石油化学業務室時代 1984/6〜1995/6 ←目次へ
(途中で一時 基礎化学管理室に名称変更)
1984/6 米国から帰国し、石油化学業務室勤務となった。
当時の石油化学事業は惨憺たるものであった。1984/8に長期経営戦略が策定されたが、そのテーマは石油化学から新規事業へというものであった。
(住友化学工業最近20年史から)
長期経営戦略の策定
昭和57年以降、毎年策定することとした各事業部の予測積み上げによる期間3年の中期計画に加え、59年8月には「長期経営戦略」を策定した。これはハイテクノロジー時代に即応した企業体質への転換を図るため、中長期的な経済、社会、産業構造の変化や技術革新の動向などの経営環境の変換を展望し、1990年をターゲットにおいて当社の進むべき目標を定め、そのための対策を策定したものであった。
長期経営戦略の目標は次の通りであった。@ 最先端科学技術を駆使したハイテクノロジー会社を志向する。
A 原燃料価格の国際的格差に影響されない企業体質の企業となる。
B そのため高付加価値品の比重を高めるとともに、技術力を基盤に化学工業およびその業際の新規分野に積極的に進出する。
C 1990年における売上高を1兆2000億円とし、高付加価値品、高機能品および新規事業の売上高比率を50%とする。
石油危機により大赤字の住化の石油化学は産構法による設備廃棄で縮小し、研究人員も大幅に減らされた。他方、1984/10に新規事業部を新規製品事業部と新事業開発本部に再編成し、次々に新しい事業を始めた。(結果としては新規事業はほとんど失敗した。)
各設備の状況は以下のとおり。
エチレン 1983/8 569.4千t(全国 6,347.7千t) 8.97% エチレン能力対比
設備処理 224.4千t(全国 2,030.7千t)
1986/3 345.0千t(全国 4,317.0千t) 7.99%
1989/8 358 千t (全国 5,490 千t) 6.52%*住化は全て廃棄だが、全体では廃棄は804.7千tのみで、休止設備の多くは後に再開され、住化のシェアは低下した。
LDPE 1983/8 286千t(大江 96、千葉 190)(全国 1,748千t)16.36%
設備処理 122 (大江 96、千葉 26)( 554 )
1985/8 164 (千葉) ( 1,194 )13.73%
いずれも小規模設備(No.2:20、No.3:25、No.5:56、No.6:57千t)
PP 1983/8 144千t (全国 1,252) 11.50%
設備処理 0 ( 0)
1985/8 144 ( 1,332) 10.81% 泉北ポリマー +80
いずれも小規模多グレード生産設備
(公称1CR:11、2CR:51.5、3CR:28.3、4CR:47.2、5CR:6千t)
ポリオレフィン各社能力対比
PVC1982年に構造不況対策として合理化策がたてられた。塩ビについては以下の策により、縮小均衡による生き残りを図ることとなった。これにより住化の塩ビ事業の基盤であった菊本にはペースト・特殊品プラントと研究が残るだけとなり、汎用品は千葉の1CV 15千トン、2CV 35千トンの合計50千トンのみとなった。
・菊本サスペンジョンの停止による千葉集中
・日本ゼオンとの東西スワップ
・菊本ペーストの合理化
・同VCM自製中止(菊本用は鐘化と長期契約を締結、高砂から海上輸送)
・研究縮小
・日本塩化ビニール(その後の千葉電解)のDI転換による合理化
1985/7の推定能力(公称は重合槽m3数のみ)
汎用品 特殊品 合計
住化 46 16 62
全国 1,562 133 1,695
PVC各社能力対比
赴任直前に日本塩化ビニール(電解事業)の改組と日本MMAモノマーの設立が決まっており、実務を担当した。両社とも品質問題でスタートがうまくいかず、難航した。
電解については徳山曹達の膜が問題で、頻繁に破れた。
MMAは直酸法特有のつまりに寄るもの。いずれも長期間に亘り混乱した。
石化に対しては森社長が慎重なこと、査業部、経理部中心に石化拡充反対の動きがあったことで難航したが、企画部の協力も得て、各製品の能力増、JV、海外進出、需要家対策等を実施した。
各部の意見の例:
中期計画策定時に、「石化に1000億円かける位なら、ファインに投資すべきだ」
(ファインの何に投資するのか? との質問には、投資対象なしと。)「石化に投資すれば赤字だが、退職年金なら4〜5%の利回りがある」
(石化従事人員+配賦本社人員を食わせているのを忘れている)


