日本経済新聞 2001/1/1〜1/18 2001/3/13〜17
技術創世紀 未知の文明へ一歩
1.崩れる秩序、問われるヒト
2.微生物が富を生む
3.巨大企業突く「一人革命」
4.自分の未来を診る
5. 蘇る知恵、いま新風
6.自由こそ独創の源
7.物質創造 魔法のつえ
8.見えない敵の脅威
9.電子の五体 思いのまま
10. 何でも売買 時価生活
11 標的は「頭脳資源」
12 巨大システム迫る寿命
13 eワークで自分探し
14 経済政策、視界不良に
15 対話が育む革新の土壌
技術創世紀 ―突破口は目の前に
1. 植物からプラスチック
2. 膨大な廃棄物の再利用
3. 常識を独創のヤスリで磨く
4.気持ちを読む家電・ストレスを防ぐ化粧品
5.ハイテク介護施設
21世紀が始まった。その節目に起きているのは技術革新の大波だ。情報技術、遺伝子組み換えからナノテクノロジー(超微細技術)まで。新技術ラッシュは、すべてを変える爆発力を秘めている。国家、産業、そして人々の生活。例外はない。その力をうまく生かせれば、人類は繁栄の世紀を迎えることができるだろう。技術革新が創り出そうとしている新しい世界に足を踏み入れてみた。
1.崩れる秩序、問われるヒト 進化を操り生命を造る。人類誕生100万年。革新は止まらない
30数億年かけてゆっくり歩んできた生き物の進化、それをあっという間に実現させてしまう技術が日常的に使われ始めている。
クローンに依頼が続々
「これは人工的な進化によってつくり出したものです。筑波にある大手製薬会社、ノバルティスファーマの研究所。白衣の研究者が指さした10センチ四方の紙には、赤い小さな斑点がまばらに浮かび上がっている。これまで世界に存在しなかった新しい遺伝子を植え込んだ大腸菌だ。熱に耐える力が通常の2千倍ものたんぱく質を作る能力がある。
ある微化物の遺伝子に刺激を与え、突然変異を起こす。それを高温で熱すると、大半は死んでしまうが、一部は生き残る。「我々は自然界の1億倍のスピードで進化を起こしていることになります」。同社と共同で研究をしている伏見護埼玉大教授が静かに語る。
低温でも汚れを取る洗剤。長持ちする薬品。人間が起こした進化によって、従来はつくるのが難しかった新製品が生まれつつある。新しい微生物を造りだし、必要なものを休まず生産させる。そんな「細胞工場」時代がすぐそこまでやってきた。
次代の基幹技術と言われるナノテクノロジー。分子を自由に並べ、自然界にない物質をつくりだす技術だ。「鉄より格段に軽く、硬さは10倍のモノをつくれるようになる」。クリントン米大統領は昨年1月、ナノテクの衝撃力をこう強調した。役に立つ物賓を自由に創造する夢の技術。米国は官民あげてその研究開発におカネを投じ始めた。
道具を作り、言葉をしゃべる人類が登場したのは百万年以上前。長い年月の後、メソポタミアやエジプトで、川をせき止め、水路を造り始める。自然界に介入することで「文明」は始まった。それから約5千年。人類は、自然の秩序をつかさどる「造物主」の域へ一歩足を踏み入れ始めた。
飛躍的に進む技術革新は、不治の病を治したり、エネルギーの制約を解決する突破口になる。と同時に、これまで考えなくてすんだ課題も人類につきつける。
「今年の夏ごろには第1号を世に送り出せるでしょう」。カナダの都市モントリオール。待ち合わせたホテルのロビーに現れた女性はにこやかに語り始めた。新興宗教「ラエリアン・ムーブメント」の科学責任者、ブリジット・ボワセリェさん。「第1号」とはクローン人間のことだ。医療過誤で生後10カ月の子供をなくした母親か頼んできた。計画通りいけば、その子と同じ遺伝子を持つ胎児が来月以降、代理母のおなかの中で育ち始める。
日本人、中国人、米国人……。すでに100人以上が自分や子供のクローンづくりを頼んできた。租税回避地で知られ、クローン規制もないバハマに会社を設立。第1号は「米国のある州で実施する」という。ラエリアンの試みには批判が高まっている。だが、人クローンが禁止されていない国や地域で実行すれば、処罰はされない。
