2003年度 2004年度
11/25 対 三菱重工神戸
11/28 対 トヨタ自動車
11/29 対 一光
11/30 決勝戦 対 大阪ガス
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2003年 第74回都市対抗野球 (三菱ふそう川崎補強)
日産 延長サヨナラV 追加記事
十一回2死から粘りの連打
「強い気持ち」結実
日産自動車の伊藤が鋭く振り抜いた打球は右翼線いっぱいに入り、転々とフェンスまで達した。劇的なフイナーレだ。5ー5の同点で迎えた延長十一回。日産の攻撃は2死から8番・青柳、中原が連続安打で一、二塁とした。中原の打席で「オレまで回せ」と心の中で念じたという1番・伊藤は、カウント1−2から4球目の直球をジャ一ストミートして青柳がサヨナラ勝利の生還。今大会4試合で、伊藤が放った安打は5本だが、うち4本は打点付き。最後の最後まで、無類の勝負強さを見せつけた。
日産は今夏、6年連続出場していた都市対抗を逃した直後、約1週間は朝から夜までミーティングの日々を送った。バッテリーと野手に分かれて神奈川予選のビデオを繰り返し見て、それぞれの立場で一球一球について分析しながら負けた理由を洗い出した。互いに厳しいことも言い合い、夜10時にまで及ぶこともあったという。
そして今大会。「自分は何をすればいいのかを考えて行動で示すという、強い気持ちがチームに芽生えた」と、主将の渡辺は言う。
象徴的なのは、夏まで正捕手だった中原。今大会控えに回り、新人の須田がマスクをかぶり続けた。だが、1点を追う六回から途中出場し、冷静なリードで3番手左腕・中村の持ち味を引き出して、大阪ガスを無得点に封じた。六回に代打出場した岩越は、八回2死無走者から起死回生の同点ソロをバックスクリーンにたたき込んだ。
「みんなが持てるカを出し切ってくれた結果」と久保監督。夏の雪辱の思いは、優勝戦で見事に結晶した。
◇最高殊勲選手賞
伊藤祐樹内野手(日産自動車)=初
1番・遊撃手として4試台フル出場し、16打数5安打6打点。優勝戦では、決勝の二塁打など3安打3打点の活躍で打線をけん引した。福井工大卒。31歳。
【優秀選手】 | ||
▽投手 | 押本健彦、中村将明(以上日産自動車)、山田幸二郎、能見篤史(以上大阪ガス)、 内山博昭(ミキハウス) |
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▽捕手 | 中野滋樹(ミキハウス)、柴田秀仁(一光) | |
▽一塁手 | 栗栖敏(大阪ガス)、柏野浩二(ミキハウス) | |
▽二塁手 | 坂上真世(一光) | |
▽三塁手 | 青柳大輔(日産自動車)、山井晃男(トヨタ自動車)、西田朋生(NTT西日本) | |
▽遊撃手 | 伊藤祐樹(日産自動車)、岩本達也(大阪ガス) | |
▽外野手 | 飯塚智広(NTT東日本)、嶋田功一、丸山義人(以上日立製作所) | |
▽指名打者 | 沢多弘也(大阪ガス)、広瀬栄作(トヨタ自動車) |
(毎日新聞 2003/12/1)
第30回記念社会人野球日本選手権大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)で、県勢の東芝と日産自動車は25日、初戦を迎える。
日産自動車は、8強をかけ、三菱重工神戸(兵庫県)と第2試合で対戦する。今夏の都市対抗県予選で敗退後、連日10時間近いミーティングを行い、自分たちの野球を見つめ直した。久保恭久監督は「忘れかけていた勝負への執念を思い出し、普段から強い気持ちで試合に臨めるようになった。初戦は継投がポイント」と奮起に期待する。 (2003/11/25 毎日新聞神奈川版)
11/25 対 三菱重工・神戸
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
三菱重工・神戸 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 |
日産自動車 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | x | 4 |
伊藤:打数3、安打1(三塁打)、打点2
日産は1−1で迎えた7回、伊藤の2点三塁打で勝ち越し、8回にも1点を加えて逃げ切った。
(時事通信)
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夏の雪辱戦幕開け
○…日産自動車の4得点には、勝利への執念が凝縮されていた。4点をたたき出した吉浦、伊藤、四之宮。この3人は10月にキューバで行われたワールドカップ(W杯)に日本代表として出場したため、日本選手権の予選に出られなかった。「みんなが頑張ってくれたおかげで、自分がこのグラウンドに立っている」。3人ともチームメートヘの強い感謝の思いを口にした。
