日産自動車 伊藤祐樹選手            連絡先: knak@js2.so-net.ne.jp                2008年度

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2006年度 2005年度  2004年度 2003年度以前        マスターズ甲子園2007

日産自動車公式野球部ホームページ                

 

2008年度 JABA公式大会 日程表

社会人野球日本選手権大会   初戦 三菱重工広島に勝利
                      (他の神奈川3社は初戦で敗退)
                    2回戦で王子製紙に敗退

2007年度の社会人野球公式大会の日程:日本選手権出場権取得チーム

千葉市長杯 兼 関東選抜リーグ決勝トーナメント 日産自動車、1回戦でNTT東日本に敗退

関東リーグ戦後期         住友金属鹿島にコールド負け、セガサミーに勝利、通算 1勝1敗2分け

日本選手権 神奈川県二次予選  日産自動車、決勝で新日本石油ENEOS に敗退

1位 新日本石油ENEOS、2位 日産自動車、3位 東芝は既に日本選手権への出場権があるため、
関東代表決定戦には4位の三菱重工横浜クラブが出場
日本選手権に出場

プロアマ交流戦       日産自動車、湘南シーレックス (横浜ベイスターズのファーム)に惜敗

都市対抗  関東代表決定戦  日産自動車、2敗して出場権獲得できず

補強選手

 東芝 (川崎市)
        内野手 小山 豪

    七十七銀行、NTT信越、松下電器、JR北海道に勝利、決勝へ
    JR東日本に7:5で勝ち、優勝!

 −−−−−−−−

 新日本石油ENEOS (横浜市)
        投手  野上 亮磨
        内野手 四之宮 洋介
        外野手 吉浦 貴志

    大阪ガスに勝利、鷺宮製作所に敗退

都市対抗 神奈川2次予選 2回戦で三菱ふそう川崎に7回コールド負け、第二代表戦へ (東芝が第一代表)

                   第二代表戦2回戦で新日本石油ENEOSに敗れる (新日本石油ENEOSが第ニ代表)

                     敗者復活戦で三菱ふそう川崎に勝ち、関東代表決定戦(2チームが出場権)へ。
            

JABA 九州大会        準決勝で三菱重工長崎に敗退

JABA岡山大会        日産自動車がコールド勝ちで初V   日本選手権出場権 獲得

関東リーグ戦前期      2戦2分け (東芝と引き分け、鷺宮製作所と引き分け) 

第34回 東京六大学対抗戦  法政大学に勝利

神奈川県大会        日産自動車優勝

JABA東京スポニチ    JR九州が優勝   日産自動車、準々決勝でホンダ鈴鹿に敗退

アマからプロ球界へ 横浜フロント入りした村上忠則さん


2007年度の社会人野球公式大会の日程

都市対抗
 第78回
都市対抗は8月24日から9月4日まで今年度と同じ12日間、東京ドームに32チームが参加する。理事会推薦の1枠は今年の大会で優勝したTDK(秋田県にかほ市)が所属する東北地区に割り当てられる。
  *
神奈川二次予選(2チーム) 6/4〜7、12〜14(予定) 横浜スタジアム
   
関東予選(2チーム) 7/2〜3日間 大田スタジアム

日本選手権
 制度改革の一環として、第34回
日本選手権(11月下旬・京セラドーム大阪)は出場数が今年より4増の過去最多の32チームとなる。

出場権は、都市対抗全日本クラブ選手権優勝の2チームに加え、地区連盟主催の9大会(東京スポニチ、静岡、四国、岡山、長野、京都、九州、東北、北海道)優勝チームに与えられる。さらに、各地区最終予選を通過した21チーム(北海道、東北、北信越各1、関東4、東海3、近畿6、中国2、四国1、九州2)が出場する。

