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大阪地裁平8(わ)第3187号、各業務上過失致死被告事件、平12.2.24第5刑事部判決

主文

 被告人松下廉蔵を禁錮2年に、被告人須山忠和を禁錮1年6か月に、被告人川野武彦を禁錮1年4か月にそれぞれ処する。

 訴訟費用は、その三分の一ずつを各被告人の負担とする。

事実及び理由

(犯罪事実)

 被告人松下廉蔵は、大阪氏中央区今橋<番地略>に本社を置き、血液製剤等の医薬品の製造販売を業とする株式会社ミドリ十字(現在は吉富製薬株式会社に吸収合併)の代表取締役社長として、同社の業務全般にわたる重要な案件について協議し決定する機関である常務会と経営会議を主宰し、営業方針、副作用の発生とその対応等の業務全般について報告を受けるなど同社の業務全般を統括していたもの、被告人須山忠和は、同社代表取締役副社長兼研究本部長として、常務会等を構成して同社の意思決定に参画し、被告人松下を補佐して同社の業務全般を統括するとともに、後天性免疫不全症候群(以下「エイズ」という。)と血液製剤との関わりについての情報収集等の調査を含む医薬品の研究に関する業務全般を統括していたもの、被告人川野武彦は、同社代表取締役専務兼製造本部長として、常務会等を構成して同社の意思決定に参画するとともに、医薬品の製造業務全般を統括していたものであり、いずれも同社の医薬品の製造販売に伴う危険の発生を未然に防止すべき地位にあった。

 ミドリ十字が製造し販売していた非加熱濃縮血液凝固第IX因子製剤であるクリスマシン(以下「非加熱クリスマシン」という。)は、血友病と肝疾患等の患者の止血治療のため使用されていたが、その原料である血しょうの多くは米国の子会社から輸入されたものであったところ、米国においては昭和56年夏ころ以降、エイズ発症者やいわゆるエイズウイルス(後にヒト免疫不全ウイルス、すなわちHIVとして同定された。以下「HIV」ともいう。)の感染者が増加の一途をたどり、HIVに汚染された血しょうを原料とした非加熱血液製剤の使用により血友病患者におけるエイズ発症例も増加していた上、我が国内においても、ミドリ十字が製造販売しているものを含め、米国で採取された血しょうを原料とする非加熱血液製剤を使用した血友病患者の中にHIV感染者が多数確認され、エイズ発症により死亡する例も発生していた。その対策として、厚生省は、HIVを不活化しそれによる感染の危険性を除去した加熱血液製剤の導入を図り、昭和60年7月、加熱濃縮血液凝固第VIII因子製剤についてミドリ十字外4社の血液製剤を承認し、さらに、加熱濃縮血液凝固第IX医師製剤についても承認を急いだことから、同年12月、同業他社が輸入承認を受けて同加熱製剤の輸入販売を開始し、ミドリ十字においても、同月17日、同加熱製剤クリスマシンHT(以下「加熱クリスマシンHT」という。)の輸入承認を受け、昭和61年1月10日からその販売を開始した。

 被告人3人は、この加熱クリスマシンHTの販売開始時点において、エイズと非加熱血液製剤との関わりが明らかになっていたことから、非加熱クリスマシンの販売を継続し、また、医療機関等に販売済みの非加熱クリスマシンを放置すれば、その投与により患者らをHIVに感染させ、エイズ発症により死亡させ危険性があることを予見することができ、かつ、血友病等の治療のため非加熱クリスマシンを販売することも販売済みの非加熱クリスマシンを留め置くこともその必要がなかったのであるから、直ちに非加熱クリスマシンの販売を中止するとともに、販売済みの非加熱クリスマシンを回収する措置を採るべき業務上の注意義務があった。すなわち、被告人松下は、代表取締役社長として、常務会等に諮るなどして、販売中止、回収の措置を実行すべき義務があり、被告人須山は、代表取締役副社長兼研究本部長として、常務会等において、販売中止等の措置を採ることを提言するとともに、被告人松下にその旨を進言すべき義務があり、被告人川野は、代表取締役専務兼製造本部長として、常務会等において、販売中止等の措置を採ることを提言すべき業務上の注意義務があった。ところが、被告人3名は、いずれもこの義務を怠り、非加熱クリスマシンによるHIV感染とそれによるエイズ発症の危険性を深刻に受け止めることがないまま、代表取締役専務兼営業本部長後藤壽(平成8年12月5日死亡)の提案に従って、加熱クリスマシンHT発売以後も引き続き非加熱クリスマシンを販売するとの営業方針を常務会等において了承し、非加熱クリスマシンの販売を継続するとともに、販売済みの非加熱クリスマシンを回収する措置を採らないという過失を犯した。

 その結果、ミドリ十字の営業員に、昭和61年1月13日から同年2月10日までの間、大阪市中央区石町<番地略>所在の医薬品販売業者日本商事株式会社に対して非加熱クリスマシン合計160本を販売させ、さらに、日本商事に、同年3月27日及び同月29日、大阪府高槻市大学町<番地略>所在の大阪医科大学付属病院にそのうちの合計7本を販売させ、同病院において、医師A及び同Bに、同年4月1日から同月3日までの間、肝疾患に伴う食道静脈瘤の硬化手術を受けた被害者(昭和23年4月2日生、当時38歳、死亡当時47歳)に対してそのうちの3本(合計1200単位)を投与させた。そして、間もなく被害者をその非加熱クリスマシンに含まれていたHIVに感染させて、平成5年9月ころまでにエイズの症状である抗酸菌感染症等を発症させ、平成7年12月4日、同病院において死亡させた。

(証拠)

 《略》

(補足説明)

一 弁護人の主張

 被告人らは、公判において被害者の死亡についてそれぞれ過失があることを認めており、弁護人も、被告人らに過失があり、業務上過失致死罪が成立することを認めている。しかし、弁護人は、被告人らが非加熱クリスマシンの販売中止や回収の措置を採ることは困難であったとして、情状酌量を求め、その理由として、(一)血友病という疾病の特性からする抗血友病製剤の非代替性等のため、製薬会社としては濃縮凝固因子製剤の欠品を出すことができないという強い要請があったこと、(二)我が国内外の学者や専門機関の情報等からも、非加熱製剤のエイズへの危険性を決定付けるものはなかったこと、(三)薬事行政を担当する厚生省から、回収命令等の措置はもとより、非加熱製剤の危険性を示唆するような情報提供がなく、また、他の製薬会社も非加熱製剤の販売を継続し、医療機関においても薬剤師や専門医の個別的な判断の下で非加熱製剤の投与が継続されていたこと、(四)ミドリ十字内部では、営業本部が中心となって非加熱クリスマシンの販売継続を行ったものであり、被告人らの関与が薄かったことなどを主張している。このような弁護人の主張や審理の経過にかんがみ、本件犯行に至る経緯を検討した上、被告人らの過失についての当裁判所の見解を示し、弁護人の主張に対して判断を加えることとする。

二 本件犯行に至る経緯

1 加熱クリスマシンHT販売開始時点(昭和61年1月10日)までのエイズに関する状況

(一)エイズの出現、原因ウイルスの分離

 米国の国立防疫センター(通称CDC)昭和56年6月発行の機関誌週報(MMWR)において報告された症例がエイズ発見の契機とされている。エイズは、当初は男性同性愛者に特有の奇病とみられたが、昭和57年7月以降、同性愛者ばかりでなく、血友病患者にも同様の症例が報告されたことなどから、血液製剤を介して伝達された疑いが強まった(甲224、以下括弧内の算用数字は、証拠等関係カードの甲号証の番号を示す。)。

 昭和58年1月、フランスのパスツール研究所のリュック・モンタニエ博士らの研究グループは、エイズ患者から新種のレトロウイルスを分離してLAVと命名し、同年5月、科学誌サイエンスに発表したが、他方、米国のロバート・チャールズ・ギャロ博士らも、エイズ患者から新種のレトロウイルスを分離してHTLV-IIIと名付け、昭和59年5月、サイエンス誌上で発表した(204−一・二)。そして、同年9月、仙台市において開催された第6回国際ウイルス学会において、LAVとHTLV-IIIとが同一のウイルスであって、エイズの原因ウイルスであることが承認された(その後昭和61年にエイズの原因ウイルスの名称がHIVに統一された。)。