今夏、6年続いていた都市対抗出場を逃した。久保監督が「選手たちの目の色が違う」という日産自動車の雪辱の舞台が、幕を開けた。
(2003/11/26 毎日新聞)
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県勢、ともに初戦突破 <第4日>
第30回記念社会人野球日本選手権大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)第4日の25日、県勢の東芝、日産自動車が登場した。東芝は八回に松田直樹選手の二塁打で逆転して3―2で三菱重工名古屋(東海)を降し、2回戦進出。日産自動車は六回以降、着実に加点し、三菱重工神戸(近畿)を4―2で振り切り、8強一番乗りを果たした。東芝は27日の第3試合でミキハウス(近畿)と8強進出をかけ、日産自動車は28日の第1試合で、トヨタ自動車(東海)と4強入りを目指し対戦する。
日産自動車は、五回まで、相手に1安打に抑えられ、攻撃の糸口をつかめない。
一方、中村将明、押本健彦両投手が要所を締める好投。六回無死一塁も、救援した押本投手が、併殺で切り抜け、打線の援護を待った。木寺徹コーチの義父佐藤忠男さん(58)は「須田(光捕手)がいいリードをしている。今夏の都市対抗予選のリベンジをきっとやってくれる」とナインを信じ、声援を送った。
その裏、スタンドに応援歌「突撃のテーマ」がこだまする中、攻撃を開始した。吉浦貴志選手が左前適時打を放つと、スタンドは待望の先取点に沸き返った。久保恭久監督の父儀雄さん(73)は「ようやくエンジンがかかり、日産のつなぐ野球になってきた」とうれしそう。
同点とされた直後の七回には、2死一、三塁から伊藤祐樹選手の三塁打で2点を奪い、再び突き放すと、中原慎一選手の母真由美さん(49)は「このまま勝って」と笑顔。スタンドも押せ押せムードに。
最終回、1点を返され、なおも2死一、二塁のピンチ。「押本がんばれー」。スタンドから後押しを受け、最後の打者を内野フライに打ち取った。日産自動車社員、大谷真一さん(55)は「次はトヨタと自動車対決。負けられません」と早くも次の試合に闘志を燃やしていた。
◇初めから飛ばす−−渡辺敦・日産自動車主将
投手陣がよく踏ん張ってくれたが、打つほうにとっては歯がゆい試合だった。前半の攻めが淡白で、日産らしさに欠けていた。後半にようやくエンジンがかかった。次は初めから飛ばしていく。
(2003/11/26 毎日新聞神奈川版)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
トヨタ自動車 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
日産自動車 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | x | 2 |
本塁打 小山、大庭
伊藤:打数3、安打0、打点0
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4強出そろう
第7日は準々決勝4試合があり、ベスト4が決まった。自動車メーカー対決の第1試合は日産自動車(関東)がトヨタ自動車(東海)に零封勝ちし、2年ぶり4回目の4強入り。
日産 魂の粘勝
夏の悔しさを胸に 亡き同僚のために
「魂を込めて戦え」。久保監督の言葉通り、日産自動車がしびれるような接戦を制した。
トヨタ自動車の川岸、日産・宮田の両先発が力投し、六回までゼロ行進。日産のルーキー捕手・須田は「早いカウントから打ってくる」とトヨタの打者を分析し、その打ち気を利用した。初球はプレートをいっぱいに使って丁寧にコースを突き、宮田の右横手から浮き上がってくる伸びのある直球とシュート、カーブのコンビネーションで打たせて取る組み立てに徹した。その頭脳的なリードはエース宮田に「須田を信頼しているから全部任せている」と言わしめた。
バッテリーの粘りは七回、主砲の一発を呼び込んだ。2死無走者から4番・小山が右翼席にライナーでソロをたたき込んだ。そして八回一死一、三塁のピンチでは、投前スクイズを本塁で三塁走者を刺してホームを死守。なお2死一、二塁でトヨタの3番・日橋の大飛球を中堅の吉浦がフェンスに激突して好捕。「ビッグプレーの直後の攻撃を簡単に終わらせたくなかった」という大庭が八回に左越えソロを放ち、突き放した。
