貿易黒字擁護論批判 2
小宮隆太郎氏は『貿易黒字・赤字の経済学』で日本における貿易収支論や日米通商交渉を「経済学の目」で批判している。
(以下、議論を簡単にするために、小宮氏と同様、経常収支と貿易収支を同じ意味で使用する)小宮氏によると日本の貿易黒字はどの国にも不利益を及ぼしておらず、「失業の輸出」の非難は魔女狩りと同じであり、日本市場が閉鎖的というのは根拠のない非難である。
これらは経済学的に正しい理解が欠如し、誤解・妄説・迷信が横行したことによるとしている。同氏によれば、一国の経常収支の黒字はその国の対外的な財貨サ−ビスの販売と購入の差額であり、それはその国の個人・企業・政府等の財貨・サ−ビスの販売・購入の差の合計に等しい。
それはその国を構成する個人・企業が最も有利と判断して選択した行動の結果であり、従い、たまたま日本が黒字になったのは日本の国民がそれを選んだだけであり、同様にアメリカの赤字はアメリカの国民が貯蓄より消費を選んだ結果であり、互いに相手のせいではない。
それぞれの国民が最善と選んだ結果であり、他国に迷惑をかけて訳ではないので調整の必要はさらさらない。
また同氏は貿易収支で稼いだ外資は同額が自動的に世界の金融市場に還流し、それぞれの国の経済の発展に寄与しており、一切迷惑をかけていないとする。
まず、一国の経常収支の黒字はその国の対外的な財貨サ−ビスの販売と購入の差額であり、それはその国の個人・企業・政府等の財貨・サ−ビスの販売・購入の差の合計に等しく、その国の国民が選択した結果であるという点である。この点自体は正しい。
しかし、だから他の国とは関係がないと考えるのであれば間違いである。
ミクロの集合であるマクロはミクロとは異なる意味をもたらす。
マクロで見た場合、経常収支の黒字は失業の輸出、又は就業機会の収奪を意味するのである。議論のために、全く閉鎖された国(貿易のない国)を考える。
この国においては個人・企業・政府等の財貨・サ−ビスの販売・購入の差はプラス・マイナスでゼロとなる。
この国においては国民全体として貯蓄というのはあり得ない。モノが生産されると、生産金額と同額が原料や労務費やサ−ビスなどの対価として最終的には賃金として払われるが、この賃金で生産されたモノが購入され、消費される。
生産者全体
生産額A
↑|
||
消費額 A 賃金 A
||
|↓
消費者=労働者全体
払われた賃金の一部を消費せずに貯蓄しようとすれば、生産されたモノがその分だけ売れないためその分の賃金は払いようがない。
個人の段階では当然貯蓄がありうるが、それは例えば銀行預金を通じて企業に貸し出され、設備投資のために消費される。
即ちマクロでは販売=消費であり、貯蓄はあり得ない。
この国においては生産性を高めることにより消費を増やし国民の富(暮らし易さ)を高める。貿易が行われる場合には原料の輸入や製品の輸出で国別にネットで輸出となったり輸入となったりする。
ネットで輸出の国(例えば日本)とネットで輸入の国(例えば米国)を考える。
輸出国は消費以上の生産を行い、消費を超える分を輸出する。
逆に言えば生産=賃金より消費が少なく、差額が貯蓄となる。
逆に輸入国では輸入分だけ生産が(消費より)少なくならざるを得ず、従って賃金が消費より少なく、借金又は貯蓄の食い潰しをせざるを得ない。
即ちマクロでは貯蓄や借金はそれぞれの国民の選択の結果の合計ではあるが、独立したものではなく、一国の輸出と他国の輸入の結果、賃金(雇用機会)が移動した結果でもある。
貿易黒字は雇用機会の収奪であり失業の輸出である。これは鶏と卵の関係ではなく一つの事態の両面である。
日本の国民が総体として貯蓄を選んだのもネットの輸出(=雇用機会の収奪)があって初めて出来たことであり、米国の国民が総体として借金を選んだのも輸入があって(雇用機会が奪われて)のことである。
他の国に迷惑をかけていないというのは誤りである。
日本の貿易収支の黒字は実際には我々の所得(輸出企業の社員の給与だけでなく、下請けや原材料供給会社の社員の給与、それらの社員が購入し消費する物品の生産やサ−ビスに従事する人の所得)の増加となっているのである。上の説明では2国を考えたが国際化の時代には当然2国間の貿易のバランスを云々するのは意味がない。
A国がB国に対し輸出超過となり、B国がC国に輸出超過となり、C国がA国に輸出超過となり等々のことが当然起こる。一国の貿易収支が全世界的にバランスがとれていれば問題はない。