(二)HIVの特質
  1.  レトロウイルス科レンチウイルス亜科に属するHIVは、レトロウイルス科の特質として、人の免疫機能の中心的役割を果たすヘルパーT細胞のDNAに自己の遺伝子を組み込んだ上で(プロウイルス化)増殖するが、感染細胞が自己のDNAとプロウイルスとを峻別できないことから、投薬や生体の免疫機能によりプロウイルスを排除することは不可能である(治療の困難性)。HIVは、感染細胞内において段階的に増殖を繰り返し(持続性感染)、免疫力は漸減するため発病までの潜伏期間は長いが(長期潜伏期間)、いったん発病した後のHIVの増殖速度は極めて速く、生体はほとんど死を免れない(高死亡率)。HIVは、さらに、レンチウイルスの特質として、脳や免疫細胞などの枢要部分に感染してその感染部位を直接的に破壊するが(細胞破壊性)、高い突然変異率のためにそのワクチンの開発は困難とされている。
     HIVは、主に、血液、精液、膣分泌液等により感染し、その感染経路の大半は性行為感染、血液感染、母子感染となっている。
  2.  これらのHIVの特質は、現在までの時点ではほぼ定説となっているが(209)、加熱クリスマシンHTの販売が開始された昭和61年1月10日の時点においても、後記のとおり、既に我が国内外の医学研究者の文献において相当程度指摘されていたところである。
(三)血液凝固因子製剤

 血液凝固因子製剤は、人の血液を原料とする血液製剤の一種であり、薬事法第42条に規定する「生物学的製剤」に該当し、血しょう中に含まれる血液凝固作用に関与する12種類の血液凝固因子の中から必要な凝固因子を抽出した製剤である。血友病患者は、血液凝固因子のうち、第VIII因子(血友病A)又は第IX因子(血友病B)が先天的に欠乏しているか、その機能に異常のあるものであるが、その治療には、血しょう中から第VIII因子又は第IX因子を抽出した血液凝固因子製剤を投与して各因子を補充する療法が採られている。血友病B患者用の血液凝固第IX因子製剤には、第IX因子のほか、第II因子、第VII因子、第X因子が含有されているが、重症の肝炎や肝硬変等により肝機能が著しく低下した場合には、いずれも肝臓で産生される第II、第VII、第IX及び第Xの各因子が産生されないため、右血液凝固第IX因子製剤は、重症の肝疾患の患者に対する凝固因子の補充療法としても使用されていた。

(四)エイズ発症者の状況

 米国内におけるエイズ発症者数は、最初のエイズ症例報告後、増加の一途をたどり、CDCの集計によれば、昭和59年1月14日時点で3215名を数え、昭和60年4月末には、これが1万名に、昭和61年1月13日には1万6458名に達した。また、非加熱製剤を投与された血友病患者のエイズ患者は、昭和59年1月14日時点で20名、昭和60年4月末には71名、昭和61年1月13日には135名となっていた(211)。

(五)厚生省の対応

 厚生省は、昭和58年6月、「後天性免疫不全症候群(AIDS)の実態把握に関する研究班」を設置し、エイズの実態調査やその対策の検討に取り掛かるとともに、同年7月、抗血友病製剤の原料となる輸入血しょうにつきハイリスクグループから採しょうしたものではない旨のドナースクリーニング済み証明書を添付するよう各製薬会社に指導した。そして、昭和59年9月、「AIDS調査検討委員会」を組織し、エイズと疑われる症例についての調査、検討を開始し、同委員会は、昭和60年3月、米国在住の日本人男性同性愛者を我が国におけるエイズ第一号患者として認定公表し、次いで、同年5月、日本人血友病患者3名を含む5名をエイズ患者と認定公表した。同委員会の認定した本件直前の昭和60年末時点のエイズ患者の累計数は合計11名であり、うち5名は血友病患者(血友病A患者3名、同B患者2名)であった(176、206−六・七)。血友病患者のエイズ対策として、厚生省は、加熱化された抗血友病製剤の導入を本格的に図ることとし、同年7月1日、ミドリ十字のコンコエイトHTなど5社の加熱第VIII因子製剤を承認し、加熱第IX因子製剤についても、同年12月9日にカッター・ジャパン株式会社(現在バイエル薬品株式会社)の加熱コーナインHTを、同年17日にミドリ十字の加熱クリスマシンHTをそれぞれ承認した(159、184)。

2 ミドリ十字内部におけるエイズについての認識状況について

(一)西田報告

 ミドリ十字の常務取締役で米国の子会社アルファ・テラピゥティク・コーポレーションの副社長であった西田正行(昭和58年3月常務取締役兼研究本部中央研究所長)は、昭和57年12月末、ミドリ十字本社に対し、米国におけるエイズに関する情報についての報告書を送付した(188−三)。西田は、その中で、CDCによれば、その時点のエイズ症例は788例あり、最近では毎月60例の新たな発症の報告があること、患者は絶え間ない感染症に陥り、現在の死亡率は38パーセントであり、今後調査が進むに連れて罹患後2年以内の死亡率は60パーセントを超えるであろうこと、血友病患者にもエイズの発生が報告され、7例中5例が既に死亡していることから、血液製剤の投与を絶えず受けている血友病患者にエイズの危険性があるという考え方が支配的になってきたこと、エイズは感染性であり、未知のウイルスが引き起こすものであると信じられていること、CDCは、輸血を受けた新生児がエイズで死亡したことが報道されたことなどから、血液又は血液製剤の輸注により伝染する可能性があると報告していること、西田の意見としては、加熱処理した血液製剤を市場化することなどを目標とすべきであることなどを述べた。その後もアルファ社から米国におけるエイズと血友病に関連する資料が送付されたが、これらの資料は、翻訳の上、随時ミドリ十字の社内で回覧する措置が採られていた。

(二)被告人須山の報告・配布文書

 研究部門を統括する被告人須山は、昭和58年1月10日開催の常務会において、被告人松下、被告人川野を含む常務会のメンバーに対し、西田の前記報告書に基づいてエイズに関する説明を行った。また、米国の文献や情報資料を収集、検討した上、昭和58年5月、ミドリ十字の社内資料用に「AIDS」と題する文書を作成し、社内に配布した(188−六)。この文書には、エイズの概略のほか、病因としてはウイルス感染による可能性が濃厚であること、米国におけるエイズ患者の死亡率が全体では38パーセント、昭和56年に発症した患者の死亡率では71パーセントであり、発症から3年以上生存できる人は14パーセント以下であること、発症者グループ別では血友病患者の発症者11名中8名が既にエイズで死亡していること、感染経路として体液を通じた性的感染、エイズ患者からの血液及び血液製剤が考えられること、潜伏期間は2か月から2年と長いこと、治療方法は現在のところ知られていないことなどが記載されていた。さらに、被告人須山は、昭和58年7月末ころ、「医学博士須山忠和」名により「血液製剤とAIDS」と題する文書を作成し、同文書は、同年8月初めころ、広く社内に配布された(188−八)。同文書には、その冒頭に結論として、「日本は血漿分画製剤および原料血漿の80%以上を米国からの輸入に依存している。しかしそれによるAIDSの日本上陸・発症の可能性は皆無に近い。ほとんど考えられない。」旨記載されており、その理由として、米国ではエイズ症例が報告されて以来、3年間に1000万人以上が輸血を受けているが、そのうちエイズの疑いがもたれたのは新生児1例及び成人14例のみであり、輸血に絡んだエイズ発症の可能性は100万人に一例の約0.0001パーセントの割合でしかないこと、米国でエイズ患者から血液提供を受けたと判明した相当数の例で受血者が一人もエイズにかかっていないこと、医療従事者等がエイズ患者から採血後に不注意で注射針を指等に突き刺す事故が後を絶たないが、一人としてエイズを発症したものがいないこと、第VIII因子製剤を常時必要とする血友病患者については、全エイズ症例の1パーセントに当たる11名の症例が報告されているが、全米の血友病患者が2万人であることからすればその発症率はわずか0.05パーセントであり、その危険率は非常に小さいことなどが記載されていた。

(三)血友病患者向け配布文書

 ミドリ十字の営業の現場では、前記「AIDS」、「血液製剤とAIDS」に基づいて外部からの問い合わせに対処していたが、営業本部は、昭和58年10月、「血液製剤とAIDS」を基にして、問い合わせのあった血友病患者に交付すべき文書として「患者と家族の皆様へ」と題する文書を作成し、営業本部長名の同月13日付け業務連絡文書とともに各支店に配布した(190−五)。これには、「米国でAIDS患者から血液提供を受けたと判明した相当数の例で、受血者が一人もAIDSにかかっておりません。」「できうるかぎりの対策をとっているため、輸入血液製剤によるエイズの感染はないと考えております。」「ミドリ十字がご指導を受けている安部教授も『血友病の治療には第VIII、IX因子製剤が絶対に必要でありますので、現在のAIDSの状況からみますと、これまでの補充療法を中止または変更する必要はありません。』と述べておられます。血友病の治療は早期に止血を図ることが大切であり、これを怠ると病状がより悪化し製剤の使用量がかえって多くなります。」「上に述べたように状況からみて、輸入血漿およびその製剤による日本でのAIDS発症はほとんど考えられません。」と記載されていた。

