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これは下記のブログを月ごとにまとめたものです。
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2006/5/1 水俣病50年

5月1日は水俣病が公式に確認されて丁度50年目である。

チッソ付属病院の細川院長が1956年4月、歩行障害や言語障害などを訴える5歳と2歳の姉妹を診察した。他にも同様の症状を訴える患者が多数発生していることが分かり、同年5月1日、水俣保健所に「原因不明の中枢神経症患者が多発している」と報告、この日が水俣病の公式確認の日となった。(公式確認以前でも、死んだ魚が水俣湾に浮いたり、ネコが狂ったような状態で死ぬことが確認されており、患者は公式確認の10年以上前から出ていたとされる。)

日本窒素肥料(現チッソ)が1908年に水俣工場の操業を開始、1932年にアセトアルデヒド(アセチレン法)の製造を開始して有機水銀を含む排水を水侯湾へ放出した。

1968年に水俣でのアセトアルデヒドの製造を中止している。
同社はアヴィサン法ポリプロとエチレン法アセトアルデヒドの起業化のため千葉進出を決定、1962/7にチッソ石油化学を設立した。
(丸善石油は当初、松山でのエチレンセンターを計画していたが、千葉計画への変更は当時のMITI吉田班長ーのち三菱油化社長ーのアドバイスとチッソの千葉進出が契機となった)

水俣病については50年を機に各新聞が特集を組んでいる。

付記

1956年、熊本大学医学部の研究チームにより、有機水銀原因説が有力視され、厚生省食品衛生調査会常任委員会・水俣食中毒特別部会が大学と同様の答申を出したところ、厚生省は翌日に同部会を突如解散。
1960年4月、日本化学工業協会が塩化ビニール酢酸特別委員会の付属機関として、田宮猛雄・日本医学会会長を委員長とする「田宮委員会」を設置。後に熊本大学医学部研究班も加わることとなった。
有機水銀説に対する異説として清浦教授らがアミン説を発表し、彼らの主張がそのままマスコミによって報道されたため、原因は未解明という印象を与えた。

ーーー

チッソは1973年の補償協定締結後に認定申請者が急増し、77年度には364億円の累積赤字を計上した。
そのため、熊本県が県債を発行してチッソに融資する金融支援が閣議了解された。
水俣湾のヘドロ立て替え県債、
95年の未認定患者への一時金支払いの貨し付けなど、公的債務は99年に1,257億円にまで増加した。

チッソの返済が困難となり、県の負担が問題になったため1999年6月、関係閣僚会議申合せ「平成12年度以降におけるチッソ鰍ノ対する支援措置」が提示された。
これに基づいてチッソは金融機関に支援を要請、2000年1月、
再生計画2003年度を最終年度とする中期経営計画)を発表した。

再生計画は以下の通り。
支援措置:
1.公的支援
・平成12年度下期以降、患者県債方式は廃止し、
チッソは経常利益から患者への補償金を優先的に支払っていく。
・既往公的債務は、チッソが経常利益から患者補償金を支払った後、可能な範囲で県への貸付金返済を行う。
・水俣病問題解決支援財団は、チッソに対する一時金貸付金及びその利息のうち85%相当額を免除する。
 (約317億円の融資のうち85%相当額、
約270億円について免除
・経済の急激な変動等によるチッソのー時的な収益変動に対して、補償金支払不足額のセーフティ・ネットを講ずる。

2.関係金融機関支援
・今後のチッソ及び同社子会社の事業の継続に直接必要な資金について引き続き支援する。
・現在チッソに実施している貸付金元本の返済猶予及び保証を平成15年3月末日まで継続する。
・平成12年3月末日に、チッソに対する既往の棚上利息及び棚上保証料を免除し、平成12/4/1〜15/3/末の間、新規に発生する棚上利息及び棚上保証料を免除する。
 (棚上利息及び棚上保証料累計額は
約356億円、その全額について免除、うちメインバンクの興銀は173.63億円

再生計画:
1)
事業戦略【選択と集中】
 ○戦略強化事業→機能材料部門の拡大強化
  ・液晶および周辺材料 ・天然系食品保存料
  ・有機珪素化合物 ・電子部品 
  ・その他バイオ製品 ・環境関連事業
 ○収益安定事業→既存事業の特殊化、差別化
  ・ポリプロピレン ・熱接着性複合繊維 
  ・被覆肥料 ・有機化学品
 ○不採算事業→抜本措置を講ずる。
  ・塩化ビニール ・グアニジン系難燃剤 
  ・中間膜用特殊可塑剤
  ・肥料原料

2)合理化策
 ○人員のスリム化
  ・平成10年度末 2,151人
    一平成15年度末 1,900人
 ○固定経費の削減
 ○生産コスト低減の強化
 ○物流コスト削減

3)経営の効率化等
 ○役員報酬カットの増大
 ○取締役人数を半数程度に削減
 ○執行役員制度導入
 ○組織、業務の徹底的な見直し

選択と集中による具体的処理

1)塩ビ樹脂の商権譲渡
 2000/4/1に塩ビ樹脂の商権を鐘淵化学工業に譲渡
 ・2000/5 五井のPVC工場停止
 ・2000/7 水俣のPVC工場停止
 ・2003/3 水島のPVC工場停止(これまで鐘化から製造受託)

*日本窒素は1937年に水俣でPVC合成研究に着手、1941年に日本で初めて国産化(乳化重合)に成功、ニポリットの商標で市販を開始した。(爆撃で工場破壊、戦後再スタート)