成長の源泉拒めば停滞
欧州ではバチカン教会とある患者団体が激しく論争していた。
論争のタネになったのは人の「万能細胞」。受精後間もない段階で取り出した細胞で、体のあらゆる組織に成長する可能性がある。どんな刺激を与えれば心臓になるのかなどの機能がわかれば、それを育てて内臓や神経をつくれるようになる。臓器移植がしやすくなり、難病治療にも道が開ける。
しかし、バチカンは昨年夏、その研究禁止を求める報告書を出した。「万能細胞はれっきとした生命。人が勝手に使っていいのだろうか」。報告書をまとめた生命司教アカデミーのスグレッチャ副所長はパソコンや生命科学書が並ぶオフィスでこう問いかける。
影響力の大きいバチカンの決定に反発しているのはパーキンソン病協会だ。「患者たちが日々絶望と闘っているのをわかっていない。研究禁止はパーキンソン病の治療法を閉ざすことになり、人道に反する」。ロンドンで会った同協会のロバート・メドウクロフト氏は語気を強めた。
「新技術を管理しないと、人類は滅びかねない」。昨年10月、米国メーン州で開いた技術者たちの集会。サン・マイクロシステムズの創始者の1人であるビル・ジョイ氏がこう訴えた。例えば、ナノテクやバイオ技術を使えば、個人がペスト菌を"製造"するのも可能という。自由な技術研究開発を先導してきた「ハイテクの教祖」。その[転向」発言に会場からは賛否両論が沸き起こった。
英国では昨年春、ある女性が自分の体を特許申請した。名付けて「マイセルフ(自分自身)」。バイオ企業が争うように遺伝子特許を甲請していることへの抗議行動という。
駆け抜けるように進む技術革新。そのあまりの速さに不安を感じる人も増えている。だが、それを拒絶すればすむわけではない。米国の情報技術革新のうねりをつぶさないように金融政策を運営してきたグリーンスパン米連邦準備理事会(FRB)議長は「絶え間ない技術革新は成長の源泉。生活の質を高めるのに不可欠」と繰り返す。
溶鉱炉、印刷機……。革新技術の多くは中国で発明された。中国は15世紀まで世界で最も技術水準の高い国だった。それが続かなかったのは為政者たちが新技術利用を抑え込んだためと言われる。その結果、経済は長期的に停滞、生活も良くならなかった。
国家・企業に変革を迫る
技術革新の波は一方で、20世紀に生きてきた人々の常識や秩序に挑戦状をつきつけるような威力も持つ。国家や企業は新しい仕組みの構築を迫られる。
「徴税を基盤とする国家の存続は危うい」と野口悠紀雄東大教授は言う。音楽やソフトウェアなどインターネット上で売買されるサービスはますます増える。その取引を課税当局がつかむのは難しい。それだけではない。米企業などにネットを通じてサービスを提供しているインド在住のソフト技術者たち。こうした"無国籍労働者"はグローバル化の中で急膨張するが、その所得にだれが課税できるのか。まだ答えはない。
インターネットは企業や消費者に大きな機会と便益を与える半面、それがもたらす環境変化に適応できない企業はあっという間に絶滅の危機にひんする。
もちろん、技術革新の波がどれほどの衝撃をもたらすかはまだ見えない。「世界は技術革新の大きな周期のほんの数年を経験したにすぎない」(ガースナーIBM会長)からだ。グリーンスパンFRB議長も「経済の実体をつかむのは、動き回る客の服の寸法を測るようなもの。急激な技術革新によって、それがもっと難しくなった」と言う。
わかっているのは、新しい技術の波があらゆる人の暮らしに及ぶ広がりを持っているということだ。その波を生かすとともに、新たな課題に答えを出していけるかどうか。未知の文明へ一歩踏み出した人類の知恵が問われている。
2.微生物が富を生む
自然界に隠された遺伝子情報が石油にとって代わる……新資源争奪戦が始まった
ロシア、アラスカ、バミューダ。スコップを片手に世界の原野を飛び回るビジネスマンがいる。その使命は土掘り。彼らは掘り出した土を大事そうにカバンにしまい、会社に持ち帰る。
植物から化学品
米バイオ企業、ダイバーサ(カリフォルニア州)の社員だ。集めた土は研究室で最新の自動装置にかけ、土にすむ微生物をくまなく調べあげる。