(四)被告人須山によるエイズウイルスの説明

 被告人須山は、エイズに関する情報を更に収集し、昭和59年6月5日の常務会において、ギャロ博士らがHTLV-IIIの分離特定に成功し、エイズの原因ウイルスがほぼ判明したこと、そのウイルスはレトロウイルスの一種であり、感染すると排除が困難となり、持続感染する性質を持つこと、このウイルスは加熱処理により不活化されることがほぼ確実になったことなどを報告した。

(五)エイズ問題に関する検討会

 被告人須山、被告人川野、後藤営業本部長らは、昭和60年3月18日、本社会議室においてエイズ問題に関する検討会を行ったが、その席上、熊本大学C教授からの情報として、九州の血友病患者39名のエイズ抗体検査を実施したところ、そのうち26名の抗体陽性が確認されたことから、同教授がその結果を英国の医学雑誌ランセットに投稿する予定であること、帝京大学安部教授が血友病患者の二分の一が抗体陽性であることを輸血学会で発表する予定であること、ミドリ十字の製剤の投与を受けている血友病患者の中にも、既にエイズ前駆症状を呈して山口大学医学部附属病院に入院中の者がいること、米国では抗血友病製剤の約80パーセントが加熱製剤に切り替わっていること、英国と西ドイツでは、すべての抗血友病製剤が加熱製剤に切り替わったことなどが報告された。被告人松下は、この会合に参加しなかったが、同日検討報告された内容は「AIDS検討会記録」と題する社長あての文書にまとめられ、その翌日ころ、同被告人に提出された(188−二〇)。

(六)昭和60年3月21日付け新聞報道等

 昭和60年3月21日付けと翌22日付けの新聞紙上で、我が国でも血友病A患者とB患者がエイズで既に死亡した事実があり、輸入血液製剤が感染源である可能性が大であること、安部教授が我が国の血友病患者50名の血液をギャロ博士のもとに送って検査を依頼した結果、その46パーセントに当たる23名がエイズウイルスに感染しているとの回答を得たことが報道された(206−六・七)。この新聞報道は、同月22日の常務会にも報告され、また、被告人松下は、同日朝、血友病患者の30パーセントがエイズに感染している旨のテレビ報道にも接していたことから、常務会の席でその報道の事実を話題にした。同日の新聞の中には、京都大学ウイルス研究所日沼頼夫教授らが、163名の血友病患者の血液検査を行った結果、約29パーセントの患者へのエイズ感染が判明したこと、同教授がエイズの場合には抗体が見付かったということはウイルス感染とみなすことができるとしていることを報道するものもあった(206−七)。

(七)抗体検査サービスの検討資料

 ミドリ十字では、昭和60年8月ころ、血友病患者に対してエイズ抗体検査サービスを実施するかどうかを検討したが、その際の検討資料として、営業本部営業企画部は、その時点におけるエイズに関する情報等を文書にまとめた(188−二二)。その文書には、ミドリ十字の非加熱第VIII因子製剤コンコエイトのみを採用していた医療機関に対し、他社が患者の抗体検査サービスを申し出ており、既に200検体につき検査を実施した結果、抗体陽性率が約65パーセントであったとされていること、エイズは、昭和55年以降にまん延し始めたが、感染から発症までの期間は平均4年9か月であることから、今後1、2年のうちにエイズ発症のピークがくると思われること、我が国の血友病患者の29パーセントが抗体陽性であるとする学者の数値によれば、血友病患者を約3500名として計算すると、約1015名がエイズ抗体陽性と考えられること、エイズクリニカルリサーチセンター所長のコナント氏によると、毎年、陽性患者の2ないし7パーセントがエイズになっていることから、右1015名のうち、毎年20名ないし71名が発症する計算になり、加熱製剤が登場したとしても、エイズ問題が再燃することが予測されることから、万全の体制で臨むべきであることなどが記載されていた。この検討結果は後藤営業本部長のほか、被告人須山にも報告された。

(八)抗体検査結果に関する調査研究録

 ミドリ十字製造本部血漿部は、国内における血しょう提供者の抗体検査結果を昭和60年11月15日付け調査研究録にまとめたが、そこには、エイズウイルスについて、その保有者が必ずしも発症するものではないが、100パーセント近く抗体が出現し、普通の病気と異なって、その抗体を持っていることがウイルスを保有していることになり、抗体陽性者の血液は同時に抗原を含有していて感染の原因になること、我が国でこれまでエイズ患者と認定された数は11名であり、そのうち5名は血友病患者であって、うち4名は既に死亡していること、米国から血液製剤の輸入を受けている我が国の血友病患者の46パーセントがエイズの抗体陽性であることが米国の医学雑誌に報告されていること、鳥取大学(当時)栗村敬教授が我が国の血友病患者312名につき検査したところ、そのうち31.7パーセントがエイズ抗体陽性であったと報告されていることなどが記載されており、この調査研究録は、社内に回覧された(188−二四)。

3 加熱コンコエイトHT販売前後の状況

 ミドリ十字では、昭和58年6月ころから加熱処理した第VIII因子製剤の承認申請に向けて厚生省と折衝を行う一方、加熱製剤の開発、申請手続を進め、昭和59年6月から、加熱コンコエイトの臨床試験を行い、それらの結果を基に昭和60年5月30日、加熱第VIII因子製剤であるコンコエイトHTの製造承認を申請した結果、同年7月1日、製造が承認された。営業本部は、発売当初は加熱コンコエイトHTの入庫数量が十分ではないという予測から、人脈が強く無理を頼める納入先には非加熱コンコエイトの使用を継続するよう依頼し、他社と競合するような納入先には優先的に加熱コンコエイトHTを納入するという営業方針を立て、常務会においても格別の異議なくその営業方針の了承を得て、同年8月12日付けの営業本部長名の業務連絡文書において、「できるだけ多くの納入先で事情を理解していただき非加熱製品の使用を依頼する。」旨指示した上(190−二五)、同月20日、加熱コンコエイトHTの販売を開始したが、その一方で非加熱コンコエイトの販売を併行して続け、同年12月まで非加熱コンコエイトを卸業者に販売した。

4 加熱クリスマシンHT承認までの状況

(一)非加熱クリスマシンについての虚偽宣伝の開始

 前記昭和60年3月21日付け新聞報道等により我が国においても血友病患者がエイズで死亡し、その感染源が輸入血液製剤である可能性の大きいことが報じられるなど米国等で採取された輸入血しょうを原料とする血液製剤によるエイズ感染が社会問題となる中で、ミドリ十字の支店から本社営業本部に対し、日本製薬の営業員が同社製品の原料はすべて国内血しょうであるからエイズの危険性が少ないが、ミドリ十字の非加熱クリスマシンは輸入原料を使用しているためエイズの危険性が高いと宣伝しているとの情報が寄せられた(190−一六)。この事態を重くみた後藤営業本部長は、昭和60年5月から6月にかけての常務会の場で日本製薬のこのような売込みの状況について説明を行ったが、その際、被告人川野に非加熱クリスマシンの原料について尋ねたところ、同被告人は、輸入血しょうも混じっているが大部分は国内血しょうであるなどと誤った説明をし、さらに、後藤がその輸入血しょうは安全なのかと尋ねたのに対し、輸入血しょうも問診等によるスクリーニングをしているとして、国内血しょうと同じように安全であるかのような発言をした。後藤は、この常務会後、非加熱クリスマシンが国内血しょうのみで製造されていることを確認したとして、営業本部員に対し、製造本部長に確認したから、非加熱クリスマシンが国内血しょうのみで製造されていることを宣伝するようにと指示し、これを受けた営業本部営業企画部は、同年6月5日付け営業企画部長名の業務連絡において、「日薬の誹謗に対処するために、関係得意先にはクリスマシンが国内原料で製造されている事実を積極的に知らせて下さい。」などと広く各支店に指示した(190−一六)。