2)フタル酸系可塑剤事業における合弁会社設立
 2003/4 
シージーエスター 営業開始
   三菱ガス化学 50%/チッソ 50%

ーーー

チッソは2000年3月決算で債務免除益 635億円を計上した。

その後の損益状況は以下の通り。        単位:百万円

      売上高   営業損益   経常損益   当期損益
連結 単独 連結 単独 連結 単独 連結 単独
00/3  202,975  140,423  9,119  6,537  5,295  4,041  55,317  58,647
01/3  163,826  132,470  8,551  6,191  6,524  5,331   -1,183   -1,603
02/3  148,368  119,574  7,277  5,420  5,227  4,616   -2,984   -1,277
03/3  136,036  117,711  8,625  6,220  6,666  5,428   -1,883   -1,078
04/3  132,784  110,398 :10,958  7,582  9,964  6,752    527    -292
05/3  150,694  114,720 :12,063  7,645 :12,421  7,086   4,215    761

   

特別損失(連結)のうち公害関係は以下の通り。(億円)

  00/3 01/3 02/3 03/3 04/3 05/3
水俣病補償損失  -49  -53  -48  -56  -47  -45
公害防止事業費負担  -15  -14  -13  -12  -12  -12

同社の20053末の資本金は78億円、未処理損失は1,478億円(資本勘定は−1,254億円)となっている。


2006/5/2 日本窒素・興南工場 

鎌田正二著 「北鮮の日本人苦難記 −日窒興南工場の最後ー」という本がある。

鎌田氏は元チッソの社員で、チッソの前身の日本窒素が戦前に北朝鮮の興南(今の咸鏡南道咸興市)に大規模コンビナートを築き、敗戦で社員が日本に引き上げる苦難を描いたものである。

チッソは1906年に初代社長野口遵によって鹿児島県大口市に建設された水力発電所がその第一歩で、1908年に熊本県水俣市でカーバイドの製造を開始、社名を日本窒素肥料とし、石灰窒素や硫安の製造にも着手して、日窒コンツェルンの中心となった。
(第二次世界大戦後、日窒コンツェルンが解体され新日本窒素肥料となり、1965年にチッソと改称した。)

北朝鮮の屋根といわれる蓋馬高原には鴨緑江の大支流が北に向かっているが、これを堰きとめて大人造湖を造り、日本海に向かって落とせば素晴らしい大電力になるとの構想が立てられた。野口遵は1926年、日窒の全額出資で朝鮮水電を設立、1929年に第一期工事が完成して送電が開始された。 

この電力を消費するために建設されたのが興南工場で、1927年に朝鮮窒素肥料を設立、硫安の製造を開始した。

その後、工場はドンドン拡大された。

肥料工場では硫安、硫燐安のほか、過燐酸石灰や乾式燐酸からの燐安の設備をもつに至った。
また火薬の原料であるグリセリンを自給するための油脂工場が昭和7年に完成した。グリセリンは延岡及び興南に建設された朝窒火薬の火薬工場に送られた。
脂肪酸からつくる洗濯石鹸、化粧石鹸は、内地、朝鮮はもちろん、満州、台湾、中国の市場に向けられた。

興南肥料工場の東北に興南金属工場がつくられた。アルミニウム工場、マグネシウム工場、カーボン工場、製鉄工場などがあった。
アルミニウム工場は朝鮮木浦(モッポ)附近の明礬石を原料とした。

宝石工場ではアルミナを酸素水素焔で溶融して、軸受けなどに使われるルビー、サファイアの原石をつくった。

本宮工場では、苛性ソーダ、エチレングリコール、ブタノール、アセトン、アセチレンブラックなどアセチレンを原料とする諸工場ができ、またアランダム工場、塩化アンモニア肥料工場、アンモニア工場が建設された。

日窒燃料工業の竜興工場ではアセチレンからアセトアルデヒドをつくり、アルドール、クロトンアルデヒドを経てブタノールとし、これよりイソオクタンを製造した。

朝窒火薬では硝酸、硝酸アンモニア、過塩素酸アンモン、綿火薬、黒色火薬、導火線、カーリット、ダイナマイト、窒化鉛、ヘキソーゲン等の工場が並び、火薬綜合工場となった。

最盛期の能力は以下の通り。

興南工場の製品と年産能カ (トン)

工場名

製品

能力

製品

能力

製品

能力

興南肥料工場

硫安

500,000

燐安

14,000

グリセリン

3,360

アンモニア

130,000

燐酸

1,200

脂肪酸

37,200

硫酸

450,000

過燐酸石灰 

50,000

洗濯石鹸

36,000

硫燐安

160,000

硬化油

81,000

化粧石鹸

3,600

興南金属工場

アルミナ

8,000

人造黒鉛電極

3,000

銑鉄  

36,000

アルミニウム

6,000

天然黒鉛電極

4,800

鋼塊

86,400

弗化アルミ

3,500

アークカーボン

180

セメント

46,800

亜鉛

3,600

カーボランダム

1,000

   
日窒マグネシ
ウム金属

マグネシウム

1,000

       

日窒宝石

人造宝石
  
カラット/日)

 50,000

       

本宮工場

塩酸

28,800

ソーダ灰

10,000

アセトン

1,080

晒粉

16,660

肥料用塩安

10,000

エチレングリコール

720

液体塩素

2,680

カーバイド

93,600

アランダム

2,400

苛性ソーダ

15,000

石灰窒素

18,000

アンモニア

64,000

工業用塩安

2,880

アセチレンBlack

2,880

   
日窒燃料
竜興工場
イソオクタン
     (kl)

18,000
  

       

朝窒火薬

ダイナマイト

13,300

黒色火薬

700

硝安

8,400

硝安爆薬

700

稀硝酸

30,625

カーリット

1,750

導火線(km)

78,750

濃硝酸

14,700

雷管(千個)

105,000

綿火薬

3,500

(硝酸は98%換算)

   
日窒鉱業
開発
興南製錬所

金 (kg)

2,700

3,200

4,800

銀 (kg)

