えてみろ」と声をかけた。
「プロへ」思い断ち
部屋に戻って数時間、日産野球部の記事を読み返した玉置選手は伊藤監督の就任記者会見の記事に、再開に懸ける熱い思いを改めて感じた。再び監督室に戻って「こんな素晴らしいチームの立ち上げに声をかけてもらって光栄です。力になれるよう頑張りたい」と決意を伝えた。プロへの思いを断ち、社会人入りへ気持ちを切り替えた。
JR北海道(現JR北海道クラブ)で12年間を過こした経験がある三浦監督は「『やっぱりプロを目指す』と言うと思っていたので、驚きました。日産を知らない世代の選手が、その素晴らしさに気づいてくれてうれしかったです」と振り返る。
伊藤監督は採用にあたり、面談した大学生全員に「日産自動車硬式野球部の歩み」と題した動画を見せた。創部から都市対抗で優勝した黄金期、休部が決まり、最後の試合で敗退直後、グラウンドに突っ伏す選手や涙を拭う選手たち……そして活動再開までの道のりを簡潔にまとめた動画だ。09年限りで休部した以前の日産野球部を知らない学生に、少しでも歴史やカラーを理解してもらう狙いがあった。
オンラインの面談で動画を見終えた玉置選手は自然と「自分のことじゃないですけど、なんか、悔しいっすね」と口にした。自身が誇りを持つ野球部に若い世代が思いを寄せる姿に目頭が熱くなった伊藤監督は画面を見ながら、胸の中で「合格」とつぶやいた。
新野球部の1期生の先頭に立つ存在となることを目指す玉置選手は「1年目だからこそ、しっかり都市対抗出場を目指していく。新生日産の歴史的な1代目になりたい」。日産野球部の誇りと熱い思いをしっかりと受け止めている。
毎日新聞夕刊 2025/3/17
新生・日産「島人バッテリー」 高校や大学でも一緒 固い絆
2人一緒だからこそ、かなえたいものがある。15年ぶりに活動を再開した日産自動車野球部に加入した22選手の中に、小学校の選抜チーム、高校、大学に続いて社会人でもチームメートになった2人がいる。エメラルドブルーの海に真っ白な砂浜が広がり、
神奈川から約2000キロ離れた沖縄・石垣島からやってきた、「島人(しまんちゅ)バッテリー」だ。

晴天となった1月14日の野球部の全体練習初日。神奈川県横須賀市のグラウンドに集まり、暖かい日差しを受けながらストレッチに励む選手たちの中に、砂川羅杏投手(22)
と、捕手の比嘉久人選手(22) がいた。
ネックウオーマーを口元まで上げ、少し寒そうにしている2人は、伊藤祐樹監督(52) から「ほら、島人パワーで頑張れ!」と発破をかけられていた。
別々の少年野球チームに所属し「そこまで意識する存在ではなかった」2人だが、小学6年生の12月に地区の選抜として同じチームに入ると意気投合。練習場所に近い砂川投手の家に比嘉選手が寄り、練習前にゲームをする仲になった。
一緒に進んだ沖縄・八重山高では2年夏からバッテリーを組んだ。最後の夏は新型コロナウイルスの影響で全国選手権が中止になり、主将の「地元の人たちに優勝して恩返ししよう」の言薬に奮起して独自大会で優勝した。全試合でバッテリーを組んだ2人は
最後にマウンドで歓喜の輪の中心となったが、全国の舞台を踏めなかった「不完全燃焼」の思いを抱えていた。
砂川投手は卒業後は野球を離れ、理学療法士を目指そうと考えていた。そんな折、埼玉にある共栄大の野球部監督から比嘉選手らとともに勧誘され、「燃え切っていない心にまた火が付いた」。比嘉選手は「もう一回
(全国に向けて) やってやろうと思った」
と振り返る。
砂川投手はエース、比嘉選手は正捕手の座をつかみ、4年生の春には東京新大学リーグで6季ぶりに優勝して全日本大学選手権に出場した。高校で果たせなかった「全国」の夢をかなえたが初戦で敗退した。
まだ見ぬ全国の頂点。ともに、大学卒業後も野球を続けたいと願う中で、日産入りは偶然が重なった。
