Z | 海外進出(エチレン、汎用樹脂) 目次へ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1) | 前史 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1970年代に4つの石油化学海外計画が始まった。 三井物産を中心に三井グループ各社が参加したイラン石油化学計画、三井グループの韓国石化計画、三菱商事と三菱油化が中心となったサウジ石油化学計画、住友化学が中心のシンガポール石油化学計画である。 当時は韓国を除いた3計画の中でイラン計画が最も有望とみられていた。原油は豊富で、バーレビ国王の下で政治的に最も安定していた。次が同じく産油国での事業であるサウディ計画で、シンガポールについては原料も需要もなく、何のための事業かと疑問をもたれていた。 結果的にはイラン計画はイランの革命とオイルショックでの建設費高騰、更にイラン・イラク戦争により撤退のやむなきに至った。 シンガポール計画はその後の中国市場の拡大を受け、規模、分野ともに拡張を行い、アジアの一大石化コンプレックスを形成している。住友化学ではこの成功を受けて、中国市場を狙う戦略として、シンガポールでの更なる拡大の代わりに産油国のサウディへの進出を決めた。 イラン石化計画は日本側の事業会社ICDC
(イラン化学開発)とイラン側のNPC
(イラン国営石油化学)が折半でIJPC
(イラン・ジャパン石油化学)を設立、バンダルシャプール(現 バンダルイマム・ホメイニ)で以下の製品の石化センターの建設を始めた。
三井物産が主導で、三井東圧、三井石化に加え、電解〜VCMとLDPE関係で東洋曹達、ブタジェンとSBRの関係で日本合成ゴムが参加した。 途中で、石化計画が帝人主導のロレスタン鉱区開発権利の入札の条件とされ、成約、工事を進めた。 しかし、完成間際にイラン宗教革命が勃発し、工事が中断。その後、日本政府が出資しナショナルプロジェクトとなり工事が再開されたが、イラン・イラク戦争が勃発し、工場も被弾、長期間工事が中断された。 ほかに、イランでは三菱化成が塩ビ用可塑剤の生産をしていた。 韓国の石油化学計画支援 (資料 7-2) 1972 蔚山に初の石化コンビナート スタート 誘導品に、以下の会社が韓国側に技術供与・出資。
その後、1991年にエチレン
25万トン建設 →経営悪化
韓国政府、並行して麗水に石化コンビナート建設を決定、日本に協力要請
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2) | サウディ石化計画 (資料 7-4) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サウディアラビアの石油は1974年以降、日量
800万バレルを超す水準で生産されており、その随伴ガス中に含有される炭化水素エタンの量は、年間合計約
930万トンに達していたが、これらは一部を除きフレアで燃焼・廃棄されていた。 サウディ政府は1975年に、このガスを石油化学工業用の原料等として有効活用するためのガス回収プロジェクトを110億ドルをかけて実施した。サウディ政府は回収ガスを有効活用する石油化学プロジェクトを国家計画の一環として実施しようとし、1970 /7、三菱に協力要請したが、シェル、モービル、エクソン、ダウ等にも要請している。
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三菱グループは1970に石油鉱物資源公団(ペトロミン)総裁からサウジの石油化学事業具体化の協力の要請を受け、1974年に三菱首脳(商事、油化、三菱石油、鹿島石油、千代田化工)のミッションがサウジを訪問し、工業化計画への貢献に積極的意向を表明した。 しかし、その後FSで巨額の赤字が発生するとの結論が出て消極的になった。 |
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その後の第1次石油危機を契機に日本にとってサウディ原油の長期安定確保が重要となったが、サウディ政府は石油化学プロジェクトを日サ経済協力の最重要案件と位置づけたため、政府の指導のもとに、三菱関係各社(15社)、石油化学関係各社(11社)、石油精製関係各社(13社)等、計54社が参加して調査会社サウディ石油化学開発が設立された。 サウディ政府は参加の見返りにSPDCにインセンティブ原油引取権を与えた。 (資料
7-5) |
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1980年にSABIC/ダウJVのPETROKEMYAとのエチレン、EGプラントの共同生産案がまとまった。 PETROKEMYA エチレン 50万トン生産(SHARQにエチレン 26万トン供給) SHARQ EG 30万トン(半分はPETROKEMYA)、LLDPE 13万トン * 1982年にダウがPETROKEMYAから撤退、SABIC 100%に。 1981年、投資会社「サウディ石油化学(SPDC)」設立 1985年、各プラント完成、EGとLLDPEの日本向け出荷開始。 1991年に第二期計画を決定(1993年完成)、1996年に第三期計画を決定(2000年完成) |
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その後、SABICのJV各社は能力増強を行った。SABICは独自で新しいコンプレックス Jubail United Petrochemical(JUPC)を2004年にスタートさせているが、2004年、2つの計画が発表された。 1つはSABICが自社でYanbuに新しいコンプレックス YANSABを設立するものだが、 |
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これと並行して三菱ガス化学を中心とするメタノール計画が実施された。(7-72参照) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
なお、サウディアラビアでは後記の通り、住友化学がAramcoと組んで、石油精製・石油化学計画を進めている。 |
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3) | シンガポール石油化学計画 (資料 7-8) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本計画はシンガポールのメルバウ島にエチレン能力
300千トンの石油化学コンプレックスを建設するもので、1971/12にシンガポールの大蔵大臣から住友化学に石油化学工場建設への協力要請があったのに始まる。 住化では本件を、インドネシアのアサハン・アルミニウム計画と同様に、ナショナルプロジェクトとして推進すべきとの考え方で政府、業界などに支援・協力を要請した。 その結果、1977年に海外経済協力基金と石化メーカー、プラントエンジニアリング会社、総合商社、銀行が参加した投資会社「日本シンガポール石油化学」(JSPC)を設立、シンガポール政府とJSPCの折半出資でエチレンセンター会社「Petrochemical Corp. of Singapore (Private) Ltd.」(PCS)を設立した。
1982/8のPCSに続き、誘導品会社の設備も順次完成したが、世界的な石油化学製品の市況の冷え込みのなか、操業しても大幅赤字が確実であった。 1983年後半に入ると石油化学市況は上昇の兆しを見せ始めた。 操業当初のTPCのの市場の6割はASEANと香港で、残りが中国、日本、ニュージーランド |
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1989/4 シンガポール政府、持株をシェルグループに譲渡 (資料
7-9) シンガポール政府が1987年に資本市場の育成と資金の有効利用のため国営企業の民営化を決定しており、それに基づくもの これによりシェルはTPCの製品の引取権をもち、引取りを順次増やしていった。 |
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その後、1989年にTPCで住友化学気相法によるPP
40千トン新設備が完成、ブロックコポリマー生産を可能とし、同じく1989年にKureha
Chemicals (Singapore) Pte. Ltd.を設立している。 (資料
7-10) PCSおよび誘導品各社は1985年以後フル操業を続けた。 |
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1994/3 シンガポ−ル2期計画発表 1997年完成 (資料 7-10) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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シンガポール計画現状は以下の通り | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ほかにジュロン島では以下のような石化プラントがある。 (資料 7-12) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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