40,000

日本窒素は興南以外の朝鮮で、咸鏡北道の永安工場、灰岩工場(朝鮮人造石油)、平安北道の青水工場(日窒燃料)、南山工場(日窒ゴム工業)の諸工場があり、永安、朱乙、吉州、竜門に石灰の鉱業所があった。
また満州で吉林人造石油、北支太原で華北窒素、台湾で台湾窒素、海南島で日窒海南工業、それにジャバ、スマトラ、マラヤなどに進出していた。
しかし日本窒素の事業の中心は興南であった。

ーーー

興南工場は第二次世界大戦中は、何等の損傷を受けなかった。

1945年8月19日、ソ連軍が元山に上陸、26日に興南工場はソ連軍に接収された。

しかし、朝鮮戦争が始まり、1950年7月末から8月初めに米軍の爆撃で工場は完全に破壊された。

ーーー

インターネットの記事に、1991年4月、在日朝鮮人企業との合弁の国際化学合弁鰍ニいう会社が興南に工場を建設したという情報がある。事業内容は北朝鮮に眠るモナザイド等のレア・アース(希土類)の製錬で、さらに塩酸、硝酸、苛性ソーダ、アンモニアなどの関連工業の技術向上をはかるとの目標を掲げているという。

資料 鎌田正二著 「北鮮の日本人苦難記 −日窒興南工場の最後ー」

 

 

付記  2021/3/5 下記の投稿があった。

藤田哲士

私の父藤田健一も、若かりし頃に大阪薬学専門学校(現。阪大薬学部)を卒業し、化学技師として、時の大日本窒素興南工場で働いていました。生前よく言っていたことは、「星雲の志」を抱いて朝鮮に渡ったと、そして、日本の敗戦により興南工場が、金日成が組織したソ連に育成された抗日パルチザンが興南に侵攻してくる1945年9月の前に、当時一緒に働いていた朝鮮人労働者に、全従業員集会の場で「この工場は明日から君たち朝鮮人従業員が、われわれ日本人従業員に代わってこの大窒素肥料コンビナートを管理して、朝鮮の発展に使ってほしいと言い残して、興南工場を去り、それから日本を目指して苦難の逃避行に入ったと言っていました。その父の想い出話の一つは、最後に退職金も何も出ないので、当時この工場で作っていた人工ルビーをその生産を行った日本人従業員で、退職金代わりに分けて持って帰ったこと、また、逃避行では、日本人に対する厳しいリンチに近い攻撃があり、また、ソ連兵からの所持品検査と強奪(例えば時計)が行われたが、親日的な朝鮮人もおり、それらの人から朝鮮服をいただき、また風呂にも入れていただいたこともあり、何とか日本に帰りつくことが出来たのは、このような朝鮮人のおかげだったとも言っていました。父のライフテーマは、こうした朝鮮の人々にはいくら感謝しても感謝しすぎることはない、機会があれば、受けた恩返しをしたいといつも言っており、私が大学生の時に、同じ大学の韓国人の友人を家に連れて帰った時には、大変喜び、「いつまでも私の家に滞在し、下宿として使ってくれと言っていました。
この興南でともに働いた技術者が、日本に帰国後奈良市京終に小さな町工場を作り、当時まだ一般に生活で使われることのなかった「プラスチック」製品の生産を始めました。そして、この会社が、日本の高度成長に乗り大発展しました。今の積水化学工業です。父は、よく「上野さん」「上野さん」と言っていました。興南で一緒に苦労した化学技術者で、この上野さんが、高度成長期に積水化学の社長になりました。しかし、その後の日本の証券不況(山一証券の倒産)時に、積水の業績も急激に悪化し、連鎖倒産し、上野さんは積水の社長を退かれました。 私が小学校、中学校の生徒だったころに、毎晩、興南工場での思い出、朝鮮人労働者や朝鮮人の恋人との思い出話などを語っていましたので、私の頭にも、この父の想い出話は未だこびりついています。
 


2006/5/8 日本の最初の石油化学計画 

前回に戦前の話を書いたので、今回は日本の最初の石油化学計画について書く。

日本のエチレン第1期計画は次の4つである。

  立地 エチレン スタート 計画書提出 設立
三井石油化学 岩国  20千トン 1958/2 1956/1 1955/7
住友化学 新居浜  12千トン 1958/3 1954/12  
三菱油化 四日市  22千トン 1959/5 1955/12 1956/1
日本石油化学 川崎  25千トン 1959/7 1954/10 1955/8

しかし、これよりはるか以前、1950年に壮大な石油化学事業計画を通産省に提出した会社がある。日本曹達である。

たまたま、同年初めに同社の日比野部長(のち専務)が生産性本部のアメリカ産業調査団に加わり、アメリカの石油化学を調査した。
その結果、@世界の化学工業の大勢は石油化学工業の方向に進んでおり、これが日本の産業を興す原動力になろう、
A日本曹達は
日本で唯一のエチレン系製品の製造会社で、石油化学をやるのに最もふさわしい、
として技術陣が総力を挙げて計画を作成した。

計画は以下の通りであった。

立地:新潟県二本木工場
事業総資金:11億4千万円
原料:灯油または軽油(2,000kl/月)
製品および能力(月産トン)
    能力
エチレン系 エチレン   371
酸化エチレン   85
エチレングリコール   70
各種セロソルブ
(EGのモノエーテル)
  50
ポリエチレングリコール   50
二塩化エタン(EDC)   20
エーテル   50
その他誘導品   35
プロピレン系 プロピレン   203
イソプロパノール   120
ソープレスソープ
(合成洗剤)
  150
ブチレン系 ジオクチルフタレート   30
芳香族 ベンゼン   130
トルエン   60
キシレン   20
            (日本曹達70年史)