砂川投手は4年生の春ごろ、履歴書の書き方を練習する授業で、日産野球部復活のニュースを踏まえた志望動機を書いた。それを知った大学野球部の監督が伊藤監督に連絡し、面談が実現した。
砂川投手をチェックするために見に来ていたオープン戦で、伊藤監督は比嘉選手のサヨナラ3ランを目撃した。捕手も探していたためオファーを出した。比嘉選手は「(卒業後の)
チームが決まっていなかったので、素直にうれしかった」と話す。
2人が互いに日産に進もうとしているのを知ったのは4年生の6月上旬。
「さすがにそんなことあるの? まじで? と思った」(砂川投手)
「素直に『またかよ?』といった感情だった」(比嘉選手)
驚きを隠せなかったが、「うれしかった」と口をそろえた。
伊藤監督は現役時代の記憶がフラッシュバックしたという。日産で同期だった桝本心選手と村上恭一選手の2人は、広島・尾道商高、日体大出身で、日産でも互いに高め合いながら長く現役を続けていた。四半世紀の時を超えて現れた「同級生」のバッテリー
と監督として接することになり、「これはそういったご縁があるのかな、と思いましたね」と明かす。
バッテリーを組む上で重要なのはコミュニケーションと互いの信頼だ。2人は「お互いに何を考えているのか分かる」と話し、比嘉選手のサインに砂川投手が首を振ることはない。
新生・日産の部員はほとんどが初めて顔を合わせる関係だが、既に堅固な信頼関係が築かれている。一から作り上げる必要のない2人に伊藤監督も「即戦力となってほしい」と期待を寄せる。
砂川投手も比嘉選手も、目指すのは「バッテリーを組んで都市対抗優勝」だ。東京ドームのマウンドで、歓喜の抱擁を現実にしてみせる。
【牧野大輔、写真も】
《横須賀から全国へ》16年ぶりの名門復活へ歩み始めた日産野球部、伊藤新監督が明かした意気込みとチーム作り「技術の日産ふさわしいチームに」
よく晴れた春の日、緑の人工芝に映えるユニフォーム。爽やかな掛け声と打球音が横須賀の空に響き渡る。約16年の長い眠りから目覚めた日産自動車硬式野球部の、新たな物語が今、始まろうとしている。
チームスローガンは「再翔」。再び大空へと羽ばたこうとする決意が込められている。2月17日、神奈川県横須賀市の追浜工場で新体制が発表されてから間もないこの日、NEWSポストセブンは練習場を訪れた。
横須賀での再出発
この日の練習場は、横須賀市内にある高校のグラウンド。まだ専用の屋外練習場を持たないチームは、市内のさまざまな場所を借りながら汗を流している。チームを率いるのは伊藤祐樹監督だ。
「かつて日産野球部は横須賀市代表として、都市対抗野球に出場していましたが、横浜市に練習場や寮などの拠点があったんです。復活にあたり候補地はたくさんありましたが、『地元から愛されるチーム』を目指してもともと拠点があった横須賀を選びました」
伊藤監督自身も1995年に日産自動車に入社し、ショートストップとして活躍。1998年には第69回都市対抗野球大会で優勝に貢献し、社会人ベストナインにも輝いた。日産野球部の血を引く指揮官の目は、未来を見据えている。
「横須賀市とスポーツ振興に関する連携協定を結ばせてもらったんです。プロ野球の横浜DeNAベイスターズの2軍施設もあるこの地を『野球の街・横須賀』として盛り上げていきたいですね」
その言葉通り、すでに地元商店にある飲食店では『野球部応援メニュー』が登場するなど、地域との絆が育まれつつあるという。
フレッシュな風が吹く練習風景
この日は午前9時に練習がスタート。約2週間後に迫る初戦に向け、シートノックやシートバッティングなど実践的なメニューをこなしていく。時には伊藤監督自らマウンドに上がり、バッティング練習の相手をする場面も。
午後からはフリータイム。この日は5人の選手が自主練習に励む傍らで、伊藤監督がバントのお手本を示しながらつきっきりで指導する姿が印象的だった。
