「四国88ケ寺徒歩巡り」体験記

 

        
石川信太郎        
hs.ishikawa@dream.com

第一回 出発への思いと準備

第二回 発心の道場(徳島)


第三回 修行の道場(高知)

   
24 最御崎寺  25 津照寺 
26 金剛頂寺  27 神峯寺 
28 大日寺   29 国分寺
30 善楽寺   31 竹林寺 
32 禅師峰寺  33 雪蹊寺
34 種間寺   35 清滝寺
36 青龍寺   

37 岩本寺   38 金剛福寺  
39 延光寺


10月8日、23番薬王寺の宿坊である薬師会館を同宿の横浜のF氏と宮崎のWさんと共に午前7時に出て高知・室戸岬にある24番最御崎寺(ほつみさきじ)に向かいました。しかし、最御崎寺までは約84キロの道のりで、1日30〜40キロの距離を歩いても2泊3日かかることになります。スピードも今までより上げて歩くうちに、ついに足の裏に「マメ」が出来はじめました。旅館について、この「マメ」の治療をするのが大変でした。特に指の下の平たいところが水ブクレとなり、縫い針で穴をあけ、水抜きをしてカットバンを貼り、その上をテーピングするのですが、翌日の歩き始めは足の裏が痛くてたまらず、しばらくビッコをひきながら痛みになれるまでは我慢するほかありません。この後、両足の裏や側面にも出来、完全に直るまでに約2週間かかりました。高知県から愛媛県に入る頃やっと直り、痛みもなくなり、まさに修行の道場(高知)でありました。

高知県を一緒に歩いたF氏もWさんも同じくこの「マメ」が出来ており、特にWさんは歩きはじめから「マメ」が出来、最後まで直らず、気の毒でした。歩き遍路のほとんどがこの「マメ」に悩まされ、治療しながら歩くのが普通のようです。私の場合も最初の1週間は「マメ」は出来なかったのですが、ほとんどが平坦なアスファルト道で距離を伸ばしたことと、スピードを上げたことで足に負担がかかり、例外なく「マメ」に悩まされることになりました。予防法はいろいろあるようです。たとえば「マメ」の出来やすいところにテーピングをしておくとか、靴下を2枚はくとか、靴の中敷きにローソクを塗っておくなど。しかし、後から分かったことですが結果的には皆さん大なり、小なり「マメ」は出来るもののようです。

 
こうして、「マメ」に悩まされながら、2泊3日後の10月10日の正午に室戸岬にある24番最御崎寺にやっと到着したのであります。
そして、さらに11日後の10月21日にはさらに悪戦苦闘しながら38番金剛福寺のある四国の最南端「足摺岬」にも無事到着することが出来ました。
さらに進んで高知県最後の39番延光寺には10月24日こ参拝することとなり、約16日間の修行の道場を終えました。

この間、ほとんど雨にもあわず、左手に紺碧の太平洋をみながら、夏のような暑さの中をひたすら歩いたのが印象に残っております。

四国の歩き遍路で話題になる一つに「お接待」という習慣があります。これは私のような歩き遍路に通りがかりの人が「お茶」や「お菓子」あるいは「お金」を施してくれることで、私も45日間の遍路で多くの人からいろいろな形で「お接待」を受けました。徳島県から高知県に入る途中で車を運転していた中年の女性が車を止め「お遍路さんこれで飲み物でも買って下さい」と言って200円を戴いたのが最初で、この後徳島の牟岐町と海南町で有志のおばさん達に接待所でコーヒー、いも、お菓子などを戴き、休憩させてもらいました。この他巡拝したお寺でもコーヒーとお菓子の接待を何度か受け、疲れている時だけに非常に有難い思いをしたものです。そして「お接待」を受けた後は自分の住所と名前を書いた「納め札」をお礼代わりに渡すのも遍路の礼儀となっております。