また毎年毎年バランスがとれる必要はなく一時的に黒字になっても後に赤字となって経時的にバランスがとれれば問題はない。
小宮氏は貿易黒字による失業の輸出は事実でないとする。
同氏は昔のようなダンピング輸出はGATTで禁止されてやりえないし、実際にもやっておらず、日本はむしろ世界に率先した輸入の自由化で逆のことをしているとする。
そして短期的影響はあるとしても中長期的に見ると過去の各国の統計からも貿易収支と失業とはなんの関係もないとする。統計的な失業率は就業希望者に対する失業者の比率であるが、日本とアメリカでは結婚した女性が就業希望者に入っていないだけでも失業率は大いに異なっている。
賃金を下げて社員を維持するか、社員を減らして賃金を維持するかという企業の方針によっても失業率は変わる。
生産性に寄与せず単にパイのやり取りをして稼ぐ仕事に従事しても就業人口に含まれる。
統計からみた失業率はこのようなことが全て反映されている。貿易黒字国が自国の消費分以上を生産して他国に輸出すれば、輸入国はその分だけ生産が減り、就業機会が減少する。従って仮に貿易赤字国の失業率が趨勢的に変わらないとしても、それは他の要因のせいであって、貿易赤字の影響は必ず存在する。
日本の貿易黒字は日本人が貯蓄を選んだからであり、アメリカの赤字はアメリカの消費癖が原因であるというのは正しい。
しかしアメリカが(また他の貿易赤字の諸国が)日本と同じように貯蓄をすればよいのだというのは上記の理屈から間違いである。貿易のない国で貯蓄があり得ないのと同様に、世界全体でとってみると全体が貯蓄国(即ちネットでの輸出国)であるというのはあり得ないのである。
売り手があるのは買い手があるからであり、売買とは売りと買いがあって成り立つものである。
輸入国がなければ輸出はありえず輸出がなければ生産と消費の差である貯蓄はありえない。それぞれの国が優位性をもつ製品を生産し輸出しあうことによって世界経済は発展する。
長期的には貿易はプラスサムの世界である。しかし、その時その時は全体としてゼロサムであり、長期的にバランスがとれた姿であれば全体がふくらんでプラスサムとなるのであって、常時全体がプラスということはありえない。
以上述べたごとく、貿易は短期的にはゼロサムの世界であり、日本の黒字は必然的に他国の赤字であり、日本の貿易黒字は他国からの就業機会の収奪(失業の輸出)である。
しかし各国では互いにプラス・マイナスがあり、また時期によっても国ごとにプラス・マイナスがあり、プラス・マイナスがあってもそれがいちいち問題になる訳ではない。
しかしながら一国が長期的に「一人勝ち」になる状態が続けば、他の国から文句を言われてもやむを得ないであろう。
一国が長期的に黒字でも黒字額が少額の場合には他国への影響は少ないため問題はない。
日本のように多額の黒字を一人勝ちした場合、他国への影響が大きいため問題にならざるを得ない。
次に小宮氏は貿易収支で稼いだ外資は同額が自動的に世界の金融市場に還流し、それぞれの国の経済の発展に寄与しているとされる。
輸出対応の生産物を賃金で支払うには輸出で得た外貨を円に替えざるを得ず、替えられた外貨は日本に置いても意味がないため例えば米国債の購入に当てられ、それは米国政府の投資や失業保険の支払いなどに当てられる。
従い貿易で稼いだ外貨を日本で溜め込むということはありえず、小宮氏のいう通り同額が世界の金融市場に還流される。
前の説明に関連して言えば、貿易のない国では貯蓄はあり得ないことから、貯蓄は貿易黒字相当分であり、それは外貨で得られる以上同額が海外に還流せざるを得ない。しかし貿易収支の赤字国にとってはこれは借金である。雇用機会を奪われ借金でそれを穴埋めしていることになる。
借金は返さざるを得ない。しかもこの借金は明日にも返済を要求されるかも分からない「無期限の借金」である。
これらの資金は金利の変動に応じ自由に移動する。
例えばある国が経済成長を図るため金利を下げるとすると、金利の高い国に逃げ出す可能性がある。米国の国債のかなりの部分は日本の機関投資家が買っているが、数年前に彼等が入札しないのではないかと一時米国政府が恐慌状態になったことがあった。
貿易収支の黒字と同額が世界の金融市場に還流することは事実であるが、貿易収支の赤字の国に還流する保証はなく、その国にとっては貿易収支の赤字は大問題である。