(二)虚偽宣伝の容認

 被告人川野は、そのころ、製造本部の部下から、営業本部において非加熱クリスマシンが国内血しょうのみで製造されているとの宣伝をしていると知らされたことから、同本部営業企画部に対し、その宣伝内容は誤りであり、非加熱クリスマシンには輸入血しょうが混じっている旨指摘した。その後、連絡を受けた後藤が被告人川野を訪ねて対応を協議したが、営業はこれで動いているとして、後藤は譲らず、両名は、被告人松下のもとに集まり、被告人須山をも交えて善後策を協議した。この席上、被告人松下は、後藤から営業本部としては既に非加熱クリスマシンは国内血しょうだけで製造されているという宣伝をしているとの説明を受けたことから、これを訂正すれば虚偽の宣伝をしていたことを公にすることになるとして、そのままの宣伝を継続することを決断し、「既にそういうやり方で販売しているのなら、そのままいくしかない。」と発言して国内血しょうのみを原料としているとの虚偽の宣伝を継続して非加熱クリスマシンを販売することを容認し、被告人須山、被告人川野もこれを了承した。その結果、被告人松下らがその発行を決裁した「昭和60年下期営業施策追補と強化」と題する昭和60年6月25日付け社令特号(社長命令)において、抗血友病製剤については、昭和60年9月には第VIII因子加熱製剤がデビューとなることから、この機会をとらえた市場争奪戦が展開されるが、トラベノール株式会社(現在バクスター株式会社)のほか、国内原料をアピールする日本製薬のシェアが増加していると指摘した上、非加熱クリスマシンについて、「加熱処理は研究中で、デビューは相当先になる予定。但しクリスマシンの原料血漿は日本人(国内血漿)のもののみ使用していることをPRする。」旨記載し、これを本社内及び各支店に配布した(190−一八)。その後、同年9月9日、トラベノールについて第IX因子製剤の原料にエイズ患者の供血が含まれていたことからその製剤の回収を行っている旨の新聞報道がされたが(228)、この報道を受けたミドリ十字営業本部では、同日、営業企画部長名で各支店に対し「クリスマシンについては国産原料より製造されていることから安心されたい。」旨の業務連絡を発し(190−三一)、次いで、翌10日の常務会において、営業第一部長が、この新聞記事に関する報告とともに、非加熱クリスマシンは国内血しょうで製造されていることを文書で各支店に伝えた旨報告した。

(三)営業現場における虚偽宣伝

 このような本社からの指示を受けて、ミドリ十字のレップと称される営業員は、担当の医療機関の医師らに対し、非加熱クリスマシンは国内血しょうを原料としているのでエイズについては安全である旨宣伝して、これを購入させていた。なお、ミドリ十字においては、レップが医療機関に対する医薬品の宣伝、情報の提供、収集、営業活動を実施するが、ミドリ十字が医薬品を販売するのは卸業者に対してであって、直接医療機関に医薬品を納入することはなく、その納入は卸業者が医療機関から発注を受けてその都度行い、卸業者は、ミドリ十字から納入された医薬品を全部買い取るのではなく、そのうち、卸業者が実際に医療機関に納入した数量(実消化)を買い取り、その代金をミドリ十字に支払うというシステムになっていた。その卸業者が医療機関に医薬品に関する情報を提供することはほとんどなく、医薬品の危険性に関する情報提供をすることもなかった。

(四)加熱クリスマシンHTの承認

 厚生省は、昭和60年7月18日、製薬会社の担当者に対し、第IX因子加熱製剤についての取扱い説明会を開き、年内にも承認したい旨の説明を行った。ミドリ十字においては、第IX因子製剤を自社が製造するとすれば承認を受けるまでに長期間を要するため、アルファ社が米国内で昭和59年10月に承認を受けて製造販売している加熱第IX因子製剤プロフィルナインHTを輸入することにより対応する一方、自社開発を進めて将来は自社による製造販売に切り替えることを決定した。そこで、プロフィルナインHTをミドリ十字の「クリスマシンHT」の商品名で販売することを決定し、臨床試験を昭和60年9月から実施し、そのデータを添えて、同年10月9日、厚生大臣に対し、国民衛生の上からもエイズ対策として加熱製剤の緊急性が増してきたことなどの説明を盛り込んだ承認申請書類を提出して輸入承認申請手続を行った結果、同年12月17日、輸入が承認され(159)、昭和61年1月10日から加熱クリスマシンHTの販売が開始されることとなった。なお、ミドリ十字に先立ち、昭和60年12月9日にカッター・ジャパンの加熱コーナインHTの輸入が承認された(184)。

5 加熱クリスマシンHTの販売

(一)販売方針

 昭和61年1月10日から加熱クリスマシンHTを販売することとなったが、これに先立ち、営業本部においては、加熱クリスマシンHT販売開始後も非加熱クリスマシンを継続販売するとの方針を打ち出すとともに、カッター・ジャパンとミドリ十字の2社だけが他社に先行して第IX因子加熱製剤の承認を得てその発売が可能となることを利用し、日本製薬等の販売先を奪うなどして加熱クリスマシンHTの販売を拡大することを企図し、そのような展望に立つ需要予測と輸入計画を立案し、後藤営業本部長において、昭和60年10月から12月にかけての常務会等においてその旨の説明をし、格別の異論もなく了承された。また、その一方で、当時、日米の生物製剤基準の相違等によりアルファ社のプロフィルナインHTの一部に日本の基準を通過できないものがあり、輸入数量が予定どおりに確保できないおそれが生じたことから、発売開始後も昭和61年3月ころまでは加熱クリスマシンHTの輸入量が十分ではないとの危惧を生じた。そこで、営業本部においては、昭和60年12月ころ、加熱クリスマシンHTの販売を手控えて在庫とし、非加熱クリスマシンを継続して販売することを積極的に推し進めるとの営業方針を打ち立て、そのころ、後藤が常務会等の場においてその旨を提案し、格別の異論もなく了承を得た。

(二)社令による指示

 これを受けて、被告人松下らがその発行を決裁した「1986年営業施策」と題する昭和61年1月1日付け社令特号により、昭和61年度の売上げ目標、営業方針、各種営業施策等を示す中で、抗血友病製剤については、トップメーカーとして、エイズ問題でダウンしたイメージを回復する、目標シェア55パーセントに再チャレンジするなどとした上、加熱クリスマシンHTに関して、「初度の加熱製剤発売メーカーは、当社とカッターの2社である。但し、残念ながらクリスマシン-HTは3月頃まで品不足となる。初度は次の方針で進める。クリスマシンは非加熱ではあるが、国内原料なのでAIDSの危険性はほとんどないことを主張し当面非加熱クリスマシンを進める。クリスマシン-HTは官公立病院を中心に薬審制度による一品目採用病院へ優先納入する。」などとして加熱クリスマシンHTの発売後も非加熱クリスマシンを積極的に販売することを指示した(190−三八)。さらに、被告人松下らがその発行を決裁した「血友病B治療剤『クリスマシン-HT』発売のこと」と題する同年1月9日付け社令特号(加熱クリスマシンHTの発売社令)において、前記1日付け社令と同様の指示を行うとともに、病院別供給計画について、「コネが強く無理の言える先」には、「できるだけ多くの納入先で事情を理解していただき非加熱製品の使用を依頼する。」「競合品との兼ね合いその他から早急に必要とする場合は必要最少量を届ける。」旨を指示した(190−三九)。

6 大阪医科大学附属病院における非加熱クリスマシンの販売と被害者に対する投与

 ミドリ十字の大阪医科大学附属病院担当レップは、前記昭和60年3月21日付け新聞報道等により血液凝固因子製剤の投与を受けていた国内の血友病患者からエイズ発症者が出たことを認識したが、前記社令や業務連絡等により非加熱クリスマシンは国内原料で製造されていることからHIV感染のおそれはないものと信じて、大阪医大病院の医師らに対応していた。そして、昭和61年1月中旬ころ、同病院薬剤部長を訪ね、加熱クリスマシンHTの販売開始を伝えた際、前記社令等による指示に基づき、加熱クリスマシンHTの供給量に問題があるため、その納入を4月まで待ってほしい旨依頼し、同薬剤部長は、これを承諾した。その結果、同病院では、同月16日に初めて加熱クリスマシンHTを購入するまでの間、卸業者である日本商事を通じて、ミドリ十字から非加熱クリスマシンを引き続き購入することとなり、その購入された一部が本件被害者に投与されることとなった。

 本件被害者は、肝疾患に伴う食道静脈瘤の硬化手術を受けた際、止血用に非加熱クリスマシンを投与されたが、その出血緩和のためには、血液凝固因子製剤以外の止血剤又は新鮮凍結血しょうを投与することによってもその目的を達成することが可能であり、血液凝固因子製剤を投与して血液凝固因子の不足を補うことは、有効な治療方法ではあったものの、不可欠な治療方法ではなかった。