同社の計画の特徴は、米国のエタン利用ではなく、石油を分解してオレフィンを、また副生油から芳香族を回収するという、現在のナフサ方式の先駆的計画であること、熱分解と芳香族分離は技術導入を行うが、誘導品については全て自社技術であるということである。熱分解は米国バジャー技術の導入を考えた。

ーーー

日本曹達は中野友禮が1920年に設立した会社である。彼は京大助手時代に中野式食塩電解法(水平隔膜式電槽)の特許を取得し、日本の電解法苛性ソーダの企業化第1号の程ヶ谷曹達(のち保土ヶ谷曹達)に参加したが、その後日本曹達を設立し、新潟県中頸木郡の二本木工場で苛性ソーダと晒粉の生産を始めた。
その後、「リング・チェーン式経営法」(芋づる式)で無機化学、有機化学に事業を広げていき、日曹コンツェルンを形成した。

有機化学では軍の要請で四塩化炭素、六塩化エタンを製造、次にエチレングリコールを生産した。
製法はエチルアルコールを熱分解してエチレンガスをつくり、塩素と反応させてエチレンクロルヒドリンにし、それから酸化エチレン、エチレングリコールをつくった。

これにより、当時、二本木工場でエチレン100トン、酸化エチレン80トン、エチレングリコール40トン、ニ塩化エタン30トン、クロルヒドリン350t(いずれも月産)などの生産実績があった。

ーーー

1950年8月、この事業計画を受けた通産省通商化学局では、石油化学事業第1プロジェクトとして全面的支援を約束した。

日本曹達は事業資金11億4千万のうち、政府資金(復興金融金庫)を4億5千万円申請した。難航の結果、通産省の支援により3億円の融資が決定した。復興金融金庫の融資は民間銀行の協調融資がつくことが条件となっていた。

ところがメインバンクの日本興業銀行がどうしても融資に応じず、最終的にこの計画は頓挫した。

栂野棟彦氏の 「昭和を彩った日本の石油化学工業」によると、興銀は当時の日本曹達の経営姿勢(特に営業姿勢)を問題にした。特需景気のなかで、古くからの商社や問屋を排除して高値でさえあればどこでもという営業姿勢をとっており、いずれ破綻する、石油化学事業はきちんとした営業体制でやるべきだというのが興銀の考えであった。

もし、この計画が実現していれば、日本の石油化学はどうなっていたであろうか。

日本曹達の計画は日本の化学業界を驚かせ、各社が検討を始めた。

ーーー

なお、日本曹達では1953年に東京ガスの千住工場の重油熱分解による都市ガス副生エチレンをボンベで二本木に輸送し、EO、EG等を生産する計画を立てたが、MITIが公益事業者による副業規制を表明したため断念した。

その後、日石化学のエチレン生産開始で、タンク貨車(ボンベ84本積載)でエチレンを二本木に輸送し、酸化エチレンを生産した。
しかしこれは競争力がないため、
丸善石油化学への参加を決定、日曹油化工業を設立して、Scientific Designからの技術導入で1964年に五井でEO、EGの生産を始めた。(当初、日本曹達51%、日本レイヨン:現ユニチカ 15%、新日本窒素肥料34%出資、1967年日本曹達100%)

その後は以下の通り。

1969年 EG需要家の帝人が日曹油化に参加
1975   四日市工場稼動
1985   五井工場を分離して丸善石化との折半出資の日曹丸善ケミカル設立
1999   日曹丸善ケミカルが丸善石化の100%子会社に
2000   日曹油化(工場:四日市)と日曹丸善ケミカル(工場:五井)が合併、丸善ケミカルに
2005   丸善石化が丸善ケミカルと丸善ポリマー(HDPE、元日産丸善ポリエチレン)を吸収合併

資料:日本曹達70年史
    栂野棟彦 「昭和を彩った日本の石油化学工業」

 


2006/5/9 日本、韓国、中国の自由貿易協定交渉

2006年4月末にプノンペンで自由貿易協定(FTA)交渉を進めてきた韓国とASEAN加盟9カ国が商品分野交渉で妥結した。5月中旬の韓・ASEAN通産長官会議で署名され、国内批准を経て年内に発効される。
ただ、タイはコメ市場開放などに関連した国内事情を理由に参加しないことを決めた。

商品貿易協定に基づき、韓国とASEAN加盟国は、
・2010年までにそれぞれ輸入の9割に該当する品目の関税を撤廃し、
・2016年までに残りのうち7%の関税を0-5%水準に引き下げる。
・残りの3%は「超敏感品目」に指定、交渉除外または長期間の関税引き下げなどで保護する。

ーーー 

3国の状況は以下の通り。中国と韓国はASEAN、インド等、及び相互に関税引き下げを行っており、日本だけが非常に出遅れている。

相手国 中国 日 本 韓 国
ASEAN(加盟年)      
ブルネイ 1984 FTA   FTA
インドネシア 1967 FTA   FTA
マレーシア 1967 FTA   FTA
ミャンマー 1997 FTA   FTA
シンガポール 1967 FTA FTA FTA
タイ 1967 FTA    
カンボジア 1999 FTA*   FTA
ラオス 1997 FTA*   FTA
フィリッピン 1967 FTA*   FTA
ベトナム 1995 FTA*   FTA
中国  ー   バンコク協定
韓国 バンコク協定    −
インド バンコク協定   バンコク協定
バングラデシュ バンコク協定   バンコク協定
スリランカ バンコク協定   バンコク協定
(ラオス) バンコク協定   バンコク協定

ーーー

(中国)

中国とASEANの自由貿易協定が2005年7月に発効した。

中国は同月20日からブルネイ、インドネシア、マレーシア、ミャンマー、シンガポール、タイの6カ国に対し、下記により関税を引き下げる。
残りのカンボジア、ラオス、フィリピン、ベトナムに対しては、各国が国内の承認手続きを終え次第、FTAに基づく関税率を導入する

