日本の構造問題(国民側の問題)


 これに対して一般国民の側にも多くの問題がある。

 戦後の憲法で初めて国民主権を得たが、これは勝ち取ったものではなく、連合軍により与えられたものである。

 しかし、先祖代々「寄らしむべし」で慣らされてきたため、憲法で主権を与えられてもこれを発揮する姿勢が全くできていない。
 特に戦後、食料を確保し、廃虚から立ち上がるためには官僚による指導に頼らざるを得ず、最初のスタートから従来のやり方を踏襲し、経済が復興しても改めようとしなかった。

 今も国民の意識にあるのは「お上頼り」であり、自己責任という意識は欠如している。

 現代社会では情勢の変化は非常に早い。技術の進歩、経済情勢の変化、国際情勢の変化などで企業や個人に大きな影響が出てくる。農林水産業、製造業、商業、金融その他、あらゆる分野で10年前とは全く異なる状況になっている。

 企業も国民一人一人も、この情勢の変化に対応して生き残りを図るしかない。どうしても対応できない場合のために、相互補助としての福祉制度が存在する。

 しかし「寄らしむべし」に慣れてきた国民は政府がなんとかしてくれると期待し、それを要望する。

 この結果が既得権益を維持するための規制につながり、企業や特定の地域集団、利益集団が政治家と結びつき、政治家が官僚を動かし、国民全体の利益を犠牲にする今の政官財体制をつくりあげてきた。

 自己責任の意識の欠如も官僚制度を強化している。

 交通事故でも、ねずみ講や儲け話でだまされても、倒産の被害にあっても、常に政府の責任を問う姿勢がある。
 規制を問題にする新聞もなにかあると「政府の責任が問われる」とする。

 本来、国民が自分のリスクで行動すべきであり、結果として被害にあえば本人の問題であるものが多い。

 現実にはそれらもすべて国の責任としている。

 この結果、あらゆることに規制の網がかけられ、行政指導が行われる。

 日本では官僚が国民の生まれてから死ぬまでのありとあらゆることに責任をもつかのように規制が行われており、これが特定集団の利益となり、結果的に国民の利益を犠牲にしている。

 政官財体制は拮抗力の欠如により国を「私物化」し、政官財のための政治経済体制を作り上げ、国民の生活を犠牲にするだけでなく、世界経済を不安定な状況に追い込んだ。

 しかし、その真の原因は国民の意識である。

 

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