日産自動車は今夏、6年連続出場していた都市対抗を逃した。そして8月24日、7月の練習中に心筋炎のためグラウンドで倒れた2年目の左腕・小沢裕昭投手(当時24歳)の悲報が届き、チームは衝撃を受けた。小沢投手の写真とユニホームも予選からずっとベンチ入り。「小沢と一緒に戦っている」という小山の言葉はチームの思いそのものだ。日大の先輩だった小沢を慕って日産に入った須田は「小沢さんにいい報告をする」と毎試合、決意を新たにしている。
試合後、久保監督は選手たちに最大の賛辞を贈った。「魂を揺さぶる試合だった」
日産自動車・久保恭監督
今日の川岸には連打が期待できないので、あれば一発と思っていた。4番が4番らしい働きをしてくれた。我々は勝利に飢えている。
(2003/11/29 毎日新聞)
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自動車対決、日産制す−−2発と好守で4強
投打がっちり。4強進出――。第30回記念社会人野球日本選手権大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)第7日の28日、県勢の日産自動車は準々決勝でトヨタ自動車(東海)と対戦。中盤まで緊迫した投手戦となったが、日産は七回に小山豪選手の値千金の本塁打で均衡を破ると、八回にも大庭圭太郎選手が本塁打。投げては、宮田仁、中村将明両投手が、トヨタ打線を5安打に抑え、2―0で2年ぶりのベスト4進出を決めた。日産自動車は29日の準決勝第1試合で、一光(東海)と決勝進出をかけ対戦する。
「今日は宿命の対決。絶対負けられない」。日産自動車取引先の木下順光さん(55)が闘志を燃やす中、「自動車対決」は始まった。
序盤は投手戦。先発の宮田投手が、要所を締め、得点を許さない。七回1死二塁のピンチも、緩急をつけた投球で後続を断った。一方、日産打線も、六回まで相手に1安打に抑え込まれる。渡辺敦主将の義父野村耕司さん(68)は「宮田投手がよく頑張っている。そろそろ打者が助けてやらないと」と、心配そうに試合を見つめる。
そんな観客の不安を一掃したのは4番の一振りだった。小山選手が4球目の真ん中シュートをライナーで右翼席にたたきこんだ。待望の先制本塁打にスタンドは総立ち。
日産自動車社員の池田秀樹さん(49)は、思わずガッツポーズ。「この一発は大きい。これでいける」と笑顔を見せた。
しかし相手も簡単には引き下がらない。八回、連打を浴び、2死一、二塁。長打が出れば、逆転の場面。相手打者が振り抜いた打球は中堅を守る吉浦貴志選手の頭上を襲った。「やられたかー」。スタンドに響く悲鳴。だが、吉浦選手がフェンスにぶつかりながら、ダイビングキャッチ。目をくぎ付けにする好捕にスタンドは興奮の渦。「ナイス吉浦!」。スタンド最前列まで詰めかけた観客が、ベンチに戻ってくる吉浦選手を赤いうちわを振って出迎えた。四之宮洋介選手の父明さん(53)は「超ファインプレー! ビールもうまくなってきた」と上機嫌。
その裏、大庭選手にも本塁打が飛び出し、ダメ押し。最後は中村投手が3人で締めた。久保恭久監督の父儀男さん(73)は「今日は小山、吉浦、宮田、みんなが頑張った。みんなが主役」と選手たちをたたえた。
◇これで波に乗れる−−渡辺敦・日産自動車主将
ヒヤヒヤです。予想以上に相手投手がよかったが、宮田と中村がよく投げてくれた。打つ方では、小山が苦しいところを一振りで決めてくれた。さすが4番。これで(次も)チームが乗っていける。
(2003/11/29 毎日新聞神奈川版)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
一光 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 |
日産自動車 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | x | 6 |
伊藤:打数5、安打1、打点1
日産 5回の攻撃
四之宮:四球、吉浦:ヒット、小山:四球、渡辺2塁打、村上:四球、
大庭:フライアウト、青柳:四球、須田:ゴロアウト、伊藤:ヒット
一光 6回の攻撃
鈴木:2点本塁打
日産 7回の攻撃
四之宮:ヒット、須田:犠打、小山:2塁打
好機逃さず日産
きょう大阪ガスと優勝戦
第8日は準決勝2試合。ダイヤモンド旗をかけた優勝戦は、ともに初優勝を目指す日産自動車(関東)と、大阪ガス(近畿)の顔合わせとなった。優勝戦で関東勢と近畿勢が対決するのは2年連続。第1試合は、過去準優勝2回の日産自動車が四回、打者一巡の攻撃で5点を先取。押本が一光(東海)の反撃を2ランのみに抑え、9年ぶりの優勝戦進出を決めた。第2試合は、大阪ガスがミキハウスに競り勝ち、準優勝した第18回大会以来12年ぶりの優勝戦に進んだ。優勝戦は30日午後1時プレーボール。
