日本の経済に根本的な問題がある。それは上に述べた基本構造からきている。即ち、規制による特定利益の保護である。
諸規制は国民のためという名目をもつが実際は特定の利益集団を保護しそれらに利益を与えるものであり、結果としてはしわ寄せは国民に行くこととなる。
国民に奉仕すべき政治家や官僚が国民のためにではなく、国民の負担のもとに特定の利益のために奉仕している。
経済界もこの仕組みに乗り、利用している。このために日本人は働きに働き世界一の貯金(外貨準備高)を持ちながら、生活のために働くという「生活後進国」に甘んじ、失業の輸出により世界の経済をおかしくしているのである。
戦後、衣食住すべてを欠いた日本人は生きていくために必死に働いた。
その後所得の伸びに応じ、衣と食は次第にぜいたくになってきた。
今やこれ以上に必要なものはないと言えよう。国内の旅行は旅費や宿泊費とも非常に高いが、海外旅行は非常に安くなり、誰でも簡単に行けるようになった。(但し、勤労者の場合は長期の休暇を取れない点が欧米と異なる大きな点である。)しかし日本人は生活を楽しんでいるとはいえない。生活を楽しむために働くのではなく生活のために働いている。
それだけ働いても老後の生活を心配していない人は少ない。
最大の問題は住居費が高いことである。
家を買うために生活を切り詰め、買った後も20年、30年にも及びローンの返済がある。定年になってもまだまだ返済が続く。しかもそうして買った住居が「遠狭高」で表現されるひどい状況である。1ドル100円で計算すると世界でトップクラスの所得を得ながら、平均的日本人は狭くて高いウサギ小屋に住み、長時間をかけて通勤している。
家は単に雨露をしのぐ場所ではなく、単に寝に帰るための場所ではない。生活を楽しむ基盤であるべきである。
日本では住宅公団のアパートが住宅の基準をつくってしまった。天井が低く圧迫感があり、ダイニングキッチン、リビングルーム、寝室、風呂、トイレいずれも非常に小さい。日本以外の先進国では全く異なる。天井の高い、広い部屋。多数の客もよべるゆったりしたリビングルーム、客用のベッドルーム、書斎や主婦の仕事部屋。しかも通勤にそれほど時間がかからないところに住み、夏などは退社後にゴルフやテニスを楽しんでいる。
また普通の人がまじめに働けば、生活を犠牲にすることなしに分割払いで買えるもので、定年になった後で借入金の残高はなく、年金を生活費に充てられる。
定年後には暖かい場所にセカンドハウスを持つ人も多い。海外で(今の円のレートで換算して)同じ所得の人がこのような生活を楽しんでいる。
しかし、日本では、日本は土地が高いからという理由で誰も仕方がないと諦めている。
そして世界で最大の個人貯蓄をもちながら、それを住居費に充て、依然として生活のために働き、老後の心配をしている
本当に日本ではこれが当然なのであろうか。