対6カ国 関税率引き下げ計画
  2005 2007 2009 2010
20%以上  20%  12%  5%   0
15%〜20%  15%   8%  5%   0
10%〜15%  10%   8%  5%   0
5%〜10%   5%   5%   0   0
5%未満 不変 不変   0   0
 

付記

2008年10月23日、中国とシンガポールはFTAに調印した。

シンガポール側は、中国からの輸入品に対する関税を2009年1月1日から完全に撤廃する。
中国側は、シンガポールからの輸入品の97.1%に対する「関税ゼロ」を2012年1月1日までに実現し、そのうち87.5%の輸入品については同協 定発効と同時に関税を廃止する。

付記

中国とASEANは2007年7月にサービス分野協定が発効。
2009年8月に「中国ASEAN全面的経済協力枠組み投資協定」に署名、2010年1月1日に発効する。

ーーー

(バンコク協定:中国/韓国/インド等)

「バンコク協定」は1975年、国連の指導下で発展途上国間の貿易拡大を目的に締結されたもので、現在、中国、韓国、インド、バングラデシュ、スリランカ、ラオスが加盟し、関税の減免などを実施している。

2005年11月、閣僚級会議が開催され、今後これを「アジア太平洋貿易協定」と改称し、新たな関税引き下げ策を共同で実施することで合意した。
2006年7月から、すでに優遇関税が適用されている品目に加え、農産物・繊維製品・化学工業製品などを含む計4千品目余りが、優遇措置の新たな対象となる。

ーーー

(日本)

日本・シンガポール新時代経済連携協定が2002年11月30日に発効した。
日本からシンガポールへの輸出にかかる関税は全て撤廃
・ シンガポールから日本への輸入も約94%は関税率ゼロとなる(
石化製品は例外

石化製品(例外)の扱いは以下の通り。
LDPE、LLDPEPolyisobutylenePropylene copolymers
 発効日から関税率を2.8%とし、
 2003年から8回(8年)にかけて毎年均等な引き下げをに行い、
 2010年において関税を撤廃する。
HDPEPP
 2004年1月1日から関税率を6.5%とし、
 2005年から6回(6年)にかけて毎年均等な引き下げを行い、
 2010年において関税を撤廃する。

 詳細 

ーーー

韓国のケースで開城(ケソン)工業地区の扱いが問題になっている。
2000年8月、金正日総書記と鄭夢憲・現代グループ会長との合意で、北側が土地と労働力を、南側が技術と資本を提供して、開城に一大工業団地を作ることが決まった。2003年8月に南北当局者間で投資保障、二重課税防止、清算決済、商社紛争合意書の4項目に関する経済協力合意書を交わした。第一段階100万坪のうち、まず28千坪について、15の企業を入居させるパイロットプラン(モデル団地)を実施中で現在11の企業が操業を開始している(化学品はない)。

韓・シンガポールと韓・EUの自由貿易協定は、開城工団製品を韓国産に認めた。「韓国産原料を60%以上使っていれば、韓国産に見なし、無関税の恩恵を与えてほしい」という韓国政府の要求が受け入れられた。
しかし、ASEANとの交渉では相当数の国が「WTOの原産地規定は、最終的な加工が行なわれた地域を基準とする」と反対し、ペンディングとなっている。
米国は、開城工団北朝鮮勤労者に対する労働搾取などを主張し、問題視している。

 

付記 2006/6/13 日・マレーシア経済連携協定 発効

2006/8/24 韓国とASEANは、クアラルンプールで経済担当相会議を開き、北朝鮮の開城工業団地で韓国企業が製造する100品目についてASEAN側が「韓国製」と認定することで正式合意した。韓国側は同工業団地で生産した製品を輸出しやすくなる。


2006/5/10 3月決算 注目企業ーJSR

JSRの決算が好調である。

                          単位:百万円(配当:円)
         連結決算  単独決算
売上高 営業損益 経常損益 当期損益 当期損益 配当
05/3  305,368   45,332   44,075   27,563   25,148  14
06/3  338,159   53,357   52,980   30,554   27,463  20
07/3  372,000   56,000   56,000   35,000   31,000  24

本年度は合成ゴムやABSが値上げで営業利益が増加しているが、多角化事業も利益を伸ばしている。
多角化事業の営業利益率は27%と高く、全社営業利益に占める比率も72%と非常に大きい。

同社は日本における合成ゴム事業育成のために1957年12月に 「合成ゴム製造事業特別措置法」により日本合成ゴム鰍ニして設立された会社だが(1997年12月にJSRと改称)、 大分以前から名前だけでなく、実質的にも日本合成ゴムではなくなっている。

多角化事業の状況は以下の通り。

多角化事業 (単位:億円)
  前期 当期 増減額
全社 売 上 高  3,054  3,382   328
営 業 利 益   453   534    80
うち
多角化事業
売 上 高  1,226  1,427   202
営 業 利 益   358   382    24
営業利益率  29.2%  26.8%  
全社比 売上高  40.1%  42.2%  
営業利益  78.9%  71.6%  

多角化部門のうち、メインのファイン事業の売上高内訳は次の通り(単位:億円)

  前期 当期
半導体材料  325  379
FPD材料  609  728
光学材料  112   97
機能化学品材料   21   23
ファイン事業合計 1,067 1,227

この他には包装資材、ポリマー等製造技術、健康食品等食品類、医薬品などがある。

<半導体製造用材料事業>
半導体製造用材料では、主力製品であるフォトレジストが、エキシマレジストを中心に国内、輸出とも好調。

<フラットパネル・ディスプレイ用材料事業>
液晶ディスプレイ(LCD)用材料が、モニター用、テレビ用などの液晶パネルの生産増加により需要が拡大し、特にアジア向けを中心とする輸出が大きく増加。
プラズマ・ディスプレイ(PDP)用材料もアジア向け輸出が拡大。