微生物は体内で酵素をつくり、これを使ってアルコールなど様々な物質を生みだしている。1グラムの土にも無数の微生物がすんでおり、その物質合成能力は、巨大な化学コンビナートをもしのぐ。同社はこれまでに診断薬を効率よく合成する酵素などを発見した。役に立つ微生物の遺伝子情報を製薬・化学会社などに販売している。
「我が社にとって土はとても貴重な収益源」と広報責任者のヒラリー・シークストンさんは言う。
クリントン米大統領は1999年夏、2050年までに化学品の50%を植物を原料にして生産する計画を打ち出した。石油から合成するのに比べて、環境破壊や資源の浪費が少なくてすむためだ。原料を様々な化学品に仕立て上げる役割を果たすのが微生物の酵素である。
その際に重要な意味を持つのが微生物の遺伝子情報。物質の合成法が書き込まれたとらの巻だからだ。
ゴミがえさに
「我々の自然が突如重要な資源になった」。リカルド・セケイラ駐日コスタリカ大使は感慨深げに話す。
中米の小国コスタリカは熱帯雨林から寒冷な地域まで様々な自然に恵まれている。そこにすむ動物、植物、微生物の種類は世界の全生物種の約5%に達する。
最近になって、この生物資源を求めて先進国の化学会社や製薬会社が殺到。自分たちが「資源国」であることに気づいた同国は、98年に生物多様性法を制定、生物資源を一手に管理し始めた。「21世紀は多種の生物がすむ国が資源大国になる」と東京農業大学の駒形和男教授は見る。
バイオベンチャーのニムラ・ジェネティック・ソリューションズ(東京・渋谷)の二村聡社長は2000年1月、ミャンマーの山岳少数民族の村を訪れ、顔に入れ墨をした地元の医師に会った。現地の伝承薬を聞き出すのが目的だ。
植物が豊かな熱帯地方では西洋医学では思いもつかない物質が薬として使われている。ニムラは東南アジア諸国の政府と契約、各地の伝承薬のデータを集める事業を進めている。これまでに収集した伝承薬データは約1700件。このデータや薬用植物のエキスを製薬会社に販売している。
ユニークな生物資源は日本国内でも見つかっている。数少ない国内油田として知られる静岡県の相良油田。なぜここに油田ができたのか。専門家の間で論議を呼んでいたが、ある新種の微生物が石油をつくっていることがわかった。
石油は何億年も前に地下に閉じこめられた動物や植物の死がいが高温、高圧下で熟成されてできたもので、人工合成は極めて難しいとみられていた。
ところが発見した微生物はごみなどの有機物をえさに石油を合成していた。「この微生物の酵素を利用すれば農・産業廃棄物から石油ができるかもしれない。早ければ20年後には工業化のメドが立つ」と、微生物を発見した京都大学の今中忠行教授は予測する。
所有権巡り摩擦
新資源を巡って摩擦も起き始めた。「サトウキビの国外持ち出しは認められない」。99年末、タイに植物採集に赴いた農水省の調査団は帰途に就く空港で、採集したサトウキビ株の国外持ち出しを禁じられた。
生物も自国資源というのがタイ政府の言い分。93年に発効した「生物多様性条約」により、資源保有国は生物の持ち出し制限や遺伝子が生む利益の一部請求ができるようになった。
石炭、鉄鉱石から石油まで。産業革命以降、新たな資源を追い求めてきた人々は生物そのものを貴重な資源として活用し始めた。国や企業が様々な生物を追い求め、囲い込む。新しい資源争奪戦が始まった。
3.巨大企業突く「一人革命」
テクノロジー下克上。破壊と創造は秒速の勢いだ。強者たりとも気は抜けない
20世紀最後の日を迎えた米国西海岸。夜も明けぬ12月31日午前2時20分にNHK紅白歌合戦の生放送が始まった。映像は少々粗いが、日本との同時放送だから年越しの実感が膨らむ。だがどこかおかしいーー。
「紅白」同時放送
米国では例年、各地の日本語放送局が在米日本人向けに紅白歌合戦を放映する。ただし番組は録画。NHKから番組の提供を受けた現地局が31日夕方に流す。本来なら西海岸での放映は約14時間先のはず。ところが目の前のパソコン画面には紅白がまぎれもなく生で流れている。
