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日本ポリスチレン工業(NPS) |
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前史 1963/5
昭和電工、日本オレフィン化学を設立
昭和油化(昭和電工子会社)、鋼管化学工業(日本鋼管の子会社)合併
SM,PSの製造販売
1966/11 日本ポリスチレン工業梶iNPS)設立 (昭和電工
50%、住友化学 50%)
日本オレフィン化学のSM/PS製造設備譲受
PS手直し増設、GP・HI合わせて年5万トン(製造JVで販売は各社)
1968
住友化学・千葉にバジャー法SM
5万トンが完成、NPSのSMプラントを休止
BASFからバルク法GP技術導入 (その後の情勢悪化で増設取り止め)
1969年頃から業績が悪化、
1970年 18億円の減資増資で累損を一掃
住化からの出向者を引き揚げ、以後は開発・製造を昭電に委託
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1983頃 両社で体制強化を検討
昭和電工は川崎で、住友化学は千葉で、HIPS増設を主張
1988
住友化学、ダウ・ケミカル社とPCのJV契約締結
ダウの住友ノーガタックへの出資の見返りに、住化がダウ化工に資本参加、同社へのPS納入権取得
(これによりGPPSの需要を確保)
この結果、住化は千葉でのGP40千トン/HIPS
30千トン案を提案、最終的に
昭電は川崎、住化は千葉で、それぞれの責任で増設した(実質的にはJVでなく個別の設備投資)。
・川崎 アトケム法 HI
3万トン 1990完成
(昭電は引き続いてGPも建設する計画であったが、情勢悪化で取り止め)
・千葉 BASF法
GP 4万トン+HI 3万トン 1991完成
・既存のサスペンション法PSは従来通りのJV運営
その後
1993 老朽化のため旧設備停止
1994
昭和電工、PS事業撤退(旭化成への営業権譲渡)
1995
住友化学、日本ポリスチレンから撤退(NPSは昭電
100%の休眠会社に)
2001/3
昭和電工、休眠中の日本ポリスチレン工業を吸収合併
その後、住友化学と三井化学はPS事業を統合、社名を日本ポリスチレンとした。(略号はJPS)
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千葉ポリエチレン |
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1990/2設立 住友化学75%/東ソー25% (引取比率 同)
LLDPE 80千トン(住化気相法)
当初は輪番構想(後番を東ソー・四日市で建設)、後、東ソーが権利放棄
2004/12/末 JV解消(住化100%)
工場(能力10万トンにアップ)は住化の次世代型ポリエチレン(EPPE)用に使用 |
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ユニオンポリマーの宇部興産は単独で増設: |
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住友化学はPPと同様、ユニオンポリマーでの共同生産を考えたが、宇部興産から単独でBP法でLLDPE設備を新設するとの連絡があったもの。1989 50千トンスタート
その後、販売不振で休止
1994/11 三井石化と提携
三井のわが国初のメタロセン触媒技術による気相法LLDPEの商業規模での試験生産に使用
宇部は試験生産と市場開発
三井は3年間、一部の製品を購入(委託加工ではないと)
(異なる共販メンバーだが、単なるライセンスとして公取委は問題視せず)
2002年に、「宇部興産は2003年度までにポリエチレン事業から撤退する方針を決め、事業売却の検討に入った」と伝えられた。
2004/10 宇部興産と丸善石化は50/50JVの宇部丸善ポリエチレンを設立、宇部のPE事業(千葉工場のLDPE、LLDPE)を移して営業開始した。
エチレンとの一体化でPE事業を維持し、エチレンセンターの基盤強化を図るもの |
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千葉ポリプロ |
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産構法が期限切れとなる1988/6/末を期限に、ユニオンポリマーのメンバー会社である住友化学、宇部興産、徳山曹達などが協議を重ねた結果、3社が共同して住友化学の気相法により新鋭プラントを建設することで合意なお、ユニオンポリマー内で新しくPPに進出したいとする東ソーに対しJVへの参加を勧めたが、同社は自社での製造に拘り、参加を断った。チッソは単独でのPP増設を計画。