韓国のJSRマイクロコリア(JSR 100%)は第二期工事が完了、2005年8月より生産開始し売上高は前期を大幅に上回った。
台湾の
JSRマイクロ台湾(JSR 100%)もLCD用材料の工場が完工し、今年夏の商業生産を目指す。

<光学材料事業>
輸出用光ファイバーケーブルの需要回復を背景に、光ファイバー用コーティング材料が好調に推移。
2006年3月末にDSMグループから国内外のディスプレイ用コーティング材料及び光学メディア用材料を中心とする事業を譲り受けた。
(JVの日本特殊コーティングが日本で行う事業と、DSMが日本以外で行う事業)

<機能化学品材料>
耐熱透明樹脂アートン(R)の拡販に注力

* アートン:非晶質ポリオレフィン(COP)
   シクロペンタジェンを出発原料としたノルボーネン系モノマーを重合した樹脂
   薄型TVをはじめとした液晶ディスプレイ分野向けの位相差フィルム用途で需要が急拡大
   同社のレジン能力は年産3千トン
   
   四日市工場内に「アートンフィルム」工場を新設

ーーー

なお、ABSのJVのテクノポリマー(JSR 60%/三菱化学 40%)の業績も好調である。

         (単位:百万円)
  前期 当期
売上高  48,148  49,358
営業利益   1,410   3,163
経常利益   1,698   3,124
当期利益    946   1,467

 

決算短信    http://www.c-direct.ne.jp/japanese/uj/pdf/10104185/00045372.pdf
補足説明資料 
http://www.c-direct.ne.jp/japanese/uj/pdf/10104185/00045371.pdf


2006/5/11 3月決算 注目企業ー帝人

帝人の2006年3月期は増収、大幅増益となった。ポリカーボネート(PC) の寄与が大きい。
2007年3月期は売上高・営業利益・経常利益・当期純利益とも過去最高を更新する予想。予想配当も過去最高となる。

                          単位:百万円(配当:円)
         連結決算  単独決算
売上高 営業
損益
経常
損益
当期
損益
当期
損益
配当
05/3  908,388  51,864 43,087  9,159 -25,421   6.5
06/3  938,082  76,757 68,162 24,852  2,025   7.5
07/3  980,000  85,000 75,000 45,000   8,500  10.0

連結営業損益のセグメント別、地域別推移は添付の通り。

セグメント別では化成品、地域別ではアジア(日本を除く)の伸びが著しい。

合成繊維部門では昨年、メキシコの衣料用・工業用ポリエステル長繊維、工業用ナイロン長繊維の製造販売子会社 Teijin Akra S.A.de C.V. 及び欧州のポリエステル長繊維衣料用テキスタイルの製造、販売子会社TMI Europe S.p.A.から撤退した。
(昨年の単独決算の赤字はこれらによる関係会社有価証券評価損 264億円、事業整理損失 386億円があったため。)

衣料繊維は赤字のアクラ、TMI撤収があったものの、市況低迷で減益となった。
しかしアラミド繊維、炭素繊維が増収増益で、これを補った。
これらは需給逼迫で増設中。

アラミド繊維関連の営業損益は183億円(前年153億円)、炭素繊維の東邦テナックス関連が42億円(同23億円)となっている。
(東レでも炭素繊維複合材料部門の営業損益は前年度56億円に対し本年度は118億円と倍増している)

化成品部門ではPETフィルム、PENフィルムが増収、増益。フィルム事業子会社の連結営業損益は97億円(前年66億円)となった。
PC樹脂はDVD、OA機器、電気・電子用途が好調で、中国浙江省の第一工場5万トンは昨年操業を開始し、第二工場5万トンも工事中。
PC事業関連の連結営業損益は315億円(前年125億円)と大幅増益である。アジアの大幅増益はPC樹脂が中心。

医薬医療部門では医薬品では主に骨粗鬆症領域が好調。在宅医療では主に在宅酸素療法(HOT)事業が販売量・レンタル台数増で増収・増益となった。

米州はアクラ撤収で黒字化、欧州はアラミド繊維、炭素繊維、PC樹脂等で増益となっている。

 

同社では各セグメント別にSBUを次の通り、成長SBU、安定収益SBU、再建SBUに分けている。

  成長SBU

積極的資源投入
安定収益SBU

安定収益と
キャッシュ・フロー確保
再建SBU

抜本策による再建実施
合成繊維 パラアラミド繊維、
炭素繊維、PEN繊維
  ポリエステル繊維
化 成 品 ポリカーボネート、
PENフィルム、
PEN樹脂
  ポリエステルフィルム、
ポリエステル樹脂
医薬医療 医薬医療    
流通・リテイル   流通・リテイル  
IT   IT  

SBU=Strategic Business Unit
     ミッション、経営資源、製品・サービス、顧客、競争相手などによって明確に区分することができ、且つ、独立した戦略・計画を立案すべき事業単位。

成長SBUとして積極的に資源を投入してきた各製品が利益に貢献している。

2007年3月期では減価償却費540億円に対して設備投資 900億円と、トワロン増強、炭素繊維増設、中国PCPC樹脂工場第二期等、成長SBUを中心に減価償却費を上回る設備投資を行う。

また、研究開発費の約70%は成長SBUで行っている。

 

決算短信    http://www.teijin.co.jp/japanese/ir/doc/tanshin/140a_060508.pdf 
決算説明資料 http://www.teijin.co.jp/japanese/ir/doc/setsumeikai/info060508.pdf

参考       ポリカーボネートと原料ビスフェノールA

 


