資料                                      目次へ

- 1   石油化学工業政策の体系
       
         
-   エチレン1期
         
        日本のエチレンセンター 推移 
    スタート       能力(単位:千トン)  
1期 2期 3期 300千t  産構法 2004年
赤字は停止
現状
      前期 後期  直前 直後

三井石油化学

岩国

1958

 20

→160

180

230

0

85/3停止

三井化学

三井石油化学

千葉

1967

120

92 0

82/7休止
87/3廃棄

浮島石油化学

千葉

1978

400

466 466

 612

大阪石油化学

泉北

1970

*→

300

320

252

 500

住友化学

大江

1958

 12

→ 87

→112

160

  0

83/1停止

住友化学

新居浜

1961

16.5
#1

→ 0

住友千葉化学

千葉

1967

100
→120

300

409

345

 415
2015/秋停止

三菱油化 四日市 1959

22

→ 80

→182

500

211

01/1停止 三菱化学
1968

200
#2

三菱油化 鹿島 1970

300 300 299

901

化成水島 水島 1964

60

→160

177

0

496

水島エチレン 水島 1970

300

360

360

日本石油化学

川崎

1959

 25

→100

→205

241

0

85/3停止

新日本石油化学

浮島石油化学

浮島

1970

300

342

342

 443

東燃石油化学

川崎

1962

  40

→205

300

573

350

 515

東燃化学

大協和石油化学

四日市

1963

  41

→ 41

 

   

東ソー

新大協和石油化学 四日市 1972

300

361

266

527

出光石油化学

徳山

1964

  73

380

164

 688

出光石油化学
→出光興産

出光石油化学

千葉

1985

220
*

 413

山陽エチレン

水島

1972

300

390

349

 504

旭化成

丸善石油化学

千葉

1964

  44

→144

300

505

373

 525

丸善石油化学

京葉エチレン

千葉

1994

 768

鶴崎油化

大分

1969

150

320
1977

541

320

 653

昭和電工

合計能力

 79

ー 

6,348

4,317

7,960

   注  30万トン計画  「前期」「後期」は輪番投資
       産構法 「直前」は1983能力、「直後」は1986/3能力
       2004年末能力 定修スキップ能力 

   #1 住友化学 新居浜製造所 SBA法(アセチレン併産) 1960/1認可
   #2 三菱四日市20万トン(1968)は大協和との四日市輪番投資による
    *  出光石化千葉は1985/6 300千トン計画を縮小して220千トンでスタート(精製能力300千トン)

このほかにVCM原料用としてのナフサ分解によるエチレン/アセチレン製造設備があった。(資料1-6
 日本ゼオン(高岡) 
GPA法    1967 生産開始、1979 生産中止
 呉羽化学(錦)   
混合ガス法 1964 工業化(呉羽油化)、1982 休止 
なお呉羽は原油分解によるエチレン/アセチレン製造(
原油分解法)も実施 1970 生産開始、1978 休止 

         
 (1)   最初の石油化学計画
         
 日本の最初の石油化学計画は1950年日本曹達によって通産省に提出された。
    (栂野棟彦 「昭和を彩った日本の石油化学工業」 石油化学新聞連載)

  新潟県二本木工場 石油化学事業計画

原料 灯油 or 軽油 2,000 kl/月
熱分解技術 米国バジャー

  能力(月産)

  既生産
  (二本木)

エチレン

371t

 アルコール脱水
100t

プロピレン

203t

+

ブタジェン

25t

+

ベンゼン

130t

+

トルエン

60t

+

キシレン

20t

+

酸化エチレン

200t

80t

EG

50t

40t

PEG

50t

+

ニ塩化エタン

40t

30t

クロルヒドリン

350t

350t

メチルクロライド

35t

+

メチレンクロライド

50t

+
イソプロパノール

150t

+
クロロホルム

15t

+

四塩化炭素

100t

+

ソープレスソープ

150t

+

ジオクチルフタレート 

30t

+

熱分解と芳香族分留以外は自社技術(上記実績あり)

事業総資金 11億4千万円
 うち 政府の「見返り資金」 3億円決定
 日本興業銀行が経営姿勢が悪いとして融資に応じず、頓挫

         
 (2)   エチレン第1期計画          最初の石油化学計画
         
        旧陸海軍燃料廠跡地の払い下げ問題
 
四日市の旧海軍第二燃料廠は三菱グループとシェルグループ
 徳山の旧海軍第三燃料廠は出光興産
 岩国の旧陸軍燃料廠は三井石油化学と日本鉱業への払い下げが確定した。
         
       
地区 会社名 製品名 (*自社技術)  能力   生産開始

川崎地区

旭ダウ

スチレンモノマー

18,000

 1959/10

ポリスチレン

10,200

 1957/2

昭和油化

HDPE(フィリップス)

10,000

 1959/12

日本石油
化学

エチレン

25,000

 1959/7

イソプロピルアルコール

4,000

 1957/7

アセトン

4,500

 1957/7

イソプロピルエーテル

500

 1958/7

ブタジェン

6,000

 1957/7

古河化学

中圧ポリエチレン
(Standard Oil Company of Indiana)

9,000

 1960/6

三菱石油

ベンゼン

4,440

 1957/12

トルエン

9,360

キシレン

7,800

日本触媒
化学

エチレンオキサイド *

1,800

 1959/6

エチレングリコール *

3,840

 1959/6

日本ゼオン

SBR

2,400

 1959/8

NBR

2,400

ハイスチレンゴム

3,600

新居浜

住友化学

エチレン

12,000

 1958/3

LDPE (ICI)

11,000

 1958/4

松山

丸善石油

ベンゼン

3,000

 1959/1

トルエン

9,600

キシレン

9,600

和歌山
(下津)

丸善石油

第2級ブタノール

2,400

 1957/4

メチルエチルケトン

2,400

 1957/11

岩国
(旧陸軍
 燃料廠)

三井石油
化学

ベンゼン

7,000

 1958/2

トルエン

11,600

キシレン

11,600

芳香族溶剤

7,200

 1959/1

テレフタル酸

14,400

 1959/7

エチレン

20,000

 1958/2

エチレンオキサイド

12,000

 1960/3

エチレングリコール

9,600

 1959/6

低圧ポリエチレン(Dr. Ziegler)

12,000

 1958/3

フェノール

12,000

 1958/8

アセトン

7,000

 1958/8

四日市
(旧海軍
 燃料廠)

三菱油化

エチレン

22,000

 1959/5

エチレンオキサイド

2,700

 1960/4

エチレングリコール

3,000

 1960/4

スチレンモノマー

22,000

 1959/5

高圧ポリエチレン 
(BASF:ICI技術をベース)