共販体制下での行動であることから、共販会社のユニオンポリマーも資本参加した。
住友化学・千葉工場内 住化気相法 60,000t
出資比率 住友化学47.5%/宇部興産31.7%/徳山曹達15.8%/ユニオンポリマー5.0%
引取比率 住友化学 30千トン 宇部興産
20千トン 徳山曹達 10千トン
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宇部ポリプロ |
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1990/12 宇部興産、住友化学、徳山曹達の3社は「宇部ポリプロ」を設立した。
宇部興産の要望で輪番として、宇部興産がエチレン設備建設を検討中の宇部市の宇部興産所有地(西沖の埋立地)に8万トンの製造設備を建設した。出資比率 宇部興産47.5%/住友化学29.69%/徳山曹達17.81%/ユニオンポリマー5.0%
引取比率 宇部興産 40千トン 住友化学
25千トン 徳山曹達 15千トン
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千葉ポリプロ・宇部ポリプロのその後 |
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1995/9/末
ユニオンポリマー解散(両社へのユニオン持株は配分)
1995/10
宇部興産が三井石化とグランドポリマー設立
宇部興産の千葉ポリプロ持株と住化の宇部ポリプロ持株を交換
千葉ポリプロ:住化
83.3%、トクヤマ 16.7%
宇部ポリプロ:宇部
81.25%、 トクヤマ 18.75% 1999/4
宇部興産、宇部ポリプロの持分をグランドポリマーに譲渡
2002/4
三井化学、グランドポリマーを吸収合併
→ 宇部ポリプロ:三井化学
81.25%、 トクヤマ 18.75%
トクヤマがPP事業撤退(出光石化と製造提携)
2001/6/末 千葉ポリプロ: 住友化学
100%
2003/3 宇部ポリプロ: 三井化学
100%
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四日市ポリプロ |
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ユニオンポリマーのメンバーでPP新規進出を希望する東ソーは四日市での工場建設を主張して千葉ポリプロへの参加を拒否したが、単独でのPP増設を計画していたチッソと提携、当初チッソ品で販売を行い、両社折半出資の生産会社を設立して、チッソの気相法製造技術によって東ソー四日市工場内に新設備を建設することとした。1988/7
四日市ポリプロ 設立
出資比率 東ソー 47.5%、チッソ
47.5%、ユニオンポリマー 5.0%
引取比率 東ソー 20千トン、チッソ
20千トン
その後
1995/9 ユニオンポリマー解散
1995/10 東ソー PP営業権をチッソに譲渡
出資比率 チッソ80%、東ソー20%
引取 チッソ 100%
1999/7 チッソ100%
2003/9 チッソが吸収合併
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浮島ポリプロ |
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日本石油化学は三井東圧とのPPのJV・泉北ポリマーに参加し、PPを販売しているが、自社での生産を希望1988/4 浮島ポリプロ設立 川崎に年産8万トン建設
日本石油化学 30%、三井東圧
30%、三井石油化学 30%、三井日石ポリマー
10%
その後
1995/9 三井日石ポリマー解散(同社持分解消)
1995/10 日本石油化学、ポリオレフィン事業を昭電とのJV
日本ポリオレフィンに統合(のち、サンアロマー)
1995/10 三井石油化学、PP事業を宇部興産とのJV
グランドポリマーに統合(2002/4
グランドポリマーを吸収合併)
1996/3 三井東圧が資本撤退(泉北ポリマーと交換)
日石化学 66.7%、三井石化
33.3%
1997/7 三井石化、三井東圧が合併、三井化学誕生
日石化学 66.7%、三井化学
33.3%
1999/4 日石化学 100%
三井化学のそれまでの引取枠(33.3%)見合いの製造受託 (2002/3 解消)
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ディー・ピー・ピー