三 被告人らの過失の存在

  1.  以上の事実関係に照らして判断すれば、加熱クリスマシンHTの販売が開始された昭和61年1月10日の時点においては、HIVが血液製剤等を介して持続感染し、発病までの潜伏期間が長期にわたり、いったん発病した後の死亡率が高いことなど、HIVのウイルスとしての性質の概要は、既に相当程度明らかになっていたものである。また、米国において、HIVに汚染された血しょうを原料とした非加熱血液製剤の使用により血友病患者におけるエイズ発症例も増加していた上、我が国内においても、医学研究者らにより血友病患者の中に多数のHIV感染者が存在することが指摘され、厚生省AIDS調査検討委員会が昭和60年5月に日本人血友病患者3名をエイズ患者と認定公表し、同年末時点で5名の血友病患者をエイズ患者と認定公表するなど、米国で採取された血しょうを原料とする非加熱血液製剤を使用した血友病患者の中にエイズ発症者が確認されたのであり、その上で、厚生省がその対策として加熱処理した凝固因子製剤の導入を図り、まず第VIII因子製剤について、次いで第IX因子製剤についても早急に承認を与えたのであるから、被告人らにおいて、非加熱クリスマシンを投与された患者らがHIVに感染し、エイズを発症するということの危険性を認識することは可能であったことが認められる。したがって、加熱クリスマシンHTの販売が開始された時点において、非加熱クリスマシンの販売を継続し、また、販売済みの非加熱クリスマシンを放置すれば、その投与により患者らにHIVを感染させ、エイズ発症により死亡させる危険性があることを予見することができたことは、明らかである。
  2.  被告人らについて個別にみても、被告人須山は、昭和58年に「AIDS」と題する文書を作成したが、その文書に、エイズの病因としてはウイルス感染による可能性が濃厚であること、米国におけるエイズ患者に血友病患者も含まれていること、感染経路としてエイズ患者からの血液及び血液製剤が考えられること、潜伏期間は2か月から2年と長いことなどを記載していたのであるから、本社内においていち早く米国からの輸入血しょうを原料とする非加熱クリスマシンによるHIV感染の危険性を意識していたものである。また、被告人松下と被告人川野も、常務会等の席上でその話題が繰り返されることにより、あるいは、西田報告や被告人須山作成の文書を含む社内資料を閲読することにより、加熱クリスマシンHT販売開始よりも相当以前から非加熱クリスマシンによるHIV感染の危険性を認識することが可能であったと認められる。
  3.  そして、被告人らが、加熱クリスマシンHTの販売後は、非加熱クリスマシンの販売を中止し、販売済みの非加熱クリスマシンの回収措置を採ることにより、その後のHIV感染の結果を回避させることは、可能であったことが明らかである。すなわち、被告人松下が、代表取締役社長として、常務会等に諮るなどして、販売中止、回収の措置を実行し、あるいは、被告人須山が、代表取締役副社長兼研究本部長として、常務会等において、販売中止等の措置を採ることを提言するとともに、被告人松下にその旨を進言し、被告人川野が、代表取締役専務兼製造本部長として、販売中止等の措置を採ることを提言すれば、それぞれの社内における地位や職責に照らし、販売中止、回収が実現する可能性は極めて高く、本件被害の発生を未然に防止することが可能であったと認めることができる。したがって、被告人らにいずれも業務上の注意義務を怠った過失があることは、明らかである。

四 弁護人の情状に関する主張について

1 弁護人の主張(一)について

  1.  弁護人は、血友病の特性からする抗血友病製剤の非代替性、不可欠性、有用性、治療上の緊急性等のため、製薬会社としては濃縮凝固因子製剤の欠品を出すことができないという強い要請があったことを情状として考慮すべきであると主張する。
     たしかに、血液凝固因子製剤は、患者の枕元で行う肉親からの輸血等に依存する悲惨な状況にあったそれまでの血友病患者の治療を大幅に向上させ、予防的な早期の家庭療法を可能にして致命的な出血を克服するなどその治療に極めて有益かつ必要であったから、血友病治療との関係において、加熱製剤の供給開始前における非加熱製剤の有用性を直ちに否定することはできない。しかし、本件で問われているのは加熱製剤供給開始以降のことであり、医療現場において加熱製剤を使用することが可能になった時点において血友病治療のためHIV感染の危険性のある非加熱クリスマシンを医療機関に提供し続ける必要はないから、所論のいうようにリスクとベネフィットを比較衡量しても、非加熱クリスマシンの有用性が全面的に否定されるべきものであることは明らかである。
  2.  それだけではなく、本件被害者は、肝疾患に伴う食道静脈瘤の硬化手術を受けた際、止血のため非加熱クリスマシンを投与されたものであり、もともと血液凝固因子製剤を投与することが不可欠な治療方法とはいえない肝疾患の患者であったものである。非加熱製剤によるHIV感染の危険性とそのもたらす結果の重大性にかんがみれば、本来、製薬会社としては、加熱製剤の供給以降はもとより、それが可能になる以前においても、非加熱製剤の危険性が明らかになった時点において、血友病治療以外の目的で使用されることがないよう医療機関に周知徹底を図るべきものであり、本件においても、そのような措置が被害者に対する投与の直近に介在していれば、被害者に対する非加熱クリスマシンの投与は回避することができたものである。ミドリ十字の営業現場においては、かねてから資料を配布するなどして重症の肝疾患の患者に対する非加熱クリスマシンの補充療法を医療機関に対して積極的に推奨する営業方針が採られており、被告人らも肝疾患など血友病以外の患者に対する使用方法の存在を認識していたのであるから、そのような使用方法により新たなHIV感染者が出現することを回避する措置を採るべきであった。しかし、被告人らは、HIV感染の危険性が明らかになった以降においても、血友病治療以外の使用を放置したものである。
     これらの点からみれば、非加熱クリスマシンが血友病治療に有益かつ必要であったことは所論指摘のとおりであるとしても、被害者が血友病患者であったのではない本件において、そのことを被告人らに格別に有利に考慮することは相当でないといわなければならない。
  3.  この点に関連して、被告人らは、加熱クリスマシンHTの入庫が不足していたといい、弁護人も同旨を主張している。しかし、現実に入庫された加熱クリスマシンHTの数量を卸業者に納入された非加熱クリスマシンと加熱クリスマシンHTの合計数量や卸業者から医療機関に納入された両クリスマシンの実消化の数量と比較すれば、加熱クリスマシンHTに対する需要を満たすだけの入庫があったことは明らかである(191)。すなわち、販売開始日(昭和61年1月10日)までにミドリ十字に販売用として入庫された加熱クリスマシンHTは、1000本(バイアル)であるが、その時点において空路2326本が到着しており、それが同月17日に入庫されたから、同月中の入庫数は合計3326本である。これに対して、同月中にミドリ十字から卸業者に納入された加熱クリスマシンHTの数量は合計1194本であり、ミドリ十字の在庫は、同月末で2121本に達していた(191−三、計算上11本が不足するのは破損等の事故によるものである。)。他方、同月のミドリ十字から卸業者への非加熱クリスマシンの納入数は、615本にすぎないから、仮に加熱クリスマシンHTの販売当初から全部がこれに切り替えられていたとしても十分な量の在庫が存在した。また、同月中の実消化数は、加熱クリスマシンHTが443本、非加熱クリスマシンは405本であるから、全面的に加熱クリスマシンHTに切り替えることに全く支障がなかった。さらに、ミドリ十字では、翌2月に2772本、3月に2527本の新たな加熱クリスマシンHTの入庫があったことから、その在庫数は、2月末では3371本、3月末では4913本に増加しており(191−三)、被告人らがいうような非加熱クリスマシンの販売を継続しなければならないような品不足が生じていなかったことは明らかである。
     弁護人は、発売当初の初期在庫として6000本(月当たり2000本で3か月分)が必要であり、その数値との比較において入庫不足のおそれがあったと主張している。しかし、昭和60年下期の非加熱クリスマシンの販売数量は月当たり多いときで1450本余、少ないときでは880本余であったから(191−四)、所論の初期在庫の数値はもともと過大なものというほかない。営業本部としては、自社とカッター・ジャパンの2社だけが他社に先行して発売が可能となることから、シェア拡大を企図した上でそのような数値を設定したものであるが、HIV感染を回避するため緊急に加熱クリスマシンHTに置き換えるという基本的な視点を欠落させた数値の設定というほかなく、このような姿勢に立つ数値を前提とする所論の在庫不足を被告人らに有利に考慮することはできない。また、HIV感染の回避という視点からは、安全な他社製品に道を譲ることも当然に要請されるところであるが、ミドリ十字に先立って加熱製剤(コーナインHT)の輸入の承認を受けたカッター・ジャパンが従前の非加熱製剤の4倍量の加熱製剤を輸入して供給を開始しているとともに、日本製薬とトラベノールが後記のようなHIV感染について安全な非加熱製剤の供給を継続していたのであるから、我が国全体として血友病患者等の治療に十分な量の第IX因子製剤が存在したことは明らかである。被告人らは、結果として在庫不足はなかったとしても、在庫不足のおそれがあったのは事実であるとか、在庫不足をいう営業本部の説明を信じたというのである。しかし、社内資料によれば、販売開始から約1か月を経過した時点においては、加熱クリスマシンHTの販売が伸びず、入庫も十分で非加熱クリスマシンの販売中止は可能であるとされているが(86−九)、その時点においても販売中止等の措置が採られていないのであるから、在庫不足のおそれがあったことを非加熱クリスマシンの販売を継続したことの理由とする主張に正当性は認め難い。また、被告人須山と被告人川野はミドリ十字の注文を満たすだけの輸出が可能であるとの輸入開始前後におけるアルファ社からの連絡文書を閲読したとみられる上(93)、前記のような販売実績と加熱クリスマシンHTの在庫数の推移等については、常務会等で報告されており、被告人らはその状況を把握することができる立場にあったのであるから、被告人らが在庫の過不足について十分な認識がなかったとしても、そのような事情を特に有利に考慮することはできない。