10,000

 1959/7

モンサント化成

ポリスチレン

7,200

 1957/1

三菱化成

2ーエチルヘキサノール *

6,000

 1960/3

日本合成
ゴム

ブタジェン

33,500

 1960/4

SBR

45,000

 1960/4

   
旭ダウ: 
  1952/3、塩化ビニリデンポリマーの繊維への事業展開にあたり、旭化成と米国ダウ・ケミカル社とJVとして設立、1953年、鈴鹿工場が操業を開始。
1957/4、川崎で輸入SMでPSを生産開始。日本石油のエチレンセンターに参加してSM建設開始。
   
昭和油化:
  昭和電工の石化子会社としてHDPEを生産。(後、HDPEを東燃石化に譲渡)
   
 
   
日本石油化学
  当初、オレフィン外販メーカー
 旭ダウ、日本触媒、古河化学、昭和電工の需要を折り込み、エチレン建設 

後、綜合石油化学へ
 高圧法PE(レクソール/エルパソ技術)導入
 古河化学に参加
   
古河化学:
  古河電工がポリエチレン企業化を図り、フィリップスと技術導入交渉したが、昭和電工に奪われ、 Standard Oil Company of Indianaの中圧PE技術を導入。
1956/10 古河化学設立
 古河電工 36%、横浜護謨 16%、旭電化 10%、古河鉱業、富士電機、富士通信機、日本ゼオン各7% その他
後、日石化学に事業譲渡して撤退。日石化学は「日石樹脂化学」と改称。
   
 
   
住友化学:
  PE単品のエチレンセンターでオフガスをアンモニア原料に使用(アンモニア合理化も目的に)
  通産省の原則は石油精製と同地区にというものだが、住化は瀬戸内海対岸の出光興産の徳山製油所からナフサを購入
(原則の「変形」として認められた) 
   
丸善石油 (丸善石油化学)
 
丸善石油
  1957   下津製油所でFCC排ガス中のブタン、ブチレン原料にSBA、MEKなど生産
  1958   松山製油所でBTX完成
       
  その後、松山コンビナート構想  エチレン2万トン(新日窒のアセトアルデヒドなど誘致)
       
      新日窒から千葉案(アセトアルデヒドに加えPP、松山では狭小)
       
丸善石油化学
  1959/9   丸善石油化学設立
  1960/7   コンビナートでの事業提携基本協定(丸善石化/丸善石油/新日窒)
       丸善石化:エチレン、高級アルコール、MEK
 新日窒:アセトアルデヒド、PP、ポリブテン  (1962/7 チッソ石油化学設立)
       
  その後、各社参加
      宇部興産(高圧法PE:レクゾール)
日本曹達(EO、EG:Scientic Design)   日曹油化設立
電気化学(SM、PSほか)   デンカ石油化学設立
日産化学(高級アルコール、なおPPは断念)   日産石油化学設立
       
  1962   丸善石油経営危機(スエズ動乱で長期傭船契約が裏目)
       
  1964/2   丸善石油化学 共同出資
       丸善石油 50%、宇部・新日窒・電化・日産・日曹 各50%
       
  1964/4   ルルギ法エチレン試運転 44千トン
        サンド・クラッカー不調、専用タンカーで日石化学からエチレン供給
  1966   第二エチレン(100千トン)スタート
        第一エチレンはその後も補修工事をしながら運転、1969/4 停止
       
   
三菱油化:シェルと提携
  昭和四日市石油(シェル/昭和石油)に三菱油化が25%出資
 三菱油化にシェルが15%、昭和石油が10%出資 
   
日本合成ゴム
  合成ゴム製造事業特別措置法(改正法:日本合成ゴム鰍ノ関する臨時措置に関する法律)により設立
(資料1 
石油化学工業政策の体系 参照)
         
 (3) ポリエチレンの技術導入競争    企業化状況      PPについては下記    

 石油化学のほとんどが導入技術で、技術導入をすれば誰もが進出できたため、各社が進出を希望した。
 その最初の例がポリエチレンである。栂野棟彦氏は「昭和を彩った日本の石油化学工業」の中で詳しく述べている。
 後、同様の事態がポリプロピレンで発生した。 

       
   
エチレンセンター PEメーカー 技術
住友化学 大江 住友化学 ICI(LDPE)
三菱油化 四日市 三菱油化 BASF(LDPE)
東燃石化 川崎 日東ユニカー UCC(LDPE)
旭ダウ ダウ(LDPE)
昭和油化 フィリップス(HDPE)
三井石化 岩国大竹 三井石化 チーグラー(HDPE)
三井ポリケミカル デュポン(LDPE)
丸善石化 千葉 宇部興産 ダート(LDPE)
日石化学 川崎 古河化学 スタンダードオイル(HDPE)
 
    * エチレン1期、2期計画でポリエチレンがないのは次の3センターのみ  ( )はエチレン用途
   出光石油化学(徳山):AA(徳山石化)、EDC(周南石化)
   三菱化成(水島):AA
   大協和石油化学(四日市):AA
 
       
  三井石化    
    1955/1 他の事業で社長が訪欧中にDr. Zieglerを訪問、低圧ポリエチレンの存在を知り、特許独占実施権購入   
    1955/3 岩国旧陸軍燃料厰 払下げ申請  
    1955/7 三井石油化学設立   
    1958   岩国工場スタート  
    当初は販売不振、その後、フラフープで在庫一掃  
       
  住友化学  
    1951 高圧ポリエチレンの技術を自社開発  
    1954 ICI技術調査団来日、技術供与先調査
     本格的な試験設備建設は住友化学のみ
1955/7 ICIと技術導入契約締結 
フィルム販売好調
 
       
  三菱油化    
    1956/4 三菱油化発足  
    BASFの高圧法PE技術導入
 ICI特許ベースだが、日本のICI特許は再審査請求なく、有効期限切れでライセンス可能な状態となっていた。
 (他社はICIと住化の関係でBASFが日本に技術輸出しないとの認識があった)
 
       
  古河化学    
    古河グループで石化進出を決め、フィリップスとHDPE技術導入の交渉   
     交渉に手間取って、調印寸前に昭和電工がフィリップスと契約  
       
    Standard Oil Company of Indianaの中圧PE技術を導入(工業化実績なし)
1956/10 古河化学設立

プラント稼動するが、触媒から発生する物性上の欠陥があり、赤字累積
三菱化成への再建依頼構想があったが、日本石油が川崎離脱を懸念し、提携
その後、古河化学が離脱、「日石樹脂化学」と改称、HDPEはチーグラー触媒に変更
 
       
     
       
  昭和電工    
    1956 古河グループと交渉中のフィリップスに接触し、契約  
    1957/6 昭和油化設立、川崎工場稼動   
       
     
       
    稼動後、高圧法PEのようなフィルムが出来ないことが分かり、フィリップスに抗議  
    後、ビールコンテナ、パイプ、チューブ、食品・洗剤容器、テクスヤーン、フィルム等の市場開拓  
       
  宇部興産    
    1961/9 レクゾール・ドラッグ&ケミカルの高圧法PE技術導入
丸善・千葉コンビナートに参加
 
       
     
