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「水俣病の科学」出版 忘れられた“2つの謎“追い 発生のメカニズム解明
「惨劇を教訓に」 10年間の執念実る
■謎その1 チッソは1932年から一貫してアセトアルデヒドを製造していたのに、54年になって患者が急増したのはなぜ?
■謎その2 当時、酸化剤にマンガンを使わない方法は全国に普及していたのに、水俣だけに被害が集中したのはなぜ?
■二人三脚の成果
チッソが時効を主張、請求棄却求める 水俣病訴訟
水俣病の未認定患者が国と熊本県、原因企業のチッソに損害賠償を求めて05年10月3日に起こした訴訟で、チッソが「すでに時効が成立している」として、請求の棄却を求める準備書面を熊本地裁に提出していたことが25日、わかった。チッソ側は水俣病第1次訴訟の熊本地裁判決(73年)の敗訴以来、時効は主張してこなかったが、準備書面で、原告が症状を知ってから3年経過したことや20年の除斥期間を主張している。原告らは「加害企業が時間の経過を理由に責任逃れをすることは許されない」と反発している。
2007/11/15 日本経済新聞夕刊
水俣病 チッソ、新たな負担拒否 19日表明 与党PT案の一時金
与党プロジェクトチーム(PT)が検討している水俣病未認定患者の新たな救済策について、患者に支払う一時金の財源負担を求められている原因企業のチッソが、拠出を拒否する方針を固めたことが15日、分かった。後藤舜吉会長が19日に東京都内で記者会見し、正式に表明する予定。
PTの園田博之座長(衆院議員)とチッソは水面下で交渉を続けてきたが、同社がPT案の受け入れ拒否を決めたことで救済策の行方は混沌としそうだ。
関係者によると、チッソは未認定患者約1万人に一時金などを支給した1995年の政治解決について「最終的な解決だった」とのスタンス。この際、同社は約317億円を支出しており、追加負担には応じられないとの立場とみられる。
また、主要被害者4団体のうち「水俣病不知火患者会」(約2千人)など2団体がPT案を拒否し、国や熊本県、同社に損害賠償を求め訴訟を起こしている点も重視。今回の救済策が全面的な解決には至らないと判断したもようだ。
新たな救済策案は、患者1人あたりに対し一時金150万円のほか、月額1万円の療養手当、医療費の一律支給が柱。
国の認定制度に申請中か、医療費補助の出る保健手帳を保持している約1万8千人(9月末時点)のうち、公的医療機関の診断で手足の感覚障害が認められた人を救済対象とする。
水俣病未認定患者の新救済策づくりを進める与党のプロジェクトチーム(PT)は2007年10月26日、東京・永田町の衆院議員会館で会合を開き、一時金150万円、療養手当月額1万円、医療費無料化などを柱とする最終案を正式に了承した。 救済対象は公的な医療機関の診断で判定。救済策への申請期限を設定するとともに、一定の神経症状を条件に医療費を給付している新保健手帳の新たな交付申請にも期限を設ける。
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日本経済新聞 2007/11/20
水俣病 チッソ、新救済策を拒否 「現状、解決への展望ない」
与党プロジェクトチーム(PT)が検討中の水俣病未認定患者の新救済策について、対象者に支払う一時金の拠出を求められているチッソは19日、後藤舜吉会長が東京都内で記者会見し、「解決への展望がどうしても持てない」などとPT案受け入れ拒否を正式に表明した。同社が新救済策への公式見解を述べるのは初めて。
後藤会長はチッソが約317億円を拠出し、未認定患者1人あたりに一時金260万円などを支給した1995年の政治決着に触れ、「95年が最後と思って努力した。あれ以上の解決は考えられない」と発言。新たな負担には応じない考えを強調した。
