住友化学社史より


日本オキシラン株式会社の設立

 プロピレンオキサイドの生産は、わが国では34年(1959)以来、プロピレンと塩素から生産されるクロルヒドリソ法などによっており、45年末には昭和電工・三井東圧化学・日曹油化工業・旭硝子・旭電化工業・周南石油化学(徳山曹達・東洋曹達工業の子会社)・ダイセルの7社で、年産約14トン、その誘導品プロピレングリコール(PG)は周南石油化学・ダイセルを除く5社で約4万トンの能力があった。しかしクロルヒドリン法は採算が悪く、また塩素事情によって制約される欠点があったので、コスト引下げのために直接酸化法によって石油化学原料からプロピレンオキサイドを製造する方法が研究されていた。
 1967年(昭和42)、アメリカのハルコン社(Halcon International Inc.)が、メキシコで開かれた世界石油会議で、塩素を使用せず、過酸化物を種々.変えることによってプロピレンオキサイドと各種の併産品を選択的に生産することができる新方法を発表して、俄然注目の的となった。これはアメリカのアトランチック リッチフィールド社とハルコン社との開発によるもので、両社は合弁でオキシラン社(Oxirane Corp.)を設立し、テキサス州ベイポートで、同法の世界最初の工場としてプロピレンオキサイド7万5000トン工場を設け、順調な操業に入り、さらにスペイン・オランダにも子会社または合弁会社を設けて建設に着手していた。こうして同社は工業化の実績をあげ、さらに日本への進出を企図した。同法はコストの低減に寄与するばかりでなく、塩素を使用しないため公害を起こす懸念がなかったので、各社は非常な関心を寄せ、45年以来、三菱油化・旭硝子・三井東圧化学.新日本製鉄化学工業・日本石油化学・昭和電工・当社などの大手石油化学工業会社と、大日本インキ化学工業・日本合成ゴムなどの12社がその導入を希望した。ここに、石油化学における最後の大型技術として、かつてのポリプロピレンと同様の導入競争が展開された。
 当社はアトランチックリツチフイールド社とハルコン社とに積極的に接触した。アトランチックリッチフィールド社とはすでに洗剤原料部門で提携関係(注 日本アトランチック)にあって親しかったこと、またとくにハルコン社のラルフ ランドゥ(R. Randau)社長と当社児玉副社長とは旧知の間柄であり、とくにハルコン社が当社の技術水準を高く評価していたこともあって同社との交渉は円滑に進んだ。
 導入しようとするハルコン法は、プロピレンオキサイドとスチレンモノマーを同時に製造し得るものであるが、企業化にはスチレンモノマー年15万トン、プロピレソオキサイド6万トン以上の大型規模を必要としたので、当社はポリスチレンで提携関係(注 日本ポリスチレン)にあった昭和電工と協力するとともに、石油化学協調懇談会スチレン委員会で承認された当社増設分8万トンに加えて、電気化学工業8万トン、新日本製鉄化学工業3万6000トン、出光石油化学2万5000トンの認可枠を譲り受げることにした。そして結局日本側の当社と昭和電工とが、アメリカ側のハルコン社・アトランチック リッチフィールド社と折半出資の合弁会社を設けることで合意に達した。その後当社が窓口となって、ハルコン社と提携条件などについて交渉を重ねた結果、設備能力は最大限のスケールメリットをねらって、住友千葉化学工業内にプロピレンオキサイド年9万トン、スチレンモノマー22万5000トン工場を建設し、出資割合は、アメリカ側50%(技術供与)、当社30%、昭和電工20%とすることとし、46年9月、4社によって日本オキシラン株式会社設立の契約を締結した。(47年3月認可)
 新会社への原料、用役は住友千葉化学工業から供給することとし、そのうちエチルベンゼンについては年26万5000トンが要るので、同社では、すでにバジャー社の技術によるエチルベソゼン年13万トンの設備を運転中であったが、その能力を増加することとし、48年1月、当社はバジャー社との契約を改めた。また製品の販売には、当社と昭和電工があたることとし、当社はプロピレンオキサイドを旭電化工業・住友バイエルウレタンに供給し、スチレンモノマーは日本ポリスチレン工業をはじめ電気化学工業・新日本製鉄化学工業・出光石油化学に販売することとした。こうして、当社と昭和電工の2社で、まず47(1972)年8月25日、資本金42億8400万円の日本オキシラン株式会社を設立し、社長には当社の児玉が就任した。その後、アメリカ側のアトランチック リッチフィールド・ハルコン2社の払込みを待って9月11日に資本金を85億6800万円とした。
 しかし千葉県の認可が遅れ、なかなか着工に至らなかったが、48年12月にようやく認可を受けて着工し、50(1975)年8月に完成した。

 

三井東圧化学との提携

 日本オキシランのハルコン法によるプロピレンオキサイド(年産能力9万t)とスチレンモノマー(同22万5000t)併産法製造設備は、50(1975)年7月末に完成し、51年4月から本格稼働に入る予定であった。
 しかし、折からの不況で、50年のプロピレンオキサイド(主用途ポリエステル樹脂、ポリウレタン樹脂)、スチレンモノマー(主用途ポリスチレン樹脂)の全国需要は、それぞれ約15万t,88万tと47年の水準に低迷し、51年にも大きな伸びは期待できなかった。このため同社の日本側出資会社である当社および昭和電工が、対応設備における減産、操業停止により生産を同社に集中しても、なお、同社の稼働率は60%程度に止まるものと見られた。
 このような状況のなか、三井東圧化学から塩素を用いないハルコン法に着目し、当社に対し日本オキシランヘのプロピレンオキサイド、スチレンモノマーの全面的な生産委託の打診があった。当社を含め関係者が協議した結果、51年2月、日本オキシランが三井東圧化学からこれらの生産を受託することになった。

 

その後、赤字が増大

対策
・日本オキシラン 減資増資

・製造と販売を分離
  製造会社 スミアルコを設立(1982/11)

・出資関係変更(昭和電工の出資比率縮小)

               単位百万円

 

ARCO

住友化学

昭和電工

合計

NOC当初出資

  4,284

 2,570

 1,714

  8,568

   減資

-3,084

-1,810

-1,274

-6,168

   減資後

1,200

760

440

2400

   優先株発行

1,000

1,000

-

2,000

   (合計)

2,200

1,760

440

4,400

         

スミアルコ

  +

  +

  +

  +

   当初

1,000

2,000

-

3,000

   1985増資

1,000

-

-

1,000

   増資後

2,000

2,000

-

4,000

 

1987/1/1 日本オキシランとスミアルコを合併

   資本金 8,400百万円

     ARCO   4,200百万円  50.00%
     住友化学  3,760百万円  44.76%
     昭和電工   440百万円   5.24%

 

2002/6    Lyondell 50%/住友化学 50%

2003/3/31 Lyondell 40%、住友化学 60%