日本経済新聞 2009/10/25
私の履歴書 安居祥策
私が社長になったころ、帝人は年間売上高が連結でまだ6000億円台だった。世界的に見て素材関係の業種の企業としては規模が小さい。
厳しい国際競争で生き残るには、市場占有率を高めてコストを下げなければならない。柱となるテトロン(ポリエステル繊維)、フィルム、高機能のポリカーボネート樹脂の3事業は、世界3位以上の規模にする方針を立てた。
自前では無理なので、必要なものは外から取り込むことを基本とした。欧米の企業なら当たり前の戦略である。
ポリエステルフィルム事業については、米国デュポンと事業を統合した。7カ国に合弁会社をつくり、世界最大規模の能力を持って、2000年1月から営業を始めた。
繊維事業は、テトロン一本では将来性が無い。持っているアラミド繊維に炭素繊維を加えて強化したいと考えた。炭素繊維は当時、東レがトップで2位が東邦レーヨン、3位が三菱レイヨンだった。
炭素繊維は一からやるより東邦レーヨンにグループに加わってもらえば早い。同社の大株主の日清紡は、昔からテトロンの綿を買ってもらっており親密な関係だ。
まず親しい日清紡の望月朗宏社長に話をしてから、東邦レーヨンの古江俊夫社長に会った。古江社長は日清紡出身で、若いころテトロンを売っていた時からの付き合いだ。
3人で会って3回目に合意し、1999年9月に発表した。お互いに人柄が分かっていたから早かった。東邦レーヨンは今、東邦テナックスという社名の完全子会社だ。
高機能のアラミド繊維は、オランダのアグゾ社が持っていた同事業をファンド経由で買収し、米デュポンと世界で2社体制にすることができた。3年かかったが、最初に提示された5億ドルより、運よく1億ドル安く買えた。
ポリカーボネート樹脂は自前で拡大をはかり、シンガポールに続いて中国への進出を計画した。2002年7月、浙江省嘉興市を訪問し、同省共産党委員会の張徳江書記(現副首相)に会い、同市に工場を建設することを決めた。
一方、中核事業と関連の無い事業はほとんど撤収した。黒字経営の会社も多かったので、社内に「もったいない」という声もあったが、方針を貫いた。工場への給食をしていた冷凍会社や原料輸送をしていた海運会社など、売却などで整理した会社は合計50社くらいに上る。
売却する際、従業員の雇用の継続を条件にした。しかし以後、帝人グループの役員が定年で辞めてから、別の子会社に行くのは一切禁止した。
差し引きして連結売上高は、社長を退任した02年3月期には9000億円台に乗った。だがすべてうまくいったわけではない。米州の拠点としてメキシコに設けた繊維の合弁会社は、中国製品の攻勢で撤退を余儀なくされた。
衣料品分野を強化しようとイタリアの衣料品メーカーに出資したら、そこのオーナー経営者が交通事故で死去し、目算が狂った。取締役会で反対意見が出て資金支出に上限をつけていたおかげで、深手を負わずに済んだ。この2つは私の失敗である。
中国でのテトロン繊維事業計画が取締役会で否決されたのも結果的によかった。取締役会での活発な議論が損失の拡大を防いでくれて感謝している。何でも社長の言う通りではいけない。