受け入れ拒否の理由としては@一部の被害者団体がPT案を拒否し、同社や国が被告の訴訟を継続する意向を示しているAチッソの負担額が不透明なうえ、国や県の資金支援があるとしても、これ以上の借金を後世に残せないB株主や社員、取引金融機関に説明できないーーなどを挙げた。
ただ「現状(の認識)を申し上げている。変化はあり得る」とも述べ、PTや環境省との今後の交渉での方針転換に含みを持たせた。
与党PTの江田康幸衆院議員(公明党)はチッソの方針表明を受け、「チッソや訴訟派団体との交渉は本格化したばかり。今後も理解を求めていく」と同社の説得を続ける考えを強調。一方、新救済策に前向きな被害者団体「水俣病出水の会」(約2900人)の尾上利夫会長は「95年の政治決着から漏れた人が確実にいるなかで、拒否するのは許されない」と厳しく批判した。PTの救済策は、患者一人あたりに対し一時金150万円のほか、月額1万円の療養手当、医療費の一律支給が柱になっている。
水俣病政治決着と未認定患者救済
95―96年、自民・社会・さきがけ3党連立政権が訴訟や認定申請の取り下げなどを条件に、四肢末端優位の感覚障害がある場合は「医療手帳」、感覚障害以外で一定の神経症状がある場合は「保健手帳」を交付する政治決着の枠組みを構築、約1万人の未認定患者を対象に実施した。
医療手帳はチッソから一時金260万円、国・県から医療費自己負担分全額、月額約2万円の療養手当などを支給。
医療費自己負担分などを上限付きで支給してきた保健手帳は、国の責任を認めた04年10月の関西訴訟最高裁判決後に受け付けを再開、医療費自己負担分は全額支給に改めた。95年の政治決着に伴う一時金はチッソが全額負担した。
チッソは、液晶素材に支えられ業績好調とはいえ、水俣病に伴う患者補償などで公的債務は約1350億円。民間金融機関から返済を猶予されている債務も約400億円に上る。---
95年、村山首相が政府として初めて「結果として長期間を要したことについて率直に反省しなければならない」と首相談話で遺憾の意を表明した。
そして各患者団体が政府解決案を受諾してゆく。一時金260万円の支払い決定され、10353名の水俣病未認定患者救済問題に決着がついた。
一部の患者は政府解決策を拒否し裁判続行を決意した。
政府解決策を拒否し政府の行政責任追及にこだわった水俣病関西訴訟の原告は2001年大阪高裁で勝訴。国の行政不作為を認定した。しかし、国・熊本県が上告。
2004年10月15日、水俣病の行政責任を問う、初の最高裁判決が下った。
「チッソ水俣病関西訴訟」の論点は二つ。
I 被害を防止しなかった行政の過失を認めるかどうか?
II 患者を水俣病ではないとした行政の認定基準は正しかったのかどうか?
95年の政治決着で、ほとんどの患者が和解に応じ裁判を取り下げた。しかし唯一「関西訴訟」の原告だけが行政の責任を問い続けてきた。その結果、2001年の高裁判決は、排水規制をしなかった国と県の過失を指摘、水俣病の認定基準も間違っているという判断を下した。
最高裁は原告の主張を認め、県と国の法的責任が確定した。これによって、行政責任を不問にした「和解」の前提が強く揺さぶられる事態を迎えた。0上告審判決の骨子
一、国は1959年12月末には、チッソの工場排水について旧水質二法による規制制限を行使すべきであった
一、国が60年1月以降、規制制限を行使せず被害を拡大させたのは、著しく合理性を欠き違法
一、熊本県も国と同様の認識を持ち、漁業調整規則で規制制限を行使する義務があった
一、国と県には、患者37人分の約7150万円の賠償責任がある