(ダイヤ・ポリプロの略) |
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1989/11 三菱油化と三菱化成はPPプラントを東西に1ヵ所ずつ建設すると発表した。
出資比率 三菱油化 50%/三菱化成 50%
能力 鹿島 8万トン 三菱油化の気相法(導入技術と組み合わせ)
水島 5万トン 三菱化成の気相法(主に特殊グレード品)
両社の既存プラント(水島工場年産能力4万1千トン、鹿島・四日市事業所同25万1千トン)のうち、3万トン分を鹿島地区の新プラント稼動開始に合わせて休止その後、三菱化学が吸収
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日本ポリプロ |
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旭化成は泉北ポリマーに参加し、製品を引き取って販売していたが、自社での生産を希望、1990年に水島製造所にBASF法気相法によるポリプロピレン製造プラントを新設した。
1994/10 旭化成はPP事業からの撤退を決め、昭和電工に譲渡した。泉北ポリマーからも資本撤収。
(昭和電工はPS事業からの撤退を決め、旭化成に営業権を譲渡している)
昭和電工と旭化成は工場の運営のため1994/8 日本ポリプロを設立
昭和電工 66.7% 旭化成33.3%
旭化成は製造受託者としての出資で製品引取権はなし。
昭和電工の日本ポリオレフィン設立で株主は日本ポリオレフィンとなったが、1999/3に停止、その後解散
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第一塩ビ製造 |
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共販会社は一般的には各社の営業部門が同一事務所に同居しているという感じの運営を行っていたが、第一塩ビ販売は技術に関してはまとまっており、互いに技術を開示して共同で合理化の研究から始め、将来増設する場合は共同で大型設備をつくるという前提で、次世代製法の研究を行った。その結果、呉羽の技術者の開発した内部ジャケット方式(*)の実用化の目処をつけた。
需要の増大に伴い、特に1983年にエチレンとともに新居浜の汎用塩ビ設備を廃棄した住友化学が供給不足となり、増設の検討を行ったが、内部ジャケット方式を利用して大型設備を共同で建設することでまとまり、1990/7
第一塩ビ製造を設立した。
第一塩ビ製造
出資比率:住友化学36%/日本ゼオン24%/呉羽化学24%/サン・アロー化学12%/第一塩ビ販売4%
引取比率:住友化学30千トン、日本ゼオン20千トン、呉羽化学20千トン、サンアロー化学10千トン
工場 住友化学 千葉工場内 80千トン当時は産構法が終了し設備カルテルもなかったが、デクレア方式があり、暗黙の了解として重合槽を増やさないこととなっていた。
第一塩ビ製造のプラントは200m3の重合槽であり、通産省からは相当するm3数の重合槽の処理を要請された。住友化学は千葉の2系列のうち、15千トン設備の停止を、他もS&Bにより順次m3数を減らすことを伝え、ようやく認められた。
(呉羽は実際は停めているが申告していない重合槽128m3があり、問題とされなかった)
* 内部ジャケット方式:
塩ビの製造に当たっては重合熱を冷却するのに時間がかかり、これの短縮が生産性アップのキイとなる。
通常は外部ジャケット方式で、リアクターの外側にジャケットを付け、その間に冷水を流して冷却するが、分厚いカーボンスチールの外側からの冷却のため、大型リアクターの場合に伝熱性能が不足し時間がかかった。
内部ジャケット方式はリアクターの内部に薄いステンレススティールのジャケットを置き、リアクターとの間に水を流すもので、冷却時間が著しく短縮できた。
後、三菱化学が同様のシステム(温調エレメント方式と呼んでいる)を開発し、水島と川崎(当初は東亞合成へのライセンス)でプラントを建設している。
その後
1995/7 新第一塩ビ 営業開始
呉羽は
新第一塩ビに参加しないのを理由に第一塩ビ製造からの離脱を要請したが、当時は既に能力過剰となっており、固定費負担が移転することから条件が合わず、残留した。(出資:新第一塩ビ76%/呉羽化学24%)
1998/3 新第一塩ビが更なる合理化のため旧住化の稼動設備35千トンを停止することとし、呉羽との交渉で呉羽持分を譲り受けた。
1998/10 新第一塩ビが吸収合併
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