「生で見たいという米国の友人の希望をかなえたかった」。同時放送を仕掛けた石村秀一さん(仮名、34)は言う。石村さんは大阪の自宅でパソコンに映像を取り込み、インターネットで米国に流した。米国では無料の再生ソフトを使いパソコンで生映像を見る。技術革新によりテレビ映像をパソコンに取り込む安価な装置が登場、石村さんは巨大な放送設備を持たぬまま海外同時放送を実現した。
同じやり方で有料の衛星放送を大勢に無料配信することも可能。NHKはこの"無断配信"について「とても容認できない」(広報局)と拒否反応を示すが、著作権問題に詳しい岡村久道弁護士は「現状では法的にグレーゾーン」と語る。仮に違法だとしても、無断配信を行う個人を放送局が捕そくする手立てはない。
たった一人で開発した技術が大企業の足元をすくい、革新の恩恵を受けた個人が既存の秩序を一夜で崩す。そんな「一人革命」が世界中で火を噴いている。19歳の少年が作ったソフト「ナップスター」は、世界の4千万台以上のパソコン間で音楽データの無料交換を実現、音楽業界を震憾させた。
産業構造が設備集約型から知識集約型へとシフト、「頭脳さえあれば物理的資源がなくとも革新を生み出せる」(今井賢一スタンフォード日本センター理事長)。小が大を崩す「テクノロジー下克上」が燃え上がり始めた。
プレイステーションでゲーム業界を制したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)。ソニーの連結営業利益の3割を稼ぐ優良企業ののど元に鋭い小骨が突き刺さっている。
プレステを複製
米ロサンゼルス市のベンチャー、ブリーム。1998年に設立された従業員約20人の企業に、SCEは著作権や特許侵害の疑いで訴訟攻勢をかけている。
SCEが目の敵にするのは同社の「ブリーム!」。パソコンでプレステのゲームを動かす特殊ソフトだ。パソコンを持っている人が使えば、プレステを買う必要はない。すでに日本にも輸入され、秋葉原では1本約9千円で手に入る。
「今は一部のゲームしか再生できないが、すべてできるようになれば当社のビジネスは考え直さざるを得ない」。SCEの桂山孝一郎広報部チーフは危機感を隠さない。どこにでもあるパソコンが「プレステクローン」に化ければ、数百億必円単位の開発費を投じたゲーム機の牙城が揺らぐ。SCEは今のうちに芽をつもうと法廷闘争を仕掛けるが、販売差し止め請求は棄却された。
「神様壊したい」
下克上の舞台はソフトを超えて広がる。東京・湯島のマンションに居を構えるモルフィー企画。代表の佐川豊秋さんには夢がある。「大企業でなければ自ら設計したエレクトロニクス製品を広く世に問うことは難しい、という神話を壊したい」。2月下旬に第一歩を踏み出す。自ら設計した携帯用パソコンの量産が始まるのだ。
趣味で設計したパソコンをネット上で公開したところ、ざん新な機能が受け、商品化を望む声が殺到。有志105人と会社を設立、製品を作ってくれる工場をネツトで募集したら、愛知県でエアコン部品を製造する従業員150人の三友電装が名乗りを上げた。
すでにネット経由で850台の注文が集まった。設計−製造−販売に大企業は一切介在しない。大企業が君臨する先端エレクトロニクス製品の世界を、ネットで結ばれた個の集団がこじ開けようとしている。
本田技研工業、ソニー、マイクロソフト。20世紀には、最新技術をひっさげた若い企業が、巨大企業を抜き去る逆転劇が繰り返された。しかし下克上には10年単位の時間がかかるのが常だった。秒速の勢い進む今の技術革新は破壊と創造を同時に起こす。今までの価値が瞬時に壊れ、小さな存在が大きな力を得る。強者でさえ一瞬も気を抜けない時代がやってきた。
4.自分の未来を診る
遺伝子検査を受けてみた。発病のリスクを知るべきか否か。あなたなら・・・
知らないでいる方がよいのでは。いや、リスクは知っておくべきだ――。気持ちの揺れを整理しきれないまま、診察室に入った。
料金は4万円弱