一、59年12月末以前に転居した患者8人については、国、県の違法な不作為と損害の因果関係を認められない判決理由で北川裁判長は、国と県は60年1月の時点で(1)患者と死者が相当数に上っていた(2)原因が有機水銀化合物で、排出源がチッソ工場であることを認識できた(3)工場排水に含まれる微量の水銀を分析することができた−と認定。その上で、国は旧水質二法(水質保全法、工場排水規制法)、県は漁業調整規則に基づき、それぞれチッソの工場排水を規制すべき義務があったのに規制しなかったことは、行政として著しく合理性を欠くと厳しく批判した。
水俣病患者の認定基準についても、国よりも緩やかな独自の基準で、未認定の原告のほとんどを患者と認定した二審判決を是認。二審判決を批判した国と県の主張を退けた。
判決は、水俣病患者の公式確認から約3年半後の1960年1月の段階で、「国はチッソ水俣工場の使用停止などの措置を直ちに取るべきだった」などとして、患者37人へ計7150万円の賠償を認定した。
一方、59年12月末以前に水俣から転居した8人については、二審判決が賠償を命じた部分を取り消した。ただ、チッソと国、県に総額約3億2千万円の賠償を命じた二審判決について、チッソは上告せずに全額を賠償したため、8人の受取額に変更はない。
【主な水俣病訴訟の判決】
訴訟名 裁判所 結果 企業 行政 排水規制 食品衛生 71年9月 新潟1次 新潟地裁 ○ − 73年3月 1次訴訟 熊本地裁 ○ − 79年3月 2次訴訟 熊本地裁 ○ − 85年8月 同上 福岡高裁 ○ − 87年3月 3次1陣 熊本地裁 ○ ○ 92年2月 東京訴訟 東京地裁 ○ × 3月 新潟2次 新潟地裁 ○ × 93年3月 3次2陣 熊本地裁 ○ ○ 11月 京都訴訟 京都地裁 ○ ○ 94年7月 関西訴訟 大阪地裁 ○ × 01年4月 同上 大阪高裁 ○ ○ ○ × 04年10月 同上 最高裁 − ○ ○ × ○は責任認める ×は認めず。−は争点外
関西水俣病訴訟 熊本、鹿児島両県の不知火海(八代海)沿岸から関西に移り住んだ水俣病未認定患者と遺族が、国と熊本県、チッソに約20億円の損害賠償を求め、1982−88年に提訴。94年の一審大阪地裁判決は、チッソだけに約2億8000万円の賠償を命令。二審大阪高裁は2001年、控訴審段階で行政の過失を初認定、3者に総額約3億2000万円の支払いを命じた。国、県と患者の一部が上告した。行政責任を追及した水俣病6訴訟の一審判断は真っ二つに分かれたが、関西訴訟以外は政治解決によって取り下げられた。
毎日新聞 2008/4/29
水俣病新救済案 来月1日合意は困難 「訴訟継続中」チッソ主張譲らず
水俣病未認定患者の新救済策問題で、28日上京した蒲島郁夫・熊本県知事は原因企業チッソの後藤舜吉会長と初会談したが、双方の主張は隔たったままで進展はなかった。24日の鴨下一郎環境相と後藤会長の会談に続く不調で、解決のめどとして環境相が示した5月1日の水俣病犠牲者慰霊式までの新救済策合意は極めて困難な情勢になった。
新救済策は、国の認定基準を事実上否定した04年の水俣病関西訴訟最高裁判決を受け、与党プロジェクトチーム(PT、座長・園田博之衆院議員)が昨年まとめた。未認定患者1人当たり150万円の一時金支給などが柱だ。与党は一時金をチッソに負担させる方針だが、チッソは「水俣病をめぐる訴訟が継続しており、解決への展望が持てない」と拒否してきた。
チッソは95年当時、未認定患者約1万人に一時金計317億円を支払った。しかし、04年判決後の認定申請数は約6000人に上るうえ、認定基準見直しを求める裁判闘争も続いており、今後の費用負担は未知数だ。
このため、後藤会長は24日、チッソを事業会社と水俣病の補償を担当する会社に分社化し、液晶製造など好調な本業への融資環境を改善する受け入れ条件を提案した。しかし、原因企業の責任があいまいになるとして、鴨下環境相はこの提案を拒否していた。