好機に畳み掛けた日産自動車が快勝。四回、一光の先発・野崎から安打と2四球で無死満塁の好機を作り、渡辺が右前に抜ける二塁打を放ち2点を先取。さらに2番手・妹尾から四球を選んで再び満塁とし、押し出し四球などで3点を加えて突き放した。
日産自動車は二、三回、先制のチャンスをいずれも併殺でつぷした。だが、バッテリーの踏ん張りが、嫌な流れを素早く断ち切った。
四回、2四球などで無死満塁とすると、5番・渡辺の打球は投手強襲の2点適時二塁打となった。さらに伊藤の適時打などでこの回一気に5点を先取。「気持ちで打った。投手陣が頑張っているから早い回に点を取ろうと、毎回ベンチで野手に声をかけた」という主将の渡辺が、自らのバットでキャプテンシーを発揮した。
その投手陣。押本は切れのいい140キロ台の直球を主体に、チェンジアップと90キロ台前半のスローカーブをバランスよく使い、五回まで無安打投球。六回には一光の1番・鈴木に2ランを浴びたが、4安打2失点完投、9奪三振、1死球の安定した内容だった。
この日の押本で最も光ったのは、先頭打者を出したのが九回だけだったことだ。機動力と小技とつなぎの野球で勝ち上がってきた一光打線を封じるには「先頭打者を出さないこと」。前日に押本と須田が綿密に話し合った末の、最も有効な対策だった。「バッテリーがうまく打ち台わせしたんだろう。押本は今までとは違う、大人の投球だった」と久保監督。ドラフトで日本ハムに4巡目指名された21歳右腕も、「今はこの大会しか考えていない。全カを出し切る」と意気込みを熱く語った。
この20年間で2度の都市対抗優勝を誇る日産だが、日本選手権では準優勝が2度。都市対抗を逃した今夏の雪辱の思いは、日本選手権の初の頂点を極めて、完結する。
日産自動車・久保恭久監督
どっしりと見ていられる試合だった。明日は一心不乱に一球に取り組んで、あきらめの悪い野球をしたい。関東の意地を見せる。
優勝戦はいつも通りでは勝てない特別な試合。最初から最後までハイテンションな精神状態で、気持ちの浮き沈みのない試合をしたい。
(2003/11/30 毎日新聞)
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日産、Vかけ大阪ガスと対戦−−きょう
◇一光降し、初のダイヤモンド旗に王手
投打で圧倒、決勝進出!――第30回記念社会人野球日本選手権大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)第8日の29日、県勢の日産自動車が決勝をかけ、一光(東海)と対戦。日産は四回、渡辺敦、伊藤祐樹両選手の適時打などで5点を奪うと、投げては押本健彦投手が9奪三振の力投で6―2で9年ぶりの優勝戦進出を決めた。日産自動車は30日の優勝戦で、大阪ガス(近畿)と初のダイヤモンド旗を目指し対戦する。
◇主将の一打、打線に火
準々決勝まで1安打と今一つ調子に乗れていなかったチーム最年長で主将の渡辺選手が意地を見せた。四回無死満塁の好機。チームは、二、三回と併殺で好機を逃していた。「ここで打たないと流れが悪くなる」と4球目を振り抜いた。打球は投手のグラブをはじく執念の先制打。渡辺選手の義父野村耕司さん(68)は「都市対抗予選で負けてから、一生懸命やっていたから神様が打たせてくれた」と顔を赤くして感激した様子。
この一打で日産打線に火がつく。更に2点を追加した後、伊藤選手が中前に適時打を放ち、この回一挙5点。七回にも、四之宮洋介選手の安打で好機を作ると、小山豪選手が適時打。鳥海健次郎マネジャーの母直美さん(51)は「夏は負けたけど今回は絶対優勝!」と赤いうちわを右に左に振って絶叫。
投げては、ドラフト会議で、日本ハムに指名された押本投手が素晴らしい投球。力強い直球で五回まで、相手打線を無安打に抑え込む。
しかし六回、初安打を許し、1死後、左ポール直撃の2点本塁打を浴びてしまう。応援席では、留学先のニュージーランドから駆けつけた押本投手の恋人の平中尚子さん(25)も「日産としては試合をするのは、今回が最後かもしれない。がんばって」と両手を組み、祈るようにマウンドを見つめる。
押本投手はその後立ち直り、完投。尚子さんは「すごい。本当におめでとう。明日もみんなで勝ってほしい」と目を潤ませた。
投打ががっちりかみ合い快勝。「神奈川代表として精いっぱい戦う」と久保恭久監督。初のダイヤモンド旗まであと一歩だ。
◇うちらしい野球を−−渡辺敦・日産自動車主将
四回に四球絡みで大量点を取れたのが大きかった。その後もいい感じで得点できた。押本(投手)はプレッシャーのかかるところで意地を見せた。決勝戦は気負うことなく、全員が一つになってうちらしい野球をする。
