化学経済 2001/7
5 アジアにおけるPVC工業の発展
わが国のPVC工業は,1970年代から1980年代にかけて成熟段階に入ったが,韓国,台湾などは,このころから経済成長とともにPVC工業が急速に成長していった。1990年代に入るとタイ,マレーシア,インドネシアなどのASEAN諸国と中国の経済が成長しはじめた。その中でPVC工業はプラスチックの先鋒として,急速な展開をみせている。
ここでは中国や東南アジアでのPVC工業の発展の状況をみるとともに,PVCの次の段階のベースとなる石油化学工業の展開も考察する。21世紀の初期にはこうしたアジア諸国の経済発展が「世界の経済成長センター」として世界を動かすことになる。しかし,これら諸国の経済発展に伴って,地球規模での新たな「資源と環境」問題が発生し,それが21世紀の世界の基本的な課題になることを示す。
1.アジア諸国の経済発展
アジアは地理上,東アジア(極東アジア),東南アジア,南アジアに分類されている(1)。東アジアは,日本,韓国,台湾,北朝鮮,中国,モンゴルである。その中で韓国,台湾,香港,そして東南アジアのシンガポールはアジアのNIES(新興工業経済地域)といわれ,1980年代から産業の振興によって急速な経済成長を始めた。
中国は1976年には過去10年間にわたる文化大革命が収束し,1978年から「改革・開放」路線による経済の発展が図られるようになった。1990年代に入ると「社会主義市場経済」の政策によって沿海地区に設けられた経済特別地区を軸として経済の高度成長が始まった(第7図参照)。
東南アジアでは,シンガポール,タイ,マレーシア,インドネシア,フィリピンの5カ国が,1968年ASEAN(東南アジア諸国連合)を設立した。当時はベトナム戦争中(1960〜1975年)であり,インドシナの共産主義勢力に対抗して,東南アジアの国々が協力するという,最初は経済よりも政治的色彩の強いものであった。その後1984年には石油産油国であり,王国でもあるブルネイが参加した。1995年にはベトナムが加盟し,これによって東南アジアでの冷戦に終止符が打たれ,本格的な経済連合となった。その後ミャンマー,ラオスが加盟,1999年にカンボジアが参加して加盟国は10カ国となり,「ASEAN10」が成立した。
南アジアはインドを中心としたネパール,パキスタン,バングラデシュ,スリランカなどの7カ国からなる諸国である。
ここで注目するのは,1990年代から急速に経済発展を始めた中国とASEAN諸国である。第1図に,韓国,台湾,中国そしてASEAN4カ国のGDP成長率の推移を示す(2,3)。比較として日本の成長率も示したが,日本は1985年から1991年まで「バブル景気」で,それ以降は低成長である。韓国,台湾は1990年代に入ってからは成長率はやや低下したが,それでも1997年の「アジア経済危機」までは5〜6%台を維持していた。ASEAN諸国でもシンガポール,タイ,マレーシア,インドネシアは1980年代の後半から急上昇し,1990年代も8〜10%の成長率で成長した。しかし図から分かるように,1997年タイのバーツの急落から始まった「アジア経済危機」は,アジア諸国の経済の急成長に大きなブレーキをかけることになった。現在急速な立ち直りを示しているが,まだその影響から逃れきってはいない状況である。
また図には各国1人当たりのGDP(ドル)について1996年の値(アジア諸国ではほとんどがピークを示した)と,1999年の値を示した。1999年においてもピーク時までには回復していないことからも「アジア経済危機」の影響の大きさを知ることができる。またGDPの値は,シンガポールを除くASEAN諸国と中国ではまだ絶対値が非常に小さいことが分かる。しかしこれは逆に,今後の発展の可能性を意味するものでもある。
こうしたアジア経済発展の契機を,日本を軸にしてみた場合には,第2図のように考えることができる。日本の産業は1970年から80年代にかけて,多くの製品については国内需要は飽和状態となったが,一方では自動車や電気・電子製品の輸出が大幅に伸長した。1980年代にはこれら製品は国内生産の約半分量を輸出するまでに拡大した。その結果,欧米において多くの経済摩擦を引き起こすとともに,円高が急速に進み,日本のこれら製品は輸出競争力を失うことになった。
ここで,これら電気・電子製品をはじめ,多くの輸出製品は,その国際的なコスト競争力の確保を目指して,人件費,建設費,土地代などが極度に安く,質の高い労働力をもつアジアへ生産の拠点を移していった(自動車は主な輸出先であった米国や欧州での現地生産が先行し,のちにアジアヘの進出となる)。これによってアジア諸国は日本の家電製品などの輸出基地化するとともに,各国においてこれら製品の工業化が進んでいった。さらに,これら製品の部品の現地調達が要望されるようになり,部品の生産や加工業がアジアへ進出せざるをえなくなり,これらの産業がアジアで展開することになる。