一方、熊本県議会は今年2月、チッソの患者補償を支援するため発行している県債(約1300億円)の償還に関する予算審議で、新救済策受け入れをチッソに働きかけることを県に求める決議をした。蒲島知事は28日、後藤会長に「県議会を抑え切れない」と伝えたが、後藤会長はチッソヘの配慮を求めるにとどまった。
地元の主要患者4団体のうち「水俣病被害者芦北の会」(約270人)と、「水俣病出水の会」(約3100人)は新救済策受け入れを決めているが、「水俣病不知火患者会」(約2000人)と「水俣病被害者互助会」(約150人)は国やチッソを相手取って損害賠償請求訴訟を起こしており、司法救済の姿勢を崩していない。
◆水俣病の発生と救済の経緯◆
1953年 | 熊本県水俣市で猫が多数死ぬ |
56年 | 水俣病公式確認(初の患者報告) |
65年 | 新潟水俣病公式発表 |
68年 | チッソ水俣工場の排水中の有機水銀が原因とする政府見解 |
88年 | 最高裁がチッソ元社長らに業務上過失致死傷罪の有罪判決 |
95年 | 与党3党の最終解決案に患者団体が合意(政治決着) |
97年 | 水俣湾安全宣言 |
2004年 | 水俣病関西訴訟最高裁判決(国・県の責任を認定) |
06年 | 公式確認から50年 |
07年 | 与党PTが新救済策発表 |
水俣病救済対象を拡大 与党が修正案提示
水俣病未認定患者の救済法案をめぐる与野党協議が12日開かれ、与党側が与党法案の修正案を示した。前文で国と熊本県が水俣病を拡大させた責任を認め、 「おわび」を明示するとともに、救済対象者の範囲を広げた。認定制度を終わらせるとして、地元の反発が強い「地域指定解除」は、文言を残す案と削る案を提 示した。与党側は来週中にも民主党と再協議し、合意を目指す考えだ。
修正案では、国と熊本県が水俣病を拡大させた責任を認定した04年の関西訴訟最高裁判決を受け、前文で「政府の責任を認めおわびしなければならな い」と明記。救済対象は「四肢末梢(まっ・しょう)優位の感覚障害を有する者」の条文に「準ずる者」との表現を追加し、全身性の感覚障害なども対象とする 民主党案に歩み寄った。現在、医療費が支給されている新保健手帳に代わる「水俣病被害者手帳」の交付も追加した。
地域指定解除については「関係自治体の長や地域住民の意見を広く聴く」と条件をつけて文言を残す案と、「地域指定解除」の文言を削除して「水俣病問題の最終解決の実現に伴う必要な措置を講じる」と言い換えた案の二通りを示した。
チッソ分社化は、水俣からの撤退につながるのではないかという地元の不安を受け、事業会社に「地域経済の振興と雇用確保に資する」ことを求め、国 や熊本県の努力義務を条文に追記。「原因企業の責任逃れ」との批判に対しては、「訴訟が続く間は補償を担う親会社は清算できない」とする説明資料を示し、 理解を求めた。
与党側は修正案を「踏み込んだ最終的な提案」(園田博之・自民党政調会長代理)と説明。だが民主党は、修正案で示された救済対象の症状や原因企業 チッソの分社化などについてまだ認識の違いがあるとしており、来週の再協議までに被害者団体の意向も聞き、合意の是非を判断する方針だ。
経済史を歩く
水俣病の発生確認(1956年) 高度成長が残した傷跡
鈍い対応、被害大きく
日本の公害問題の原点といわれる水俣病。企業は産出する製品・サービスによって人々の生活を豊かにする半面、時におびただしい害悪を社会にもたらすことがある。被害の規模は当事者の対応次第で大きくもなれば小さくもなる。水俣病の場合、企業も行政も当初、最悪の対応をした。
◇
