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商社再編                            Back

    2005/8       住友商事、化学品事業会社3社を戦略的に再編・統合

              大手商社による主な事業譲渡・統合

2004/2      ニチメン・日商岩井合併 「双日」に

2003/7       経産省 蝶理の「事業再構築計画」認定

2003/7      ニチメン日商岩井 化学品4社を統合

   2003/2       三井物産 樹脂の国内販売再編

2002/12      日商岩井・ニチメン統合

   2002/8発表   日商岩井とニチメン、化学品事業の統合で基本合意

   2001/3発表    日商岩井とニチメン、合成樹脂分野での共同持ち株会社設立

   2002/3発表      蝶理の参加

 

   2002/12     豊田通商とトーメン 経営統合を検討

2002/12     トヨタ、トーメンを傘下に

            豊田通商、トーメンの第三者割当増資引き受けなど合意

 


2001/1発表   トーメンとニチメンがライフサイエンス事業統合に合意 →アリスタ

 


日本経済新聞 2002/12/11                    両社発表

日商岩井・ニチメン統合 来春に持ち株会社
 2000億円強資本調達 米リーマンなど出資

日商岩井ニチメンは、来年4月に共同持ち株会社を設立し、経営統合することで合意

総合商社の連結売上高 (2002年3月期)

三菱商事 13兆2306億円
三井物産 12兆6544億円
伊藤忠商事 11兆4004億円
住友商事  9兆6453億円
丸紅  8兆9722億円
  日商岩井・ニチメン
         7兆5197億円
日商岩井  5兆4645億円
卜一メン  2兆3848億円
ニチメン  2兆 552億円
兼松     9024億円

  

 

  


2002/12/11 ニチメン/日商岩井

ニチメンと日商岩井の経営統合について
    
http://www.nichimen.co.jp/pdf/0226.pdf

 


 


日商岩井の歩み   http://www.nisshoiwai.co.jp/ni/j/index2.html  

  日商 岩井
創業期(1900 年頃)
明治維新(1868年)以後、政府はヨーロッパの商習慣や市場の研究を奨励し、積極的な産業振興に努めました。進取の気性と起業家精神に富む鈴木岩治郎や岩井文助には、無限のチャンスが到来します。
1902年、鈴木岩治郎は神戸に「鈴木商店」を設立。大番頭、金子直吉の采配のもと、砂糖貿易商として世界的な拠点網を確立するとともに、製糖・製粉・製鋼・タバコ・ビールなどの事業を展開します。さらに、保険・海運・造船などの分野にも進出し、ロンドン・バルティック取引所(世界有数の船舶物資取引所)で、日本企業として2番目のメンバーとなります。 一方、鉄鋼産業の幕開け(1901年)に伴い、岩井文助は1912年、「岩井商店」を発足。鉄鋼商社として急成長を遂げ、国内でもトップクラスの地位を築きます。
第2次世界大戦前 「鈴木商店」は穀物取引において世界的な名声を獲得するまでになり、当時の小説に「スエズ運河を航行する船舶の10隻に1隻は日本の鈴木に属すといわれ、そのシンボルマークは世界中の海で見ることができる」と記されたほど隆盛をきわめます。その後、金融恐慌期の苦難を経て、1928年、「日商株式会社」を新たに設立。
また「岩井商店」はダイセル化学工業・日新製鋼・徳山曹達・関西ペイント・富士写真フイルムなど、現在、各分野のリーディングカンパニーとして活躍する会社を次々に設立し、グループ企業を形成していきます。こうした関係は、一貫して現在の日商岩井の強力な基盤に継承されています。1943年、「岩井産業株式会社」と改称
戦後〜1970年代 戦後から1950年代にかけて、「日商」と「岩井産業」はそれぞれ金属・機械部門を中心に取引を拡大。重工業の発展に伴い、一層の基盤強化を実現します。さらに、1952年には「日商アメリカ株式会社」を設立するなど、海外拠点網の構築を開始します。
1960年代、日本経済の奇跡的な成長に資源・原材料を提供することで社会的役割を果たした両社は、同時に流通・消費財物資の分野にも進出。
事業目的の一致をみた両社は、
1968年10月に合併。「日商岩井株式会社」として新たなスタートを切り、より多くの資産と、より緊密なネットワークを背景に、より広範な営業活動を展開します。

ニチメン http://www.nichimen.co.jp/corp/roots.html 

明治維新以後、いわゆる文明開化の風潮にのって、海外から綿糸や綿布が大量に輸入されたため、当時のわが国の貿易は入超つづきであった。

1891年10月、摂津紡績、平野紡績、尼崎紡績、天満紡績の4社の首脳陣を中心とした25人の発起人が名を連ね、「日本綿花株式会社」設立願いを大阪府知事に提出した。

1892年10月、大阪府知事から設立許可が下り、11月10日に設立総会を開催、初代社長に官僚出身の佐野常樹(当時38歳)を選出、事務所を大阪市西区靱北通4丁目に開設(現在の大阪本社の所在地 大阪市北区中之島2丁目は3代目にあたる。)し、ここに
ニチメンの前身である「日本綿花株式会社」が誕生した。

1943 社名を「日綿實業株式会社」に改称
1982 社名を「ニチメン株式会社」に改称


Chemnet Tokyo 2003/7/16

蝶理の「事業再構築計画」認定、経産省


同社は事業構造の変更として、100億円の増資を予定。旭化成、東レ、みずほコーポレート銀行、UFJ銀行、中央三井信託銀行が優先株を引き受ける。また、175億円の無償減資と、160億円の資本準備金・利益準備金のを使い欠損金にあてる。