2006/5/12 3月決算 注目企業ー大日本インキ化学

大日本インキ化学は永年赤字が続いた米国の合成樹脂事業子会社ライヒホールドを中間期末に売却した。

同社の営業損益は順調に増加している。2006年3月決算でも、主要原料価格の高騰に対し、販売価格の是正を積極的に進め、特に工業材料での販売価格是正の効果があり、前期比2.8%増益の495億円となった。欧米の工業材料はライヒホールドを中間期末で売却し、赤字から黒字に転じた。

しかし特別利益、特別損失は毎年膨大で、当期純利益は変動している。

特に、欧米で合成樹脂事業(不飽和ポリエステル、塗料用樹脂、エマルジョン、接着剤等)を行う子会社のライヒホールドの赤字が続き、その関係で大きな特別損失を出していた。(単位:億円)

  02/3 03/3 04/3 05/3 06/3
営 業 利 益  309  402  438  482  495
経 常 利 益   80  204  314  452  485
特 別 利 益  187   24   92  318  290
特 別 損 失  384   95  170  464  647
税引前純利益 -117  134  237  307  127
           
税 金 -168  100  158  188   58
           
少数株主利益   7   10   15   13   16
当期純利益   44   24   64  106   53

特別利益、特別損失の主なものは以下の通り。(単位:億円)

  02/3 03/3 04/3 05/3 06/3
特別利益 合計  187   24   92  318  290
           
資本償還益          261
固定資産売却益   88    2    6    4   10
事業売却益   78       69   4
匿名組合投資利益   13        
退職給付債務減少益        234  
厚生年金基金
代行部分返上益
      66    
           
特別損失 合計  384   95  170  464  647
           
事業売却損          542
固定資産減損損失           30
営業権減損損失  146      196  
関係会社リストラ費用   65   61   77   50   61
事業損失引当金繰入額       40   26  
ゴルフ場事業関連損        137  
固定資産処分損  100   28   35   44   14
工場移転関連損   46   4      

2005/3までの特別損益の主なものは以下の通り。

事業売却益:02/3は米州のラテックス事業をダウ・ケミカル社に売却したもの、
05/3はアグリケミカル事業を日本曹達に譲渡。

退職給付債務減少益:ポイント制キャッシュバランスプラン型の新しい退職金・年金制度に移行

営業権減損損失はライヒホールド、リストラ費用は同社を含む海外関係会社中心。

ゴルフ場事業関連損は関係会社の天ヶ代ゴルフ倶楽部。

2002/3の税金のマイナスはライヒホールドの株式について単独決算で609億円の評価損を計上したことにより、税効果額約 256億円が連結決算上では税金費用のマイナスとなったもの。 
ーーー 

2006年3月期でライヒホールドを売却し542億円の特別損失を出した。他に固定資産減損損失は、売却前にライヒホールド本社ビルの評価減をしたもの。

1987年にライヒホールドグループを買収して以来、欧米において合成樹脂事業を展開してきたが、近年業績不振が継続しているため、事業譲渡を中心に抜本的なリストラクチャリング策の検討を進めてきた。
商権の散逸を防止し損失を最小に抑えるためには、MBO方式により現経営陣に売却することが最善の策であるとの結論に至った。

なお同じ期の特別利益の資本償還益は米国の100%出資子会社サンケミカルとイーストマン・コダック との折半出資の合弁会社コダックポリクロームグラフィックス(感光性アルミ版および製版用フィルムを中心とした印刷資材事業)の持分ををKodakに売却したもの。

同社ではライヒホールドの売却により、今後は安定した利益を予想している。(単位:億円)

  06/3実 07/3 08/3 09/3
営業損益  495  510  560  660
当期損益   53  200  260  310

 

大日本インキ化学は1987年にライヒホールドを買収して以来、欧米の多くの事業を買収してきた。
主な製品は、コンポジット(不飽和ポリエステル)、コーティング(塗料用樹脂)、エマルジョン(ラテックス)、接着剤である。

1927 Henry Reichholdが設立
1985 Swift Adhesives を買収
1987 DICReichholdを買収
1987 Koppers polyester resin 事業を買収
1989 Spencer Kellog coating resin 事業を買収
1995 Ashland Canadian coatings 事業を買収
1995 Celanese Mexican resin 事業を買収
1995 Reichhold Europe 設立
1995 Heitz Alsacol (France) adhesive 事業を買収
1996 Costenaro SpA (Italy) adhesives and resins 事業を買収
1996 Resana S/A (Brazil) resins and polymer 事業を買収
1997 Lyons Coatings (Franklin, MA) を買収
1997 Jotun Polymer (Europe/Asia & Middle East)を買収
1998 社名をReichhold Chemicals, Inc.から Reichhold, Inc.に改称
1999 Czech Republic (JV) (Spolchemie)を買収
2000 Fibercenter Ltda. (Brazil)を買収
2001 Dow-Reichhold Specialty Latex JV 設立 *
2002 接着剤事業 Swift Adhesives Ltd.(英)、
Swift Adhesifs S.A.(仏)他を売却
2005 Brazilian Resin Manufacturer IBRを買収
2005 MBO 方式による売却

付記

2008年8月、Dow-Reichhold Specialty Latex を年末に解散することが発表された。
旧ダウ設備はダウに戻し、旧Reichhold設備は一部売却する。

Nitrile butadiene synthetic latex の設備、技術はタイのBangkok Synthetics に売却。

 

大日本インキ化学では、1987年に印刷インキ、顔料、印刷材料の製造・販売 のSun Chemical Group を買収したが、その後多くの事業を買収している。

1929 Morrill Co.が他の4つのインキ会社と統合しGeneral Printing Ink (GPI)を設立
1935 GPI Sun Chemical and Colors of Harrsion, NJ を買収
1945 GPI Sun Chemical と改称
1980 Sun American Cyanamidからphthalo pigment business を買収
1987 DICがSun を買収
1991 Sun BASF Packaging and Commercial のインキ事業を買収
1992 Sun がデンマークの KVKを買収、欧州進出
1993 Sun United States Printing Ink (known as US Ink)を買収
1994 Sun Moscow Printing Inksを買収
1996 Sun Zeneca Specialty Inksを買収、
北米の
packaging inks department強化
1997 Sun Eastman Kodak との 50/50 jv
Kodak Polychrome Graphics
設立
  
