産構法時代

 1979年1月に第2次石油危機が発生し、3万円/kl程度であったナフサ価格は一気に6万円/klまで上昇、需要が激減し、不況が深刻化した。

 日本の石化業界は1972年の景気後退時に不況カルテルで対応しているが、今回も不況カルテルで対応しようとした。

 エチレンメーカーは、1982年10月から翌年6月までの間、1972年4月以来10年ぶりに2回目の数量制限を内容とする不況カルテルを実施した。

 高密度ポリエチレン(HDPE)も、景気後退による需要の停滞と市況悪化による過剰在庫解消のため、生産量の制限を内容とする不況カルテルを1981年8月から翌年3月まで実施し、ようやく需給バランスを回復させた。

  塩化ビニル樹脂も1981年5月から翌年2月まで同様に生産量と余剰設備制限を内容とする不況カルテルを実施し、在庫量を適正水準まで戻した。しかし、価格の上昇による国際競争力の低下により輸入は増大し、市況は回復しないままであった。この結果、塩ビ業界の赤字は、80年 323億円、 81年470億円、82年 407億円と増大し、危機的な状況となった。

 このことは不況対策としてカルテルを実施しても問題は解決できず、抜本的な対策が必要となってきたことを示していた。

1.塩ビ共販

 塩ビ業界では、1972年のカルテル時代に基本問題研究会でポスト・カルテル対策を打ち出しているが、6月の答申では過剰設備廃棄に加え、商社を含む共販会社の設立と、これを前提にPVCメーカー17社を4、5グループにまとめ、グレード統合・販売経費節減を行うことも提案している。

 その時点ではこれは実現しなかったが、今回は1981年10月に産業構造審議 会化学工業部会の塩化ビニル・ソーダ小委員会で共販会社案を打ち出し、公取委の承認を得て、第一塩ビ販売が82年4月に、日本塩ビ販売と中央塩ビ販売が同 8月に、残る共同塩ビ販売が同9月に営業を開始した。

   
  PVC業界は何度も不況カルテルを結んでいる。
 1958/11/18−59/3/31
 1972/1/1-9/30
 1977/5/13-78/8/31 (4回延長)
 1981/5/1-10/31(1回延長)
 1981/11/28-82/2/28
   
  1972/3 PVCポスト・カルテル対策として業界は基本問題研究会を設置 
     ・第5次増設後、公称能力 1,584千t に対し 実能力は 2,060千t(MITI算定)となる。
     ・対策 縮小安定(設備投資休戦、過剰設備の廃棄or休止、・・・)
        ア法ソーダメーカー(東曹、セントラル化学、旭硝子)のPVC進出が問題となった。

1972/9 MITI通達 公称能力を上回る48万tの廃棄 → 1972年末実施

1979/1 第2次石油危機が発生し、不況が深刻化した。PVC業界は、1981/5 不況カルテルを結成し、事態の打開に全力を挙げが、大幅コストアップ、需要の激減で企業収益が著しく悪化し、メー力ー17社のPVC部門の経常損失は1980年323億円、81年は470億円に膨らんだ。
 
  1981/10 通産省は16日、産業構造審議会化学工業部会の塩化ビニル・ソーダ小委員会を開いた。
 長期需給見通し 1985年の設備稼働率はPVC 67%、カセイソーダ 66%
 塩ビ業界の方向 「国際競争力の強化」と「集約化」
 具体案
   @メーカー17社が数社ずつまとまり共同販売会社を設立し、価格の安定化、流通合理化、生産の受委託を進める
   A塩ビ中間原料の輸入を数社ずつによる共同輸入
   BPVC設備能力の増加は避け、競争力強化と集約化促進のためにS&Bを積極的に進める

1981/10 主要9社首脳が構造改善策を協議
       全17社を4グループに再編成して共同販売(共販)化を目指すことで合意

組み合わせについて、塩ビ協「塩化ビニル工業30年の歩み」(1985)では当時の呉羽化学・高橋博社長は、塩ビ協会長として私案をつくったとしている。  

三菱系   信越化学工業、旭硝子、菱日(三菱化成工業系)、三菱モンサント化成(同)の4社。
 三菱化成は共販参加に当たり菱日、三菱モンサントのPVC販売窓口会社として化成ビニルを設立
三井系   鐘淵化学工業、三井東圧化学、電気化学工業、東亞合成化学工業の4社。
日本興行銀行系   東洋曹達工業、セントラル化学(セントラル硝子系)、日産塩化ビニール(日産化学工業系)、
チッソ、徳山積水工業(東洋曹達、積水化学工業系)の5社。
その他   日本ゼオン、呉羽化学工業、住友化学工業、サン・アロー化学(徳山曹達系)の4社。
   