(2003/11/30 毎日新聞神奈川版)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | R | |
大阪ガス | 0 | 2 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 |
日産自動車 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1x | 6 |
本塁打 渡辺、岩越
伊藤 打数4、安打3、打点3
日産 4回の攻撃
小山:三振、渡辺:ホームラン
村上:四球、大庭:四球、青柳:ヒット、須田:三振、伊藤:ヒット
日産 7回の攻撃
伊藤:二塁打、四之宮:犠打、吉浦:三振、小山:三振
日産 8回の攻撃
岩越:ホームラン
日産 11回の攻撃
村上:アウト、岩越:三振、青柳:ヒット、中原:ヒット、伊藤:サヨナラ二塁打
社会人野球:日産が初優勝 日本選手権
単独チーム日本一を決める大会は30日、優勝戦を行い、日産自動車(関東)が延長十一回サヨナラ勝ちで大阪ガス(近畿)を降して初優勝。都市対抗と合わせた2大大会で3回目の頂点に立った。関東勢の優勝は、第26回大会のシダックス以来4年ぶり。試台は日産自動車が八回に追いつき、優勝戦としては22大会ぶり3回目の延長にもつれこんだ。延長十一回、日産自動車は2死からの連打で一、二塁とし、1番・伊藤の適時二塁打で試合を決め、3回目の優勝戦進出で初めてダイヤモンド旗を手中にした。最高殊勲選手賞は決勝打の日産自動車・伊藤祐樹内野手、敢闘賞には大阪ガスの能見篤史投手が選ばれた。
日産自動車 1959年創部。日本選手権には第5回大会に初出場し、今回は13回目。準優勝2回、8強以上は過去7回。都市対抗は24回出場し優勝2回、準優勝1回。プロには川越英隆(オリックス)、鷹野史寿(近鉄)らを輩出。
大阪ガスは二回、四球と犠打で1死二塁とし、牧野の中前への安打が敵失を誘う間に1点先取。さらに小野の右中間適時二塁打で1点を加えた。
大阪ガスは四回、沢多の中前打と四球などで2死一、二塁とし、この回途中から救援登板した押本から馬淵が右前適時打を放って1点を加え、リードを広げた。
その裏、日産が反撃。1死後、主将の渡辺が右越えソロで口火を切ると、連続四球の後、青柳の右前適時打で1点差。2死後、伊藤が中前打で2者を還して逆転した。
大阪ガスも譲らない。五回、田中、岩本の連打に続いて、4番・沢多が右翼線を深く破る二塁打を放って2人を迎え入れ、リードを奪い返した。 日産は八回、岩越の中越えソロで追い付いた。九回は両チームとも守り切り、延長戦にもつれ込んだ。
日産は延長十一回、2死から青柳、中原の連打で走者一、二塁とし、1番・伊藤が右翼線に適時二塁打。サヨナラ勝ちで頂点を極めた。
◇伊藤がよく打った
日産自動車・久保恭久監督
こういう(接戦の)展開になることは予想できる相手だった。最後は2死からつないでくれたし、その粘りに応えて伊藤がよく打ってくれた。
どちらが勝ってもおかしくない試合で、うちの選手が最後に踏ん張りを見せてくれた。今後の財産になると思う。アマチュアらしく、お互いに最後まであきらめの悪い、いいゲームが出来た。
(毎日新聞 2003/12/1)
[社会人野球日本選手権]優勝戦 日産自動車、悲願のVがっちり!
◇息のむ延長、感動の幕引き
サヨナラだ。初優勝だ――。第30回記念社会人野球日本選手権大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)は30日、優勝戦で県勢の日産自動車が大阪ガス(近畿)と対戦。逆転、再逆転の息詰まる熱戦は同点のまま延長戦に突入したが、十一回裏に日産自動車の伊藤祐樹選手が右翼線にサヨナラ二塁打を放ち、6―5で悲願の初優勝を果たした。県勢の日本選手権優勝はこれで5回。最高殊勲選手賞には、伊藤選手が選ばれた。
大会前、久保恭久監督は「選手たちの勝負にかける執念を見たい」と話していた。その答えを日産ナインは最後の舞台で見せた。
5―5で迎えた延長十一回も走者なく2死。だが、ナインはあきらめていなかった。燃えに燃えているスタンドに後押しされるように青柳大輔、中原慎一両選手が連打でつないだ。
一、二塁。恐るべき執念で一気に「サヨナラの舞台」が出来上がった。
「ゴーゴー伊藤!」。ここで打席は四回に逆転打を放った伊藤選手。4球目をこん身の力で振り抜いた打球は右翼線へ。「切れるな!」。打球を追うスタンド。落ちる打球。「うおー。フェアだ」「サヨナラだ!」。スタンドから青、赤、黄の紙テープが舞う中、ベンチから一斉に選手が飛び出す。都市対抗県予選敗退から163日目。雪辱を期した日産ナインの執念が最高の形で幕を閉じた瞬間だった。