ここは都内のある病院。この病院が1年前に始めた「遺伝子ドック」を受けることにした。食道がんや肺がんなどの病気のリスクを高める遺伝子を持っているかどうかを調べる。
記者が選んだのはアルツハイマー病との関係があるとみられる遺伝子のチェックだ。料金は4万円弱。診察室に入ると、医師がまず「検査で何がわかるのか」を説明してくれた。
「危険因子になる遺伝子があっても、発症リスクが相対的に高いというだけのこと。生活や食事の習慣などでリスクを減らすことも可能」。そう聞いてちょっと安心する。その後、「ほかの遺伝子は調べない」「本人の承諾なしに検査結果を他人に伝えない」などを約束した文書を渡された。
検査自体は簡単。普通の健康診断のように注射で血を採るだけだ。ほかの病気に関係した遺伝子検査はもっと簡単で、綿棒で口内のほほの部分を数回ぬぐいとれば終わり。綿棒に付着した粘膜から遺伝子を採る。
「結果が出ました」。10日後に電話があった。
病院でこう告げられた。「リスクとしては中間型の遺伝子。将来発病しないようにするには魚や緑色野菜をなるべく食べた方がよいですよ」。発症リスクは、最高の人に比べれば低いものの、低リスクの遺伝子を持つ多数派より2-3倍高いと推定されるという。
「高リスク」と聞いた瞬間は、さすがにショックを覚えた。身の回りの事ができず、家族の世話を受けている自分の姿が脳裏をかすめる。ただ、リスクを減らす道があるなら、前もって知っておくのも悪くない。時間がたつにつれ、そう感じ始める自分に気付いた。
将来の病気の可能性を知るための遺伝子ドックは、まだごく一部でしか実施されていない。その背景には「時期尚早」との声が根強いことがある。「遺伝子の機能がはっきりせず、検査の信頼度が低いうえ、『クロ』という結果が出た際の対処法も明確でない」(松田一郎日本人類遺伝学会理事長)ことが論拠だ。
医療が変わる
しかし、こうした遺伝子検査は近い将来には当たり前になるとの見方も増えてきた。遺伝子の機能解明が飛躍的に進展。その結果、21世紀の医療が、個人の遺伝子情報に合わせて病気を予防したり、治療や薬の処方をしたりする「オーダーメード型」になる方向が見えてきたからだ。
同じ薬でもきき方が違う。高血圧でも人によってきく治療法が違う。そんな違いが遺伝子の差で起きることもわかってきた。個々の遺伝情報を参考にすれば薬の副作用やむだな治療が回避できる。膨らむ医療費の削減にもつながる。
特定の病気や体質に関係した遺伝子を見つける競争もし烈になってきた。
アイスランドの首都レイキャビク。ビルの一室に毎週500人ほどの市民が集まる。目的は献血。特定の病気を持った人やその親せきが中心だ。血液は新興バイオ企業、デコード・ジェネティックスに送られる。
デコードはアイスランド人の遺伝子情報を大量に集め、高速解析機器で病気にからむ遺伝子を特定する作業を進めている。「他の民族との混血が少ないアイスランド人の遺伝子は貴重」(同社幹部)。すでに精神分裂症に関係した遺伝子などを見つけたという。
保険巡り大論争
こうした動きが加速すれば、遺伝子情報をもとに医療を行う新時代の到来は一気に早まる。半面、解決すべき課題も浮上してきた。
「遺伝子による差別の時代が来るのではないか」。英国では大論争が起きていた。
生命保険会社が遺伝子検査の結果開示を加入希望者に求められるようになったのがきっかけ。対象は一部の遺伝病が疑われる人だ。これに対して、生まれながらの遺伝子で保険加入の諾否や保険料が決まるのは不公正、という批判が出た。
一方、英保険業協会は「遺伝子検査で高いリスクと知った人ばかりが加入するようになったら保険は成り立たない」と反論する。
日本の保険業界も遺伝子検査の利用のあり方について検討を始めたが、本格的な議論はこれからだ。
遺伝子検査を活用した医療は多くの人にとって福音となりうる。その前提として、遺伝子情報の秘密を守る仕組みなど社会的な環境整備が求められている。
5.蘇る知恵、いま新風
100年前からの発想がフロンティアをつくる。温故知新。突破口は無限だ。