なお、9大会のうち複数大会で優勝したチームが出た場合は、該当数を所属地区の最終予選枠に加える。

都市対抗優勝       :東芝
全日本クラブ選手権優勝:
茨城ゴールデンゴールズ

日本選手権対象大会  

大  会  名 日産
出場
期   間 球      場 チーム
* 優勝
JABA東京スポニチ   3/6〜4日間 神宮・インボイス・横浜 24   JR九州
JABA静岡  X 4/6〜5日間 県営草薙・市営浜松 24   ホンダ
JABA四国  X 4/7〜6日間 松山坊ちゃんスタジアム 18   JR九州
JABA岡山   4/20〜5日間 倉敷マスカットS・倉敷市営球場 22   日産自動車
JABA長野  X 4/20〜4日間 長野県営・長野オリンピックS 12 L  新日本石油ENEOS
JABA京都  X 4/28〜8日間 西京極球場 23   JR東日本
JABA九州   5/8〜5日間 北九州市立大谷・北九州市民 22   トヨタ自動車
JABA東北  X 5/10〜4日間 仙台市営・フルキャスト・東電愛島・石巻市民 16 L 七十七銀行
JABA北海道  X 8/4〜5日間 札幌円山・札幌スタジアム 12 L 日本通運

* Lは、リーグ戦・決勝トーナメント方式を採用。 

 

社会人野球日本選手権大会

 

11月20日  日産自動車 1−3 王子製紙

           

日産自動車

王子製紙

6回表・日産自動車 1番・伊藤は右中間を抜けるスリーベースヒットを打つが後続なし。

2点を追う苦しい展開で迎えた8回。1死から代打で入った市丸祐樹選手の一打が、三塁線ぎりぎりに飛ぶと、スタンドの雰囲気は一変した。二塁へ頭から滑り込み、間一髪セーフ。次は不動の1番、伊藤祐樹選手だ。前の打席で三塁打を放っているだけに、母隆子さん(65)は祈るように「打って」。だが遊飛に打ち取られる。

次はベテラン村上恭一選手の登場だ。打球は深々と右中間を破る。「行ったぞ!」の歓声のなかで、市丸選手が余裕の生還を果たす。村上選手は俊足を生かし、猛然と三塁へ滑り込みセーフ。さあ1点差。気迫のプレーと同点のチャンスに、スタンドの興奮は最高潮に達した。

その裏にエラーがらみで1点を奪われ、再び2点差を追う最終回。逆転を信じ、応援席は総立ちで声援を送るが、好機が作れなかった。

◇僕が打てていれば−−吉浦貴志・日産自動車主将

6回1死三塁の、僕の打席で打てていれば……。相手は最初のチャンスで点を取ったが、こちらは駄目だった。その差が出た。練習でできることが、試合でできるよう、意識を高めて練習していくしかない。

▽日産自動車・久保恭久監督 攻守とも、もう少しやりようがあったのに細かさがなかった。ちぐはぐなことをしてしまった。


11月15日  日産自動車 5 −1 三菱重工広島

           

日産自動車

三菱重工広島

日産は野上亮磨投手が初回に先制を許すも、二回以降を無失点に抑えて完投。野村慶太、小山豪両選手の本塁打など打線も奮起し、野上投手を援護した。


千葉市長杯 兼 関東選抜リーグ決勝トーナメント

2007年11月5日〜4日間
千葉マリンスタジアム

2007年11月5日

 NTT東日本 7−5 日産自動車゙

                    10 11

NTT東日本

0

日産自動車

0


関東リーグ戦後期         前期   通算 1勝1敗2分け

 県営大宮球場

 9月28日  日産自動車 4−2 セガサミー

           

日産自動車

   

セガサミー

 9月27日   日産自動車 0−7 住友金属鹿島

           

日産自動車

   

住友金属鹿島

4x

   

 


日本選手権 神奈川県二次予選

日時: 2007年9月15日(土)〜5日間(雨天順延)
場所:保土ヶ谷球場
次の各チームは既に日本選手権への出場権を確保
  日産自動車 JABA岡山 優勝
  新日本石油ENEOS JABA長野 優勝
  東芝 都市対抗 優勝