サヨナラで初優勝を飾った日産だったが、試合は今大会で初めて先制を許すなど嫌な展開。しかし日産ナインは慌てなかった。四回、渡辺敦主将が右越え本塁打で反撃ののろし。更に青柳選手の右前打で1点差とし、2死二、三塁から伊藤選手が逆転打を放つと、畑山卓見選手の父義之さん(59)は「接戦になったら日産が強い」。
しかし相手も粘る。直後の五回、逆転を許す。点を取ったら取られる苦しい展開の中、中村将明投手の粘りの投球が流れを引き寄せる。再三走者を許すも得点を与えない。久保監督の父儀雄さん(73)は「中村は調子を上げている。これからが勝負」。八回には岩越和宏選手が援護の同点弾をバックスクリーンにたたき込んだ。
そして歓喜を呼ぶ十一回。伊藤選手がサヨナラ打を放ち、スタンドが割れんばかりの歓声に包まれた瞬間、伊藤選手の母隆子さん(62)は「必ず打ってくれることを祈ってました。本当にうれしい」と目を潤ませていた。
◇全員が一つに…渡辺敦・日産自動車主将
優勝は全員が一つなって頑張った結果。もう試合がすご過ぎて実感がわかないです。
◇寮監16年「夢みたい」
○…バックネット裏では、来年1月限りで退職する日産自動車野球部寮の寮監、安平紘さん(59)、洋子さん(54)夫妻がナインの雄姿を見守った。安平夫妻はこれまで16年にわたり、選手の食事など日常生活の世話をし、選手が落ち込んでいるときにはしった激励するなど選手を支えてきた。今大会前は「30日まで帰ってくるな」と言って選手を送り出した。その言葉通り、見事優勝を飾ったナインに「夢みたい。これで安心してバトンタッチできます」と喜んでいた。
◇合言葉は「小沢のために」−−渡辺敦主将(33)
「小沢のために、自分のために、おれたちは勝つんだ」。今大会初めて先制を許す苦しい展開の中、四回に執念の本塁打を放つなどチームを引っ張った。
今季は都市対抗の県予選敗退と小沢裕昭投手の突然の悲報に打ちのめされた。葬儀後、ナインに「小沢のためにも頑張り結果を出そう」と話し、沈む気持ちを振り払った。優勝戦で「打ててよかった」と話した笑顔の裏には、今大会にかけるこうした思いがあった。
毎日の練習は必死だった。「今までは甘えがあった」と自分を見つめ直し、一つ一つの練習に気持ちを込めた。「小沢のためにも」。ただその一心だった。
優勝戦のベンチには予選からずっと持ってきた小沢投手の遺影とユニホームがあった。「小沢が見守っていてくれた。ずっと一緒に戦っていたんだ」。苦しみと悲しみを乗り越え、つかんだ初優勝。「次は都市対抗出場、そして優勝だ」。力強い決意に遺影の小沢投手がほほ笑んだように見えた。
(2003/12/1 毎日新聞神奈川版)
[社会人野球日本選手権]日産ナイン、天までとどいた初優勝
◇小沢投手の遺影と共に
「天までとどけ初優勝」。第30回記念社会人野球日本選手権大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)は、日産自動車の劇的なサヨナラ勝利で11月30日に幕を閉じた。
優勝戦で、初優勝を飾った日産ナインの歓喜の胴上げの輪の中心では、久保恭久監督(43)と一緒に、あるじなき背番号「18」のユニホームと遺影が宙に舞った。
それは、今年7月、練習中に心筋炎で倒れ、翌月亡くなった左腕・小沢裕昭投手(当時24歳)のユニホームだった。
今夏の都市対抗出場を逃した日産チームは、今大会予選から遺影とユニホームをベンチに持ち込んだ。「小沢と一緒に戦う」が合言葉だった。
優勝戦で、五回途中から延長十一回までを投げきった中村将明投手(27)は試合後、「左投手は小沢と自分しかいなかったから、小沢の分までと思い、最後まで投げました。ピンチが多くて、しのいでベンチへ戻るたびに『頼むな』と遺影に語りかけました」と話すうちに、涙があふれた。
小沢投手のお守りを引き継いで、ずっとお尻のポケットに入れていたという久保監督は「この試合の前に『ここまで小沢と一緒に戦ってきた。優勝を天までとどけよう』と選手に言って聞かせた」と言葉を詰まらせた。
日大の後輩で、今年入社した須田光捕手(23)は、「いつか大きな舞台で一緒にバッテリーを組もう」と励まし合ったという。今大会は初戦から強気のリードで投手を引っ張った。閉会式で優勝メダルをかけてもらうと、両手に抱えた遺影を何度ものぞき込んだ。「メダルをよく見てもらおうと思って。『もらいましたよ』って話しかけました」と照れくさそうに笑う目の奥には涙が光った。
「言葉に出さなくても、目を見ればみんな同じ思いだということがわかった」と渡辺敦主将(33)。全員が小沢投手への思いを胸に秘め、一丸となってつかんだ初優勝だった。
(2003/12/2 毎日新聞神奈川版)