  (日東化学、東洋高圧、東亜合成、三井石油化学等)  
    デュポン、UCCと交渉するが拒絶される。 
 (両社は第二次大戦中、技術を守ろうと言う英政府の戦時特例法でICIから技術供与を受ける)
 
       
  三井石化    
    1960/1 デュポンが方針変更、高圧法PE事業を中心とする対日投資方針を固めた。

日東化学、三井石油化学、東亞合成化学と個別会談
 一度は日東化学に内定するが、デュポンとの関係が深い東レ・田代会長が巻き返し、三井石化に決定 

三井ポリケミカル設立 資本金 2,880百万円

 
       
  日東化学  
    デュポン、UCCと交渉するが拒絶され
 SD社(元はBASFのイムハウゼンが開発したAGFO社技術)と仮契約
 通産省が実績なしということで断念を働きかけ 
 
       
    デュポン技術導入が内定したが、三井石化に奪われる。

UCCと交渉(藤山社長の兄の藤山外相のUCC社長宛て親書も手渡し)

1960/3 UCC役員会で対日投資を前提とした日東化学との合弁計画を承認

1960/5 合意、日東ユニカー設立    

その後の日東ユニカー
 1965/4 三菱レイヨンが日東化学の持株を肩代わり(1998 日東化学を吸収合併)
 1966/8 日本ユニカーと改称
 1980/4 東燃化学が三菱レイヨンの持株を肩代わり

*2003/6  三菱化学が東燃化学の日本ポリケム持株を買収
  2003/9  日本ポリケムのPE事業を日本ポリエチレンに、
  2003/10 同PP事業を日本ポリプロに再編

 

 
       
  旭ダウ    
    スイス・ダウ・へミーから高圧法PE技術導入交渉
  AGFOのイムハウゼン法(日東化学等が交渉)がベースだが、工業化実績あり

1960/8 技術導入契約

1962/1認可(以下の理由で認可が遅れた)
  ・商業的に確立しているかどうかの確認要
  ・1コンビナート1誘導品の原則(過当競争回避)
    東燃石油化学コンビナートで日東ユニカーと旭ダウがPE計画 

 
 
  (4)   PP技術導入       企業化状況
       
モンテカティーニ PP技術の導入 

西ドイツのDr. Ziegler は低圧下でもポリエチレンを重合できる触媒(Ziegler触媒)を発明したが、プロピレンを重合するとアタクチックポリマーしか出来ず、実用に供しなかった。
1954年にイタリアのナッタがチーグラー型触媒に三塩化チタンを第二成分に加えた触媒(チーグラー・ナッタ触媒)を使ってプロピレンを重合し、アイソタクティツク・ポリマーをつくった。1957年モンテカティーニ(その後、MontecatiniとEdisonが合併し、Montedisonとなる)がPPを企業化し、「夢の繊維」ができるということで「モンテ詣で」が行われた。日本からも技術導入に殺到した。

米国ではHercules が1957年にPPを企業化した。

1983 MontedisonとHerculesが50/50のJVのHimontを設立(1987 Montedison 100%)
1995 Himont(PE・PP)とShell(PP)が50/50JVのMontellを設立(1997 Shell 100%)
2000 MontellがPEメーカーのElennac(BASF/Shell)及びPPメーカーのTargor(BASF100%:元BASF/Hoechst)と統合、   
    Basell(Shell/BASF)となる。
2005 BASFとShellがBasellをAccess Industriesに売却

 1958/2 三井化学と日産化学が仮契約 → MITIが時期尚早として不承認の決定 
       日産化学 断念(技術料100万$の負担困難)
 1959/7 東燃オプション契約調印→モンテが期間延長認めず失効
       (東燃にはMITIバックアップなしで、資格なしとモンテが認識)
 1960/1 三井化学(+東洋レーヨン)契約
 1960/2 三菱油化(+三菱レイヨン)契約 
        両社ともに政府申請

1960年、米国アヴィサンAvisun Companyが、触媒としてモンテのプロセスと同様の二成分に全く異なる第三成分を併せて使う技術を開発、新日本窒素が技術導入契約を締結(Avisun は後にAmocoが買収)

本技術は後にモンテが特許侵害として新日本窒素に対して製造禁止の訴えを出した。
6年かかって、東京地裁の第一審は却下、直ちに、控訴したが、東京高裁の第二審もその4年後に却下となり、モンテ側の敗訴に終わった。

その後、三井石油化学や各社はモンテ触媒をベースに「担持型触媒」を開発
三井石化はハイモントと特許で争った結果、提携し、共同で技術供与を行った。

なお、別途徳山曹達が自社技術を開発、1958年には1トン/日の中間プラント、1961年には2千トン/年プラントを建設し企業化を発表したが、運転は順調にいかず、中止した。
(三塩化チタン、ナトリウム、水素、ジシクロペンタジェニール・チタニウム・クロライド系の触媒)
モンテは特許侵害で山口地裁に訴えたが、徳曹の製造とりやめで提訴を取り下げた。
しかし地裁はその前に結審しており、徳曹特許はモンテ特許に抵触しないと判決した。
(最終的に広島高裁が、提訴取り下げ手続きが有効としたため、判決はなかったこととなった。なお、当時は日本に物質特許がなく、製法特許のみ:1975年の特許法改正で物質特許制度を採用)

 1970/4、ガルフ(Spencer Chemical)触媒技術+自社ノウハウでスタート

 1960/6 通産省から三菱油化、三菱レイヨン、三井化学、東洋レーヨンの4社に対価等の条件変更指示
        三井グループと三菱グループと別々に交渉したため高い対価を要求された。
        両グループ共同で交渉せよとの指示

 1960/11 2グループ契約調印

 1960/11 外資審議会で承認
       政府の処理方針発表
        1)モンテからの技術導入は、今後数年間の需給バランス等を考慮して、あと1社認可する。
        2)アヴィサンの技術も、要件が整い次第、認可する。

 1961/1  住友化学(+東洋紡)のモンテからの技術導入、新日窒のアヴィサンからの技術導入申請が認可

最初の技術導入承認                                          
 三菱油化、三井化学、住友化学:モンテカチーニ技術
 新日本窒素:アヴィサンの技術

その後、数社がモンテにアプローチしたが、モンテは3社以外とは契約しないとして拒否。
1968年まで4社体制が続いた。

  なお、「夢の繊維」としては染色性の問題が解決できず、各社断念。

 その後、PPの需要が増え、30万トンエチレン建設に当たり、プロピレンの消費に最適となり、各社が進出した。

1968/4 三井石油化学 自社技術
(当初 Eastman Kodak 技術導入、自社技術完成で解約)
1969/3 宇部興産 レクソール/エルパソ技術
1969/4 日本オレフィン(昭和電工) Eastman Kodak 技術
1970/4 徳山曹達 ガルフ(Spencer Chemical)触媒技術+自社ノウハウ
1974/9 東燃化学 Exxon Research & Engineering 技術
1977.4 出光石油化学 住友化学技術
1979/6 三菱化成 自社技術
後日談