「言葉で伝えてもなかなかイメージできないと思うので、実際に自分がお手本を見せることを大事にしています。それから論理立てて説明することも大事ですね。この力は、日産自動車野球部が休部している間のサラリーマン経験で身についたと思います」
追浜工場にほど近い場所に、チーム専用の室内練習場がある。
「野球部が復活するにあたり、ゼロから環境を作り上げたんです。他のチームでコーチとして指導した経験もありますが、この広い室内練習場はとても恵まれていると思いますね。練習したい時にいつでもできる環境が整っています」
チームの特徴は何といってもそのフレッシュさ。キャプテンの石毛大地選手以外は大学を今春に卒業予定の新人たちだ。
「チームを一から作り直すにあたり、大学までスポーツを頑張ってきたアスリートの受け皿になりたい。そんな思いでフレッシュな顔ぶれを集めました」と伊藤監督は口にする。
沖縄出身のバッテリーが入部
注目の新戦力が、砂川羅杏投手と比嘉久人捕手だ。ふたりは沖縄県立八重山高校から共栄大学まで、ずっとバッテリーを組んできた仲。なぜ新生チームを選んだのか。
「自分たちは大学4年生の時に全国に出て、社会人でも野球を続けたいなという思いがありました。そんな時に伊藤監督から一緒にやらないかとお声がけいただいた。“歴史あるチームの一期生”としてプレーできるのはまたとないチャンスだと思い入部を決めました」
と砂川投手は目を輝かせる。
「最近では、配球などで息が合うようになったと思います。最初はサインが合わず首を振ることも多かったですが、最近は自分の持ち玉とかその日良いボールを引き出してくれます」
チームの雰囲気や練習環境についてはどう考えているのだろうか。
「いろんな大学から集まっているということもあり、最初は正直緊張する部分もありましたが、みんな同級生なのですぐに仲良くなれました。チームからは道具もいただけたり、練習環境も整備していただいてありがたいです」(比嘉捕手)
オフの日は、皆で自炊をしたり、電車で出かけることもあるという。
名門復活へ
過去に都市対抗大会を2度制した強豪・日産野球部。しかし、神奈川県は昨年の都市対抗優勝の三菱重工East、ENEOS、東芝など強豪ひしめく激戦区だ。
公式戦初戦となる3月19日の三菱重工East戦に向け、意気込みを聞いた。
「初の実戦で前回覇者と対戦。今の自分たちがどこまでできるのか、胸を借りるつもりで挑みたいですね」(伊藤監督)
「僕たちはコロナで甲子園が開催されなかった世代なんです。だから、全国(都市対抗野球や日本選手権)への思いはあります。野球で恩返しではないですけど、自分たちが結果を残すことで会社に貢献できればと思います」(比嘉捕手)
新ユニフォームは日産のコーポレートカラーと横須賀市の市章に使われる青を基調としたデザイン。右胸には代々、野球部に受け継がれてきた象徴『ブルーバード』があしらわれている。
「実はこの『ブルーバード』は、野球部が創部された同じ年の1959年に発売され、追浜工場で長期間量産された日産のレジェンドカーにちなんでいるんです。
かつての野球部も『技術の日産』にふさわしく、バントや盗塁などの小技が冴え、とにかく守備が固かった。そのようなチームを目指したいですね」
と伊藤監督は歴史を噛みしめる。
日産復活のシンボルに
経営の難局が続く日産自動車。野球部の復活が、会社再建の象徴となるのかもしれない。
「野球部の活躍を見て、『やっぱり日産はいい会社だな』『頑張っているな』と思ってもらえたら嬉しいですね」(伊藤監督)
青い空の下、ユニフォームに身を包んだ選手たちが懸命にボールを追う。かつての名門復活へ──。その第一歩が、今、横須賀の地で踏み出された。
公式戦の初陣 「JABA春季神奈川県企業大会」
市営等々力球場
2025/3/20 10:00 三菱重工East ー 日産自動車
3/21
13:00 日産自動車 ー ENEOS