2005/1 Sunが持分をKodakに売却(上記)
1999 Sun がトタルフィナから インキ部門Coates Lorilleuzを買収
 
 コーツ・ブラザース(米国)、コーツ・ブラザース(英国)、
  コーツ・スクリーン・インクス(ドイツ)他
4
  及びその関係会社 計約
75社(約40ヵ国)
2003 Sun Bayerhigh performance organic pigment businessを買収
2004 Sun がトルコのCBS Holdingの印刷インキ事業CBS Printasの資産を買収

 

決算短信:    
  
http://www.dic.co.jp/ir/finance/2006/20060511_s_01.pdf

決算説明資料:
  
http://www.dic.co.jp/ir/finance/2006/20060511_s_02.pdf

 

 


2006/5/13 サウジの民間ポリオレフィン計画

サウジではSABICやアラムコのようなサウジ政府主導の計画のほかに、多くの民間の石油化学計画がある。11日にBasell はTasnee & Sahara Olefins Company とのJVで2008年からエチレンとPEを生産する計画を発表した。
Tasnee & Sahara Olefins Companyはこの事業のためにTasnee PetrochemicalsSahara Petrochemical が設立したJVで、両株主はそれぞれBasellとのJVを持っている。

Saudi Polyolefins Co.Basell 25%Tasnee Petrochemicals 75%JVで、2004年5月からAl-Jubail でプロパン脱水素によるプロピレン450千トンとPP 450千トンを生産している。現在のPP能力は500千トンで、2008年末までに800千トンに増強する。

Al-Waha Petrochemical Company、Basell 25%、 Sahara Petrochemical Company75% のJVで、Al-Jubail でプロパン脱水素によるプロピレンとSpherizonePP 450千トンを建設中。2009年に商業運転を開始する予定。

BasellとのJV(今回発表) Saudi Ethylene and Polyethylene Company
 
出資: Basell 25%、Tasnee & Sahara Olefins 75% 
 立地:
Al-Jubail Industrial City
 製品: エチレン 1,000千トン
     プロピレン 285千トン
     
HDPE 400千トン(Hostalen 法)
     LDPE 400千トン(
Lupotech T 法)

各社の概要:

1.Tasnee Petrochemicals (National Petrochemical Industrialisation Co.

サウジのワリード・ビン・タラール王子はフォーブスが発表する長者番付でベスト・ファイブに入る世界的大富豪で、投資・持株会社Kingdom Holding Companyを率いて米国、中東、アフリカ、西ヨーロッパ等に進出、直接出資している企業だけでも150社、それらの子会社を含めると5千社、その分野も金融、メディア、ホテル、レジャー、小売業等々多岐にわたっている。

Kingdom Holding はサウジではNational Industrialisation Company NIC)の筆頭株主となっているが、そのNICが51%出資して石油化学事業を行うのがTasneeである。

TasneeにはNIC(51%)のほか、以下の会社が出資している。
Gulf Investment Corporation
 ガルフの6国(バーレン、クウェート、オーマン、カタール、サウジ、アラブ首長国連邦)が均等出資
Saudi Pharmaceutical & Medical Appliances Co.
National Industries GroupKuwait
Al-Olayan Financing Co.Saudi Arabia

Tasneeの石化事業は以下の通り。  

1)メタノール計画
 立地:
Al-Jubail
 製品:メタノール 1,800千トン、酢酸・VAM 700千トン

2)エチレン・プロピレン計画
 立地:
Al-Jubail
 出資:Tasnee Petrochemicals
    
Sahara Petrochemical the Al-Zamil Group
    
Saudi International Petrochemical Co. (Sipchem) Al-Zamil Group 11%所有
 製品:エチレン  1,000千トン
     プロピレン 200千トン 

付記 本事業はSipchemが実施することとなった。

  2007/2/9 三井物産 サウジ石化事業に参加

3)Saudi Petrochemical Co.(SPC)
 出資:
Tasnee Petrochemicals 75%
     Basell Holdings Middle East 25%
 立地:Al-Jubail
 製品:プロピレン 450千トン
     PP      485千トン

ーーー

2.Sahara Petrochemical Company

Al-Zamil Group の石油化学子会社

Al-Zamil Groupはコングロマリットで、以下の事業を行っている。
air-conditioning manufacturing, food processing, plastics, steel fabrication, stained glass production, travel services
関係会社で banking, industrial investment, petrochemicals, paint, fencing systems, packaging

1)エチレン・プロピレン計画(上記)
   
Saudi International Petrochemical Co. (Sipchem) にはAl-Zamil Group 11%所有

2)Sahara/Basell JV Al-Waha Petrochemical Company

 出資:Sahara Petrochemical Company
     Basell Holdings Middle East
 製品:プロピレン(propane dehydrogenation
     PP 450千トン 
Spherizone process

3)Gulf Advanced Chemical Industries Ltd.

 株主:Al-Zamil Group
     Al-Babtain Group
     Al-Turki Corporation
     Astra Group
     Nahlan Commercial Company
 製品Maleic Anhydride 10千トン
     (
butane-to-maleic anhydrid
    
BDO 50千トン 
     (
MAH to BDO

ーーー

3.Tasnee & Sahara Olefins Company

 株主:Tasnee Petrochemicals   60.45%
     Sahara Petrochemical Company  32.55%
     Saudi Arabian General Organisation for Social Insurance (GOSI) 7%

 


続き