三菱油化、三井化学、住友化学の3社は技術導入に際して、モンテから日本での製造販売のほかに、PPを使った製品の米国等への輸出について許可を得ていた。

米国ではモンテが物質特許を得ていたが、米国の特許は先願主義ではなく先発明主義であることから、最終的には最高裁まで争った結果、フィリップス社が特許を取得した。
 
  モンテジソン フィリップス
出願   1955   1953
特許   1973   1983
期限終了  1983取消   2000

この結果、三社を含め日本の全PPメーカーはPPを使った製品の米国への輸出についてフィリップスに特許料を支払わざるを得なくなった。(輸出された製品のメーカーからはPPメーカーに支払い義務を振られた)

更に、1986/11 になってドイツのStudiengesellschaft Kohle (SGK)が日本の自動車メ−カ−に対し、米国向け輸出自動車に使用されるPPに対してライセンスフィの支払い要求があった。SGKはドイツのMax Plancの特許管理会社で、代表の Dr.Heinz MartinはDr.Zieglerの本特許の共同発明者の一人で、Dr. Ziegler の死後、未亡人から特許権を買い取っている。

本特許(USP 4125,698)はPP製造用の触媒の特許で、以下の経緯があった。
米国では次のとおり触媒使用の特許が申請された。
  @1953 Ziegler    TiCl2/TEA
  A1954 Ziegler/Natta TiCl2/(TEA or DEAC)
  B1955 Ziegler    TiCl2/DEAC =本件

米国特許庁はBの審議に当たり、これがAの後願であるとして拒絶した。これに対しDr.Ziegler及びその死後その権利を受け継いだSGKが先発明を理由に再申請し、23年かけて争い、1978/11に特許が認められた。
この結果、Aの特許が既にとっくの昔に期限切れになっているのに、BのTiCl2/DEAC は1995/11/14まで米国で有効ということになった。

問題は、モンテとの契約が既に切れてしまっており、米国向け製品輸出の免責条項も切れていることで、SGKはそれを前提に特許料を要求してきたもの。日本のメーカーは、この触媒を使用しているPPに関して、米国向け輸出自動車に使用されている分に相当するライセンスフィを支払わざるを得なかった。(三井石油化学や住友化学等の新触媒は対象外)

即ち、米国向け輸出自動車使用分に関しては、先ずモンテに(米国向け製品輸出の権利を含めて)技術料を払い切った上で、とっくに特許期限がきれている米国での物質特許料をフィリップに支払い、更には技術導入した触媒の特許料を、同じ発明者(の権利取得者)に再度支払うということとなった。

         
         
 (5)   主要合成樹脂、合成ゴムの企業化状況
                                         (千トン/年)
  会社名 工場 技術

1958

1959

1960

1961

1962

1963

1964

1965

LDPE

住友化学

大江

ICI

 11

  11

 14

 26

 50

50

 80

80

三菱油化

四日市

BASF

 −

  10

  10

  34

  50

50

 50

 80

日東ユニカー

川崎

UCC

 −

  −

  −

  −

  27

 27

39.5

 46

三井ポリケミカル

大竹

デュポン

 −

  −

  −

  −

24.5

24.5

 49

 49

旭ダウ

川崎

ダウ

  −

  −

  −

  −

 10

  25

宇部興産

千葉

ダート

  −

  −

  −

  −

 −

 −

  20

能力合計

  11

  21

  24

60

151.5

151.5

228.5

300

HDPE

三井石油化学

岩国

チーグラー

  12

  12

12

14.4

21.6

 24

48

 48

昭和油化

川崎

フィリップス

  −

  10

10

 10

  10

 22

36

 36

古河化学

川崎

スタンダードオイル

  −

  −

9.1

  9.1

9.1

8.7

18.7

20

能力合計

12

  22

31.1

33.5

40.7

64.7

102.7

 112

PS

三菱モンサント化成

四日市

モンサント

3.6

7.2

14.4

19.2

19.2

24

25

36

旭ダウ

川崎

ダウ

7.75

9.8

16.2

20

32.3

36.1

41

71

鋼管化学

川崎

コッパーズ

6

6

12

25

26

東洋ポリスチレンン

川崎

コスデン

12

12

デンカ石油化学

千葉

ペトロカーボン

12

12

能力合計

11.35

  17

30.6

45.2

57.5

72.1

115

157

PP

三井化学

大竹

モンテ

10

10

10

20

住友化学

大江

モンテ

10

10

20.5

三菱油化

四日市

モンテ

10

10

20

チッソ石油化学

五井

アビサン

13

13

13

能力合計

10

43

43

73.5

SBR

日本ゼオン

川崎

グッドリッチ

8.4

8.4

12

27.6

27.6

30

50

日本合成ゴム

四日市

グッドイヤー

45

50

66

80

111

141

能力合計

8.4

53.4

62.0

93.6

107.6

141.0

191.0

         
         
  (6) ナフサ・メリット

 通産省は、わが国の石油化学工業を戦略産業として育成する目的で、原料のナフサ価格を低水準に抑える政策をとり、石油化学用のナフサを供給する石油会社に対する外貨報奨制度を設定した。

 昭和33(1958)年度  ナフサ供給量と等量(1対1)の原油外貨を特別割当
    34(1959)年度  ナフサ供給量の2倍(1対2)の原油外貨を特別割当
    35(1969)年度  ナフサ供給量の2.3倍(1対2.3)の原油外貨を特別割当

 外貨割当額をふやすことによって製油所の稼働率が上昇し、石油製品の販売シェアの拡張が図れるため、石油会社は、“ナフサ・メりツト”にありつこうと、石油化学へ乗り出そうとした。

 高杉良「小説日本興業銀行」によると、大協石油の石化進出(協和発酵とのJVの大協和石油化学)にはこれが影響を与えている。

         
         
1 - 3   エチレン第2期計画
         第2期計画では第1期のメーカーの増設のほか、以下の後発5コンビナートが認められた。
       
エチレン企業 立地 エチレン 完成時期 誘導品                             
東燃石油化学
(東亜燃料 100%)
川崎   40,000t 1962/3 LDPE(日東ユニカー),EDC(セントラル化学)
アクリロニトリル(日東化学),オクタノール(自社),
合成ゴム(日本ゼオン),
日本オレフィン,昭和電工,三井化学、旭化成に
オレフィン供給
大協和石油化学
(協和醗酵/大協石油)
四日市   41,300t 1963/6 アセトアルデヒド,アセトン,MIBK,ブタノール,
オクタノール
丸善石油化学
千葉   44,000t 1964/3 PP(新日本窒素),アセトアルデヒド(同)、
EO(日曹油化)、SM(電気化学)
LDPE(宇部興産)
化成水島
(三菱化成)
水島   45,000t 1964/6 アセトアルデヒド,アクリロニトリル,アセトン
旭ダウ、関東電化にオレフィン供給
出光石油化学
(旧海軍第三燃料廠)
徳山   73,000 1964/9 アセトアルデヒド(徳山石油化学),
EDC(周南石油化学)、PO(同)
ブタジェン(日本ゼオン),BTX(自社)
        * セントラル化学と周南石油化学のEDCはアンモニア法か性ソーダの電解法への転換によるもの
         
