SCAI時代 (1980/2/29ー1984/5)
〔1984/5/26NY発、6/1離米、6/2成田着、6/4赴任〕
1980/2/1辞令で、2/29赴任した。
当初は1979年に中本氏と交替する予定だったが、同年春に急性肝炎で1ヶ月入院し、1年間延びたもの。(それまでは3年任期であったが、この頃以降、4年が通常となった)
当時の体制は以下の通り。
社長 三沢正樹(農薬事業部)
副社長 トム西坂(住商アメリカ兼務=故人)
Treasurer&管理 中本雅美(企画部 38年入社)
――河野(外国課)
――光畑(資金課)
農薬営業 近藤富夫(農薬輸出 36年入社)
――西原(農薬輸出)
農薬開発 佐藤香重(農薬海外開発=故人 36年入社)
――奥村(農薬技術)
駐在員
石化 郡 浩武
ファイン 成瀬三喜男
三沢社長はSCAIの3代目社長(東野、深見氏に次ぐ)で、のち横塚氏と交替
赴任直後に中本、近藤、佐藤3氏が帰国した。その後農薬開発に担当の笹山が赴任したが、筆者は実質的に3人の仕事を引き継ぐこととなった。
具体的な仕事は以下のとおり。
SCAI全体の管理=社長補佐、人事・総務・経理・資金・法務
経理は秘書のEileenがハンド計算していたが、途中、Apple
Computerと経理ソフトを導入。
CPAは Arthur Young
弁護士はウエンダー・ムラセ・ホワイト法律事務所
MPCCの管理 (Staufferとの交渉窓口)
スミチオン販売関係 カナダ・中米向け輸出、委託加工、Duty
Drawback、ゴキブリ用開発
スミチオン開発 毒性問題等(窓口)
家庭用ピレスロイド販売と開発 SCJ、MGK、その他
日本の需要家対策を含む アース(アースレッド)、フマキラー(マット)ほか
農業用ピレスロイドの開発 シェブロンとのS-3206交渉など
(シェルとのスミサイジン契約は本社直轄)
化成品関係
シアノボンド ペーサーとの交渉
その他
一般駐在員業務 住化依頼によるアテンド、調査、その他
農薬事業のコンサルタントとしてICR(Insect
Control Research)を起用。
Dr. Eugene J. Gerbergの個人研究所で、のち、部下のDr. Robin Toddが引き継ぐ。
当初から住化の農薬(農業用、家庭用とも)の登録業務を担当。MGKとも密接にコンタクト。
住化からの直接の依頼が増え、しかも口頭での依頼も多かったため、依頼したつもりのものが処理されなかったり、ICRとして優先順位がわからないため催促しないものは重要でも放置されたりした。
このため、1983/6にSCAIとICRが協議し、以下の通り決め、住化に連絡した。
・ 依頼は所定のFormに記載して行う。
・ SCAIとICRで定期的にmeetingをもち、依頼事項のpriorityをつけ、フォローする。
住化本社では一時、家庭用、農業用ともに、SCAIがICRの協力を得て、独自に事業を行うべきでないかとの意見が出たことがある。
筆者は4年強勤務し、1984年6月に帰国した。当初はもっと長く勤務する予定であったが、横塚さんが同年秋に帰国し、後任に筆者より1年後輩の浜本くんが決まったため、急に帰国が決まった。
顧問弁護士 ウエンダー・ムラセ・ホワイト法律事務所
Jiro Murase
1928/5/16 New York生まれ。初中等教育を日本で受けた後再渡米.58年ジョージタウン大学法科大学院を卒業、同年ワシントンDCで、翌年にはニューヨーク州で弁護士資格を取得.戦後の日本企業米国進出の草分け時から今日の発展に至るまで、終始懇切な法律顧問として献身した。71年にウエンダー・ムラセ・ホワイト法律事務所を設立。米国内に60余名の弁護士を擁するだけでなく、日本、南米、欧州などにも広いネットワークをもつ。
76年以来、大統領通商諮問委員会のメンバーで、国務省多国籍企業諮問委員会(現在の名称は国際投資・技術・開発諮問委)委員にも任命されている。またニューヨーク日本総領事館の法律顧問をつとめるなど、名実ともに在米日系法律家の最有力者の一人。顧問企業は約200に上がる。
依頼事項
・ SCAI設立関係
・ 諸契約のチェック(MPCC関係、農薬ビジネス等
・ 駐在員ビザ問題(当時はビザ取得が困難で、辞令が出てから半年かかった例がある)・ アラブボイコット問題
住化が米国企業へのライセンスの件でほぼ決まった時点でユダヤ系と分かり、契約すれば住化がアラブボイコット対象となる恐れが出た。
住化からは「アラブボイコット対象となるので破談したい」とのレターを駐在員に持参させろとの指示が来た。
驚いて村瀬弁護士に相談すると、そんなことをすれば住化が米国で仕事ができなくなるとの指摘があり、絶対駄目で、他の方法を考えるようとのこと。
(住化では困り果て、最後は土方社長が入院中に親しくなったコンサルタントにライセンスし、そこから同社にライセンスすることで決着した。
当時の住化の国際センスの無さに驚いた)