こうしてアジア諸国での生産が活発化して,国民の所得が多くなると,輸出のみでなく国内需要が促進されることになり,耐久消費財の購入など国民生活の向上が図られていった。このように経済の自立的な発展が始まると,それは相乗作用によって経済の高度成長へと展開する。さらに産業化が進み,各種の産業基盤の充実が要求される自動車の生産までが行われるようになった。
経済の成長によって,その国の賃金が高くなると,さらに安い労働力を求めて,近隣諸国へ生産が移動することになり,ASEANの地域全体での産業化が興り,各国での経済成長が始まった。
中国は1949年の建国以来,社会主義の独自の道を歩きながら,さまざまな苦難の歴史が展開されたが,1978年ケ小平によって「改革・開放」路線がとられてからは,第1図の経済成長率の推移で分かるように,経済成長のリード役として,アジア経済発展の中核に組み込まれることになった。
2 アジアにおけるPVC工業の展開
2−1 アジアのPVC工業の状況
世界のPVCの1990年からの実績と2003年までの需要予測を,わが国の「石油化学基本問題協議会」(通商産業省,現・経済産業省)の資料からみると第3図のようになる。順調な成長であるが,その中でも成長が大きいのにアジアと北米である。とくにアジアの成長率は実績・予測ともに大きい。
また,アジア内での需要の実績と予測を示すと第4図のようになる。日本,韓国,台湾はほとんど頭打ちであるのに対して,中国やインドを中心にしてアジア諸国の成長が大きいことが分かる。
一方,PVCの生産能力の1980年,1995年と2000年(計画)を示すと第1表のようになる。アジアの経済成長が顕著になった1995年から2000年の5年間での生産能力の増加は,韓国・台湾をはじめ,ASEAN,中国などで急速な増設が図られていることが分かる。中国では約2倍,ASEANでは2.6倍となっている。韓国,台湾においては国内需要はほぼ頭打ちなのに,生産能力が拡大されたことは,中国やASEANへの輸出を狙っての拡大である。
第5図に2000年におけるアジア諸国のPVC生産能力,生産量,需要の予想値を示す。生産能力の値は第1表に比べて小さくなっているが,これはアジア経済危機以降の下方修正によるものである(第5図はより最近のデータ)。日本,韓国,台湾は需要に対して能力が過大である。一方,中国は需要が能力を大きく上回っている。ここに能力過大国からの輸出が行われ,アジアでのバランスが取られている。タイ,マレーシア,インドネシアなどで生産能力が需要を上回っているが,これは成長過程での増設の状況を表している。シンガポールは第1表に示すように古くから1万2000
トンの生産能力を持っていたが,2000年には生産はゼロとなった。またインドのPVC工業は,わが国ではあまり話題にはならないが,すでにタイと同程度の規模に達している。
2−2 プラスチックエ業はPVCから始まる
現在PVCの原料である塩ビモノマー(VCM)やVCMの原料となる二塩化エチレン(EDC)は,すでに国際的な商品となっており,自由に市場から購入することができる。発展途上国においては,原料のVCMを市場から購入することによってPVCを生産することが可能である。このことは,製造プラントだけの比較的少ない資本によってPVCを工業化できることであり,PVC工業化の特徴である。これが多くの発展途上国において,まずはPVCから工業化が始まる理由である。
一方PVC以外のポリエチレン(PE),ポリプロピレン(PP),ポリスチレン(PS)などの汎用プラスチックは,それらの原料となるエチレン,プロピレン,ベンゼンなどを生産する石油化学コンビナートが建設されることが前提となる。石油化学コンビナートはその地域なり国においてある程度まで産業が発展し,各種の原料とその利用が量的に消化できるまでの段階にならなければ建設できない。しかも,大きな資本投資が必要になる。そのために,比較的に小資本で工業化可能なPVCの工業化が先行することになる。
第2表にアジア各国における1999年のVCMバランスを示した。自国で生産されるエチレンと電解の塩素からのVCMと,輸入VCM,あるいは輸入EDCからのVCMについて,各国のバランスをみたものである。日本も含めてすべての国がVCMあるいはEDCを輸入している。発展途上国では輸入VCMやEDCの割合が高くなっている。
塩素は食塩の電気分解によるので,電気が安く,また天然ガスからの安いエチレンを持つ米国,カナダ,サウジアラビアなどの国が,VCM,EDCの世界的な供給源となっている。日本は電気,エチレンともに高いが,表で見られるようにEDCの輸入と,大量生産によってコストを下げて,アジアでのVCMの供給源の1つになっている。
3 石油化学の展開
PVC工業は先行しているが,PVCも含めたプラスチック,合成繊維,その他化学品の基礎となる石油化学も急速に展開しはじめている。第6図にアジアでのエチレン生産能力の増強について,その実績と計画を示す。2003年にはASEAN,韓国,そして中国は500万トンから700万トンになり,日本とほぼ同じレベルの生産能力を持つようになる。台湾やインドも増強を計画している。