         第1期のメーカーの増設の中には住友化学(新居浜)のSBA法設備がある。(第1期は隣接する大江地区)

  ベルギーのSBAからの導入技術でエチレンとアセチレンを併産するもの。
  エチレンはLDPEの増産用に使用、アセチレンはアクリロニトリル(ACC法:アセチレン+青酸→ANM)と
  PVC(カーバイド・アセチレンからの原料転換)の原料とし、更に副生ドライガスをアンモニア原料にした。
  1961年に完成したが、1966年に停止。
         
1 -   エチレン第3期計画
         
        新増設構想ラッシュ
大協和石油化学 100千トン 増設
三井石油化学(千葉) 120千トン 岩国大竹に拡張余地なし
住友化学(千葉)  100千トン 新居浜手狭、新立地として名古屋→静浦→千葉
日本石油化学(横浜本牧) 100千トン オレフィン外販センターからの脱皮
三井化学/東洋高圧(泉北) 100千トン  
関西石油化学(堺)   85千トン  
昭和電工(鶴崎) 100千トン 新設
東燃石油化学   60千トン 増設 83千トン→143千トン
化成水島  75千トン 増設 45千トン→120千トン
出光石油化学  26千トン 増設 73千トン→100千トン

 通産省、調整不能 → 官民協調方式の提唱
  1964/12 石油化学協調懇談会 設置
   下部機構としてエチレン・高圧PE・中低圧PE・EO・EGなどの各分科会
   (当局と業界が同一の資格で委員を出し、投資調整)

  1965 エチレンセンター設置基準
   (1)エチレン能力は1系列年
10万トン以上であることと、
      稼動後すみやかに適正操業(80%)を保持すること、
   (2)オレフィン留分を総合的に利用すること、
   (3)原料ナフサの相当部分を供給する製油所に接続したコンビナートであること

   (4)1967年度 所要エチレン能力 145万トン
            既認可分       110万トン
            増加能力        35万トン(1965-66年度) 
     これに基き、
       三井石化(千葉)12万トンと住友化学(千葉)10万トン を認可
       加えて条件が整い次第、
       大阪石油化学(三井化学/東洋高圧)と昭電(鶴崎)に10万トンの認可することとした。

     その後、昭電・新日鐵化学JVの鶴崎油化は15万トンを建設
     更に、三菱油化・四日市が20万トンを建設した。(下記「幻の輪番投資」参照)
     大阪石化は30万トン計画に変更した。

   (5)将来センターはエチレン生産能力を
20万トン以上に拡大するものとし、
      用地・用水・輸送などの立地条件がこれに即応する可能性を有していること

 大協和石油と三菱油化の幻の輪番投資構想

  大協和石化は増設を希望するも誘導品が10万トンに達せず、承認を得られず。
  その後、三菱油化(四日市)は20万トン増設を考えたが、誘導品計画が揃わず。

  →輪番投資構想
    三菱油化が先行し20万トン建設、エチレンを大協和に融通(売買形式)

  *契約書には輪番の文言無く、三菱油化は鹿島に進出したため、大協和の後番投資は実現せず。
   (その後、東洋曹達主導の新大協和石油化学で30万トンを実現)

         
1 -   エチレン30万トン計画
         
         1967/2 石油化学協調懇談会は 「エチレン製造設備の新設の場合の基準」を決めた。
 エチレン製造設備の新設にかかわる外国投資家からの技術援助に関する契約の認可申請については,次の基準に適合している場合に認可するものとする。
   
1. 大規模な設備であって,当該設備によリ製造されるオレフィン留分等について適正な誘導品計画があること
(1) エチレンの製造能力が年産30万トン以上であること
(2) 誘導品の生産,販売計画について確実性があり、かつそれぞれの誘導品の生産分野を混乱させるおそれのないものであること
2. 原料ナフサの相当部分についてコンビナートを構成する製油所からパイプによって入手できる見込みがあること
3. 当該企業の技術能力,資金調達能力等が国際競争力ある石油化学コンビナートを形成するに適しているものであること
4. コンビナートを構成する製油所および発電所を含めて工場の立地について用地,用水,輸送等の立地条件が備わっており,かつ公害防止のうえで所要の配慮がなされていること

 以上の基準の運用にあたっては,企業規模の拡大および石油化学コンビナート各社の連携の強化について配慮するとともに,あわせて地域開発効果についても考慮するものとする。

 1967年6月、石油化学協調懇談会は、1971年の需要を246万トンと見込み、これに対して操業率を85%とした生産能力は289万トンで、これから既認可分190万トンを差し引いた99万トンを、新規増設分として認めることとした。

 これにたいしてを受けて各社が申請した計画は9計画(当面7計画)に及んだ。

       
社名 工場 実施形態 内容
丸善石油化学 千葉 単独 既存コンビナートの増設
三菱油化 鹿島 単独 誘導品企業誘致
新大協和石油化学 四日市 単独 興銀グループ
大阪石油化学 共同投資 三井、三和グループの共同、
三井東圧化学側が建設、運営担当
浮島石油化学 川崎 共同投資 三井石油化学、日本石油化学折半出資で日石・川崎に建設
(後、1978に浮島石化として三井・千葉に建設)
住友千葉化学 千葉 輪番 先番
東燃石油化学 川崎 後番
水島エチレン 水島 輸番共同 先番 三菱化成
山陽エチレン 後番 旭化成  
         
         
       
       
新大協和石化   大協和石油化学は1961年、協和発酵 60%/大協石油 40%で設立された。
 エチレン、アセトアルデヒド、アセトンのほかは、ブタノール、オクタノール、DOP、MIBK、MIBC、DBP等、
 すべて協和自社技術 

その後、業績が悪化、興銀案に基づき、オレフィン製造部門と誘導品製造部門を分離し、
エチレンセンターにして他の誘導品企業も誘致することとした。

 2000/10 東ソーが新大協和石化、四日市ポリマーを吸収

   
大阪石油化学   1964/7 関西財界の宇部興産、丸善石油、帝人など10社は関西経済の地盤沈下の挽回のため
     結集して石油コンビナートの中核企業として「関西石油」と「関西石油化学」を設立

     エチレン第3期計画で関西石油化学は堺でエチレン85千トンを申請
     同時に三井化学/東洋高圧も泉北でエチレン100千トンを申請、いずれも認められず。

1965/2 大阪石油化学設立
        三井グループ 50%/関西石油化学グループ 50%
         
1970/4 エチレン30万トン稼動

その後 関西石油化学解散、三井グループ中心体制での経営体質強化
     三井石油化学、鐘淵化学、三井物産、三井銀行が参加

2000/3 三井化学が100%子会社化  

 