日本の貿易収支が黒字となった場合、賃金を円で払う以上、入手したドルを円に交換せざるを得ない。一人勝ちで貿易黒字が長期的に増え続ければドルもどんどん増えるため、ドルの値打ちが下がり円高になる。
本来であれば円高になれば輸入品が割安になり、輸入品の消費が増えるとともに輸出が割高になって減少することにより貿易黒字が減少し、円高が是正され、適当な水準(おそらく購買力が等しくなる水準)に落ち着くことになろう。
実際には輸入品は安くなり、円高で海外旅行に簡単に行けるようになったが、以下に述べる構造的問題により消費が増えず、輸入原料価格の低下と製造の合理化によりコストを下げて輸出を継続し、黒字はむしろ増加している。
合理化とは実際には賃金カット、首切り、下請けカット、部品の海外調達などによる就業機会の消失を意味し、本来輸入国が悩む問題である。輸出により相手国に失業を輸出しながら、そのために失業を輸入するという大矛盾が起こっているのであり、その結果ますます円高となり問題はより深刻になっていく。
何故か。理由は日本の構造問題にある。
上で述べたとおり、貿易収支の問題は同時に各国の雇用の問題であり、経済全般、国民の生活全般の問題であって、これを貿易収支問題だけ取り上げて云々するのは、相互に複雑に結びついた経済全体を一つの面を取り出して見ているだけであり、従ってこれだけを解決しようなどというのは間違った考えである。
小宮理論には日本人にとっての最大の問題がある。
小宮氏は
「貿易収支の黒字即ち貯蓄は日本の個人・企業が最も有利と判断して選択した行動の結果である。同様にアメリカの赤字はアメリカの国民・企業が貯蓄より消費を選んだ結果であり、互いに相手のせいではない。
それぞれの国民が最善と選んだ結果であり、他国に迷惑をかけて訳ではないので調整の必要はさらさらない」
とする。日本人が消費より貯蓄を選ぶのはそれを最善として選んだ結果であろうか。
実際にはそうではなく、将来のために貯蓄を選ばざるをえないだけであり、最善の選択ではなく今の状態の中でやむを得ない選択であるだけである。
国民にとって最大の問題は生活のし易さである。
通勤に2時間もかけてウサギ小屋に住むのを日本人が最善として選んでいるのであろうか。外国人のように永い休暇を取るわけでもなく、家に客を呼べないから家族ぐるみの付き合いはできない。
定年というのは外国では "Happy Retirement" であって夏は自宅で、冬は暖かい別荘で過ごすというのが普通だが、日本の定年は要は首になるということであり、幸運な人で子会社に勤め、さもなければ職を探しまわって生活費を稼がざるを得ない。逆にアメリカは貿易赤字が浪費癖のせいだと非難されながら、円換算すると日本人よりはるかに低い年収の人が日本人と比べるとはるかに優雅な生活を楽しんでいる。
日本人は決して満たされた生活を楽しんではいない。
日本人が貯蓄を選ぶのは、そうせざるを得ないからであり、決して喜んで(最善の選択として)やっている訳ではない。
やむを得ず消費を押さえて貯蓄をしているのである。
そしてその結果として失業を輸出し、他の諸国に迷惑をかけているのである。
本当に日本人が満たされた生活をし、生産性が高すぎるために生産したうちで使いきれないモノを輸出しているとすれば、その結果としての貯蓄は最善の結果であろう。
その場合には税金を高くし、その収入で貧しい国に返還の必要のない贈与の形で還流させればよい。
そうすれば日本人は日本の富でなく諸国民の富に貢献しうる。
既に説明したとおり、これは貿易だけの問題ではなく経済全体、国民生活全体の問題である。「一人勝ち」が日本人が最善として自分で選んだことであり、他の国に迷惑をかけていないという理論は誤りである。
そして日本の黒字は日本の社会構造により十分な消費が出来ないことによるのであり、日本の市場の「貿易上の障害」を解放すれば解決する問題ではない。
また実際に輸入そのものの障害を減らし輸入を増やしても、今の日本の構造では輸出がそれ以上に増え、黒字は一層増加するであろう。
しかしやや広く解釈して輸入は自由でも輸入品を実際には使えないような国内の諸規制・習慣や、更にもっと広い意味で考えて、十分な消費が出来ない理由となっている日本の社会構造そのものを障害と考えると、それを解決すれば黒字は減るのは確実であり、そういったものが多数存在することも事実である。
これを考えるといくら日本の市場が貿易上で閉鎖的でないと言っても意味のないことである。