横浜市の閑静な住宅街。東京電力、京セラ、三井物産といった大企業の技術者が1人の男性の自宅をひっきりなしに訪れる。男は東芝で原子力技術を研究していた岡村廸夫さん(65)。1987年に退職、現在は自宅で研究に打ち込んでいる。
自動車に転用
岡村さんの研究テーマは電気を蓄えるコンデンサー。19世紀末に基本原理が発明され、今では電子部品として多くの家電製品に組み込まれている。もはや革新が起きそうにないような「古びた技術」に、なぜ多くの大企業が関心を示すのか。その答えは、日産ディーゼル工業の内実をのぞくと見えてくる。
今から5年前、日産ディーゼルは悩んでいた。環境に優しい次世代トラックの動力源としてエンジンと電池を併用しようとしたが、肝心の電池に弱点があったのだ。自動車用電池は、ブレーキ時の余分なエンジン回転を電気にかえて蓄え、補助動力にする。すでにトヨタ自動車の「プリウス」などで実用化済みだが、充電効率が低く、数年で交換が必要。何かいい充電装置はないか。試行錯誤の末たどり着いたのが岡村さんのコンデンサーだった。
電池が化学反応を利用するのに対し、コンデンサーは電気をそのまま蓄えるため充電効率が高く長寿命。問題は欠点である容量をどう高めるかだったが、「猫の毛が静電気で逆立つ現象を見た」のを機にコンデンサー研究に着手した岡村さんは、周辺回路の工夫などで大容量化に成功、自動車への転用に道を開いた。
日産ディーゼルは年内にもコンデンサーとエンジンを併用するトラックを発売する。燃費は従来の1.6倍。本田技研工業も次期シビックに岡村さんの技術を採用する。100年以上前に生まれた技術が現代に蘇(よみがえ)り、環境問題に直面する21世紀の自動車業界に新風を吹き込む。
バイオ、情報技術、ナノテク。最先端技術の進歩はめざましい。だが革新は時に思わぬ方角から現れる。
価格200分の1に
97年、ジェノックス創薬研究所の研究員、郡司誉道さん(49)は決断した。「自分でDNA(デオキシリボ核酸)チップを作ろう」
DNAチップは遺伝子の性質を検査するのに使う先端器具。当時、三共から出向していた郡司さんにとって欠かせない器具だったが、唯一実用化されていた米ベンチャー企業のチップは1個200万円前後と高価。おまけに予約殺到で手に入らない状態だった。郡司さんは複数の企業にチップ開発を掛け合うが反応は冷たい。そのことを繊維大手、三菱レイヨンの友人に話したら、「中空糸を使えば1個1000円でできる」と驚くべき返事が戻ってきた。
中空糸は衣服の軽量化などのため、中心部を空洞にした繊維。繊維業界では古典的技術として広く普及している。郡司さんは友人からのヒントを元に、中空糸の空洞部にチップ材料を詰め、それを束ね合わせる手法を考案する。国産初の「繊維型DNAチップ」はこうして誕生した。三菱レイヨンは今春、このチップのサンプル出荷を始める。価格は当初1万円以下。量産時の目標は1000円以下だ。
低温で小設備
「科学技術の世紀」と呼ばれた20世紀。人類は技術のフロンティアを追い求めてきた。しかし未開地の開拓だけが革新を生み出すわけではない。既存技術を転用し、組み合わせる「技術の遺伝子組み換え」により、思わぬ世界が広がる。
神戸製鋼所が実用化に向け研究する新製鉄法「ITマーク3」。炉内の温度が従来に比べ200度程度低いため、工程を省略でき、設備も小さくて済む。この製法の源流は弥生時代の古代製鉄法。奥出雲に今も伝わる「たたら鋼」の低温製法をヒントにしている。
技術の遺伝子組み換えを意識的に起こす仕組み作りも広がり始めた。
通産省出身の山中唯義さん(44)は99年、コンサルティング会社「ベンチャーラボ」を設立した。有力企業の元研究者や大学教授OBと契約、その知識や人脈を生かし、ベンチャー企業に技術の改良方法や組み合わせ方を提案する。契約社員は現在約80人。松下電器産業、サントリー、三菱化学、東京農業大学などの出身者が名を連ねる。
加速する技術革新。専門化・細分化も極限まで進む。独力で革新の最前線を走り続けるのは至難のわざだ。異質な世界にアンテナを広げ、過去をさかのぼる。時空を超えて「使える技術」を発掘した時、革新の化学反応が起きる。