「四国88ケ寺徒歩巡り」体験記

        
石川信太郎        
hs.ishikawa@dream.com

 

第一回 出発への思いと準備

第二回 発心の道場(徳島)

第三回 修行の道場(高知)


第四回 菩提の道場(愛媛)

    40 観自在寺  41 龍光寺
42 仏木寺   43 明石寺

44 大宝寺   45 岩屋寺
46 浄瑠璃寺  47 八坂寺
48 西林寺   49 浄土寺
50 繁多寺   51 石手寺
52 太山寺   53 円明寺


54 延命寺   55 南光坊
56 泰山寺   57 栄福寺
58 仙遊寺   59 国分寺
60 横峰寺   61 香園寺
62 宝寿寺   63 吉祥寺
64 前神寺  

65 三角寺


10月24日は修行の道場(高知県)最後の39番延光寺(高如県・宿毛市)を午前8時に参拝し、これより菩提の道場(愛媛県)に向かいました。この日は40番観自在寺(愛媛県南宇和郡御荘町)には参拝せず、手前の玉水旅館に午後5時に入りました。旅館では明日より菩提の道場(愛媛県)を歩くのだと心を新たにしたものです。

翌25日は先ず40番観自在寺を午前7時半に参拝し、この後海抜Oメートルから460メートルの急峻な登りのあるへんろ道を主体に歩き、41番龍光寺に向かいました。しかしこの間の距離は約48キロもあり、途中の三好旅館に泊まることにし、さらに26日も手前の金龍荘旅館に宿泊して、3日目の朝41番龍光寺を参拝すると言う長丁場となりました。先にも書きましたが、足の「マメ」も治り、歩いていても何か体が軽く感じられるようになったことが今でも記憶に残っております。やはり「菩提の道場」の「菩提」と言うことは「悟りの境地」を意味するようですか、ここにきてそんな気分になったのも歩き遍路での体験のひとつであったろうか?

高知県ではずっと横浜のF氏と宮崎のWさんと3人で歩いてきました。特にF氏は現在65歳で、5年前の60歳の時に一度50日間かけて88ケ寺を巡礼し、今回は2度目という経験者で、いろいろお世話になりました。また、Wさんは61歳の女性ながら登山経験が豊富で、まさに男勝りの健脚の持ち主で、特に山くだりではその本領を遺憾なく発揮し、一緒に歩くのがタジタジの場面も多々ありました。ようやく「菩提の道場」に入ったことだし、ここらでF氏およびWさんとの同行から、一人で歩いてみたいという気持ちになり、松山市の51番石手寺を参拝した後、F氏とWさんを残し、一人先に出発しました。この後、F氏とWさんとは歩く速度が大体同じでもあり、いろいろのお寺や宿でもたびたび再会する機会がありました。そして、あとで分かったのですが、88番大窪寺の結願も同じ日であったようです。

歩いているとほんとに多くの巡礼者とも出会いました。自転車で廻っている青年、区切り打ちの夫婦連れや母娘等々。しかし一番多く出会ったのがやはり私と同年配の定年退職したサラリーマンOBでした。多くのお寺や宿そして行く道々と言葉を交わした巡拝者は数えきれませんでした。特に印象に残っているのが千葉県・野田市のH氏、神奈川県・相模原市のW氏、横浜市のU氏兄弟。U氏兄弟は兄さんが68歳、弟さんが64歳で区切り打ち。今回は横浜から尾道経由で宇和島に来て歩き始め、最後(88番大窪寺)まで行くのだとはりきっておりました。その後、道中、お寺、宿、食堂と度々出会い言葉を交わしておりましたか、途中弟さんが膝を痛めビッコをひきながら歩いており、元気な兄さんが引っ張る形で、「兄弟喧嘩」をしながら、ゆっくりと進んでおりました。結局、愛媛県の三島市の手前で別れましたが、最後まで行くことが出来たのかそれとも途中で横浜に帰ったのか心配になったものです。

また、この巡礼で私は4人の現地に住む友人とも会うことが出来ました。4人とも大学の同期生で卒業以来約40年間会っておらず、出発前に4人の住所と電話番号を控えておき、現地で電話を入れ、是非とも会おうと考えておりました。最初に会ったのが愛媛県・松山市に住むS君。そして愛媛県・川之江市のF君、香川県・多度津町のK君、同じく香川県・高松市のK君でした。4人とも40年目の再会でしたが、あった途端迷わず誰々君と直ぐ分かりました。あえて言えば多度津町のK君が一番昔の面影から変わっており,貫禄とでも言うか堂々とした風格をしており、学生時代の印象とは大分違っておりました。また、高松市のK君は中学、高校および大学と一緒で、家が85番八栗寺の近くと言うことで寺の境内で再会しました。その後K君の自宅に寄せてもらい、奥さんに昼食までご馳走になりました。昔の郷里での話やお互いの約40年間のサラリーマン生活の話、さらに退職後のこれからの話等々を語り合うことが出来、良かったと思っております。