   
 

塩化ビニル樹脂共同販売会社の概要(共販体制発足時)

会社名(グループ) 資本金
 百万円
参加会社 出資比率
    %
第一塩ビ販売
(その他系)
1982/3/12設立
1982/4/1営業開始
  90 住友化学工業    25
呉羽化学工業    25
サン・アロー化学    25
日本ゼオン    25
   100
日本塩ビ販売
(三井系)
1982/7/15設立
1982/8/1営業開始
  80 鐘淵化学工業    25
電気化学工業    25
東亜合成化学工業    25
三井東圧化学    25
   100
中央塩ビ販売
(三菱系)
1982/7/15設立
1982/8/1営業開始
  90 旭硝子    33.33
化成ビニル    33.33
信越化学工業    33.33
   100
共同塩ビ販売
(興銀系)
1982/8/11設立
1982/9/1営業開始
  50 東洋曹達    27.5
チッソ    27.5
セントラル化学    17.5
日産塩化ビニール    17.5
徳山積水    10.0
   100
 
化成ビニル
  共販参加に当たり三菱化成、菱日、三菱モンサントのPVC販売窓口会社として設立
    
セントラル化学
  東亞合成に製造委託
   
日産塩化ビニール
  当初、日産化学 千葉工場でVCM、PVC生産
1977 塩ビ部門分離 「日産塩化ビニール」
1983 「日産塩化ビニール」を東洋曹達とのJV「千葉ポリマー」とする。
1989 千葉ポリマー解散 PVC設備を東洋曹達(四日市)に移管
   
  1981/12 日本ゼオン、呉羽化学工業、住友化学工業、サン・アロー化学(徳山曹達系)の4社は社長会を開き、塩ビ共同販売会社の骨格を最終的に決定、直ちに公正取引委員会との協議に入った。
共販会社の内容は
 @資本金は4社均等出資、従業員は各社からの出向
 A共販対象は汎用塩ビ樹脂とし、各社の自家消費用を含む全量を買い上げて販売
   4社のうち、ゼオンと住化のみ、ペースト塩ビを生産しており、これを除外した。
 B共販量の4社間の比率は現行生産シェア(占有率)を目安にするなど。

公正取引委員会は、塩ビ業界のグループ化による共同販売計画について、
「その他」グループの共販計画については「販売シェアが24%と規制基準(25%)を下回っているし、競争制限につながることはない」とし、1グループだけなら共販を認めるとの姿勢を示した。

しかし4グループ化による共販については
 @販売市場を4分割するので価格競争がほとんど行なわれなくなる可能性が強い
 Aグループによっては販売シェアが市場支配力の目安である25%を超えるところもある
 B共販により構造改善効果が不明確ーーなどをあげ、
「4グループ化がほぼ同時期に共販体制をスタートさせることは独禁政策上問題点が多い」とした。

第一塩ビ販売  1982/3/12設立、4/1営業開始

残り3共販については、公取委が「先頭グループの共販活動の様子を見守ったうえで判断したい」とし、ズレ込んだ。
1982/6  通産省と公取委はようやく、塩化ビニル共販会社設立で合意、

日本塩ビ販売(三井系) 1982/7/15設立、8/1営業開始
中央塩ビ販売(三菱系) 1982/7/15設立、8/1営業開始
共同塩ビ販売(興銀系) 1982/8/11設立、9/1営業開始

各共販とも、交錯輸送の廃止による物流の合理化、販売経費の削減、グレード統合や設備処理・生産集中による生産合理化、研究開発の効率化などをうたっている。

 

 

2.産構法

 通産省は、産業構造審議会を中心に事態の打開策を検討していたが、化学工業については1982年7月 同審議会化学工業部会に石油化学産業体制委員会、翌8月 同審議会総合部会に基礎素材産業対策特別委員会を設置し、さらに具体策を深めていった。

 業界では1982年10月、各社のトップが石油化学産業調査団を組み、西独BASF、オランダDSM、CEFIC(欧州化学工業連盟)、EC委員会、フランス政府工業省、英BPケミカルズ、ICIなどの首脳と意見を交換する一方、不況対策について話し合った。

 
  石油化学産業調査団
  石油化学業界では1982/10、エチレンセンター13社の社長で編成された石油化学産業調査団が訪欧、石油化学事情を調査するとともに、不況の脱出策を協議した。
   