    関東代表決定戦出場チームは、(上記3チームを除く)県大会の上位1チーム → 三菱重工横浜クラブ

 

2007年9月19日 決勝  保土ヶ谷球場

     新日本石油ENEOS 3−0  日産自動車

                   

新日本石油ENEOS

日産自動車

0

2007年9月18日 準決勝  保土ヶ谷球場

     日産自動車 5−3  三菱重工横浜硬式野球クラブ

                    10 11 12 13 14 1515

日産自動車

0

三菱重工横浜硬式野球クラブ

0

3


プロアマ交流戦

  2007年8月4日(土) 18:00  横須賀スタジアム

    日産自動車 2−3  湘南シーレックス (横浜ベイスターズのファーム)

           

日産自動車

0

1

2

湘南シーレックス

1

1

1

0

x

3

    (対戦成績は4勝4敗)


都市対抗  関東代表決定戦

 

7月3日 敗者復活戦

    JFE東日本 3−1  日産自動車

           

JFE東日本

日産自動車

日産自動車は第1試合でJFE東日本(南関東)と対戦。前日と同様、好機にあと1本が出ず1−3で敗退し、4年連続の本大会出場を逃した。

○…日産自動車が、4年ぶりに予選で敗退した。この日は、エースの石畝が2本塁打を浴び、打線も七回までわずか2安打。八回に野村、四之宮の連続右前打、小山の犠飛などで1点を還すにとどまった。
久保監督は「残念ですね。夏は終わりましたね」と淡々。今季の敗因には、投手陣の不安定さを挙げた。打者も大振りになる傾向が目立ったという。本大会で2年連続準優勝し、今年こそはと周囲の期待も高かったが、「先を見る余裕のないチームだった」と寂しい笑顔を浮かべた。

7月2日

    日産自動車 1−3  明治安田生命

           

日産自動車

明治安田生命


都市対抗 神奈川2次予選
 
 日時: 2007年6月4日(月)〜7日(木)(雨天順延)
    2007年6月11日(月)〜14日(木)
    予備日:15日(金)・16日(土)17日(日)・18日(月)(雨天順延)
 場所: 横浜スタジアム

 

6月15日

    日産自動車 6−3  三菱ふそう川崎

           

日産自動車

三菱ふそう川崎

日産自動車、関東代表決定戦(2チームが出場権)へ

◇意地の打線、雪辱果たす…日産

 すでに神奈川からの2代表が決まり、残された最後のチャンスである関東代表決定戦への進出権を争う試合。ともに本大会常連で、優勝経験もある日産自動車と三菱ふそう川崎が激突した。先手を取った日産が、中盤以降、小刻みな継投で相手打線をかわし、4年連続出場に望みをつないだ。

 両者の今予選での対戦は2度目。前回の2回戦では、日産打線が相手の主戦・佐藤大に1安打完封を許し、七回コールド負けで敗者復活戦に回った。

 この日も、相手の先発は佐藤大。雪辱を期す日産打線は初回、早いカウントから積極的に打って出る。大庭、吉浦、小山の上位左打者の3安打と2四球で2点を先取。二回にも四之宮の適時二塁打で追加点を挙げて主導権を握り、そのまま逃げ切った。「同じ投手に2度やられるわけにはいかない」(吉浦主将)と、意地を見せた日産打線の勝利だった。

◇「ドームで投げる」
 ○…日産が2点リードの七回2死二、三塁、石畝卓也投手が登板した。直後の石塚信寿選手の打球はいい当たりだったが、中堅手の正面。「野手を信じていたから」と振り返った。九回1死では井川良幸選手に本塁打を打たれたが「打たれたら引きずらず、次の打者を抑えるのが役目」と自分に言い聞かせた。残りの打者2人を丁寧に打ち取ると、マウンド上で叫んでいた。試合後「関東代表決定戦を制して、東京ドームで投げる」と静かに闘志を燃やした。