     
浮島石油化学   1967/11 輪番投資のため設立 日本石油化学 50%、三井石油化学 50%

1970   第1期 川崎(日本石油化学内)に30万トンエチレン完成
1978   第2期 市原(三井石油化学内)に40万トンエチレン完成

      エチレン引取枠
         川崎  日石化学 1/2、三井化学 1/2
         市原  日石化学 3/8、三井化学 5/8

2001/9 共同生産解消 
      川崎工場は新日本石油化学、市原工場は三井化学が引取り
   
山陽エチレン
水島エチレン
  1968/7  山陽石油化学設立  旭化成 60%、日本鉱業(現ジャパンエナジー) 40%

1968-69 三菱化成との輪番投資のため、
       山陽石化と三菱化成の50/50JV 「水島エチレン」「山陽エチレン」設立

1970    第1期 水島エチレン稼動 (三菱化成内)
1972    第2期 山陽エチレン稼動 (山陽石化内)

1994/7  株式交換
         「水島エチレン」 三菱化学 100%子会社
           1994/10 三菱化学誕生、水島エチレンを吸収合併

         「山陽エチレン」  山陽石化 100%子会社
           1995/4  山陽石化が山陽エチレンを吸収合併
           2001/4  山陽石化が旭化成100%子会社に。

         
1-6-0   PVCメーカー
       
    その後 産構法時
戦前 日本窒素肥料(1941) 新日本窒素と改称 チッソ
横浜ゴム(1942) 日本軽金属、古河電工と日本ゼオン設立  
1949-50 日本軽金属 同上  
三井化学工業   三井東圧
鐘淵紡績 分社・鐘淵化学 鐘淵化学
鉄興社 徳山曹達、東洋曹達とJV設立 → 東洋曹達が吸収合併 (東ソー)
三菱化成工業 日本化成工業→モンサント化成 下記
大日本セルロイド 徳山曹達とJV設立→撤退 (サンアロー化学)
東亜合成化学   東亜合成
呉羽化学工業 一旦、塩化ビニリデン拡充のため撤退→再進出 呉羽化学
日本カーバイド工業 子会社ニッカケミカルに営業譲渡 →菱日→三菱  
日新化学工業 住友化学工業と改称 住友化学
電気化学工業   電気化学
日本合成化学 1950-53に撤退  
北海電化工業
日本曹達
東洋化学
石原産業
昭和電工
石井鉄工所
日豊工業
外資とのJV
 専業メーカー
モンサント化成工業(1952)
 日本化成、Monsanto Chemical
三菱モンサント化成→三菱モンサント化成ビニル
1994年 Monsanto撤退
化成ビニル
日本ゼオン(1952)
 横浜ゴム、日本軽金属、
 古河電工、Goodrich Chemical
1970年 Goodrich 撤退 日本ゼオン
その後の進出 日信化学(1956)
  新日本窒素/信越化学
信越化学(1957)
1978年 信越化学が日信化学の営業譲受 信越化学
徳山積水(1966)
  積水化学
  徳山積水
日産化学(1971) 1983 東ソーとのJVの千葉ポリマー → 1989撤退  千葉ポリマー
ア法ソーダメーカー サン・アロー化学 (1967)
 
徳山曹達、鉄興社、ダイセル
その後、鉄興社、ダイセル撤退 →トクヤマ サン・アロー
四日市東曹(1974)
 東洋曹達、鉄興社
1975 東洋曹達が鉄興社と四日市東曹を吸収合併 東洋曹達
旭硝子(1973)   旭硝子
セントラル化学(1974)   セントラル化学
         
         「ポリ塩化ビニル工業の歴史と21世紀の方向」 佐伯康治氏論文(「化学経済」 2000年8月号-2001年9月号) 
       
         
- 6   VCM製法
         
       

                日本ゼオン:GPA法   呉羽油化:混合ガス法   住友化学:SBA法
         
-   アセチレン法からの転換
       
1961/11 通産省 「アンモニア法か性ソーダの電解法への転換方針」 
@ カーバイドのコスト引き下げは困難であるので,増設に当たっては炭化水素源をEDCなどコストの安いものに移行させる
A EDC法の採用に当たっては極力従来法のスクラッブ・アンド・ビルドを進める
         
        EDC/VCM新設(1964〜1969) 

EDC
     千トン  
三菱モンサント・四日市 1964   45 VCM一貫
セントラル化学・川崎 1964   43.3 ア法ソーダ転換
周南石油化学・徳山/南陽 1964  110 ア法ソーダ転換
 
VCM
     千トン  
三菱モンサント・四日市     1964   47.5 EDCから一貫 
三井化学・名古屋 1964   13.2 EDC購入
1969   30 オキシ法
鐘淵化学・高砂 1964   18 EDC購入
1968  120 オキシ法
日本ゼオン・高岡 1964   24 EDC購入
1967  130 GPA法
呉羽油化・錦 1964   30 混合ガス法
東洋曹達・南陽 1966   54 オキシ法・ア法ソーダ転換
1968  120 オキシ法
サン・アロー化学・徳山 1967   60 オキシ法・ア法ソーダ転換
水島有機・水島 1968   50 オキシ法
旭ペン・千葉 1968   50 オキシ法・ア法ソーダ転換
日産化学・千葉 1968   60 オキシ法
住友化学・愛媛 1968   50 オキシ法
東亜合成・徳島 1968   46 オキシ法
         * PVCについては資料1-10 PVC第3次増設枠参照
         
        日本ゼオン・高岡:GPA法 (VCM製法参照)
       
   ゼオンはPVC第3次増設では、セントラル硝子へEDCの技術を供与して同社から供給を受け、これを分解してVCMを、また副生する塩酸は力ーバイドからのアセチレンと合成しVCMにした。

 その後の増設に当たって、ゼオンはエチレンセンターから離れた高岡で競争力あるVCMを確保するため、独自の技術でナフサ分解法(GPA法)プラントを建設、1968/4にスタートさせた。(その後爆発事故を経験)

 ナフサを火焔分解してエチレンとアセチレンの混合ガスを得、それぞれを分離精製する合成プセロスを開発した。特徴は、エチレンとアセチレンの完全分離はコストアップとなるため、エチレンを含んだアセチレンに塩化水素を反応させVCMを合成し、エチレンは塩素と反応させEDCを得、これを熱分解してVCMと塩化水素とし、塩化水素はアセチレンと反応させVCMにする。

 第一次石油危機でナフサの方がエチレンに比べ、値上がり率が大きく、採算悪化し、1979/6停止。

   
呉羽油化・錦:混合ガス法 (VCM製法参照)
   
   呉羽化学ではゼオンと同様の技術を研究していたが、エチレンとアセチレンの分離のコストがかさんで経済性が失われることを心配し、「混合ガスのまま必要な反応を行い、後に反応生成物を分離する」混合ガス法を開発した。
 1964/1 呉羽油化、錦で混合ガス法VCMを工業化