石油化学産業調査団
  団長   住友化学   土方武社長
  副団長   三菱油化   吉田正樹社長
      昭和電工   岸本泰延社長
           
  通産省       内藤正久基礎化学品課長
           
  団員   新大協和石化   池邊乾治社長
      大阪石化   笠間祐一郎社長
      東燃石化   川島一郎社長
      三菱化成   鈴木精ニ社長
      丸善石化   田島栄三社長
      旭化成   宮崎輝社長
      東洋曹達   森嶋東三社長
      出光石化   大和丈夫社長
      日本石化   片山寛副社長
      三井石化   竹林省吾専務
      旭化成   都筑馨太副社長
           

高杉良 「局長罷免 小説通産省」では、以下の通り描かれている。(内藤課長の部下の目でみたもの)

 石油化学工業の中核部門であるエチレンセンター13社の社長で編成された石油化学産業調査団が欧米に派遣されたのは、ランブイエ・サミットの7年後である。
 同調査団は、欧州の石油化学事情を調査することを目的としていたが、これはあくまでおもて向きで、不況の脱出策を協議することが本来の狙いであった。
 利害対立が激しく、メーカー間の相互信頼関係が著しく損なわれていた中で、斎藤(内藤正久基礎化学品課長)は各社首脳を精力的に訪問し、調査団の必要性 について説いた。斎藤の水際立った根回しの見事さを青山はすぐ近くでつぶさに見ていたのである。
 住之江化学の堤武夫社長(住友化学 土方武社長)を団長とする大型ミッションが最初の訪問地フランクフルトに向けて成田空港を発ったのは昭和57年10月2日のことだ。一行は随員を含めて総勢20名、副団長は光陵油化の吉岡正雄社長(三菱油化 吉田正樹社長)と昭栄化学の西本康之社長(昭和電工 岸本泰延社長)。通産省から斎藤ほか2名が参加した。
 斎藤の存在なくして調査団はあり得なかったし、その後の石油化学工業の再生、収益改善など望むべくもなかった、といま青山は確信をもって断言できる。
 一行は2週間にわたってフランクフルト、ブラッセル、パリ、ロンドンなどを回り、西独BASF社、オランダDSM社、CEFIC(欧州化学工業連盟)、 EC委員会、フランス政府工業省、英BPケミカルズ、ICI社などの首脳と意見を交換する一方、円卓会議を頻繁に開催し、不況対策について話し合った。
 調査団の帰国後、各社の首脳間に相互信頼感が芽生え、過剰エチレン設備等の廃棄、ポリエチレン、ポリプロピレンなどポリオレフィンの共同販売会社の設立 など抜本的な構造改善対策が次々に打ち出され、構造不況に陥っていた石油化学工業は急速に立ち直ってゆく。

調査結果概要(要約)

1. 欧州石油化学工業の現状認識  略
   
2. 業界の対応
@ 過剰設備の処理
  過剰設備の処理の進め方は、マスタープランを作成して進める方法のほかに、バイラテラルな形で進めていくことも現実的方法として有効であるとの見解が示された。
A 過当競争の排除
  不況の原因の本質は企業数過多、設備過剰に伴う過当競争にあるとの指摘が多く、事業の交換、限界企業の撤退などを通して企業数を半分程度にすることが必要であるとの見解が示された。基礎的石油化学製品については共同生産が有効であるとの見解も示された。
B 高品質、高付加価値化等のための技術開発の推進
   
3. 政策運用
@ 独禁法の運用
  EC委員会は、価格取り決め、生産調整、販売調整を伴わない限り、単なる設備廃棄は独禁法上の問題は生じないとしている。
A 国有化政策
  国有化は死にかけた企業の延命策となり産業再編成を阻害させるとの強い意見があった。
B 雇用対策
C 原料政策、エネルギー政策
  いずれの国も原料非課税原則が貫徹されている。ナフサの強制備蓄も実施されていない。
D 通商対策
   
 同年12月石油化学産業体制委員会は、「石油化学工業の産業体制整備のあり方について」を通産大臣に具申した。
 内容は、@過剰設備の処理、A投資調整の 実施、B生産・販売の合理化のための集約化、Cコスト低減対策の実施、D海外プロジェクトヘの対応の5項目を骨子とするものであった。

 これらの構造不況対策を実施するため、政府は1093年5月24日「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」を施行した。
 
 
1982/12、石油化学産業体制委員会は、「石油化学工業の産業体制整備のあり方について」を通産大臣に具申した。
内容は、
 @過剰設備の処理、
 A投資調整の実施、
 B生産・販売の合理化のための集約化、
 Cコスト低減対策の実施、
 D海外プロジェクトヘの対応
の5項目を骨子とするものであった。