この他、24番最御崎寺から39番延光寺までの16の寺および408キロの距離を16日間かけて巡礼した修行の道場では数々の出来事や苦楽が思い出として残っております。すべてこの稿で紹介出来ませんが、そのうちの2〜3の話題を綴ってみました。

高知(旧土佐)には日本の歴史でその名をとどろかせた偉人がたくさんおります。特に幕末から明治にかけた維新の時代では東の「中岡慎太郎」、中央の「坂本竜馬」そして西の「ジョン万次郎」こと「中浜万次郎」の足跡が道中で目につきました。なかでも「中浜万次郎」は足摺岬の近くの「中の浜」漁村の漁師の子供で、「万次郎」が仲間5人と太平洋に漂流し、アメリカ人に助けられ、ハワイからアメリカ本土に渡ったのであります。そしてアメリカで幅広く教育を受けた後、帰国して明治維新に貢献したわけでありますが、詳細については私も現地の資料館ではじめて知り、感銘を受けたものです。270度海に囲まれた足摺岬の展望台ですばらしい太平洋の海を眺めながら、「万次郎」達が漂流してしまった「太平洋」の大きさ、怖さを肌で感じたのは私ひとりではなかったと思います。

また、修行の道場408キロの道の大半はアスファルトの国道と県道を歩くのですが、歩き遍路を悩ます「長い橋」と「長いトンネル」があります。

32番禅師峰寺から33番雪蹊寺へ行く途中の浦戸大橋(約1500M)と、35番清滝寺から36番青龍寺へ行く途中の宇佐大橋(約1200M)はともに士佐湾の入江にかかる絶景の見える橋で、強風の中を菅笠を押さえながら歩いたのを思い出します。
一方、トンネルも数多く通りました。中でも37番岩本寺から38番金剛福寺への途中の伊豆田トンネルは全長1620Mもあり、行けども行けども出口が来ない気がしたのを覚えております。とにかく「橋」も「トンネル」も歩き遍路泣かせであります。

 

 

 

高知(旧土佐)の特産のひとつに太平洋で獲れる「かつお」があります。道中の宿泊はすべて旅館か民宿を利用し、1泊2食付きでした。特に夕食には必ず「さしみ」と「てんぷら」がつくのですが、なかでも高知ではどの宿も「かつおのたたき」がメインディッシュとなり、毎晩「かつおのたたき」を食べ、最後は今晩も「かつおのたたき」かと言う具合でした。朝食は「ご飯」「生たまご」に「味噌汁」がお決まりで、この夕食と朝食は総じて贅沢なものでした。

拝礼して行くお寺にもいろいろあります。昔のままの古い本堂のお寺や新しく立て替えた大師堂のお寺、見た目には羽振りのよさそうなお寺、貧相なお寺とさまざまです。なかでも住職さん自ら納経帳に記帳してくれる寺があって、年寄りの話し好きな面白い住職さんでした。我々歩き遍路が行くと「高知には美人が多いので気をつけなはれや」と忠告をもらったものでした。そう言えばミスワールドになった児島明子は高知の出身であったなと思い出しながら、同行のF氏と話し合ったものです。この後、田んぼ道を散歩している老人ホームで働く古手川裕子に似た女性、途中で道を教えてもらった颯爽と自家用車を運転する中年のご婦人、納経所でお茶を接待してくれた住職の奥さんとなかなかの美人にも会い、不謹慎なことですがこれも歩き遍路の思い出になりました。



最後に感心した話。27番神峰寺を参拝した後、宿泊した民宿「住吉荘」で80才の歩き遍路のM氏に出会いました。M氏は大学生の孫が交通事故で死に、この供養で88ケ寺の通し巡礼をしているとのことで、私が12日間で来た道を11日間で来たとのこと。全く感服しました。確かに体格も良く、健脚そのものという風貌でしたが、80才という年齢を聞き世の中には凄い人もいるもんだと思いました。M氏とは翌朝別れましたが、きっと88番大窪寺まで私より早く結願したものと確信しております。


このあと

第四回 菩提の道場(愛媛)

第五回 涅槃の道場(香川)とむすび