3/22 10:00 東芝 ー 日産自動車
(三菱金沢グラウンド)
日産自動車野球部の公式戦が3月19日にスタートする
(予定であった)。最初の相手は相手は、昨夏の都市対抗王者の
三菱重工East。
しかし、関東地方は朝から雪がふり、翌20日に延期となった。
(このため、3日目は三菱金沢グラウンドに変更になった。)
ーーー
日産野球部が活動再開後初の公式戦 初日、都市対抗王者に善戦も敗れる

公式戦スタート 3塁側 ブルーが日産
初日 2025/3/20 10:00
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
計 |
H |
日産自動車 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
2 |
7 |
三菱重工East |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
2 |
1 |
x |
5 |
8 |
【日産自動車】 砂川羅杏 友野聡太 阿部克哉ー川副寿来
[二塁打] 角田 蓮
毎日新聞
2009年12月限りで休部し、今年1月から活動を再開した社会人野球の日産自動車が20日、JABA春季神奈川県企業大会の初戦で昨夏の都市対抗野球王者の三菱重工Eastと対戦し、2―5で敗れた。
活動再開後の初の公式戦に、神奈川・等々力球場では多くの日産関係者が声援を送った。
新生日産のチーム初安打を放ったのは主将の石毛大地だった。一回2死からしぶとく遊撃内野安打とし、「形は不細工だったが、自分としてもチームとしても良かった」。筑波大から昨季は茨城日産でプレーし、チーム唯一の社会人野球経験者が引っ張った。
若手を多く起用した三菱重工Eastに2点を先行されたが、七回に小柴滉樹(専大)、代打の角田蓮(駒大)の連続適時長短打で追い付く。角田は「技術より気持ちだと思った。逆転の雰囲気は作れたが、あそこで勝ちきる強さをつけたい」と振り返る。
先発し六回まで2失点と粘投していた右腕・砂川羅杏(共栄大)は七回に2ランを浴びて降板し、「新しい歴史を作る最初の試合なので、フレッシュに、恥じないプレーをしたいと思った。自分の持ち味も出せたが、打たれてしまったのはまだ足りない部分。レベルアップしたい」と話した。
伊藤祐樹監督は「日産のユニホームを着て、グラウンドに立って指揮を執るなんて、サラリーマンの時は想像もつかなかった」と述べ、選手たちには「このぐらいはやってもらわないと困る。試合運びには大きな差があったが、良い戦いはできた」と手応えも口にした。
試合終了後、記者に取り囲まれる伊藤監督

二日目 2025/3/21 13:40
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
計 |
H |
日産自動車 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
8 |
ENEOS |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
2X |
4 |
9 |
【日産自動車】島龍成、阿部克哉、友野聡太ー比嘉久人、友野聡太
[二塁打] 鍛治園 健人、宮川
怜、石飛 智洋、比嘉 久人
毎日新聞
公式戦2戦目の日産、ENEOSにサヨナラ負け 社会人野球企業大会
社会人野球の日産自動車は21日、神奈川・等々力球場でJABA春季神奈川県企業大会の第2戦に臨み、ENEOSに2―4でサヨナラ負けした。今年1月に活動再開後、公式戦初勝利はならなかった。
都市対抗で最多12回優勝の名門を相手にリードする展開に持ち込んだ。二回に先制の適時二塁打を放った鍛治園健人(四日市大)は「チームが一体となって攻めることができた」と語る。