第7図は中国のエチレン生産能力の推移と計画を示す。中国は図中に示されているような経済政策の推移によって,石油化学も大きく成長してきた。とくに1990年以降10年間の成長の実績,および2001年からの第10次五カ年計画によると,エチレンは急速に伸びて,2005年には1000万トンに近い生産能力を持つようにすることが計画されている。
しかし,このレベルの生産量ではまだ2005年の需要予測量の約1250万トンには達せず,依然として大量の輸入を必要する計画となっている。こうした石油化学の展開も中国の人口12億人を考えると,当然とも思われる。
ここまで石油化学工業が発展すると,他の産業の発達や生活レベルが向上するので,中国やASEAN諸国でも,カ性ソーダの需要が大きくなり,食塩の電気分解によるカ性ソーダの国産化が要求されるようになってくる。そうなると国産の塩素によって,本格的にVCMの生産が展開することになる。
21世紀の初期においては,アジアでのPVC工業が最も注目されることになる。こうした状況の中で,日本はPVC工業の先進国としてどのようにアジア諸国とかかわっていくかが,今後の課題である。
4 アジアの発展と21世紀の課題
ここでPVCの問題からやや離れて,アジア諸国の経済発展が,21世紀にどのような課題を世界的に投げかけることになるかをみてみたい。18世紀末の「産業革命」以降,科学・技術の発展と資本主義の展開によって,人々の生活は豊かになったといわれているが,その物質文明の恩恵にあずかっているのは,第8図に示すように,北米,欧州,日本,そして台湾,韓国まで入れても9億人で,世界人口の16%にすぎない。これに対して,1990年以降すでに経済の高度成長に向かってテイクオフしたとみられるASEAN諸国の4億9000万人,そして中国の沿岸部,内陸部合わせて12億人,これら約17億人の人々が先進国のような物質文明を目指しまい進しているのが21世紀初頭の状況である。このほかにも旧ソ連や東欧の復活,さらに南アジア,中南米などの諸国が経済の発展を目指している。
わずか9億人の先進国における物質文明のために,すでに地球は資源の問題と環境汚染の問題に直面している。これにアジアの17億人の経済発展による先進国への参入を考えるだけでも,21世紀の資源と環境問題は非常に深刻な課題になることは明らかである。
もし,これらアジア諸国の1人当たりのプラスチック消費量が,現在の先進国の2分の1までになったとして,石油化学としての資源は,現在のほぼ2倍必要になる。すでに地球全体の石油採掘生産量はピークに達しようとしており,ピーク後は生産量は減少に向かう(4)。プラスチック原料としての石油の例を1つみても,資源の問題については,20世紀と同じ考え方では21世紀はやっていけなくなることを示している。
このことを明瞭に示す現象は,中国の石油の輸出国から輸入国への転換である。第9図は中国の石油の国内生産と国内需要との関係を示すものである。中国は1990年代中ごろまでは石油産出国であり,輸出国であった(輸出は主として日本向け)。しかし,経済の高度成長と環境汚染防止(亜硫酸ガスや煤じんの抑制のために石炭から石油への転換)のために,国内石油需要が急速に増加して,図に示すように1996年以降は石油の純輸入国となっている。さらに今後の経済の発展によって,石油の輸入量は急激に増加するものとみられている。こうしたことから発展途上国の経済発展による資源問題は,21世紀の世界の基本的な課題となる。
さらに,こうした資源の利用や生産の拡大は環境汚染を引き起こすことになる。すでにわずか9億人の先進国の発展によって,地球温暖化,オゾン層破壊,酸性雨問題などが地球規模で問題となっている。したがって,アジア17億人の経済発展はさらに環境汚染を深刻にする。すでに中国では環境汚染が深刻な段階に至っているようであり,酸性雨などはすでにわが国にもその影響を及ぼしている。
したがって,21世紀は発展途上国の経済発展とそれに伴う地球の資源と環境汚染問題が最も重要な課題となる。こうした中で第2図に示したようにわが国はアジアの中の工業先進国として,これら資源・環境問題に対してどのような対応を行い,それによって発展途上国をいかに支援してゆくことができるかが課題となる。
こうした21世紀の課題の中で,PVC需要の歴史的な推移を検討し,PVC需要の方向とプラスチック素材としてのPVCの役割について,次号で検討したい。
〈参考文献〉
1)白石隆,「海の帝国一アジアをどう考えるか」(中公新書),中央公論新社(2000)
2)化学経済,「2000年版アジア化学工業白書」,11月,臨時増刊号,(2000)
3)末広昭・山影進「アジア政治経済論」,NTT出版(2001)
4)C.J.キャンヘル.J.H.ローレル,日経サイエンス〔6〕,20(1998)