日本のアルミニウム製錬 (住友化学社史より) Back
(石油危機により)深刻の度を深めるアルミニウム産業について、1977,78年の2度にわたって産構審の答申が行なわれた。この時期の答申から@最小の国民経済的コスト A供給ソースとしての必要かつ十分性 B国際競争力の回復の可能性の基準に基づき、中長期的、総合的に判断した製錬設備の「適正規模」の考え方が取り入れられ、それを超える設備の処理が提言されるようになった。
@1977年11月中間答申(125万t 体制)
A78年10月答申(110万t体制)
政府の施策
アルミニウム地金の買上げ備蓄
関税割当制度の実施と構造改善促進機関の設置
特定不況産業指定
火力発電設備の定期点検期間の延長これらのほか、製錬業界に対し、政府系金融機関の既往貸付金利の軽減、塩化アルミニウム電解法への助成、雇用の安定のための雇用調整給付金(現、雇用調整助成金)や雇用(失業)個別延長給付の対象業種指定など、政府の支援が行なわれた。
83年5月、特安法の一部改正による「特定産業構造改善臨時措置法」(産構法)の制定に伴い、安定基本計画は同年6月、新法に基づく構造改善基本計画としてほぼ追認、告示された。70万t体制下の製錬各社の設備能力は、表のとおりであった。
政府の施策
既存の措置
@構造改善資金の交付
A備蓄買上げ
新規の措置
@関税の免除
A石炭転換補助金の交付と開銀融資
Bその他
製錬各社(合計)生産量、経営状況等推移
83年度 | 84年度 | 85年度 | 86年度 | |
生産量(千t) | 256 | 287 | 227 | 140 |
操業度 | 39% | 40% | 44% | 37% |
輸入量(千t) | 1,283 | 1,043 | 1,245 | 1,039 |
経常損益(億円) | △305 | △322 | △546 | △318 |
注:生産量ないし輸入量(純度99.0%以上99.9%未満品)は歴年
産構審35万t体制答申 84年12月
答申では、世界の生産能力は適正水準で推移し、中長期的には世界の製錬コストからみて適正な水準に回復するとしていた。この答申に基づき、85年2月、「構造改善基本計画」が告示され、年間生産能力35万8000tのアルミニウム電解炉を61年3月末までに処理することになった。これによって日本の製錬業は年産能力35万t体制に入った。
関税の軽減
しかし、日米アルミニウム協議の結果、88年初から同地金の一般関税率が1%と決定されたため、この制度は87年末をもって廃止された。
86年10月30日住友アルミニウム製錬の最後の製錬工場が全面停止した。これにより、住友の国内でのアルミニウム製錬は、1936年2月19日の旧住友アルミニウム製錬による開始以来50年の歴史の幕を閉じた。(1986/12/31 解散)
この年、86年は、奇しくも現在のアルミニウム製錬法であるホール・エルー法が1886年に発明されてから100年に当たったが、同社以外にも、3月に昭和軽金属が千葉工場を停止して国内製錬から撤退し(1986/10/31 昭和電工が吸収合併)、11月には三井アルミニウム工業が三池工業所を、12月には菱化軽金属が坂出工場を、ともに翌年3月末までに停止して撤退することを発表し、日本の国内製錬が事実上消滅した年になった。
(1989 三井アルミニウム工業清算、三井アルミニウム設立、九州三井アルミニウム工業設立)
こうして昭和9年に始まり、最大時14工場、年産164万t、自由世界第2位の生産能力を有した日本のアルミニウム製錬業は、国内には水力発電の電カによる日本軽金属蒲原工場の年産3万5000tを残すのみとなり、成長を続ける国内市場を輸入地金に明け渡した。