2 弁護人の主張(二)について

  1.  弁護人は、我が国内外の学者や専門機関等の情報からも、非加熱製剤のエイズへの危険性を決定付けるものはなかったことを情状として考慮すべきであると主張する。
     しかし、加熱クリスマシンHTの販売が開始された昭和61年1月10日の時点においても、HIVの前記特質は、既に我が国内外の医学研究者の文献において相当程度指摘されていた。すなわち、モンタニエ博士は、昭和59年11月開催の高松宮妃癌研究基金第15回国際シンポジウムにおいてLAVがレトロウイルス科内のレンチウイルス亜科に属するウマの伝染性貧血症ウイルスに類似することを発表し(205)、次いで、ギャロ博士も、昭和60年1月発行のサイエンス誌上においてHTLV−IIIがレンチウイルス亜科に属する羊のビスナウイルスとの間で形態と塩基配列に相同性がある旨を発表した(204−三)。そして、我が国においても、前記鳥取大学教授栗村敬(厚生省エイズ診断基準小委員会委員長)らは、「輸血に必要なウイルス学」(日本医事新報3187号、昭和60年5月25日)において、エイズウイルスがレトロウイルス科に属し、生体内において持続性感染を生じること、抗体検査により陽性を示すということは、免疫されたというよりも感染を受けたものであることなどを指摘していた(206−一)。また、国立予防衛生研究所外来性ウイルス室長北村敬は、CDC等と国連世界保健機関(WHO)が共同企画した国際研究会議の報告を記した「AIDS(後天性免疫欠損症候群)」(日本医事新報3189号、昭和60年6月8日)において、抗体陽性は感染性ウイルス陽性として対処しなければならないというのが今次の会議における一致した見解であることを指摘し、また、エイズウイルスの生物学的性質について詳述し、それが新しいレトロウイルスであり、病原性レトロウイルスであるレンチウイルス亜科に近いことなどを報告した(206−二)。さらに、順天堂大学名誉教授塩川優一(厚生省エイズ調査検討委員会委員長)は、「AIDS 臨床医のための基礎知識」(日本医師会雑誌94巻6号、昭和60年9月15日)において、エイズウイルスがレトロウイルスに属するRNAウイルスであり、ヘルパーTリンパ球に親和性を有し、その機能を失わせ、リンパ球の核内で生存して増殖すること、抗体陽性の血清は抗原すなわちウイルスを含有し、感染の原因となること、エイズの潜伏期間は非常に長く、5年あるいはそれ以上ともいわれ、エイズ発症率は、7ないし15パーセントといわれていることなどを記載していた(206−四)。このように、HIVのウイルス学的性質は相当程度明らかになっていたということができる。
     なるほど、HIVがレンチウイルス亜科に属するとの学問上の見解が確立されるには更に時日を要したものであり、HIVの感染力、潜伏期間、発症率等の詳細について、加熱クリスマシンHTの販売開始時点において医学上の定説が存在したということは困難であろう。しかし、被告人らが非加熱製剤によるHIV感染の危険性を認識し得る程度にHIVの特質等が明確になっていたことは明らかである上、加熱製剤販売開始後において非加熱製剤の有用性が全面的に否定されるべきものであることは既にみたとおりであるから、被告人らが非加熱製剤の販売中止、回収の措置を採ることに何ら支障はなかったということができる。被告人らが非加熱製剤の危険性を認識し得る程度にはHIVの特質等が明確になっていたものである限り、所論のような点について学説が確立されていたかどうかは、被告人らの情状を検討する上でそれほど重要な問題とはならず、所論の点は被告人らにとって格別有利な事情とはなり得ない。
  2.  また、HIV抗体検査における抗体陽性が意味するところにおいても、昭和59年から昭和60年にかけては、我が国内外において、不完全で感染力のない抗原を示している可能性があり、感染性ウイルスの保有を意味するものではないと理解する説も主張されるなどの混乱があったことは、弁護人が指摘するとおりである。しかし、遅くとも加熱クリスマシンHTの販売開始時点においては、抗体陽性が感染性ウイルスの保有を意味することについては、有力な学説が相当の根拠をもって指摘していたことは既にみたとおりであり、ほかならぬミドリ十字製造本部血漿部作成の前記昭和60年11月15日付け調査研究録においても、抗体を持っていることがウイルスを保有していることになり、抗体陽性者の血液は同時に抗原を含有していて感染の原因になることが明確に記載されているのであるから(188−二四)、非加熱クリスマシンによるHIV感染の危険性を認識することができたことは明らかであり、弁護人指摘の点を被告人らに有利に考慮することもできない。
  3.  昭和58年のストックホルム、昭和59年のリオデジャネイロにおける世界血友病連盟の世界大会において、「いかなる血液製剤を使用したものであれ、現在の血友病の治療法は、これを継続すべきである。」などの決議がなされ、昭和59年10月米国血友病財団の委員会が「エイズと血友病の治療に関する勧告」において、治療の中止による危険が治療による危険を上回るため、凝固因子製剤による治療の継続をすべきである旨を勧告したことも所論指摘のとおりであるが、非加熱製剤しか存在しない状況においてはともかく、加熱製剤販売開始後において非加熱製剤の有用性が全面的に否定されるべきものであることは、既にみたとおりであるから、この点も、被告人らにとって何ら有利な事情とはなり得ない。
  4.  弁護人らは、米国において、食品医薬品局(通称FDA)が加熱製剤販売開始時に非加熱製剤の販売中止や回収を命じたことはなく、非加熱製剤の販売が継続されていたことを指摘する。米国における加熱製剤の承認時期は、早いものでは第VIII因子製剤が昭和58年3月、第IX因子製剤が昭和59年であるところ、FDAが、非加熱製剤にエイズ罹患の危険性を警告する文書(276)の添付を要求したものの、加熱製剤販売開始時において非加熱製剤の販売中止や回収を命じなかったことは、所論指摘のとおりである。しかし、当時はエイズに関する知見自体が進んでいなかったことからその危険性が昭和61年初頭ほど深刻に受け止められていなかった一方、エイズ対策と薬効という両面において加熱製剤の有用性が必ずしも認められておらず、加熱製剤が非加熱製剤よりも高価格であったことなどからも、医療現場において血液製剤を使用する者が、自己の責任において非加熱製剤を選択する余地が残されていた状況にあった。そして、加熱製剤におけるHIVの不活化が確認された以降においては、非加熱製剤は次第に販売されなくなり、FDAは、昭和60年5月にウイルス不活化処理をしたものだけを流通させることができる旨を製薬会社に勧告した上、同年6月ころまでには非加熱製剤の承認を返上するよう非公式に要請し、これに応じた製薬会社が承認取消しを申請することにより承認が取り消されたことが認められる。このように、米国における加熱製剤販売の時点と本件における加熱クリスマシンHT販売開始の時点とでは、エイズに関する知見もHIV感染の危険性に対する認識も格段に異なっているのであるから、米国で非加熱製剤が発売された際の状況と本件とを同一に論じることはできず、米国における事情を被告人らに有利にしんしゃくすることはできない。