語題を戻しますが、愛媛の宇和島市、大洲市等と四国の西端の町々を歩き、江戸時代の宿場町として栄え、歴史のある有名な「内子の街」を見物する予定でしたが、道を間違えて国道を突っ走ってしまい「内子の街」を残念ながら見ることが出来ませんでした。「歩き遍路」をしているとよく道を間違え、とんでもない方向へ行くことがあります、「歩き遍路」のため道々に案内標識が出ておりますが、これがないところもあり、土地の人に聞くのですが、人がおらない時は困ります。これまでもかなり間違え、この後もいろいろ道に迷い苦労しました。特に歩いていて道を尋ねる時は最近出版され、ベストセラーにもなった「話を聞かない男、地図が読めない女」という本にもあるように、脳の構造からして道は一般的に女性に尋ねるより、男性に尋ねる方が確実であることも体験しました。

         

 

へんろ道案内マークのいろいろ

また、お寺を巡拝して行くには複数のコースがある場合があり、事前に選択する必要があります。43番明石寺の次は順打ちの時は当然44番大宝寺、45番岩屋寺と巡拝するのが普通ですが、10月29日に宿泊した高橋旅館の女将さんのアドバイスで、先に45番岩屋寺に行き、次いで44番大宝寺を参拝しました。お寺の位置から、この方が距離も短く、同じ道を引き返す必要がないと言うことです。この他、61番香園寺参拝後、ここの宿坊で泊り、翌日海抜750Mの60番横峰寺に登りましたのが2度目の逆打ちでした。順打ちにこだわる人は無理にでも44→45番、60→61番と廻るのでしょうが、私の場合、距離とコース取りを考え、この二ヶ所のみ逆となりました。

真夏のような暑さの中を歩いた修行の道場(高知県)に引き換え、菩提の道場(愛媛県)に入り、特に10月27日当りから雨の影響もあって、気温が急に下がり、寒くなってきました。全体に11月8日の涅槃の道場(香川県)に入るまでは曇り勝ちの天侯が多く、また雨の中を度々歩きました。特に先にも書きました60番横峰時は四国最高峰の石槌山(海抜1982M)の麓にある海抜750Mの山寺です。ここでは震えながら参拝し、いそいそと下山しました。丁度この頃、宿で会った「逆打ちの歩き遍路」からの情報では88ケ寺で最も高い66番雲辺寺(海抜910M)では雪が降ったとのことでした。

10月31日には松山市に入り,翌11月1日には松山市街にある46番浄瑠璃寺、47番八坂寺、48番西林寺、49番浄土寺、50番繁多寺、51番石手寺,52番太山寺、53番円明寺の8つの寺を道後温泉にも入らず、一挙に巡拝しました。この後、曇り勝ちでしかも強風に吹かれて、左手に瀬戸内海を見ながら東へ東へと進みました。今治市、東予市、そして西条市まで来たわけです。

11月6日西条市の旅館・湯之谷温泉を出て、本来なら山側の遍路道を歩いて新居浜市を通過するのですが、私は昭和37年から41年秋までの4年半勤務した住友化学の工場群、生活した独身寮(成箕寮)周辺や自転車通勤した昭和通りなどを見てみたいと海側の道に出て新居浜市の市街を「遍路姿」で歩いてきました。転勤で新居浜市を出た後、出張で何度か来ましたが街並みをゆっくり歩くこともなかったので、40年近く過ぎた街並みの変貌ぶりにはびっくりさせられました。ここ10数年で新居浜地区の地盤沈下は著しいと聞いておりましたが、特に懐かしい「昭和通り」や「銀泉街」等は昔の活況はどこえやらという感じでした。

西条市の64番前神寺の後は新居浜市、土居町、伊予三島市を通過し、川之江市の65番三角寺が菩提の道場(愛媛県)最後の寺となります。65番三角寺には11月7日の午後1時に参拝し、午後3時には早々と民宿・大野屋(川之江市)に入りました。ここまで歩き始めて38日になりましたが、明日はいよいよ涅槃の道場(香川県)、第4コーナーを廻ってホームストレッチに入る思いでした。特に最初の66番雲辺寺は海抜910Mの88ケ寺中の最高の山岳寺でもあり、難所中の難所と聞いております。明日の起床を6時とし、雨模様の天候を気遣い寝床についたのであります。


このあと

第五回 涅槃の道場(香川)とむすび