 その後の需要増加で、呉羽化学としても今後のモノマーの調達法について、混合ガス法のプラントをもう1系列増設するか、いずれかのモノマーセンターへ参加するか、あるいは第3の独自の道を行くかの選択に迫られた。
 検討の結果、原油分解法を採用することとした。原油を分解して分解ガスからエチレンとアセチレンをとり、混合ガス法と同様にVCMを生産するもので、1970/9生産を開始した。

次期増設としてオキシ法での共同生産:常陽モノマー構想 → 実現せず

その後
1978/12 原油分解法VCM 停止

1982/3  混合ガス法VCM 停止

以降、VCMを全量、旭硝子・住友化学に委託 

   
         
         
        周南石油化学

 当初、ア法転換4社はPVC進出は認めれず、先ずEDCが認められた。

 1964/9、徳山曹達、東洋曹達は周南石油化学を設立、
 東曹・南陽でEDCとエチレンジアミン、徳曹・徳山でEDCとPOを生産した。

 その後、東曹は自社で1966年南陽でオキシ法VCMを生産
 1970年に鉄興社とのJV・四日市鉄興社を設立して四日市で鉄興社枠でPVCを生産。

 徳曹は1966年にダイセル、鉄興社とのJV サン・アロー化学(徳山)を設立し、VCMとPVC(鉄興社枠で)を生産。
   鉄興社 45%/徳山曹達 35%/ダイセル 20%

 後、1975年に東曹は鉄興社を吸収合併し、徳曹はサン・アロー化学を100%子会社とした。
 周南石油化学は1978年に解散した。

セントラル化学
 
 1963 セントラル硝子 70%/東亜燃料 30% の共同出資により設立
 1964 水銀電解及びEDC製造販売開始

         
- 8   アンモニア法か性ソーダの電解法への転換
       
1961/11 通産省 「アンモニア法か性ソーダの電解法への転換方針」 

@ カーバイドのコスト引き下げは困難であるので,増設に当たっては炭化水素源をEDCなどコストの安いものに移行させる
A EDC法の採用に当たっては極力従来法のスクラッブ・アンド・ビルドを進める
B 塩素源については苛性ソーダとのバランスを取るためア法ソーダの電解法への転換を進める
   (PVC増産で塩素需要が急増。余剰ソーダ輸出、ア法ソーダ減産でも対応不可になっていた)
C ア法メーカーのEDC計画を塩素消化の面から支援する

 この方針により
  東洋曹達/徳山曹達  周南石油化学設立 (出光石化・徳山)  EDC外販
  セントラル硝子     セントラル化学設立(東燃石化・川崎)   EDC外販
         
- 9   VCMセンター構想
         
        1966/12 通産省 「塩化ビニルモノマーセンター構想」を発表
骨子
@ 今後の塩化ビニルモノマー設備は石油化学方式を採用することとし,カーバイド・アセチレンを原料とする設備はできるだけ早く転換する。
A 立地は石油化学工業のエチレンセンター隣接地とし,規模は年産10万トン以上とする。
B 塩化ビニルモノマー計画は,塩化ビニル樹脂の裏づけがあるものとする。
C 塩素源の電解設備は塩素とか性ソーダのバランスがとれること
   
1969/3 通産省 「塩化ビニルモノマー設備増設計画の調整について」
   
@ 塩化ビニルモノマーの増設計画の調整は地区グループ内調整を尊重すること
A 新増設設備は年産10万トン以上とすること
B 塩化ビニルモノマー専業企業と塩化ビニル樹脂企業との共同投資が望ましい
         
         
        塩化ビニルモノマーセンター計画  単位:千t/年
地区 会社名 生産能力 完成時期 エチレンセンター 供給先
鹿島 鹿島塩ビモノマー   220 1970年8月 三菱・鹿島 信越化学、日信化学、鐘淵化学
千葉 千葉塩ビモノマー   160 1971年4月 住化・千葉 住友化学、群馬化学、チッソ、電気化学
川崎 セントラル化学    60 1970年4月 東燃・川崎 東亜合成化学
泉北 三井泉北石油化学   120 1970年3月 大阪石化・大阪 三井東圧化学
水島 水島有機   200 1970年9月 化成水島 日本カーバイド、三菱モンサント化成、
韓国化成
水島 山陽モノマー   120 1970年7月 山陽エチレン・水島 日本ゼオン、チッソ、旭化成
南陽 東洋曹達   150 1968年7月 出光・徳山
新大協和・四日市
日信化学、信越化学、東亜合成化学、
徳山積水
徳山 サン・アロー化学   110 1970年4月 出光・徳山 自消、輸出、その他
呉羽化学   150 1970年10月 (原油分解法) 自消
         
        *幻の常陽モノマー構想(鹿島塩ビモノマー2期計画)
         
         
       
鹿島塩ビモノマー(三菱・鹿島)
  
1964/8 三菱油化が四日市に次ぐ第2の工場立地として鹿島地区進出を決定
      当初15万トンを計画、これを修正して1966年 年産30万トン計画を通産省に提出
        VCM、食塩電解、塩ビ樹脂およびアンモニアを企業化するために有力企業を誘致

1968/2 鹿島塩ビモノマー、鹿島電解 設立

   出資比率:

  鹿島電解 鹿島塩ビ
モノマー

旭硝子

25%

10%

旭電化

23%

 5%

信越化学

23%

50%

鐘淵化学

8%

10%

三菱油化

21%

25%

      三菱油化はエチレンセンターとして両社に参加  

   能力:苛性ソーダ  年産26万4千トン
       塩ビモノマー 年産22万トン
        VCMは信越化学(PVC 20万トン建設)、鐘淵化学(5万トン建設)、旭硝子(製造委託)が引取り。   

その後、三菱油化と三菱化成(塩ビ生産)の合併で、三菱化学が5万トンのVCMを取得するが、2000年に旭硝子とともに放棄。
現在の能力 600千トン。引取りは信越が492千トン, カネカが108千トン。

   
千葉塩ビモノマー(住化・千葉)
 
当初、住化と電気化学2社JV・日本塩化ビニールでVCM 100千トンを生産する計画であったが、大型化構想で千葉地区の3計画(日本塩化ビニール、旭ペンケミカル、日産化学工業の各10万トン計画)を通産省の指導で統合

以後の経過は次の通り。

   
セントラル化学(東燃・川崎)
 
1963 設立 セントラル硝子(元 宇部曹達)/東亜燃料
1964 水銀電解及びEDC製造販売開始
1969 東亜合成、セントラル硝子、東燃化学  川崎有機を設立 
1970 VCM製造販売開始(現第3工場)(東亞合成の子会社川崎有機へ供給)
      セントラル硝子(60%)、東亜燃料(20%)、東亞合成(20%)
1974 PVC生産委託開始(川崎有機へ委託)
1985 イオン交換膜電解新設
      セントラル硝子(74.4%)、東燃化学(12.8%)、東亞合成(12.8%)
1996年 三菱化学と東亞合成が提携
      東亞合成が三菱化学技術で川崎有機に新工場(100千トン)建設
      三菱化学が鹿島塩ビからVCM50千トンを持ち込み、PVCを製造委託
       (見返りは水島で供給)