3 弁護人の主張(三)について

  1.  弁護人は、薬事行政を担当する厚生省から、回収命令等の措置はもとより、非加熱製剤の危険性を示唆するような情報提供がなく、医療機関においても、薬剤師や専門医の個別的な判断の下で非加熱製剤の投与が継続されていたことを情状として考慮すべきであると主張する。
     しかし、医薬品については、これを販売する医薬品の製造販売業者がその製品としての安全性の確保について第一次的かつ最終的な責任を負うべきものであるところ、ミドリ十字は、血液製剤のトップメーカーとして業界をリードし、物的人的に十分な研究施設を備えていた上、米国子会社のアルファ社から同国における血友病患者のエイズ発症例等についての最新情報を入手し得る状況にあったのであり、監督官庁である厚生省からの情報提供をまつまでもなくHIV感染の危険性を覚知し得たものである。また、血友病治療としてみても、加熱製剤の供給量を血友病患者の日常的な使用に支障のない程度に確保できるか、自社の非加熱製剤の安全性はどうかなどを正確に把握することができる情報を保持しているのは、ミドリ十字にほかならないのであるから、被告人らにおいては、厚生省による指示をまつまでもなく、前記のような中止、回収の措置を講じなければならないのである。厚生省において非加熱製剤の安全対策を所管する部局等に過失のある者が存在するとしても、その過失は被告人らの過失と競合するものであって、被告人らにおいて各自の過失責任を免れないのはもとより、そのことをもって販売した非加熱製剤の安全性について第一次的かつ最終的な責任を負うべき製造販売業者の側にある被告人らの罪責を大幅に軽減する理由とすることはできない。この点は、非加熱製剤を投与したことについて医療機関に過失があったとした場合についても同様である。弁護人は、非加熱製剤の販売中止、回収や使用中止の判断は、まずは厚生省が行い、その情報に基づき治療現場の医師が個別的に行うべきものであり、製薬会社はそれを尊重する立場にあったというのであるが、採用することができない。
  2.  弁護人は、厚生省の指導なくしては、非加熱クリスマシンの回収について卸業者や医療機関の協力を得ることは困難であったという。しかし、医薬品についての通常の副作用とは異なり、HIV感染という投与された者の死亡に直結する極めて深刻な健康被害が問題となっていたのであるから、医療機関等にその事情を明らかにして協力を求め非加熱クリスマシンを回収することが特に困難であったとは考えられない。現にカッター・ジャパンは、第VIII因子製剤についても第IX因子製剤についても、厚生省の指導がないのに、加熱製剤の販売開始とともに、これと交換する形で非加熱製剤を自主的に回収しているのであるから(218)、厚生省の指導のないことが回収を特に困難とする事情に当たるものとはいえない。
  3.  弁護人は、日本製薬、トラベノール、日本臓器製薬株式会社においては、ミドリ十字が加熱クリスマシンHTを販売した後でも非加熱第IX因子製剤の販売を継続していたことを指摘した上、この3社が非加熱第IX因子製剤の販売を継続していた状況下では、厚生省の指導なしにミドリ十字が医療機関等に自主回収を求めても、医療機関等の協力は得られなかったと主張している。しかし、日本臓器製薬の非加熱第IX因子製剤(ベノビール)とHIV感染との関わりは明らかではないものの、日本製薬の非加熱第IX因子製剤(PPSB)は国内血しょうだけを原料としたものであり(80)、また、トラベノール非加熱第IX因子製剤(プロプレックス)も特殊な処理(エタノール処理)によりHIVを不活化したものである旨各社の責任ある担当者からの供述が得られているところ(219)、これに反する証拠はないから、両社の非加熱製剤はいずれもHIV感染の危険性のないものであることがうかがわれる。そして、日本製薬は昭和61年11月に、トラベノールと日本臓器製薬は同年4月に加熱第IX因子製剤の承認を取得したものであって(184)、いずれもミドリ十字が加熱クリスマシンHTを販売した時点においては、まだ加熱第IX因子製剤の承認を受けていなかったのであるから、加熱製剤のみに切り替えることができなかったのは当然である。なるほど、ミドリ十字が前記虚偽宣伝を維持したまま非加熱クリスマシンを回収しようとするのであれば、医療機関等に対する説明に困難があろうことは容易に推測できるが、そのような事情を被告人らに有利にしんしゃくすべきでないことは多言を要しない。

4 弁護人の主張(四)について

 弁護人は、ミドリ十字内部では、営業本部が中心となって非加熱クリスマシンの販売継続を行ったものであり、被告人らの関与が薄かったことを情状として考慮すべきであると主張する。

 たしかに、前記のとおりの虚偽宣伝は、日本製薬の営業セールスへの対応を迫られた営業本部が中心となって進めたものであり、また、非加熱クリスマシンの販売継続も営業本部が立案推進したものであって、被告人らが主導したものではないことも所論指摘のとおりである。しかし、被告人松下は、業務全般を統括する社長であり、被告人須山と被告人川野は、社内で営業本部と並び称される中心的な部局である研究本部、製造本部を率いる各本部長であったものであるから、ともすれば医薬品の安全性よりも得意先の確保や在庫の処理というような営業上の利益獲得にのみ向いがちな営業本部の行き過ぎを抑制し、あるいは医薬品の安全性に関わる虚偽宣伝というような重大な不正行為を正すことは、被告人らの基本的かつ重要な責務であり、この責務にかんがみれば、営業本部が主導した方針であるからといって、これを容認した被告人らの罪責が軽減されるべきでないことは明らかである。なお、被告人松下と被告人川野は、検察官の取調べにおいては、被告人3名と後藤営業本部長との4者間で前記のとおり虚偽宣伝の続行を協議したことを認めながら、公判においてはこの事実を否定している。クリスマシンの原料血しょうが国内血しょうのみであるとの前記社令特号の存在に照らしても、被告人らが虚偽宣伝を容認したことは明らかであるから、4者間の協議の有無にかかわらず、被告人らはその点についての非難を免れることはできないが、捜査段階においてその4者間の協議の存在を認めたことについて納得のできる説明をしておらず、前記公判供述は信用するに足りない。

(法令の適用)

罰条
いずれも平成3年法律第31号による改正前の刑法211条前段、同改正前の罰金等臨時措置法3条1項1号(刑法6条、10条により軽い行為時法の刑による。)
刑種の選択
禁錮刑
訴訟費用の負担
刑訴法181条1項本文

(量刑の事情)