日産自動車本社の創業70周年の年に、初めて秋の日本一を手にした。延長11回2死一、二塁から、伊藤が殊勲打。「打ったあとは笑ってくれているように見えました」と伊藤はベンチの遺影を振り返った。将来を期待された2年目の小沢裕昭投手(享年24)が7月に心筋炎で倒れ、8月24日に帰らぬ人に。ナインは11月5日に甲府市の墓前で必勝を誓ってきた。「我々の気持ちは天まで届いたと思います」と久保恭久監督(43)も声を震わせた。
(2003/12/01 日刊スポーツ)
日産自動車サヨナラ初優勝
社会人野球日本選手権は30日、大阪ドームで決勝が行われ、日産自動車(神奈川)が初優勝を飾った。1点を追う8回、岩越和宏(24)の一発で追いつき、延長11回2死一、二塁、伊藤祐樹(31)が右翼線二塁打を放ち、大阪ガス(大阪)に6―5でサヨナラ勝ち。練習中に倒れ、8月に他界した小沢裕昭さん(享年24歳)に、悲願のVをささげた。なお、最高殊勲選手には伊藤が選ばれた。
サヨナラ打の伊藤MVP
打席に入る前、ある“視線”を感じたという。「あいつの顔が、怒ってるように見えたんです」ベンチの奥に置かれた小沢さんの遺影を見て、伊藤が奮い立った。延長11回2死からつくった一、二塁の好機。直球を引っ張ると、右翼線でボールが弾み、日産自動車が劇的な幕切れで初の頂点に立った。
2年目左腕の小沢さんは、7月の練習中に心筋炎で倒れ、8月24日に帰らぬ人になった。11月5日、ナインは山梨・甲府市へ墓参りに出かけ、優勝を誓った。「選手には気持ちが天まで届く試合をしろ、と言いました…」と、久保恭久監督(43)は声を詰まらせた。
前日(29日)には、日産自動車を母体とする横浜Fマリノスが、Jリーグの完全制覇を達成。同クラブの左伴繁雄社長(48)から「次は野球で紙面を飾ってください」とエールを送られた。連日のタイトル奪取で、本社の創業70周年を彩った。
(報知ベースボールパーク)
決勝戦に相応しい手に汗握る試合展開
大阪ガスが先制するも、すぐに日産自動車が逆転。また、大阪ガスが突き放しても日産自動車が追い付く。勝負の行方は延長にまで持ち込まれた。
延長11回裏。
5回からロングリリーフの能見篤史投手(大阪ガス)は簡単に二死を取るが…青柳大輔内野手、途中出場の中原慎一捕手から連打を食らい、二死1、2塁に。(前々回、前回同様、能見にとっては鬼門の7イニング目)
そして、ボールカウント1−2からW杯全日本代表の主将を務めた伊藤祐樹内野手が放った痛烈なライナーは、一塁手・栗栖敏内野手が精一杯に伸ばしたミットの上を越えて、右翼線を転がって行く。2塁走者の青柳が両手を広げてホームイン。劇的なサヨナラ勝ちで日産自動車が選手権大会初制覇を成し遂げた。今夏、6年振りに都市対抗出場を逃した雪辱を晴らしたのと、会社創立70周年に花を添える形で。
試合後の礼を終えて、日産自動車ナインの歓喜に満ち溢れた胴上げが始まった。その輪の中には、大会中も常に“ベンチ入り”していた背番号18のユニフォームと一枚の遺影も舞う。
今年の7月、練習中に入団2年目の左腕・小沢裕昭投手が心筋炎で倒れた。そして、8月24日…それが元で、小沢は24歳という短い生涯を閉じる。日産自動車ナインにとってはあまりにも悲しい出来事であった。
「魂を込めて戦え!」 大会中、久保恭久監督が何度もそう口にしたのは、このような背景があったからだろう。現に、日産自動車ナインは随所で魂の込もったプレーを見せてくれた。対トヨタ自動車、対一光で中堅手・吉浦貴志外野手がフェンスに激突しても、背走して掴み取った打球を離さなかったのはその象徴だったとも言える。
話しを戻そう。
小沢の遺影を何度も大阪ドームの天井に突き上げていたのは、スタメンマスクを被っていた須田光捕手。
須田は小沢の大学(日大)時代からの後輩にあたり、小沢を慕い、日産自動車へやって来た経緯がある。
「いつも小沢さんと一緒に戦っている」
顔を涙でグチャグチャにしながら、男泣きする姿から存分に須田の想いが伝わって来たことは言うまでもない。
スポーツライター・島尻譲の【野球日記】
社会人野球日本選手権で初優勝した日産自動車の久保恭久監督や渡辺敦主将らが3日午前、東京都中央区の本社ビルを訪れ、カルロス・ゴーン社長に優勝を報告した。久保監督は「社長の『野球部を誇りに思う』という言葉を胸に、チーム一丸となって戦った。会社の70周年に花を添えられて良かった」と述べた。
ゴーン社長は、メダルを首から下げて優勝旗やトロフィーなどを抱えた監督や選手一人ひとりと握手した後、「献身的な努力に加えて才能を発揮し、素晴らしい成績を残してくれた。良い思い出にするとともに、さらにレベルを高めてほしい」と選手らをたたえた。