「百間排水口は、水俣病原点の地です」。熊本県水俣市。チッソ水俣本部の南西に隣接する水路の脇道にこんな文言で始まる看板がある。日本窒素肥料(1950年に新日本窒素肥料、65年からチッソ)は32年から68年まで、酢酸などの原料になるアセトアルデヒドの製造工程で発生したメチル水銀化合物を、工場排水とともに大量に排出した。
排出停止に12年
56年4月下旬、同社水俣工場付属病院長の細川一はそれまで見たことのない症状の患者を相次ぎ診察した。2〜11歳の子供が4人。箸が使えなくなり、歩くのにふらつき、ろれつか回らなくなる。やがて狂躁状態になり、そして寝たきりになる。5月1日、細川は水俣保健所に「原因不明の中枢神経疾患が発生している」と届け出た。
「この日がのちに『水俣病公式確認の日』といわれる日である」と昨年9月刊行のチッソの社史「風説の百年」記している。文字通り「原因不明」だったため新聞は当初「奇病」「伝染病」と報じた。だが、熊本大学医学部の調査研究でまもなく水俣湾産魚介類による毒物中毒が原因であると判明した。
しかし、そこから厚生省(現厚生労働省)が「有機水銀化合物」を主因と導き出すまで3年、有機水銀の出所をチッソと断定し排出を止めるまで12年を要した。「最大の障害はチッソが情報提供を拒んでいたこと」。熊本県職員として水俣病対策に取り組み、現在は崇城大学教授の永松俊雄は近著「環境被害のガバナンス」でこう指摘している。
当時チッソは製造工程で無機水銀を触媒として使っていたが、それが有機水銀に変わることはありえないと反論。その一方で工場排水を経口投与したネコに水俣病と同様の症状が表れたことを隠し、工場排水からメチル水銀を検出していたことも公表しなかった。58年には排水口をそれまでの百間から北側の水俣川に変更。その結果、有機水銀が八代海(不知火海)全域に広がり被害を拡大させた。
行政もチッソをかばった。厚生省は水俣病の原因物質を有機水銀と特定したが、発生源を追及しなかった。59年の水俣病各省連絡会議で通商産業省(現経済産業省)のある局長は「水銀を使う工場はほかにもあるのになぜ病気が出ないのか」とチッソ主犯説を否定。この局長は約20年後に水俣病関西訴訟で「チッソは、化学産業にとって重要な企業であり(操業停止など)経済発展に影響を与えることはできなかった」と証言した。
東電支援と同構図
68年に政府は水俣病を公害病と認定、73年からチッソは患者への補償を始めたが、巨額の補償負担で73年9月期に債務超過に転落。2012年3月期末時点で同社の水俣病関連損失の累計は3614億円に達し、1163億円の連結債務超過となっている。
40年も債務超過の企業が倒産しないのは公害の原因企業として補償を履行するため公的支援で延命されているからだ。同社の公的債務残高は12年3月期末で1969億円。福島原発事故の賠償支払いのために公的支援を受けている東京電力と同じ構図である。09年に成立した水俣病特別措置法に基づき、チッソは昨年、事業部門を新会社JNCに譲渡し、チッソ本体は補償業務に特化する「分社化」を実施した。将来JNCを上場させ、その株式売却益を補償と弁済の資金に充てる計画だ。
今年7月末に締め切られた特措法に基づく水俣病未認定患者救済の申請者数は約6万5千人。被害者団体は「まだ潜在患者がいる」と訴える。救済対象が広がれば補償の規模も膨らむ。分社化スキームで資金を賄えるのか先行きは不透明。被害者にとってもチッソにとっても水俣病はまだ終わらない。
収益源は液晶材料
チッソの現在の稼ぎ頭は液晶材料。水俣製造所でも原料となる化合物を製造している。「事業としてメドが立ったのは1997年ごろ。それまではいつ撤退を命じられてもおかしくなかった」と後藤泰行JNC取締役は振り返る。世界シェアは独メルクに次ぐ2位で約4割。昨今の薄型テレビの不振が悩みのタネ。