  1.  本件は、ミドリ十字の代表取締役社長であった被告人松下、同社代表取締役副社長兼研究本部長であった被告人須山、同社代表取締役専務兼製造本部長であった被告人川野が、加熱クリスマシンHTの販売を開始した後は、直ちに非加熱クリスマシンの販売を中止するとともに、販売済みの非加熱クリスマシンを回収する措置を採るべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、その結果、大阪医大附属病院に非加熱クリスマシンを販売させ、同病院において、医師に肝疾患を伴う食道静脈瘤の硬化手術を受けた患者一名に対して非加熱クリスマシン3本を投与させ、その患者をHIVに感染させてエイズを発症させ、投与から約9年8か月後にエイズの症状である抗酸菌感染症等により死亡させたという業務上過失致死の事案である。
  2.  医薬品の製造販売業者は、治療効果の反面において人体に有害な作用を及ぼす危険性を有する医薬品の安全性を最大限に確保する義務があり、製造販売の開始時はもとより、その後においても、その安全性に関する最新の情報と知見に基づく最高の学問的水準に関心を怠ることは許されない。そして、製造販売の当初は知ることのできなかった当該医薬品による疾病発生等の健康被害に関する情報を入手したときは、製薬業者を信頼して医薬品を使用し、あるいは投与を受けるほかない立場にある国民にもたらす影響の重大性にかんがみ、その情報を秘匿することなく、監督官庁である厚生省に報告した上、その時点までの臨床報告や内外の文献等を調査し、当該医薬品と健康被害との因果関係の有無や程度等を解明し、その因果関係が合理的な根拠をもって否定されない限り、健康被害の重大性と当該医薬品の治療上の必要性とを比較衡量した上、警告書を添付し、あるいは、販売を中止し、既に流通している当該医薬品を回収するなどの国民の健康被害を回避すべき真しな措置を講じなければならない。
  3.  昭和61年初頭においては、エイズは死に至る病として我が国の内外において重大な関心と不安を引き起こしていたものであるが、被告人らは、非加熱クリスマシンにより患者らがHIVに感染し、エイズを発症する危険性が少なくないことを認識することができたのであるから、加熱クリスマシンHTの供給により血友病治療に支障のない状況下においては、非加熱クリスマシンによる健康被害が製薬企業として最も尊重すべき人命にまで及ぶことにかんがみ、その販売を即時に中止するとともに、既に流通している非加熱クリスマシンを回収する措置を採るべきであった。なるほど、エイズは人類未知の病であり、当時はまだ医学的に解明されていない部分が多く存在したのであるが、非加熱クリスマシンにより健康被害が発生するという因果関係については、これを疑わせる合理的な理由があったことは明らかであり、そうである以上、被告人らは、それぞれの立場と責任において、その時点までの被害に関する報告を厳格に調査し、適切な対応をしなければならなかったのである。被告人らは、非加熱クリスマシンの製造販売に伴う危険の発生を未然に防止すべき地位にあり、その危険性を認識しHIV感染とエイズの発症という結果を回避する措置を採ることができる立場にあったのに、ミドリ十字の営業上の利益を優先させてその危険性を殊更に軽視し、非加熱クリスマシンの販売中止や回収の措置を採らなかったものであり、その過失の程度は極めて重い。
  4.  本件は、肝疾患があるにすぎない者であっても不治の病であるエイズに罹患することがあるとして、社会全体に深刻な不安と衝撃を与えた事案である。非加熱クリスマシンの投与当時に38歳の誕生日を迎え、食道静脈瘤の硬化手術後の経過も良好で、死亡当時まだ40代の働き盛りで人生の半ばにあった被害者男性の尊い生命を奪い去った本件の結果はまことに重大である。本件被害者は、エイズに感染するような原因については全く心当たりがなく、肝臓の病気とばかり思っていたところ、ある日突然にエイズを宣告され、まさに奈落の底に突き落とされたに等しい衝撃を受け、全身の関節の痛みに耐え、やせ衰えながら、妻に支えられて2年余りの壮絶な闘病生活を送った挙げ句、ついに力尽きてこの世を去ったものである。本件被害者の肉体的、精神的苦痛は、想像を絶するものであるが、残されたその妻らにおいても、幸せに満ちた家庭生活を送るべきところ、被害者を見舞う知人にも真実の病名を告げることができず、葬儀や法要に際しても真の死因を伏せざるを得ないなど、長期間にわたり筆舌に尽くすことのできない苦悩を心底味わったものであり、その精神的苦痛は終生いやされることがなく、被害感情は極めて厳しい。
  5.  ミドリ十字の最高責任者として社内の情報を把握し、常務会等において最も強い発言力を有していた被告人松下は、営業上の利益を最優先する営業本部の方針に追随することなく、医薬品の安全性確保の観点から新たなHIV感染を極力防止するため非加熱クリスマシンの販売中止と回収を営業本部に指揮し、あるいは常務会等に諮るなどして、販売中止、回収の措置を実行すべきであったのに、非加熱クリスマシンの危険性を深刻に受け止めず、差し迫った危険があるのであれば厚生省の指示があるであろうとの安穏軽易な考え方で販売を継続し、その回収を怠ったものであって、人命を救うべき製薬会社の最高責任者としての職責に対する自覚を著しく欠いた行為というほかない。同被告人は、厚生省に永年勤務し、薬務局長時代にはサリドマイド事件の和解交渉に担当局長として関与し、薬害のもたらす悲惨さを身をもって経験した上、医薬品の危険性に関する情報はできる限り早期に公開してその危険を回避すべきことをその教訓として学んでいたはずであるのに、危険性を医療機関に公表しないばかりか、非加熱クリスマシンの原料血しょうは国内血しょうであるからエイズの危険性はないというような虚偽宣伝を容認したものである。なるほど、同被告人には十分な医学的知識があったとはいえないが、ミドリ十字は、被告人須山ら医学薬学の専門家多数を擁しており、それらの者から知識を得ることは容易であったのであるから、この点を量刑上格別に考慮することはできない。医薬品の安全性に関する虚偽宣伝を容認した同被告人の行為が、製薬業界全体の信用を損ないかねず、また、それと知らずに非加熱クリスマシンの販売拡大のため虚偽宣伝に従事した営業員らミドリ十字に勤務する多数の従業員らに対して、製薬事業に従事する誇りを失わせたという点も見過ごすことができない。これらの点からすれば、同被告人の過失は、被告人3名の中で最も重いと認められる。
  6.  被告人須山は、ミドリ十字において被告人松下に次ぐ地位にあり、代表者の中での唯一の医師の資格を有し、エイズに関する医学情報の収集分析について責任者の立場にあったものである。同被告人は、エイズが問題になり始めた当初に社内に配布した資料にはその時点における知見をありのままに伝えながら、その数か月後には、血液製剤によるエイズの日本上陸の可能性は皆無に近いというようなエイズの危険性を殊更に小さく伝える文書を作成配布したが、この文書が営業の現場に普及するとともに、それを基に作成された同旨の文書が広く血友病患者に配布された。HIVの性質やエイズと血液製剤との関わりが明確でなかった早期の段階において、血友病の治療に無用の混乱を生じさせないための配慮として、エイズの危険性を強調することを差し控えるということは理解できなくはないが、その後血液製剤によるHIV感染やエイズ発症が次第に明らかになっていたにもかかわらず、前記のような見解をついに改めることがなかったものであって、医学研究者としての良識に反する行為というほかない。被告人松下及び被告人川野の検察官に対する供述によっても、被告人須山は、常務会等においてエイズに罹患してもその発症の可能性は低い旨の発言を繰り返していたというのであるが、そのような社内における発言と配布された前記文書とが相まって、ミドリ十字全体のエイズに対する危険性の感覚を鈍麻させたものであり、ミドリ十字のエイズに対処する方針を誤った方向に決定付けたその責任は重い。被告人須山の医学専門家としての発言は社内において信頼されていたものであり、同被告人がエイズ感染の危険性を適切に指摘し、非加熱クリスマシンの販売継続について慎重な対応をするよう常務会等において提言し、被告人松下に進言すれば、本件被害の発生を防止することは容易であったものとみられる。被告人須山は、研究本部長である常務会等の構成員として、常務会等において非加熱クリスマシンの販売中止、回収の措置を採るよう提言するとともに、被告人松下にその旨を進言すべき義務があったが、それを行わず、虚偽宣言をも容認したものであるから、被告人松下に次いでその責任は重い。
  7.  被告人川野は、ミドリ十字において後藤営業本部長とともに被告須山に次ぐ地位にあるとともに、非加熱クリスマシンの製造についての責任者である製造本部長の職にあり、非加熱クリスマシンの安全性を確保すべき責務を負っていたものである。同被告人は、もともと農学部出身であるが、血栓溶解剤に関する研究で医学博士号を授与されるなどある程度の専門的知識のあったものであり、非加熱製剤のエイズに関する危険性についての医学的情報により関心を払い、常務会等の場において非加熱クリスマシンの原料血しょうに占める輸入血しょうの割合やその安全性について正確な情報を提供すれば、営業本部による虚偽宣伝を阻止することができたのであり、また、非加熱製剤の販売継続について慎重な対応をとるよう常務会等において提言すれば、本件被害の発生を防止できたものである。ところが、常務会の席で営業本部長から非加熱クリスマシンの原料について問われた際、輸入血しょうも混じっているが大部分は国内血しょうであるなどと誤った説明をし、営業本部の虚偽宣伝のきっかけをつくり、さらに、虚偽宣伝に気付いた後にも適切な対応をとることができないままこれを容認したものである。しかも、被告人川野は、昭和63年初めころ、虚偽宣伝との整合性を図るため、部下に非加熱クリスマシンの原料血しょうが国内血しょうだけであるかのように製造記録を改ざんすることを指示するまでしており、犯行後の情状も芳しくない。同被告の刑責は、被告人松下、被告人須山に次ぐとはいえ、やはり相当に重い。
  8.  これらの諸点にかんがみれば、被告人3名の刑責は重く、いずれも禁錮刑の実刑を免れることはできず、ミドリ十字が訴訟上の和解に基づき、被害者の遺族に対する和解金として4500万円を支払い、被害回復の措置を採ったこと、被告人らがいわゆる薬害エイズ事件に関わったとして社会的に種々の批判にさらされ、既に相当の社会的制裁を受けたこと、被告人川野は本件による逮捕当時代表取締役社長であったが、本件の責任をとって代表取締役を辞任し、退職金等も辞退したこと、ミドリ十字が抗血友病製剤の開発供給や血友病患者の支援等について種々の社会的貢献をしており、その中にあって、被告人松下は創業者に請われてミドリ十字を率い、ミドリ十字に永年勤務した被告人須山はB型肝炎診断試薬の開発により科学技術庁長官賞を受賞し、ミドリ十字一筋に勤務した被告人川野は我が国で最初の血しょう分画製剤の国産化に成功して大阪府から表彰されるなどいずれも輝かしい業績を挙げたものであること、被告人松下は永年厚生省に勤務して児童手当の支給や小児難病対策等に力を尽くし、また、薬務局長時代にはサリドマイド事件の和解交渉において国として初めての負担をする和解の成立に尽力するなど多大な業績を残したこと、被告人らは、刑法上の責任を認めて過失の存在を争わず、被害者に対する謝罪の言葉を法廷で述べるなどそれぞれ反省悔悟の情を示していること、被告人松下は約40年前の公職選挙法違反による罰金刑を除くほか前科がなく、被告人須山と被告人川野には全く前科がなく、それぞれの過失行為から既に長期間が経過し、いずれも本来であれば平穏な余生を送るはずの年齢にも達していることなどを考慮した上、被告人らのそれぞれ主文の禁錮刑を科することとした。

(出席した検察官内井啓介、同高橋勝、弁護人滝口克忠、同荒尾幸三、同小原正敏、同田端晃)

(裁判長裁判官三好幹夫 裁判官菱田泰信 裁判官角谷比呂美)