貿易黒字とは何か (日本経済の現状分析)


貿易黒字擁護論批判 -1  大前理論批判

 

 二人の著名人の議論に対する批判から始めたい。

 一人は大前研一氏の諸著作における議論であり、他は小宮隆太郎氏の『貿易黒字・赤字の経済学 日米摩擦の愚かさ』である。
 前回円高がドンドン進み、日米摩擦が増大していたときの論議である。

 これらは非常に説得力のある議論であるが、いずれも、貿易収支、貿易摩擦を云々すること自体が間違いであり、日本政府が米国に次々に妥協しているのは間違いである、という結論である。

 いずれも、日本の貿易黒字ではなく米国の貿易赤字こそが問題であり、それは日本のせいではなく、米国企業が米国に投資しないことと政府および個人の消費癖に原因があるとし、日本の内政に関与せずに自分の問題を自分で解決せよとすることで一致している。

 米国の問題についてはこの議論は正しい。しかしそれでは日本のやり方が正しいのか。また米国の貿易赤字に日本が全く関係がないのか。

 アメリカに「日本のことをガタガタ言う前に自分の問題を自分で解決せよ」という前に、日本が日本の問題を自分で考えるべきでないか。

 

大前理論批判

 大前氏の議論は同氏の『ボ−ダレス ワ−ルド』に、
現在は「国境が消えた」時代であり、米国の貿易赤字は「国境が消えた時代に、国境のあった時代の古い会計システムがつくり出す幻想にすぎない。」としている。

 本当に米国の貿易赤字問題は幻想であろうか。

 大前氏は、米国企業が日本国内で製造販売する多額の商品を加えると赤字は消えるとする。しかしこれを米国の貿易収支に加える考えは正しいであろうか。

 例えば日本IBMは米国のIBMが100%出資している子会社でる。しかしあくまで日本法人であり、日本で日本人を採用して製造・販売しているという意味ではNECや東芝などと変わるところはない。
 同様にホンダ・アメリカは米国法人で米国で米国人を採用して自動車を製造しており、日系下請けを多数使っているとしてもこれも米国法人で米国人を採用している。
 日本からの輸入部品を使用しているのは純粋の米国企業でも同様である。
米国法人であるホンダ・アメリカが米国で車を生産・販売し、海外に輸出したとしても日本の国民にはなんの関係もない。

 

 国境は消えたか

 株主がどこの国の企業であるかではなく、どの国で雇用が行われどの国の国民の生活がよくなるかが問題である。
 国ごとの貿易赤字の問題は従って「幻想」ではなく、今でも重要な問題であり、当然政府間の紛争に繋がる問題である。

 確かに資本の自由化により企業にとっては国境は消えた。
 例えば日本の家電各社は当初は先進国の輸入規制を避けるため欧米諸国に進出し、その後は安い労働力を狙って、まずシンガポ−ルやタイへ、そこの労務費が上がると次はマレ−シアやインドネシアへ、更に今やベトナム、フィリッピン、中国へと進出している。

 資本にとっては国境は消えている。

 大前氏が説くように今後は日米欧の3大戦略地域で活躍するトライアド・パワ−が生き残ることになろう。

 しかし資本は自由に移動できても国民は自由には移動できないし、移動しない。
 旅行は行うが生活の拠点は動かさない。各国の法律の問題(移民法など)もあるが、何よりも自分の祖国への愛着から動こうとしない。

 たとえば中国から日本に出稼ぎに来れば、1年日本で働けば本国で家が建ち、あと1年働いたらその収入からの利子で食っていけると言われる。
 日本の平均家族の貯金をもって中国へ行けば非常に裕福な生活が可能である。

 それが出来れば貿易摩擦は一挙に解決する。しかしそれが出来ないからこの問題がある。

 それぞれの国民は余程迫害されない限り、又は極く一部の国際人を除き、生まれた国で生活する。従ってその国での生活のし易さが最も重要なことである。

 即ち「諸国民の富」が問題なのであり、貿易摩擦の問題は企業ではなく国民の問題である。

 ここまでの大前氏の「貿易赤字に関する理論」は企業の理論であり、国民のための議論でない。

 

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