2000 セントラル硝子(87.2%)、東燃化学(12.8%)
 (2000/4ヴイテック発足。
  それに先立ち、2月に川崎有機からセントラル硝子、東燃化学が離脱し、
  川崎有機は東亞合成 100%に(機能性モノマー専業→2001 東亞合成が吸収合併)。
  これに合わせて東亞合成がセントラル化学から離脱した)

2002 セントラル硝子(100%)
2003  PVC、VCM事業から撤退

2003/4 セントラル硝子が吸収合併

   
三井泉北石油化学(大阪石化・大阪)         変遷図
 
1968/7  三井化学と東洋高圧、三井泉北石油化学を設立   
1968/10 三井化学と東洋高圧が合併、三井東圧化学が誕生
1970    三井泉北石化  大阪でオキシ法VCM,PVCの生産を開始

1974/10 三井東圧が三井泉北石油化学を吸収合併

   
水島有機(化成水島) 
 
        1967 ニッカケミカル、水島でPVC生産開始
       1968 水島有機、水島でオキシ法VCMの生産開始
   
山陽モノマー (山陽エチレン・水島)
 
1968   設立
      日本ゼオン 55%、旭化成 25%、チッソ 20%

1970   ゼオン水島工場内にオキシクロリネーション法12万トン(→23万トン)
     
      原料   塩素   :岡山化成(旭化成 50%、ダイソー 50%)
            エチレン:山陽石油化学(旭化成)
     
      引取   ゼオン  65% PVC
           旭化成 10% ビニリデン、溶剤(延岡)                 
           チッソ  25% PVC

2000/3 山陽モノマー 停止
        新第一塩ビ・水島工場(ゼオン内) 2000/3 停止
          旭化成は
3年間、塩素とエチレンをパイプで三菱化学に供給、VCM生産委託
          延岡とチッソ(鐘化からPVCを受託)に供給

   
東洋曹達(出光・徳山、新大協和・四日市)&サン・アロー化学(出光・徳山)
   
   原料EDCは両社のJVの周南石化(両社に工場)が供給 
 VCMについては両社が異なる製法を主張し、別々に企業化することとした。
 
   
呉羽化学     混合ガス法/原油分解法
 
1950 錦でPVC試験生産を開始  
1951   塩化ビニリデン事業に集中するためPVCの生産を中止  
1953 錦で水銀法電解ソーダを工業化 呉羽化成 設立(呉羽紡績/呉羽化学)
1956   呉羽化成 錦で懸濁重合法PVCおよび無可塑塩化ビニルフィルムを工業化
1962   呉羽化成を合併
1964
錦で混合ガス法VCMを工業化(呉羽油化)  
1966 PVC用MBS系強化剤の生産を開始  
1970
錦で原油分解法VCMの生産を開始  
1979 原油分解法VCM設備の一部を休止,旭硝子に生産を委託  
1982 混合ガス法VCM設備を休止,住化,旭硝子に生産を委託
    第一塩ビ販売 設立(呉羽,サン・アロー,住化,ゼオン) 
1994  年末で第一塩ビ販売から離脱(株式売却は翌年)
1995 京葉モノマーに参加  
1998  第一塩ビ製造の呉羽枠 売却  
   
幻の常陽モノマー計画
 
1973頃、呉羽化学は1976以降の次期VCMとして三菱油化の鹿島コンビナートの第2期計画の一環として、旭硝子、日本ゼオン、三菱油化との共同事業を検討した。「常陽モノマー」計画と呼ばれた。

 呉羽化学:VCM不足対応
 旭硝子:PPGのオキシクロリネーション法モノマー工場の操業引受、PVC進出に意欲。
 日本ゼオン:東日本に生産拠点希望。
 三菱油化:エチレン増強

平行してPVCについて、呉羽化学、旭硝子、三菱モンサント化成の共同投資「常陽ポリマー」計画が検討され、呉羽化学の懸濁重合法によることがほぼ決まった。

しかし、その後の石油危機による不況で三菱油化のコンビナート拡張計画がつぶれ、1976年交渉打ち切り。

         
         
- 10   PVC増設枠
         
         PVCの増設に当たっては、原料の塩素、炭化水素源の転換問題とも関連して第1次から1972年に完成する第5次増設まで、通産省の指導と了承の下で実施された。
         
         第3次増設は一部を除いてEDC法(オキシ法を含む)となった。それまではカーバイド・アセチレン法。
         
                                          下表で第5次増設後能力は年間、それ以外は月間能力
       
         
         
         例えば第4次増設枠は以下の通り決められた。
  総枠2万トンのうち1万トンを均等配分
  残る1万トンは第3次増設完成後の各社における設備能カに従って比例配分
  新規参入は、積水化学のみを認める

 第5次増設のうち、東洋曹達、旭硝子、セントラル化学のア法ソーダメーカーのPVC進出は、業界のポストカルテル対策の設備廃棄(1972年)に際し、問題となった。

 1971/3に操業開始した日産化学が72/1に正式に認められたことから、旭硝子が72/7に企業化の意向を表明、いったん保留となった。

 最終的に以下のとおりとなった。

 旭硝子        1973/2   PVC生産開始 (1967/2 旭ペンケミカル VCM生産開始)
 東洋曹達工業   1973/6   MITI PVC生産を了承
             1974/1   生産開始
 セントラル化学  1973/6   MITI PVC生産を了承
             1974/4   生産開始  (1970/4 川崎でVCM生産開始)

 なお、徳山曹達と東洋曹達は鉄興社と提携し、これ以前にPVCに進出している。

   
             
        各社概要    
             
       
群馬化学   後、電気化学が吸収
   
日新化学   チッソ/信越JV
後、信越化学が吸収
     
   
   
徳山積水  
1947    チッソが積水化学工業に出資
1952   積水化学工業  硬質塩化ビニル管を工業化
     
1964/1   積水化学工業、PVC生産のため日信化学工業と合弁で徳山積水工業を設立
1964/12   東洋曹達が参加(積水化学 50%/日信化学 40%/東ソー 10%)
1965   日信化学が持株をチッソに譲渡
1966   徳山積水工業、南陽でPVCの生産を開始
     
その後   チッソが持株を積水に譲渡
    現在 積水化学 70%/東ソー 30%
     
鉄興社   徳山では徳山曹達・ダイセルとのJV サン・アロー化学
四日市では東洋曹達とのJV 四日市鉄興社で増設を実施
 この時点ではア法転換メーカーにPVC進出が認められなかった。
(サン・アローは後、徳曹100%に、その後徳曹が吸収合併)
(四日市鉄興社は後、東曹が鉄興社とともに吸収合併)
     
第5次で初めて、東曹、旭硝子、セントラル化学にPVC進出が認められた。
徳曹はその後もサン・アローで増設
   
             
             

続く