また、記者から「選手には車1台?」と聞かれると、「その質問にはびっくりだが、高い成果には見返りがあることを示したい」と苦笑していた。
読売新聞 2003/12/4
★ゴーン社長にV報告
第30回記念社会人野球日本選手権(毎日新聞社、日本野球連盟主催)を初制覇した日産自動車の久保恭久監督、渡辺敦主将らが3日、同社のカルロス・ゴーン社長に優勝を報告した。ゴーン社長は「これまでの努カと強い精神カが実った素晴らしい優勝だった」と、チームの健闘を称賛。支援しているJリーグ・横浜Fマリノスも劇的な前後期優勝を決めたこともあって、「マリノスと野球部の優勝は日産再生の集大成」とご機嫌だった。
久保監督は「応援していただいている愛情を感じた。また、この場に来たいと思わせてくれる人」と話し、一層の飛躍を誓った。伊藤祐樹内野手は「すごいことをやったのかなという実感がわいてきました」と、喜びをかみしめていた。
毎日新聞 2003/12/4
社会人野球日本選手権 日産野球部が優勝報告−−毎日新聞東京本社来訪
第30回記念社会人野球日本選手権大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)で初優勝した日産自動車の久保恭久監督らが8日午前、東京都千代田区の毎日新聞東京本社を訪れ、北村正任・毎日新聞社主筆に優勝を報告した。北村主筆は「悔しがっているチームがいるから来年は大変ですね」とたたえた。久保監督は「会社設立70周年、第30回の大会でタイミング良く勝てて生涯忘れることはない」と喜んだ。
毎日新聞 2003/12/8 東京夕刊
キンデランらがベストナインに 社会人野球
03年社会人野球ベストナイン(スポーツニッポン新聞社制定、毎日新聞社、日本野球連盟協力)の10選手が16日、発表された。初受賞は7人で、関東の選手が9人を占めた。DHで都市対抗久慈賞のキンデラン(シダックス)が過去最年長の39歳で外国人枠選手として初めて選ばれた。
ワールドカップでも活躍した都市対抗若獅子賞の野間口(同)が、都市対抗橋戸賞の谷村(三菱ふそう川崎)を抑えて受賞。都市対抗優勝の三菱ふそう川崎からは、決勝で同点打を放った西郷一塁手が歴代2位の5度目の栄誉、高根沢捕手は巧みなリードが評価された。日本選手権を初制覇した日産自動車は、最高殊勲選手賞の伊藤遊撃手と、ワールドカップMVPの吉浦外野手が入った。
◇ベストナイン◇
位置 | 氏名 | チーム | 受賞回数 | |||
投手 | 野間口貴彦 | : | (シダックス) | 初 | ||
捕手 | 高根沢力 | (三菱ふそラ川崎) | 初 | |||
一塁手 | 西郷泰之 | (三菱ふそう川崎) | 2年連続D | |||
ニ塁手 | : | 高橋賢司 | (NTT東日本) | 初 | ||
三塁手 | 玉城一 | (NTT東日本) | 初 | |||
遊撃手 | 伊藤祐樹 | (日産自動車) | 2年ぶりB | |||
外野手 | 吉浦貴志 | (日産自動車) | 2年連続A | |||
〃 | 山内弘一 | (三菱自動車岡崎) | : | 初 | ||
〃 | 鈴木貴光 | (日立製作所) | 初 | |||
DH | キンデラン | (シダックス) | 初 |
※西郷の受賞回数のうち1回は外野手で
(毎日新聞 2003/12/17)
http://www.jaba.or.jp/best-nine.htm
(後列左から)鈴木、吉浦、山内、キンデランの代理シダックス土田マネジャー、伊藤 (前列左から)野間口、高根沢、西郷、高橋、玉城 |
03年社会人野球ベストナイン(スポーツニッポン新聞社制定、毎日新聞社、日本野球運盟協カ)の表彰式が22日、東京都内のホテルで開かれ、指名打者を含む10選手にスポーツニッポン新聞東京本社の白根邦男社長から盾と記念品が贈られた。
受賞者の平均年齢は昨年よりも0.5歳高い28.7歳。初受賞は7人。受貫者のなかで最も若い20歳の野間口貴彦投手(シダックス)が代表して「(大学を中退したため)野球ができなかづた昨年を考えると夢のような1年だった。監督、コーチ、会社に感謝したい。今年以上の結果を出し、来年もこの場に立てるよう頑張りたい」とあいさつした。史上最年長の39歳で外国人枠選手として初選出されたDHのキンデラン(同)は、キューバに帰国したため欠席した。
SponichiAnnex 2003/12/23
社会人ベスト9
スポーツニッポン新聞社制定の2003年度社会人野球ベストナイン(協力・日本野球連盟、毎日新聞社、協賛・シチズン商事)の表彰式が22日、都内のホテルで行われた。今夏都市対抗で準優勝のシダックス・野間口貴彦投手(20)ら10人の受賞者には、白根邦男スポーツニッポン新聞東京本社社長から記念盾とシチズンの時計が贈呈された。