◇気持ち新たに練習−−日産自動車・久保恭久監督
 今日は投手一人一人を短いイニングでつなぎ、それぞれに責任を持ってもらった。県第1代表を狙うのと同じ気持ちで、この試合に臨んだ。関東代表決定戦に向けて、気持ちを新たにまた練習する。(毎日新聞)

1回表、1死2塁から3番吉浦のタイムリー、2死満塁から7番伊藤が押し出し四球で2点
2回表、1死2塁から2番四之宮のタイムリー2塁打
6回表、1死2・3塁から9番南がスクイズを失敗するが、サードが送球を捕り損ない、3塁ランナーが生還
9回表、2死1塁から4番小山のタイムリー2塁打、2死1・3塁から6番村上のタイムリーで2点

6月12日

    新日本石油ENEOS 9−7 日産自動車

           

新日本石油ENEOS

日産自動車

日産は1回表の6失点を、1回裏吉浦の2ラン、3回裏、小山の3ラン、4回裏、四之宮のタイムリー2塁打、5回裏、青柳のタイムリーで逆転したが、ENEOSは6回のソロホームランとタイムリーで再逆転、8回にも犠牲フライで押し切った。

 

6月7日

    三菱ふそう川崎 8−0 日産自動車

         

三菱ふそう川崎

 

日産自動車

2年ぶりの本大会優勝を狙う三菱ふそう川崎が、主戦右腕・佐藤大、4番・西郷の活躍で、昨年の本大会準優勝の日産自動車に圧勝。第1代表決定戦に駒を進めた。
佐藤大は、七回2死まで一人の走者も許さない快投。制球よく投げ込むスライダー、シンカーで、日産打線を沈黙させた。
  注 七回2死で吉浦がヒット、これがなければ完全試合

打の主役・西郷は初回、日産の主戦・石畝から先制の2点本塁打。六回にはコールド勝ちを決める満塁弾と4打数4安打6打点の打棒で、佐藤大を強力に援護した。(毎日新聞)

  伊藤選手は7番三塁手


JABA 九州大会

 日時: 2007年5月8日(月)〜12日(土)(雨天順延)
 場所: 北九州市立大谷球場(O)
 北九州市民球場(K)

準決勝 5月12日  

    日産自動車 5−6 三菱重工長崎

             8  9 

10

11

12

日産自動車

三菱重工長崎

 
 

日産自動車がコールド勝ちで初V

決勝 4月25日  

    日産自動車 12−0 日産自動車九州

        

日産自動車

   

12

日産自動車九州

   

 
 伊藤選手 三塁手 3打数1安打1打点

決勝は、一回に3安打と2四死球、敵失も絡んで一挙4点を挙げた日産自動車が、その後も岩越の2打席連続本塁打、岡山・関西高から2年目の船引の満塁弾などで加点。エース石畝が日産自動車九州を7回零点に抑え12−0のコールド勝ちで初優勝を飾った。これで日産自動車は11月に京セラドーム大阪である日本選手権の出場権を得た。

最高殊勲選手賞=石畝卓也(日産自動車)、最優秀投手賞=石畝卓也(日産自動車)

準決勝 4月25日  

    日産自動車 8−3 伯和ビクトリーズ

         

日産自動車

伯和ビクトリーズ

 

準々決勝 4月22日  

    日産自動車 6−5 JR北海道

         

JR北海道

日産自動車

6


関東リーグ戦前期

 4月27日
12:30 大田スタジアム  

    鷺宮製作所 8ー8 日産自動車

         

鷺宮製作所

日産自動車

 

 4月16日  横浜スタジアム

    日産自動車 2−2 東芝

         

東芝

日産自動車


第34回 東京六大学対抗戦  神宮球場    指名打者制度なし

3月31日(土) 11:30 かずさマジック 1-0 早稲田大学
13:30 住友金属鹿島 8-3 明治大学
4月1日(日) 11:00 JR東日本 10-0 東京大学
13:30 NTT東日本 13-4 慶應義塾大学
4月2日(月) 11:00 東芝 9-1 立教大学
13:30 日産自動車 7-4 法政大学

