合成繊維工業の確立
最初に企業化されたのはナイロンで,1950年に東洋レーヨンは日産1トン設備を滋賀工場に完成させ,原料のカプロラクタムは東亜合成化学から供給を受けて生産を開始した。
また,1950年には倉敷レイヨンが,冨山工場にカーバイド・アセチレンを原料とするポバール日産5トン,岡山工場にビニロン日産5トン設備を完成,世界で最初のビニロンの工業生産を開始している。
東洋レーヨンのナイロンおよびカプロラクタム製造技術は,同社が独自に開発したものであったが,同社は特許面での配慮から1951年に米・デュポンからナイロン製造技術を導入した。
その後,ビニロンについては大日本紡績,ナイロンでは日本レイヨンが新規参入して2社体制となった。
その他の合成繊維では,塩化ビニリデン繊維を1953年に旭ダウが企業化したのに続いて呉羽化学が生産を開始している。
アクリル繊維の国産化とアクリロニトリル
アクリル繊維4社のうち最初に企業化したのは鐘淵化学で,1957年7月から生産を開始した。同社は,塩化ビニルモノマーの用途展開の1つとしてアクリロニトリルとの共重合繊維を開発したもので,企業化にあたっては,鐘淵紡績ならびにアクリロニトリルメーカーの日東化学,東洋高圧の出資を得てカネカロンを設立している。
日本エクスランは,アンモニアの合理化と経営多角化の一環としてホルムアマイド法によるアクリロニトリルの企業化を検討していた住友化学と東洋紡績が,合弁で1956年に設立した会社である。
また,三菱ボンネルは,アンドリューソ法によるアクリロニトリルの企業化を計画していた三菱化成が,三菱レイヨン,米・ケムストランドと合弁で設立したものである。
ポリエステルの工業化と急伸
ポリエステル繊維は,東洋レーヨンと帝国人造絹絲の両社が英・ICIから技術を導入,1958年から生産が開始された。
ポリエステル繊維の順調な市場拡大と,石油化学工業第2期計画の進展に伴う原料供給体制が整うなかで,1964年から倉敷レイヨン,東洋紡績,日本レイヨンの後発3社が新たに生産を開始した。
ナイロンの後発企業とカプロラクタム
ナイロンの増設に伴いカプロラクタムの需要が急増するなかで東洋レーヨンは,1962年にPNC(Photo−Nitrosation of Cyclohexane:光ニトロソ化)法を開発,世界で初めて工業化に成功,以降同設備を増設した。
一方,日本レイヨンは必要なカプロラクタムを宇部興産から購入したが,宇部興産のシクロヘキサノンはフェノールないしベンゼン直接法で生産されていた。
ナイロンは,先発2社による寡占体制が長く続いたが,1963年から1964年にかけて帝人,鐘淵紡績,呉羽紡績,旭化成の後発4社が生産を開始したことから新たな段階を迎えた。
“夢の繊維”ポリプロピレン
企業化にあたっては,伊・モンテカチー二の技術を導入した三菱油化は三菱レイヨン,三井化学は東洋レーヨン,住友化学は東洋紡績とそれぞれ提携して,1962年から繊維会社がポリプロピレン繊維の生産を開始した。また,1963年には新日本窒素肥料が子会社で生産を開始したのに続いて,日東紡績,東亜紡織,大和紡績などが相次いで生産を開始した。