五回に小柴滉樹(専大)の犠飛で2点目を挙げたが、その裏と七回に1点ずつ失った。3番手で七回途中から救援した左腕・友野聡太(横浜市大)が、同点の九回に相手の4番・丸山壮史にサヨナラ2ランを浴びた。
20日の公式戦初戦で昨夏の都市対抗王者・三菱重工Eastに2―5で敗れ、今大会2連敗。
リードオフマンとして3安打1盗塁を記録した宮川怜(愛知工大)は「この2試合、いい勝負で終わっている。もう一度、1試合を通じて全員で向かっていけるよう頑張りたい」と22日の最終戦・東芝戦を見据えた。
先発して4回1安打無失点と好投した左腕・島龍成(和歌山大)は「楽しもうと思って投げた。これまで積み上げてきたものは出せたが、まだまだ課題はある」と語った。
白星にあと一歩届かず、伊藤祐樹監督は「勝つのは大変。野球は形になってきているが、ここ一番で自分の結果を出すのは大変なんだと選手も身にしみて感じていると思う。この経験をプラスに持っていきたい」と語った。
三日目 5/22 10:00 三菱金沢グラウンド
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
計 |
H |
日産自動車 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
東芝 |
0 |
0 |
2 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
X |
6 |
9 |
- 【日産自動車】 深浦幹也、安藤利玖ー比嘉久人
日産自動車は3連敗で大会を終えた。伊藤祐樹
監督は「結果には結びつかなかったが、収穫は多かった。 形にはなってきてるが、もう少し具体的にチームとしての戦い方を作っていく必要がある」と話した。
強風の中で守備の乱れもあり、石毛大地主将は「まだまだ技術不足で、もっと練習しないといけない。やってきた事が出せて手応えもあったが、簡単にはいかないなという3日間だった」。
毎日新聞
東芝の新人左腕・吉鶴翔瑛投手(22)が公式戦初登板初先発で好投を見せ、公式戦初勝利を手に入れた。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------
神奈川新聞 | 2025年4月1日
日産野球部が本社で決起大会 伊藤監督「皆さんの力も合わせて戦いたい」
 |
選手と従業員たちによる集合写真=横浜市西区の日産グローバル本社
1月に16年ぶりに活動再開した日産自動車硬式野球部が4月1日、横浜市西区の日産グローバル本社ギャラリーで決起大会を開催した。同社の従業員約500人が参加し、名門チーム再建への思いを年度初めに共有した。
|
|
 |
|
従業員たちの前で決意を述べる日産自動車の伊藤監督=横浜市西区の日産グローバル本社 |
|
|
イベントでは選手とスタッフの陣容紹介や質問コーナーのほか、吹奏楽団による応援歌「世界の恋人」の演奏が披露され、同日付で新社長に就任したイバン・エスピノーサ(Ivan
Espinosa)
氏(46)も登壇した。伊藤祐樹監督(52)は「これだけたくさんの方々に応援していただけることをうれしく思う。皆さんの力も合わせて戦っていきたい」と述べた。
 |
|
約500人の従業員が集まった硬式野球部の決起大会=横浜市西区の日産グローバル本社
|
|
県相模原高出身で主将の石毛大地(23)は「きょう(1日)は入社式もあり、配属先でも温かく迎え入れてもらった。応援されていると改めて感じたので、頑張らないといけない」と話した。
日産自動車は初の公式戦となった3月の春季県企業大会では0勝3敗だった。次戦は8月の都市対抗大会出場を懸けて、6月30日から始まる西関東予選に臨む。石毛は「企業大会で出た課題を落とし込んでいる最中。ここからはチーム力を上げたい」と意気込んだ。