2007年4月2日  日産自動車 7−4 法政大学

         

法政大学

1

日産自動車


神奈川県大会

 3月21日(水)〜7日間  (3/25雨天順延、準決勝は3/27、決勝は3/28)
 保土ヶ谷球場

 

3/28 決勝  日産自動車 10−0 東芝

             

日産自動車

     

10

東芝

     

 

3/27 準決勝  日産自動車 6−5 三菱ふそう川崎

             

三菱ふそう川崎

日産自動車


JABA東京スポニチ

 2007/3/6-3/9 神宮ほか

3/8  日産自動車 2−4 ホンダ鈴鹿

             

ホンダ鈴鹿

日産自動車

3/7  日産自動車 5−4 富士重工

             

富士重工

日産自動車

スタメン
DH
四之宮 船引 吉浦 小山 市丸 須田 金丸 大庭 松田 石田
 伊藤選手はベンチ

 

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伊藤祐樹

 伊藤 祐樹(いとう ゆうき、1972年7月7日〜 )は、平成期の社会人野球の選手(内野手、右投げ左打ち)である。日産自動車所属、170cm、67kg。背番号2。

人物・来歴

  • 兵庫県出身。津名高から福井工大に進学。福井工大時代に大学選手権に出場経験がある。
  • 1995年に日産自動車に入社。強打があるわけではないが、堅実な守備と俊足を武器にたちまちショートのポジションを手にした。その後チーム事情に応じてサードやセカンドを守ったが、スターティングオーダーから名前が消えることはほとんどなく、レギュラーを守り続けた。
  • 1998年には都市対抗野球大会の優勝に貢献したことが認められ、社会人ベストナインの遊撃手部門を受賞。その後2001年、2003年と同部門で同賞を受賞。史上初の「社会人ベストナイン遊撃手3回受賞選手」となった。
  • 2003年の第30回社会人野球日本選手権大会の決勝(対大阪ガス戦)では、延長戦にもつれこむ接戦ながら、11回裏に2死1,2塁のチャンスでライト線にツーベースヒットを放ち、チーム初優勝を導いた。伊藤はこの大会のMVPを獲得している。
  • 2004年シーズンから、主将としてチームを牽引する立場となった。

エピソード

2003年7月、日大から入社して2年目の小澤裕昭投手が練習中に突然倒れ、心筋炎で40日後逝去した(享年24)。その年、日産自動車は都市対抗野球大会の出場権を逃し、秋の日本選手権に向けて猛練習を積んでいる中での出来事であった。
日産自動車は日本選手権の出場権を獲得した。大阪ドームのベンチには小澤投手の遺影が置かれていた。伊藤は小澤投手の遺影を見つめてから打席に向かうようになった。
大阪ガスとの決勝戦は同点で延長戦に向かい、伊藤が能見篤史(現阪神タイガース)からサヨナラヒットを放って日産自動車が初優勝を果たした。そのとき伊藤は次のように言った。
「今日の試合中、ずっと小澤の写真が怒っているように見えたんです。でも、最後のヒットを打ってベンチに帰ってきたら、小澤の写真が笑っているように見えました」
 

球歴

   津名高(1988年〜1990年)→福井工業大(1991年〜1994年)→日産自動車(1995年〜 )

日本代表キャリア

  • 第34回IBAFワールドカップ(2003年)
  • 第23回アジア野球選手権(2005年)
  • 第35回IBAFワールドカップ(2005年)
日本代表の主将を務めた。

主な表彰、タイトル

  • 社会人ベストナイン遊撃手部門 3回(1998年、2001年、2003年)
  • 第30回社会人野球日本選手権大会最優秀選手賞(2003年)
  • 第69回都市対抗野球大会優秀選手賞(遊撃手)(1998年)
  • 第74回都市対抗野球大会優秀選手賞(遊撃手)(2003年)
  • 第52回JABAベーブルース杯争奪大会首位打者(1998年)
  • 都市対抗野球大会10年連続出場表彰(2006年)