 これらの構造不況対策を実施するため、政府は1963/2/15に「特定不況産業安定臨時措置法の一部を改正する法律案」を国会に提出、1983年5月24日「
特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」が、1988年6月30日を期限とする時限立法として施行された。

 産構法の概要は次のとおりであった。
 
  1   特定産業の指定
石油化学工業などの7業種を法定候補業種として指定し、それら事業者の申出を受けて政令で特定産業に指定する。
  2   構造改善計画の策定
主務大臣は特定産業ごとに審議会の意見を聴いて構造改善基本計画を告示する。同計画には@構造改善目標、A設備処理に関する事項、B設備新増設などの制 限、禁止に関する事項、C事業提携など規模または生産方式の適正化に必要な事項、D雇用、関連中小企業などへの配慮事項を定める。
  3   共同行為
事業者が自主的努力のみでは設備処理などを実施できない場合には、主務大臣は公正取引委員会の同意を得て共同行為の実施を指示できる。
  4   事業提携計画の承認
事業提携につき独占禁止法との調整および税制上の特例措置を希望する者は共同して事業提携計画を作成し、主務大臣の承認を受ける。
  5   設備処理、事業提携、活性化投資について資金確保および課税の特例措置を行う
  6   雇用の安定、関連中小企業の経営安定のための措置を行う
  7   昭和63年6月30日を期限とする

 産構法における指定業種は、電炉業、アルミニウム製錬業、化学繊維製造業、化学肥料製造業、合金鉄製造業、洋紙・板紙製造業、石油化学工業の7法定業種と特安法からの継続11業種など政令指定業種とがあげられた。

 設備処理は設備廃棄を原則としたが、業界の要請を入れ、設備休止も許容された。

   
 

業種別構造改善基本計画の概要
 (継続)は
特定不況産業安定臨時措置法適用の継続

種名        特定産業
指定日
構造改善基本計画の概要
目標年度     設備処理 構造改善の重点
処理目標量 処理期限
アルミニウム製錬
 (継続)
1983/5/24 1986/3/31

93万t(57%)

1983/5/24 重油火力発電の石炭転換、
新製錬技術の研究開発
アンモニア
 (継続)
1983/5/24 1988/6/30

 66万t(20%)

1986/6/30 原料をナフサから石炭ガス、
LPG等に転換
尿素
 (継続)
1983/5/24 1988/6/30

 83万t(36%)

1986/6/30 高効率設備への集約化
湿式りん酸
 (継続)
1983/5/24 1988/6/30

 13万t(17%)

1986/6/30 りん酸センターへの生産集
約化
溶成りん肥
 (新規)
1983/6/17 1988/6/30

 24万t(32%)

1987/6/30 平炉への集約化
化成肥料
 (新規)
1983/6/17 1988/6/30

 81万t(13%)

1987/6/30 企業の集約化、生産受委託
エチレン
 (新規)
1983/6/17 1988/6/30

229万t(36%)

1985/3/31 高効率設備への生産集約化
ポリオレフイン
 (新規)
1983/6/17 1988/6/30

90万t(22%)

1985/6/30 4共販全社の設立、これを核とした
生産流通等の合理化
塩化ビニル樹脂
 (新規)
1983/6/17 1988/6/30

49万t(24%)

1985/3/31 1982年4共販会社の設立、
今後これを核に生産流通

の合理化
エチレンオキサイド
 (新規)
1983/8/30 1988/6/30

20.1万t(27%)

1985/6/30 高効率設備への生産集中
スチレンモノマー
 (新規)

1985/1

       
         
注:1   事業提携計画の承認
    @湿式りん酸   日本燐酸への生産集中(承認日:1983/7/12)
    A化成肥料   東北肥料4社の合併(コープケミカルと改称)(承認日:1983/6/29)
    Bエチレン   浮島石化への生産集中(承認日:1983/10/31)
          三井石油化学・岩国大竹と日本石油化学・川崎工場のエチレン停止
    Cポリオレフィン   四共販会社の設立(承認日:1983/6/29)
    D塩化ビニル樹脂   共販会社を核に生産、流通等の合理化の推進(4件) (承認日:1983/11/24)
         
  2   旧法下での処理(特安法)
    @アルミニウム製錬   上表の処理目標量は旧法下での処理を含む
    Aアンモニア   119万t(26%)
    B尿素   167万t(42%)
    C湿式りん酸   17万t(18%)
         
  3   上表に未記載の特定産業の業種:
     @電炉、A化学繊維(5業種)、B合金鉄、C洋紙・板紙(2業種)、
 D政令指定業種(2業種)
   

続く